鏑木、ミニスカサンタの胸に意表をつかれる
パンツを被る男 2
大通りから一本横道に入っただけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのか?
人が4人並んで歩けば道をふさいでしまうような狭い路地。両側を高いビルで囲まれ、空がほとんどみえない。一歩その路地に踏み込んだ瞬間、時の流れがいい加減になってしまうような妙な感覚に襲われる。
めまい?
地震のときのように足元から体が揺れるような感覚。路地の風景が一瞬、霞んで見える。鏑木は永田らしき人影を見失った。
どこに消えた?
鏑木は路地に足を踏み入れ、注意深く店の入り口や窓から見える客の姿を確認した。
店はどこも繁盛しているようで、騒がしい声が聞こえる。50才前後の年配のサラリーマンが一番多いように思えたが、それに混じって若いOLの姿も見えた。およそ今の自分の生活とはまったく無縁な『普通のサラリーマン』や『普通のOL』が集まる場所のようだ。鏑木は少しだけ疎外感を覚えながら考えた。
さて、困ったぞ。手当たり次第というわけにはいかなし、一軒一軒除くのは非現実的だしなぁ。第一、人違いの可能性が極めて高い。引き返すか……それも妥当な選択か。しかし、偶然とはいえ、どうやら本屋で探そうとしていた『不慣れな場所』にたどり着けたようだ――
「結果オーライか」
楠木は永田の影ではなく、当初の目的に従って適当な店を探すことにした。肩ひじを張らなければならないような店はなさそうだが、何を基準に選んだものだかと考えあぐねた。
食べたいもの――口の中でとろける高級なマグロや血の滴るような肉厚のステーキならいくらでも食べたいところだが、財布の中身の心もとなさは、いかんともしがたい。結局「永田さんと行くならどんな店に入るかとか」そういう基準で店を選んでみることにした。
何軒か覗いてみたが、これという店も見つからず、かといってこのままどんどん路地の奥に進むのは気が引けた。
「この路地はどこまで続いているんだ。えらく長いよなぁ」
路地は微妙に左にカーブしており、そのせいで路地の出口が見えない。ある程度先まで行けば大通りに抜けるのだろうか。漠然とした不安が、鏑木の足を止める。そこは古びた雑居ビルの前であった。1階には店がなくエレベーターとポスト、それに看板が並んでいる。2階から上はカラオケスナックやらカウンターバーのような店があるようだ。それと地下に続く通路がある。壁にはやたらとチラシやポスターが貼ってある。
「ライブハウス……いや、小さな劇場かな?」
その時であった。地下に続く階段から季節外れの恰好をした女性が駆けあがってきた。季節外れというのは、ミニスカートのサンタクロースの衣装であり、クリスマス以外に見ることは皆無のよくあるそれだった。
「お待ちしていました! お連れさんがお待ちですよ! 多分店の場所がわからないだろうからって、迎えに行ってくれって頼まれちゃいました。でも、すごいわ! 階段から上がってすぐに鉢合わせなんて運命的なものを感じちゃう!」
「はぁ? 何を……」
「いいから早く! もう始まっちゃうんだから!」
「はっ、始まるって、何かの間違いじゃ……」
「もう、そんなとぼけたこと言いっこなしよ! ほらほら!」
季節外れのミニスカサンタは鏑木の腕をつかみ、しがみつくようにして地下に続く階段に引っ張りこむ。髪の毛は短く、金髪に染めている。肌の色は透き通るように白く、目がパッチリして快活。胸は大きく、しがみついた腕に柔らかな感触がダイレクトに伝わる。鏑木は完全に不意を突かれた。
「ほら、急いで、急いで! でも階段は暗いから注意してね」
「わっ、解ったから、そんなにくっついたら歩きにくいって」
鏑木は至福の瞬間をしばらく堪能した。
頑丈なつくりのドアを二つほど開けて、店に入った。もっと音楽がガンガン流れている様子を想像していたが、思いのほか店内は静かだった。
若者がギターをかき鳴らし、スタンディングの観客がこぶしを突き上げている様を想像していたが、その期待は見事に裏切られた。
テーブルや椅子が設置してあり、静かに演奏を楽しむような風格があった。入り口からみて左側に小さなステージ。ドラムセットとギターアンプ、ベースアンプが並んでいる。右奥にカウンターがあり、そこにPA装置がある。
カウンターにはいかにもマスターといった感じの長髪のおっさんがいた。
彼の髪に毛はすでにグレーから白に染まっており、服装はアロハシャツ。人当たりのいい、音楽好きのおっさんといった感じだ。その横にはおそらくは調理を担当している体格のいい男――デブッチョがお酒を作っている。カウンター席に客の姿はないが、テーブル席は7割から8割埋まっていた。
「こっちよ。ここがあなたの席」
ミニスカサンタの彼女が案内してくれた席は6人掛けのテーブル席で、先に3人の客が座っている。案内された席の正面には飲みかけのウイスキーと空になったコップ……おそらくチェイサーだが、その椅子の背もたれにはMR-1がひっかけてあった。
「なっ、永田さんか?」
「あれー、お連れの方、どこ行っちゃったのかなぁ。トイレかな?」
「あっ、あのー。この席に座っていた人って、よくここに来られるんですか?」
「うーん。どうだったかなぁ。初めてではないのは確かよ。この店は初めての方は入れない店だから……」
「はぁ」
さて、どうしたものかと鏑木は考えた。これで、このMR-1の持ち主が戻ってきたとして、それは間違いなく赤の他人である。永田であるはずがない。もし、そんなことが世の中にあるようなら……
「ご注文は何にされますか?」
「え、えーっと、ソフトドリンクを」
「あれー、お酒飲まれないんですか?」
「えー、今ちょっと酒断ちしているもので」
「そうなんだ。ウーロン茶とコーラとオレンジジュース、ジンジャーエール。コーヒーと紅茶はアイスとホットがあるわよ」
「じゃあ、ウーロン茶で」
サンタクロースの彼女はカウンターにオーダーを伝えに行った。マスターが彼女に何か話しかけている。まずいな。人違いというのがばれたかな。デブッチョがウーロン茶を用意し、ミニスカサンタの彼女がニコニコしながらそれを持ってきてくれた。そして彼女が耳元で囁いた。
「すいません。お連れ様は急用ができたとかで、用が済み次第戻ってくるとか……お客様、こちらのお店は初めてだと、お連れ様から伺っておりますが」
「あっ、はい。そうなんです。全然、初めてで」
「わかりました。当店は、ほかのお客様のご紹介であれば、初めてでもまったく問題はございません。お連れ様曰く、この店のシステムのことは何も教えてないから『ヨ・ロ・シ・ク』とのことでしたので、随時、私から必要に応じてご説明をさせていただきます。それから、御代はお連れ様がお支払いになるということで、存分に遠慮なく飲み食いをしてくださいとご伝言をいただいております」
まさにキツネにつままれたような話である。鏑木はカウンターのマスターのほうに目をやった。マスターは品よくこちらに挨拶をしてくれた。どうやら話は本当のようだ。
しかし――
これは何かの間違いだ。そうに違いない
意を決してカウンターのマスターに話しかけようと席を立ちかけたとき、新しい客が現れ、鏑木の横に通された。鏑木は出口をふさがれた格好になってしまった。周りを見渡すといつの間にかほとんどの座席は埋まっている。カウンターまで行くには、何人かに頭を下げなければならないのも気が引けた。そうこうしているうちにステージにミニスカサンタの彼女が上がった。どうやらライブが始まるらしい。
「みなさーん。お待たせしましたー。いよいよショーを始めたいと思います。ショーが始まりますと、しばらく店の出入りはできなくなりますので、外に用事がある方は、スタッフに声をかけてくださいねー。では、トップバッターの登場です! 大きな拍手でお迎えください」
ショーの始まりだ。