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旅路の始まり

 




 完璧な誤算だった。甘く見ていた。楽観視していた。


 早くて三日、遅くても一週間で森を抜けられると想定していたのだ。

 カナメに残された僅かな知識の中の森とは、こんな断崖絶壁の高低差が激しい極地やジェットコースターより流れの速い土石流が所々で発生している土地ではなかった。ここはもはや魔境である。

 

「嘘だろぉお!」


 肩で息をしながら、壁面に僅かに残された足場で叫んだ。次の足場に飛ぶ勇気を奮い立たせるために。

 決して人の為に用意された様な足場ではない。ただの凹みや露出した岩盤だ。足の横幅ギリギリ乗る程度の広さしかない。油断などしようモノなら遥か地面で哀れ無残な潰れたトマトとなる。

 

 

 カナメ達が神水泉エレ・アミュを後にして二週間。

 その間どこを見ても、角度を変えても高さを変えても森である。いっそ清々しいほどに大樹海だった。

 アマゾンのような亜熱帯でなかったのがせめてもの救いか、突然の雷雨や気温の急激な変化などは道中見られなかった。

 普通に散歩するだけならこの森は最適な環境だろう。

問題は規模と距離。そして原生物である。

 馬鹿げた広さの大樹海。それだけでもカナメの精神にじわじわとダメージを与える。

湖でのおよそ二週間の修行で、カナメの魔力制御は素人から駆け出し程度に上達していた。

 そもそもが魔力は才能に左右される。今現在のカナメの腕でたった二週間しか修行を行っていないという事実は、この世界一般では秀才に分類される上達の速さだ。

 実力を身につけたカナメの魔力制御は、大樹海を抜けるのに大いに役に立っていた。

魔力集中による握力や脚力の増強。固定法による足場の確保。

その他にも要所で繊細な魔力を必要とする場面が多く、必要にかられたカナメの魔力制御をより高みに自然と引き上げていた。

 大樹海は徹底して人間に優しくない。

カナメが目覚めた時のままなら、三日と持たずに死んでいただろう。

 今の実力を伴ったカナメでもやすやすと通さないのが、広大すぎる大樹海・アンタム大森林である。


「カナメ、頑張って!もう少しで地面よ!」


ひらひらと白と黒の蝶、リューリエがカナメの頭上に止まっている。


「怖い!怖いって!」


 崖下の光景に足がすくんでしまう。両側には流木が岩にぶつかり弾け飛ぶ様な激流の川が流れている。

この川を渡るなんて、猛スピードで走る8トンダンプに飛び込む様な物だ。不安定で狭いが、足場の確保ができる陸路を行こうとしたらこの状態である。


 他にもトゲを伸ばし襲い来る妖花の群生地やうっかり近寄ると毒胞子を撒き散らすキノコ、人語を喋り迷い込んだ人間を惑わす謎の食人岩など、危険極まりない樹木や生物で溢れかえっていて、一日に歩ける距離はどんどんと短くなっている。


「カナメが飛べたら楽なのに」


 呆れたため息の様な声を漏らすのは、肩に止まるヘレーナ。


「人族ってなんで飛べないの?」


「羽がないからじゃないの?」


 可愛らしい疑問の声で、エンリケとシュレウスは両側を飛んでいる。


「空を飛ぶ魔術は、古代の制約で使えなくなってるってタム様は言ってたなぁ」


 危険がないかを調べる為に、アルヴァはカナメの前方を飛びながら先導している。


「そんな事よりしっかり周りを見てなさい!こんな場所で襲われたら、あたし達ならともかくカナメが危ないわ!」


 リューリエの激が飛び、弟達は慌てて陣形を立て直す。

上をリューリエ、右がエンリケ、左がシュレウス、前をアルヴァ。後方の確認とカナメの補助をヘレーナが担当していた。


 湖の魔力の影響範囲から外れたところで初めて魔物に遭遇した。

 蟷螂蛙マンティスフロッグ。鋭利なカマを持つカマキリみたいなカエルの異形。

  緑の体皮は鉄のゴムの様な弾力をもち、カエルの足は高く早く力強く地を蹴る。カマキリのような顔から伸びる舌は樹木を容易く貫通し、全体的にブクブクと太った体は謎の粘液で覆われていた。


 エンカウントしたのは普通の泉のすぐ側で、神水泉から数時間は歩いた所。

 それは突然襲いかかって来た。不意を突かれたカナメを容易くテンパらせる遭遇だった。なんせ見た目が気持ち悪く邪悪だ。大きさはカナメの腰の高さ。胴回りはカナメ三人分。普通のカエルがそのサイズでも十分不気味である。

 それが、遠くの木の陰を縫って物凄いスピードで迫って来た。遠近感が狂うほど異質である緑色のゴムまりが不規則に跳ねながら、進行方向の木を抉っていく。

 慌ただしく体制を整えても、動揺しているが為に上手く魔力を制御できないカナメを見かねて、リューリエがその体をゆっくり動かし、羽を一回はたりと動かすと、蟷螂蛙の前方に突如竜巻が発生した。

 勢い止まらず竜巻にそのまま突入した緑のゴムまりは風の巻く中に青い血しぶきをあげ、竜巻が搔き消える頃には千々とした肉片に変わっていた。

 弱い魔物でよかったわ。とリューリエが空中に綺麗な輪を描き、カナメは両手を胸の前に構え、腰を下げ片足を後ろに下げた状態のまま惚けているしかない。それはいわゆるウルトラ◯ンポーズだった。ヘアッ!


 その後も大きな肉食犬や青い虎、全長300メートルはある大蛇などの獣から、白い牛の姿に獰猛な嘴と羽が生えた大鷹牛ホークカウやゲル状なのに猫の姿をした水猫スライムキャット、吸血蝙蝠の死体に寄生した燃える吸血炎蝸牛バットフレイムスネイルズなどの、何がどうしてそのような生態になったのか意味不明な魔物が次々と現れ、リューリエの魔術により原型すら留める事なく葬られていった。


「もう少ししたら魔力が薄くなるから、そこならカナメだって少しは獣や魔物の相手ができるようになるわ」


 眠そうな声でカナメの耳元でつぶやくヘレーナ。


「だいたいリューリエは少し過保護すぎない?一度もカナメに魔力を使わせてないじゃない。あれじゃ戦いの練習にすらなってないわよ」


「……獣ならともかく、魔物の相手はまだカナメには無理よ! こういうのはちゃんと段階を踏ませなきゃ危ないのよ!? あなた達だって最初は蒼目兎サファイヤラビットから練習したじゃない!」


「その獣だって、誰かさんが吹き飛ばしてるじゃない。あの可哀想な虎さんなんて焦げ跡しか残ってなかったし、大蛇さんなんかわざわざペシャンコよ? それに私達の時だって充分過保護だったわ。シュレウスの成長が遅いのも、リューリエに甘えてあの子が頑張らないからよ」


「だって!初めての戦いなのよ!? それにいくらあたし達羽妖精が頑丈だからって、大鷹牛の角でも死んじゃうんだから! 心配して何がいけないのよ! シュレウスが心配じゃないの!?」


「悪いとはいってないわ。でも少しでもカナメに相手させてあげないと、後から困るのはカナメなのよ?確かにシュレウスは心配だけど、あの子の為にならないと言ってるの」


「この先からは相手させるわよ! あの子だって焦る必要はないわ!ゆっくり上達すればいいのよ! 」


「ごめん!二人とも!喧嘩はもうちょっと待って!お願い!」


 頭の上と肩の上で言い争う彼女達を仲裁する余裕なんてカナメにはない。

 デッドオアアライブを綱渡りしている状況では、いくら流されやすいカナメでも簡単に突っ込む訳にはいかないのだ。


「僕…頑張ってるもん…」


 理不尽に巻き込まれたシュレウスが潤んだ声でこぼした。





 



「生きてる…足場が広いって本当に大事…」


  険しい崖を飛び進む事12時間。擦り切れた精神にようやくの安息が訪れた。カナメは大の字で地面を噛み締めている。そこは絶壁を超えた先にある森だった。

  川は変わらず激しく流れている。人の倍ほどあるマグロのような川魚が、流れに負けて岩にぶつかりミンチになった。

  とにかくそれぞれの規模が大きいのだ。選んでいないルートなど、端から見ても生物が普通に通行できるような場所でも環境でもない。


「カナメ、休める内に魔力を補充しておいた方がいいよ」


 カナメの背中に乗ったアルヴァが言った。


「そうね。こんな険しい場所だとカナメもゆっくり休めないから、もう少ししたら移動しましょう。カナメ、実を出してもらえる?」


「助かる。ちょっと待ってくれ」


 リューリエの声に体を起こし、背負っていたズタ袋を下ろして開く。アルヴァが人族の姿の時に被っていた袋を縫い上げている。

 袋の中から、手のひらに収まるサイズの木の実の形をした透明な物体を取り出す。袋からさらに筒状のウツボカズラに似た植物を取り、その中に入れた。


「頼むよ」


 アルヴァに促すと、その羽を一回たたんだ。とたんにウツボカズラグラスは一瞬で重くなる。

 グラス一杯になみなみと注がれるのは神水泉の水。その中には器具を使って比べてみなければわからないほど小さくなった、透明な木の実が浮かんでいた。

 それはカナメの主飲料。当座をしのぐ為の魔力補充の手段である。

 

 魔力のみで肉体を構成し体力やカロリーが減るかわりに魔力を消費するカナメにとって、高純度で高密度の神水は最適な飲み物だった。

 空気中の魔力でもその補填はできなくはないが、あまりにも微量すぎて時間がかかってしまう。そのため、できる限り神水を持ち出そうと考えたリューリエは、アルヴァの『実り』の理を使う事を思いついた。

 五色蝶は一本の木が芽吹いて地に帰るまでの過程を、五つの理にして意思を与えた妖精だ。

 その中でアルヴァは『実り』の部分を司る。それはありとあらゆるものを『実』として扱う能力。

 未だ未熟なアルヴァのその能力は、限界すらあるが一個の物質か、ある程度の容量の液体を圧縮、軽減しまとめる力である。その力を使い、神水をできるだけ圧縮しいつでもカナメに補給できるよう持ち運んでいるのだ。

 容量はウツボカズラグラス1000杯分を1個の実に。およそ200ほど袋に詰めた。感覚的には詰め替え用である。節約して使えば十年ほど持つと踏んでいる。


「いろんな意味で生き返るなー」


 勢いよくその水を煽ると、袋の中からいつもの果実を二つ取り、一つを蝶達に与えた。もう一つは自分のである。それをゆっくりとかぶりつく。味は美味しかった。ただ飽きている。それでも満たされていく腹と活力。

 魔力が減っていく感覚は減量に似ている。体力がなくなり体は動きづらくなり、感覚だけは鋭敏になるが注意力にムラがでて、やがて指一つ動かす事ができなくなっていく。

 神水を飲めば、その感覚が一気になくなる。足のつま先から頭皮までが生気で満たされていく。それは生きている事を感じられる瞬間だった。





 小休憩を挟んで、一向は森を行く。崖を行くのに不慣れだからと、蝶の姿になってたリューリエもカナメの反対を押し切って人族の姿になっている。学ラン着用だ。

 なぜかヘレーナも対抗して変身しようとしていたが、着る物がなくなるというカナメの必死の懇願に折れて、不貞腐れながらカナメの右肩に止まっている。

 アルヴァは相変わらず、お喋りをしながら一向を先導し、エンリケとシュレウスは左肩。ちなみにシュレウスは成長期なのでおねむである。


 カナメが出発前に危惧していた虫刺されや道中の病気に関しては、ヘレーナが解決していた。

 ヘレーナの理は『育ち』。

 植物や生物を一時的かつ任意に成長させる能力。急速な若返りや老化はできず免疫力の強化による対策となるが、アルヴァの持つ薬草の知識やエンリケの得意とする防御魔法に補助され大樹海にある毒ならなんとか対応できる様になっていた。


「止まって」


 先導するアルヴァが停止をうながした。他の4匹の蝶はカナメの周りを堅固に囲む。

 土神から五色蝶の保護を頼まれたはずなのに、いつの間にかカナメが保護されている。まぁそれも、わかりきっていた事だが。


「………まだ小さいけど、火事だ。しかも一箇所じゃなくて色んな所で」


 火の気が無さそうに見えるアンタム大森林も、実は火事はよくある事である。

 地脈が露出し、マグマが噴き出す場所すらあるのだ。他にも雨季に多いのは落雷で燃えた木の再燃。地熱で篭った熱気の旋風。火や雷の属性を持った魔物の仕業など、火事の原因は大小様々である。

 

「おかしいわ。ここはフレグ姫の縄張りの筈よ」


「フレグ姫?」


 ヘレーナの言葉にカナメが疑問を返す。


 フレグ・バスタ姫。遠い昔に土神の加護を受けて神性を得た元人間。

 アンタム大森林の南方に沿って流れるバスタ大河を寝床にし、その周辺を縄張りとしたいわば大森林の中ボスである。


「そのフレグ姫が火事を消してない事が、おかしい事なのか?」


「綺麗好きな彼女が、ボヤを許す筈が無いもの。それにここら辺は彼女が直接手を入れて整えてる庭よ。一回しか会った事無いけど、自分の庭を随分自慢げに語っていたもの」


 フレグ姫は元は上流階級に属した人間で、庭の手入れを趣味とした清楚な女性だ。

 神性の者となった今でも長い時間を費やして森に手を入れ、彼女の庭園としている。

 そういえばと周りを見ると、赤白黄色と花が区分けされて生えており、樹木に絡む蔦も間引かれて均等になっている。大木も等間隔で揃えられて、昨日まで歩いていた森の中とは思えない整い方だった。


「元は人族なんだろ? 魔物とかどうしてんの?」


 カナメにとっては得たばかりの実体験を交えて、ヘレーナに問う。ただの人間に、あの醜悪な魔物をどうこうする事はできないだろうとカナメは考えている。

 リューリエの魔術を一回見ただけで早々に悟った。五色蝶はこの世界では規格外の存在に違い無いと。リューリエの魔術はカナメの想像を遥かに超えた威力を持っていた。

 蟷螂蛙を微塵切りにした竜巻から始まり、周囲を一瞬で銀世界に変えた氷属性魔術。頭上の木々を吹き飛ばし、空まで炎の柱を伸ばした火属性魔術。極大な水球で相手を取り囲み、その中で身体さえ千切れる激しいうねりを作る水属性魔術。

 個人が持つには過ぎた力としか思えない。頭がおかしいとすら思える。遭遇した数々の魔物は皆わかりやすくデタラメな姿をしている。獣も、カナメの知識で知る姿ではなかったが想像できる範囲の形状だった。

 だが魔物は違う。それとそれが混ざってはいけないだろうという突っ込みを、不意に出してしまいそうな融合をしていた個体。

 自然界のルールに則れば、どう狂ってもそうはならない歪み方をした個体。

 溶けていたり集まっていたり、果ては分離したり部分のみが浮かんでいたりと常識に正面から喧嘩を吹っ掛ける存在、それがカナメが今まで見た魔物という化け物だった。

 見た目以上にその力も埒外で、歪な尻尾の一振りのみで触れてすらいない樹木を輪切りにしたり、一鳴きで地面を隆起させたり、存在するだけで周囲を腐らせたりとやりたい放題である。


 それを人型の生物にどうこうできる訳がないだろう。カナメはこの二週間でそう学んでいた。


「彼女は水の属性魔術の名手よ。水の扱いならあたしより遥かに上手いわ。アルヴァの生まれた時に祝福に来てくれた時しか会った事ないけど、見せてくれた魔術は凄まじい威力だったわ」


 カナメが規格外としたリューリエが言うなら、もはやカナメの想像力はお手上げである。


「化け物じゃないか…」


  もはや呆れるしかない。遠くを見るような目でカナメはリューリエを見る。


「僕は会った事ないけど、角猿達や大蛇達が怖がってるの聞いた事があるよ」


 基本的に静かなエンリケが久しぶりに言葉を発したので、少し驚く。


「あの姫が、庭を荒らされてるのに何もしないってのはおかしい話だね。タム様が神域に籠られた事が、早速森に影響してるのかな」


 アルヴァが皆の所に戻ってきた。さて、家族会議の時間である。

 森の知識豊富なアルヴァがルートを提案し、ヘレーナがその提案の中から状況、カナメの体力や実力を交えて考察し、リューリエが潔く選択し、カナメが決定する。

 エンリケは眠っているのかと疑うほど静かに空を見上げていて、シュレウスはとりあえず騒ぐ。

 それが土神ファミリーの家族会議の流れである。

 見事に役立たずが一人と2匹いるが、文句は出ていない。適材適所である。


「この先だとバスタ大河に沿って行くのが、安全で一番早く森を抜ける事のできる道なんだよね」


 アルヴァが提案する。


「でも何かが起こっている可能性が高いわ。他の道だとどうなの?」


 ヘレーナが考察する。


「大河を避けていくとなると魔獣の巣になってる暴風の渓谷に行くか、地熱の風が吹いて熱気のすごい愚行の沼地に行くかしかないよ」


「もともと一番安全な道のりを選んで来たから、大河に出る事しか考えてなかったのよね」


 複数案を出されたが、どちらも危険極まりない。リューリエの言う通り最も危険の少ないルートを選択していくと、アンタム大森林の中ではバスタ大河をどうしても通る事になる。

 魔獣の巣である渓谷を通れば、下手を打つと大怪我では済まないかも知れない。蝶達に取って魔獣1匹の相手は簡単でも、あの渓谷には千を超える魔獣がいる。流石に多勢に無勢であろう。

 沼地に至っては五色蝶すら近寄りたくない悪環境だ。常に熱い水蒸気が吹いている沼地は息をするのも苦労するし、なにより匂いがひどい。

 獣や魔獣の糞や、腐葉土の溶けたヘドロは沼地に辿り着く遥か前からすら鼻にツンと来るくらい臭い。そしてその匂いで鈍った思考のまま、沼地の魔獣とは戦いたくない。


「戻るのも嫌だな…」


 乗り越えたばかりの崖を再び行く気にはなれない。カナメの心は今度こそ容易く折れるだろう。


「そうね。ここで一晩を明かして明日もこの先の様子が変だったら、その時考えるのはどうかしら」


 ヘレーナが状況を踏まえて提案する。


「そうね。カナメの体力もそろそろ無くなってきたし、シュレウスも寝てるし。ここら辺でお休みしましょう。カナメ、いいわよね」


 長女の即決により、もはや慣れすぎた屋外一泊が決まった。

 疲れ切ったカナメは、今やどこでもすぐに寝れるというヘタレがよく持つ特技を身につけ、その特技を遺憾なく発揮していた。




「美味いな!ただ焼いただけなのに。どうだ?初めての魚の味は」


 本日の夕食は川魚の丸焼きである。旅の最初こそ果実で空腹を満たしていたが、やはり飽きには勝てなかった。

 リューリエが木っ端微塵にした獣肉や、木の実を食しだしたのは当然と言える。問題は調理方法が直焼きしか無かった事だが、それでも果実のみの献立が改善されたのは僥倖と言える。

 カナメの属性魔術の練習として、かき集めた薪を魔力で燃やし焚き火としている。練習に調理に夜間の明かりにと、一石三鳥であった。


「これが人族の食事なのね。不思議な味だわ」


「悪くは無いと思うよ?」


 Tシャツ一枚のヘレーナと、身長より高い大きな葉っぱで作った簡易服を身につけたアルヴァが焚き火を囲んで、串に刺した魚を食している。


「あたしは好きよ。いつもの花の蜜も美味しいけど、こっちはなんかお腹に入れてるって感じ」


 学ラン姿のリューリエは、焚き火をかき混ぜながら片手には焼き魚を持っている。


 人族に変身できる三人は、カナメの食事を見て興味を抱いた。

 昨日まではなかなか手を出す事ができないでいたが、魚の焼ける匂いに負けたのか、はたまた好奇心に負けたのか恐る恐る焼き魚を口にしての感想である。


 人族の体に変身した彼らは、その生態すら人族になるという。なんと驚くべき事に、子供を作り宿す事もできる。

 蝶の時は花の蜜や果汁しか食せなかったが、人の姿なら肉や魚、野菜もいける様である。

 物を「噛む」という行為は蝶達にとって生まれて初めてであり、固形物が喉を通って腹に溜まる感覚に戸惑いながらも喜んでいた。


「エンリケももう少しで変身できるようになるのにな」


 焼き魚片手にアルヴァが言った。


「ぼ、僕はいいよぅ。お花の蜜大好きだもの…」


 そう言いながらも、興味ありげにカナメ達の周りを飛んでいる。


「そろそろエンリケの変身契約の相手もちゃんと探さなきゃね。あたし達は人命神様が居たから簡単だったけど、直接契約じゃなきゃかなり大変な儀式になるもの」


「あなた、前に言ったけど変身する姿決まったの?私達みたいに神族経由じゃないから、姿を創り上げる所から始めるのよ?」


 お姉さん二人がエンリケに問い詰めた。

 変身契約とは、変身しようとする種族の代表である、力ある存在から認証される為の契約である。他の種族の姿で悪事を働かぬ様、また働いてもすぐわかる様にする為の古代からの取り決めであった。

 今では異族への変身魔術は廃れ、半ば忘れられている契約である。


「も、もう決めてはいるんだ。恥ずかしいから言わないけど」


 上の兄姉に次々と問われて、エンリケは隠れる様にカナメの背中に止まった。


「何よ!恥ずかしがる様なモノに変身するなんてあたしが許さないわ!」


 長女の雷が落ち、エンリケは一瞬固まってしまう。


「ち、違うよ!僕が恥ずかしいだけで、全然恥ずかしいモノじゃないよ!」


 慌てたエンリケが珍しく声を荒げた。


「恥かしがる事無いんだぞ。姉ちゃん達に言ってみなって」


 カナメがそう促すと、でも……と言葉を濁してしまう。気の小さな恥ずかしがりは、筋金入りの様だ。


「まぁ焦らずいこうぜ?どうせしばらく森の中だからな。時間はいっぱいある」


 苦笑しながら背中のエンリケの羽を、頑張って優しくつまんで顔の前に持っていく。


「…うん、ちゃんと言うから。もうちょっと待って。ごめんなさいリューリエ」


 素直な良い子のエンリケはちゃんと謝る事のできる子である。恥ずかしがり屋で控えめで、それでも好奇心旺盛で。だけどやっぱり一歩踏み出せないエンリケは、もどかしくも可愛らしい男の子だ。


「静かに」


「……みんな、何か来るよ」


 リューリエがエンリケとカナメを制した。続いたアルヴァの言葉に、ヘレーナがその変身を解いて蝶に戻る。リューリエは辺りを見渡し、次いで一点に顔を向け、そこから顔を動かさず見つめている。リューリエが何かを見つけたのを確認して、アルヴァも変身を解く。ヘレーナとアルヴァは、人族の姿より蝶の体の方が魔力の扱いに慣れている。

 ヘレーナが落としたTシャツを拾ったカナメは、急いで着用し葉っぱの上で寝ていたシュレウスを優しく持ち上げると、エンリケとともに手のひらの上に乗せた。


 しばらくして、リューリエの見つめる先から、巨大な影が現れた。










「新たな魔力の火を感じて来てみたら、土神様の所の蝶では無いか」


 そう言って現れたのは華美なドレスを身につけた若い女性だった。複雑な縦ロールの髪型をした、金髪美人である。


「息災であったか? ん、知らない顔も幾つかあるの」


 金髪美人が近づくにつれ、その姿が焚き火の火に照らされていく。


「突然の訪問、驚かせた様で申し訳ない。妾はフレグ、大河の主人にて土神様の眷属、流水のフレグ・バスタである」


 上品な所作で近づき、流れるようにスカートを摘んで腰から折れるようにゆっくり頭を下げた。その動きに不自然さは無い。

 大胆に露出した胸元には煌びやかな宝石で装飾されたネックレスが輝き、赤を基調とした薄手のナイトドレスはよく似合っていて、派手さを不思議と感じない。

 夜の森に似つかわしくない姿で、彼女は現れた。それはまるで中世の貴族のような出で立ち。そして風格。

 驚愕したカナメが、たまらずポツリとつぶやいた。


「に、人魚だ……」









 アンタム大森林。その中でもっとも風光明媚な土地であるバスタ大河。その主人である流水のフレグ・バスタ姫は、まごう事なく人魚であった。

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