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大河の人魚姫

「なるほど、妾がいない間にそんな事があったとは」


 バスタ大河の主、流水のフレグ・バスタ姫は長らく森を留守にしていたらしい。

 彼女は土神のお籠りを知らなかった。


「100年ほど前から他の精霊神様も忙しそうだったのは知っていたが、そこまで追い込まれていたとは知らなんだ。妾もまだまだよの」


 その上品な顔をクシャっと人懐っこく崩す。


  焚き火をぐるりと囲んでいるのはカナメとリューリエ、蝶の姿のヘレーナ、アルヴァ、エンリケ、そしてフレグ姫だ。シュレウスは、なぜか姫の高くて豊満な胸の上に寝かされている。

  薄いナイトドレスはほとんど透けていて、一番見たい所は見えないくせに他の部分は丸見えだ。

  リューリエとヘレーナの全裸を前にして理性を保つカナメでも、油断したら胸元を凝視してしまうほどに大人の妖艶さを振りまいている。


「姫はどこに行ってたんですか?」


  煩悩によそ見をさせる為に、なるべく真面目な話を心がける。本心が表に出れば、胸を触らせてくださいとか言いそうで危うい。

 リューリエだってカナメの学ランのみしか着用しておらず、二人の美女美少女がカナメを取り囲んでいるのだ。ヘレーナが蝶の姿で本当に良かった。


「妾は土神より承った大河の主人だ。たまに上流から下流を見て回っていてな。ここに戻るのも久方ぶりとなる」


  下半身の魚の部分を折り曲げて座り、両手で優しく地面を撫でるフレグ姫。


  バスタ大河は上流を遥か北のゲリー山脈、下流を南の海へと流れている。

 その距離の長さと道程の険しさはとんでもなく、人間の旅人なら十年はかかるだろう。


「戻って見れば土神様の神気が薄く、余所者が妾の庭を荒らしておった。何度かすんでの所で逃しておってな。今度こそはと意気込んできたらお主らだ」


  短くない旅を終えたフレグ姫がまず最初に気づいたのは、大河の乱れだった。

 確かにこの河の流れは激しいが、基本的に流れは一箇所に集まるよう神によって整地されている。

 そこには一切の無駄が無く上流から大森林の区間なら、例えば河のどの部分で物が落ちても必ずフレグ姫の寝床に流れ着く構造になっていた。大小関わらずである。

  それが帰ってきたら狂っている。人の目では違いのわからない歪み。

 不思議に思ったフレグ姫は自分の庭から様子を見てみる事にした。遠い遠い昔から見てきた、手入れをしてきた縄張りである。様子が変わっていれば、それがどんな小さな変化でもすぐにわかるからだ。

  軽い気持ちで森に入り、留守中荒れてしまった所に手を入れようと考えていた。


  それはすぐに気づいた。先ずは花壇として整えた土地からだった。

 感性豊かなフレグ姫のイメージ通りに揃えられていた、色とりどりの花々。

 色を揃えるのに苦労した、自慢の庭園。

 その中で、食用にできる花が根こそぎ取られていた。

 育てるのに苦労したベニタンポポの根や、この森でも珍しい白露花などが無残にも刈り取られていた。

  フレグ姫は憤慨する。長く生きたからこそこだわり抜いた、姫のプライドが踏みにじられているのだ。

  他の土地を見て回る度、異変は如実に現れていた。揃えたはずの樹木が不自然に折られていたり、綺麗に間引き巻きつけたはずの蔦が引き千切られていたり、一番分かりやすかったのが所々に無数にある何かが燃えた跡である。

  水の流れを名に持つ彼女が治める土地である。火事の対策は充分すぎるほど行っていた。

 元々人間だった頃、彼女は自らの国が燃え落ちる場面を目に焼き付けている。

  彼女にとって火は憎悪の対象であり、忌避すべき事象だった。

  熱を感知すると蓄えた水を撒き散らす花や、火事を鳴き声で知らせる習性を持つリスを森に備え、彼女の眷属である半魚人や人魚が絶えず警戒していた筈だった。


  疑問と怒りが心中を渦巻くフレグ姫は寝床である大河の底、空気だまりを持つ鍾乳洞に戻る。

 だが迎えてくれる筈の河魚達は1匹もおらず、さらに疑問が深まりながら奥の広場に向かった姫が見た物は、眷属の者が痛々しい姿で療養している姿だった。


  旅の共にしていた側近に指示し、人魚や半魚人の死亡がない事を確認する。

  そこでようやく、異変の真実を告げられたのだ。


「南方の爆砂漠から、炎鬼〈ファイアオーガ〉の統べる魔物の一群が森に攻め込んでいるようでな。いかんせんあそこの魔物は妾ら大河の眷属とお互い相性が悪い。その上情けない事に地の利を取られておる。悪戯をしてる所を見つけてとっちめようにも、逆に翻弄される有様だ」


  悲しそうに眉を落とすフレグ姫。


「爆砂漠? なんか物騒な名前の所だな」


  フレグ姫の話を聞きながら、ついに無意識に負けて胸を凝視していたカナメがようやく話に戻ってきた。


「可愛らしいし妾は気にせぬから良いが、あまり女子の胸を見るものではないぞ。嫌われてしまうと忠告しておく」


「ごごごご、ごめんなさい!」


  ふんわりと優しく微笑まれ、ようやく自分を恥じるカナメは大きく目を逸らした。

  彼は根っからの童貞(仮)であった。




  爆砂漠。

  それはアンタム大森林の南に位置する過酷過ぎる土地である。

  活動中の地底火山が無数に存在し、よりにもよって砂漠化した人外共の魔境。

  強力な魔獣やその庇護下の魔物しか、生息を許されぬ地。

  広大な砂漠に、昼夜変わらぬ体が干からびるほどの高温度。

  そして最も特徴的なのは、地底火山の噴火により突如巻き上がる砂塵である。

 地熱で温められた爆発の余波と圧されたマグマと共に爆発する砂地。予想できない噴火地点とタイミングは、容易く人を消し炭にする。

 オアシスの存在すら許されない徹底した砂地に覆われた、この世界で五指に入る極地である。


  爆砂漠の魔獣、魔物は熱に強く、最悪な事に炎の属性を持つ魔力を良く使う。

 その中でも炎鬼は有名な爆砂漠の魔獣である。


  大河の眷属は水中を生息地とする者が多く、陸地を苦手としている。少ない両生類の眷属も、地上ではそのポテンシャルを充分に発揮できない。

  もっとも差が出ているのは機動力。

 足場の悪い砂漠をホームとする爆砂漠の魔獣達は、荒れてはいるがしっかりとした地盤の森の中では縦横無尽に暴れる事ができる。

  反対に水中を主な生息地とする大河の眷属達は、そもそもが歩く事すらできない者が多い。

  頑強な身体をもつフレグ姫は尻尾を器用に動かして移動するが、あまり賢いとは言えない人魚達や脳筋の半魚人達はお世辞にも早いとは云えない速度でしか陸を移動できない。


  そして水への耐性である。火の属性ゆえ水に弱いと思われがちだが、爆砂漠の魔獣達は常に乾ききっている。内側の熱を発散する手段として、火の魔力に強くなる様進化した経緯がある。

 そんな魔獣達も水は必要だった。実は爆砂漠にも雨は降る。しかも定期的にだ。

 噴火によって上昇した熱気が、高々度で冷えて固まり雨となって砂漠に降る。所かしこで砂塵は巻き上がるので、必然的に雨は降るのだ。

  だから大河の眷属がその得意な水魔術を行使しても、弱い魔物共は倒せるが魔獣共に対する決定打にはなりえない。魔獣になれるほどに強くなったヤツらには、労せず水を得たと喜ばれる始末である。

  最も大河の眷属にとって爆砂漠の魔物程度なら歯牙にもかけない実力があるし、魔獣共とは拮抗している。深手を負わされた原因は大体が炎鬼だった。


  以上はアルヴァが嬉々として説明しだした事だが、いつもの様にとても長かったので途中でヘレーナが寝てしまった。



「土神様の話だと、炎神様もお籠りになられたのだろう。血気盛んな爆砂漠の魔獣が今まで砂漠から出てこなかったのは、炎神様が目を光らせていたからだろうからな」


「炎神様って爆砂漠にお住まいなの?」


  今まで黙って話を聞いていたエンリケが口を開いた。


「いや、炎神様は住まいをもっておらぬよ。突然思いがけない時に、様子を見に来られる程度だ」


「ちょうど暴れ者が動く前にいつも現れるらしいよ」


  フレグ姫とアルヴァが説明する。


「それじゃあ炎鬼をなんとかしないとこの先に行けないじゃない!」


  両腕を前で組んで可愛く憤慨するリューリエ。

  実際、他のルートはとてもじゃないが進めないし、戻って安全のために避けた場所を選んでも危険度は変わりない。


「そうだね。ちょっと進み方を見直さなきゃいけないかな」


  黄と黒のまだらの羽をビシッとあげて、蝶の姿のアルヴァがポーズを取った。


「とりあえず今日はもう休むつもりだったし、細かい事は明日にしよう。飯も食ったしな」


  そう言いながらカナメは焚き火の周りを片付け始める。焼き魚に刺していた串をまとめて火の中に放り投げた時、ある事に気づいた。


  今日の夕食に頂いた魚は、崖の下の大河からアルヴァの魔術で獲った。

 その「動かす」魔術に秀でたアルヴァは崖の下にあった大きめの石を魔力で操り、浅瀬の岩場に勢い良くぶつけて、その衝撃で失神した魚を頂戴したのだ。いわゆるガチンコ漁。

  目の前に居るのはその大河の主人である。水の流れから、そこに住む生物までを統べる者。その名前を大河と同じくする者。

  汗が止まらなくなる。言うなれば姫の部下を猟奇的にも貪り食ったのだ。字面だけならサイコホラーである。

 恐る恐る、澄ました上品な顔立ちの姫を見る。

 拡散される大人のフェロモン。できるだけ胸元を見ないよう心がけるが、気持ち良さそうにその胸で寝ているシュレウスが視界を捉えてしまった。羨ましい。


「ん?どうした坊や。もう一度言うがあまり女子の胸を気にすると、女子が離れていくぞ?」


 優しく気品に溢れた笑みを返される。ばっちしバレていた。

 経験豊かな大人の女性には、童貞(仮)のことなどお見通しであった。


「人族の女の人は、これで子供を育てるのよね」


  リューリエがその両手を自らの胸に当てる。学ランの上からその慎ましい胸を撫でるように。袖の余った学ラン姿で行う所作は、カナメの琴線に触れまくっているが、今はそれどころではない。


「そうだ白。いや、今はリューリエと名乗っているか。いや、見目麗しく変化したものだ。いずれ土神の名代となるに相応しい美しさだの。」


  リューリエを見ながらまるで親戚の子供のように扱うフレグ姫。彼女達の関係は単純そうでいまいち複雑である。リューリエは土神自ら生み出した実の娘であり、フレグ姫は土神に神性を与えられた義理の娘みたいな物だ。


「人族の男は容姿にすぐれた女をつがいにしたがる。顔立ちが良く、身体つきも優れた女をな。リューリエの面なら人里でも男共を喜ばすだろう。いずれつがいを持つつもりなら、良く選ぶのだ。身体のみ欲して、顔でしか相手を見ないような男は大抵優れた夫には相応しく無い」


 それは、ちょっと反応に困った。

 リューリエやヘレーナが自分の与り知らぬ所で、自分の知らない男に言い寄られるのは、カナメに取って余り考えたくない事だ。

  二週間と少しの間柄ではあるが、五色蝶とはそれこそ家族のように接してきている。

  エンリケとシュレウスは可愛くてたまらないし、アルヴァは少し離れた弟分として扱ってる。

 ヘレーナとリューリエは同い年くらいだと思っているし、二人ともカナメの世話を

 焼きたがる。なので遠慮などなく、心配性の姉と、少し口うるさい妹を持った様に感じている。

 そんな二人の横に自分では無い男がいる。それを想像して嫉妬するのは、勝手だろうか。


「坊やはどうやら魚を食した事を気にしているようだの」


  大人の女性は全てを見透かしていた。


「気にするな。妾が面倒を見ているのは一筋の大河の流れと、この周辺の森林の生育だけだ。そこで生を営む者までは妾の与り知らぬ所。人魚共や半魚共を食されては、さすがに困るがの」


  にこやかにおぞましい例えを出されても、カナメには苦笑するしかない。

 人の形をした生物など、食べようとすら思わない。


「弱肉強食は生命の理だ。弱きものが強くなる為の試練と言ってもよい。気遣いは無用よ」


  ふわりと告げたフレグ姫に、一瞬心奪われかける。

 大人の色気とはかくも凄まじいものか。

 


  しばしの歓談の後、夜番をアルヴァに預けて一向は眠りについた。

 なぜかフレグ姫も共に。







  太陽が東の空に昇り、森の澄んだ空気が辺りに広がる。

  アルヴァと夜番を変わったカナメは背後の静かな寝息に気が気で無い。

 薄手の赤いナイトドレスは丈が短く、フレグ姫の綺麗な腹を惜しげもなく晒している。

 大胆に開けられた襟元から溢れんばかりの胸は、寝息に合わせてプルンと時々揺れていて、カナメの紳士な精神に強烈な一打を食らわせてくる。下半身が魚であろうと、関係はなかった。

  その胸の上で蝶の姿のヘレーナとシュレウス、そしてエンリケが優しく抱かれながら眠っていた。羨ましい限りである。

  夜の番をしているカナメの横では、リューリエが寝ている。よっぽどの事でない限り人の姿であろうとするリューリエは、カナメの学ランを独占していた。

  夜の内は森を抜けて何処に行くとか、何が見てみたいとかの話で盛り上がり、やがて静かな寝息を立てて眠り始めたのだ。ボロボロの紳士の精神は馬乗りで殴られ続けていた。


「……ん。ああ、おはよう坊や。御苦労であったな。礼を言う」


  その瞼を優しく開けて、フレグ姫が目を覚ます。

 余裕の余りある表情をする彼女の、油断して寝惚けた様子は目に毒だった。


「…お、おはようございます」


  緊張の隠せない童貞(仮)。

 

  姫は優しく胸元の蝶達を持ち上げ、地面に敷いた大きな葉っぱの上に寝かせる。そんな仕草でも波打つ様に揺れる胸元は、いったいどの様な感触なのだろうか。


「所で坊や。ちと思いついたんだが」


  上体を起こして眠たそうな目をこすると、カナメに顔を向けた。


「旅立つ坊やと五色蝶の門出だ。大河の者から餞別でもと思ってな。妾の寝床にはこの大河に流れ着いた様々な物が保管されている。古い魔道具から武器、服や寝具など様々だ。好きな物をいくらでも持って行って貰おうかと思っているのだが、どうかな?」


「いいんですか?」


「大河ではほぼ使わん物ばかりでの。元々が拾い物だ。長い間打ち捨てられておるし、持ち主も文句言わんだろ」


  フンと鼻息を鳴らし、フレグ姫は燻っていた焚き火に手をかざす。弱まっていた火種から、勢い良く炎が立ち昇った。


「これから坊や達は森を出て様々な人や国と会うだろう。もしかしたら対峙するかも知れん。単純な強さだけでは打ち勝てぬ事もあるからな。せめてキチンとした旅の支度を整えておかねば心配だ」


  寝息を立てるリューリエの髪を撫でながら、フレグ姫は薄く優しい笑みを浮かべる。

  撫でられたリューリエはくすぐったそうに身じろぐと、満足気な笑みを浮かべて寝返りをうった。

  それはまるで親子の様な光景で、カナメの心を落ち着かせる。


「ありがとうございます」


 礼を言いながら頭を下げる。


「いや礼はいらんさ。アルヴァはともかく、リューリエやヘレーナが変化した時あられもない姿だと、坊やが坊やじゃいられなくなりそうでな」


「ありがとうございます!!」


 地面に突き刺さる様に土下座をするカナメ。彼はそれほど追い詰められていた。


「繰り返すが、礼はいらんさ」


 破顔したフレグ・バスタ姫。

 彼女は猛る流れを持つ大河の主人。悠久の時を生きる人魚姫。

 その名を大河と同じくする、誇り高き絶世の美女である。


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