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涙の行方 優しさの来た道

「じゃあカナメ、どっちでもいいから手を貸してくれない?」


  黒髪姫カットの美少女はそう言って手を伸ばす。

 カナメの学ランを着たリューリエは、ギリギリ丈の足りないワンピースの様な姿のままだ。


「お、おう。右手でいいか?」


「ええ大丈夫よ。最初にやらなきゃいけないのは、自分の魔力の流れの確認なの」


  手のひらを差し出したら、リューリエはその手を両手で握る。

 童貞(仮)のカナメは内心パニックである。

  多少距離は離れているが、微風で香る森の匂いにリューリエの甘い匂いらしきモノが混じる。目の前の美少女の格好はきわどい。

 これで動揺しない男などいるだろうか。


「目を閉じて、大きく息を吸って……大きく吐いて……心を落ち着けて、身体の外じゃなくて中を見る感じ。……なんでそんなにドキドキしてるの?しょうがない子ね。ちゃんと落ち着きなさい。いい?心を平たく真っ直ぐにするの。血が身体を駆け巡っている事を感じなさい。あたしの手の熱と感触を、自分の身体に伸ばす様にしたら楽になるわ。鼻から吸った息が肺に溜まるように………魔力も同じように流れて、少しずつ身体に染み渡っていくの。口とか目とか頭とか、それぞれはその部分じゃなくて身体という一つの入れ物なの。………心臓から腕の先、巡って足の先……お腹を通って……頭に流れて……そして心臓……。どう?わかる?」


  言われた通りに目を閉じて深呼吸、これは練習だからと自分の理性をジャーマンスープレックスホールド。

  まずはリューリエの手の感触、すべすべなのに柔らかい。違う、そうではない、熱を感じるのだ。

  暖かい手の感触を、自分の身体と一つと考える。その熱をじわじわと広げていき、やがて頭の先まで行き渡らせると、ようやく落ち着いた心臓の鼓動が耳に響いた。

  胸の中心から響くその音が、やがて身体の全てで立てる音に変わる。

  大きく息を吸う。口から入ったそれは喉を通り、肺に広げ、また喉を通り、外に出る。

  それと合わせるように、全身が細かく、場所によっては大きく動いた。動いた箇所には確かに 血が巡っている。

  血管を通り、心臓から全身へ。カナメが生きている証として、その肉体を動かす為だけに、血は流れる。

  両の手、両の足。身体の深い部分から浅い部分。目や鼻や耳に至る全てに循環し、一人の人間の形となる。

 そして、それに沿うように流れる、太く強い力の存在。

  血液より不確かな流動体。血液より熱く、早く流れるモノ。血液よりも重いモノ。


「えっと、コレかな」


「うん。どうやら流動感知は大丈夫ね。才能がないと魔力自体認識できない事があるらしいから、最大の不安は無くなったわ」


  嬉しそうにカナメの手をにぎにぎと忙しなく掴みながら、リューリエは頷いた。


「じゃあ次!全身に流れる魔力を 、集めたいところに集める練習ね!カナメの場合だと、全部集めちゃうとその部分が消えちゃいそうだから、少し残しながら集める練習もしないといけないわ。ちょっと厳しく行くわよ!」


  素敵な笑顔の美少女は、自信満々に言い放った。






「違う!そうじゃないの!それだと足の先から消えちゃうわ!」


「もう、どうして近寄ると逃げるのよ!真面目にやりなさい!」


「また余所見してる!シュレウスと同じ手のかかる子なんだから!」


「いいわ!そうよ!やればできるじゃない!あっ!褒められたからって調子乗らないの!」


「いい!?もう一度お手本を見せたげるから、しっかりと見とくのよ!?」


「うん。そうよ。そのままゆっくり…あー惜しい!でも今の感じを忘れないで!」


  時間は大分経っていた。今は昼時だろうか。

 リューリエの指導方法はすごく熱血的で、時々無防備に近寄ったり抱きついたりをするので、カナメは心身ともに疲弊していく。


「大分上手くなってきたわね!でもまだまだ未熟だから、これからも厳しくするから覚悟しときなさい!」


  地面に突っ伏したカナメの頭上から声がする。顔を上げると素敵な光景があるだろうが、紳士的、かつ理性的、そして疲労困憊のカナメは微動だにしなかった。


「難しいんだな。魔力の制御……」


「それでもカナメはかなり上達の早い方なのよ?シュレウスなんてここまでするのに3日かかったんだから!」


  魔力とは流れだ。肉体と、ありとあらゆる自然物に含まれて絶え間なく動く力の流れ。

 無意識に動かす分には少量で良い。しかし、意図的にそして大量に動かすには、繊細なコントロールと大胆な勢いが求められる。

  しかもカナメには条件まである。その肉体を形作るのは100パーセント魔力だ。

 魔力を全て一箇所に動かせば、どうなるかわからない。もしかしたらその部分が消滅してしまう可能性がある。


「制御の仕方はあたしとかヘレーナでも教えられるけど、魔術そのものはアルヴァの方が詳しいし上手なの。あたし達はそれぞれ得意な魔術は違うけど、仕組みは似たり寄ったりだもの」

 

 そう言ってリューリエはカナメの横に座る。女の子座りだ。

 学ランしか身につけていないリューリエは、もともとが蝶だから羞恥心なんて持っていない。

  角度的に際どいが、カナメは鋼の意思で自制していた。


「あたしもヘレーナも、魔術を組み立てている時は感覚で出来ちゃってるから、口で説明するとなると難しいのよね。エンリケの魔術はちょっと変わってるし」


「魔術って、いったいどんなのなんだ?集めた魔力を使う事は理解したけどさ。組み立てたり式にしたりするんだろ?」


「そうね。いっぱいあるわ。基本は制御系魔術で、だいたい5種類に分類されてるわ。発展系で属性魔術。あたしの得意な魔術ね。それと増幅魔術や伝達魔術。防御魔術や固定法。あとは特殊魔術とかそれぞれよ。今でも学術院って所では、新しい魔術の開発がされているって聞いたし、まだ増えるんじゃないかしら」


  うつ伏せのカナメの頭を撫でながら、リューリエは湖の水を指先で遊ばせている。


「なんか凄いな。その属性魔術?ってヤツを、見せてもらっても大丈夫か?」


  特に属性魔術に興味を持った。RPGで言う所の攻撃魔法だろうか。

 見た目学生のカナメはほどほどに厨二病らしい。


「見せてあげたいけど、あたしの魔術はここでは使えないわ。神水泉エレ・アミュが無くなっちゃうもの」


「そんなに!?」


  それは個人が扱って良い力なのだろうか。見渡す限りの広さを持つ湖が消えるなど、広域兵器の類に入る威力である。

  そんな力が使える存在が、この世界では普通に存在しているのだろうか。もしかしたら、森の外は陣旋風吹き荒れる殺伐とした荒野なのかもしれない。人類はまだ滅んでなどいなかった。


「特にあたしの魔力は、制御魔術の中でも『発する』魔術に向いてるの。それに属性を加えると、自分の事ながらバカみたいな範囲で発動しちゃうのよね。頑張って調節してはいるけど、さすがに神水泉エレ・アミュの近くでは使いたくないわ。まぁ、森の外にいる魔術士の魔術を見た事がないからなんとも言えないけれど、あたし強いのよ?」


「魔術って怖いんだな…」


「大型の魔獣くらいなら大丈夫っていったじゃない」


  フフンっと花を鳴らして、リューリエは胸を張った。

 お世辞にも大きいとは言えないが、それでも胸というだけで男を惹きつけてやまない存在感がある。

  かすかに盛り上がった学ランに、ロマンを感じずにはいられない。


「獣と魔物、あと魔獣って何がちがうんだ?」


「獣は普通の野生動物よ。大量に群れてこない限りは、そんなに危険な生き物でもないわ。魔物は魔力の扱える獣の事ね。生まれ持った魔力とか、特殊な環境の魔力に影響を受けて無理やり変化するから、大体は形がおかしくて見た目でわかるわ。種類によって強さが変わるから、強い物だと小さな山くらいなら消し飛ばすって言われてるの。魔獣は年月を経て強大になった魔物の事よ。殆どがかなり強くて、普通の人族ではどうにもならない存在よ」


  カナメは返事に困る。そんな魑魅魍魎どもが、森の外にはいるらしい。果たして生きて旅する事は出来るのだろうか。


「魔獣に関しては、拳大の小型。普通の獣くらいの中型。人族と同じ大きさの大型。そのあとは曖昧なんだけど、特大型とか超特大型とかがいるわね。特大型なんて見た事ないけど」


  詳しい事はアルヴァに聞いてと締めて、リューリエは立ち上がる。

 ふと目に入った麗しの光景は幻覚と決め込んで、カナメも続いて立ち上がった。


「帰ってこないと心配してたら、考えてる事はリューリエと一緒だったのね」


「うわあぁぁぁぁ!!」


  ヘレーナの声が聞こえて振り返ると、カナメは絶叫した。

  そこにいたのは腰まで伸びたふわふわの金髪美少女。リューリエにとても似ている。同じく小柄で華奢だ。

  ヘレーナとアルヴァも人間になれると聞いていたから、先回りして注意しようと拳を握ったカナメだが、更に先に回られてしまっては、童貞(仮)としては叫ばずにはいられない。なぜならそこには誰しもが振り返る美少女が、その瞳を向けてすぐ目の前に立っているのだから。


  巨乳の全裸で。






  Tシャツに学生ズボンをつけた、金髪碧眼の美少女がそこにいる。


「なんか変な感じだけど、悪くないわね」


  襟元をパタパタと広げているので、大きく盛り上がった胸元がチラチラと視界に入る。

  ヘレーナが大胆な動きをするたびに、己が健全な青少年だという事を認識していくカナメ。


「ちがうんだ違うってばあの子タチは虫なんだって綺麗だし可愛いし綺麗だけど蝶々でおっきいのとちっさいのがいっぱいのおっぱいでおへそが小さくて白くてすべすべで柔らかくてもあの子たちは虫の姿でちがうんだあれちがうくないのか?もしかして違わないのか?俺ってば階段登る時は今なのか?思春期に子供から大人に変わるってまさかいまなのかいやいやいやそんな馬鹿な違う罠だ間違えるな俺選択肢は一つしかないはずだそうだおれ負けるなお」


「戻ってきなさいよカナメ」


 リューリエに頭を小突かれ、我に帰るカナメ。


「朝起きても洞窟にいないし、湖の周りがなんだか騒がしいしシュレウスはまだ寝てるしで、心配したのよ?」


  今はお昼を少し過ぎた時間。よく寝て育つ予定のシュレウスは未だ夢の中らしい。


「ごめんね。カナメがなかなか優秀で楽しくなっちゃって」


「私だって、カナメに魔力について教えようと思って変身して待ってたのよ?アルヴァは張り切って色々準備してたし、今頃はあの子も変身するために魔力を制御してる最中じゃないかしら」


「戻ろう!急いで戻ろう!」


  申し訳なさそうに笑うリューリエに、ヘレーナが聞き捨てならない事を言い放った。

  リューリエとヘレーナは、育った年月にふさわしい姿に変身している。

  ならばアルヴァだってそうだろう。

 アルヴァの年は14.5歳。全裸で可愛いと言われる年は過ぎている。特に周りに誰かいる訳ではないが、「それ」を目撃してしまうとアルヴァとの今後に大きく影響を残す気がするのだ。


「そろそろご飯だし戻ろうと思ってたけど、急にどうしたの?」


  不思議そうにカナメを見つめるリューリエ。


「いや、何でもない。何でもないけど急いで帰ろう!」


  並んでキョトンとする、よく似た美少女二人を急かし、洞窟へ急いだ。






 


「おかえり、カナメ!リューリエ!」

 

  両手を広げて大袈裟に出迎えたのは、金髪のイケメンだった。

  高い身長に長い手足、程よく白い肌、幼さを残す甘いベビーフェイスの完璧イケメンが、ズタ袋を被っている。

  例えるならミノムシの様に、洞窟に帰ってきたカナメ達を出迎えた。


「あ、アルヴァだよな。なんだその格好…」


  てっきり裸の男が待ち構えていると覚悟していたが、現れたのは形容しがたい格好をした白い歯のイケメン。

 その肩にはエンリケが止まっている。


「僕は知っている!人族は裸の同族を指差して笑う事を!服を身につけない事は恥とされている事を!」


  そして、まるで演劇でも踊るように緩急をつけて回りだした。


「あぁ、だからさっきのカナメは様子が変だったのね」


「あたしの姿を見て急に叫びだすなんて、普通じゃないものね」


  学生服姉妹がウンウンと頷いた。

  ちなみにであるが、カナメもアルヴァの事を言えずトランクス一枚の姿である。学ランはリューリエに、Tシャツと学生ズボンはヘレーナに。残されたのは下着のみ。

  周りに常識を知る者がいれば、指さされて笑われたのはカナメの方だった。


「湖で魔力制御の練習してたんだって?なんで僕を呼んでくれないんだ!詳しく話したい事がいっぱいあったのに!」


  そう言ってカナメに詰め寄ると、わかりやすく頬を膨らませる。

  この姉弟がいちいちあざといのは、土神の影響だろうか。


「ごめんって。ところでその袋は何なんだ?」


  怒りの矛先をそらすため、一応気になってた事を聞いてみる。


「前に角猿達が森の端にある川岸から拾ってきて、タム様に献上した物を貰ったんだ。タム様は楽しそうに要らないって笑ってたから」


  角猿は呼んで字の如く、角の生えた猿である。夜行性で雑食。知恵は殆どない。木の上を住処として、餌の確保以外では滅多に降りてこない。

  その猿達が、森の主人である土神に種族の宝として献上し、ツボに入った土神が笑いながらアルヴァに譲った物がズタ袋だ。

  その袋を、好奇心と知識の豊富なアルヴァは、人型に変身する際に、人族の常識に合わせてみっともなくならないよう、服の代わりになる物として使用したらしい。

  カナメの想像する最悪の事態は避けられたものの、その結果、目視し辛い装いのイケメンが誕生した訳である。


「さあ、カナメ!わかんない事は無いかい?なんだって答えるよ!ああ嬉しいなぁ!リューリエとヘレーナはあんまり知識については興味が無いみたいだし、エンリケとシュレウスは僕が教えようとすると逃げちゃうんだ!」


「興味無いわけじゃないわ」


「あなたのお話は長すぎて頭に入んないのよ!」


「アルヴァが満足するまで、僕たちご飯も食べさせて貰えないまま、寝る時間になっちゃうんだもの…この間それでシュレウスを泣かせたばっかりじゃないか」


「さあ、カナメ!何を話せばいいのかな!?」


  姉弟たちの厳しい指摘に負けずに、カナメに催促するアルヴァ。

 なかなかの強い精神を持っているようだ。

  ぐいぐいと迫るアルヴァに押されて、壁際まで追い込まれた。


「お、おい…いや…その…あは…あはは」


  気迫に近い圧迫感に完全に飲み込まれたカナメは、目の色を変えたイケメンに対して何もできずに笑うしかなかった。


「お勉強もいいけど、ご飯を食べてからにしなさい!」


  無敵のお姉ちゃん砲、つまりはリューリエの平手がアルヴァの頭を直撃し、ひとまずその場はお昼時間となった。






「んじゃ、制御魔術ってヤツを教えてくれないか?」


  爽やかな甘みの果実を食した後で、アルヴァに魔術について教えてもらう事にした。

  ちなみに昨日と同じメニューである。確かに美味しい食事ではあるが、この先ずっと果実のみ食する訳にはいかない。しかし蝶達は花の蜜や果実の汁を主食にしていたために、肉食の意識を持っていなかった。早くも食の安心が奪われつつある。

  かといって今はどうと言うわけじゃない。あとしばらくは果実のみの献立でも耐えられる。

  いつか耐えられなくなるまでに、肉や野菜の確保手段を手に入れたい。


「そうだね。んじゃあその前に魔術って何だか知ってる?」


  その一言から、長く辛い時間が始まったのである。


 



  魔術とは、『魔力を用いる術』である。

 弱くても強くても、術者の影響を受けた魔力のもたらす『過程』と『結果』。

 小石を少しだけ動かすのも魔術。一軒家ほどの大岩を作り出すのも魔術である。魔力が動いた『結果』物事が動く。

  『過程』とは、魔術が作用するまでの間である。

  例えば人から人に魔力を流す魔術。肉体から肉体に魔力が受け渡された結果、『過程』として何もない空間に魔力の通る道が作られる。

  それらを合わせて『魔術』と呼ぶ。


  そして制御系魔術はその基礎となる。

『発する』『伝える』『止める』『動かす』『消す』。

 それぞれを微細にコントロールしながら、事象を成す魔術を、制御系魔術としている。


  『発する』魔術は魔力の放出。

  肉体、または周囲から集めた魔力を目標に向けて放ち、様々な事柄を引き起こす術が『発する』魔術。


『伝える』魔術は魔力の伝達。

 魔力または意識や想像などを、自身の制御で遠くや近くの何かに『伝える』魔術。


  『止める』魔術とは魔力の固定。

  常に流動的な魔力をあえて『止める』事で、任意の事象を引き起こす魔術。


『動かす』魔術とは魔力の配分。

  自身から対象に対して、集中した魔力を伸ばし掴むなどの、魔力を物体に影響を及ぼすまで強く濃く『配分』した魔術。


『消す』魔術は魔力の還元。

  何らかの作用となった魔力を、自らの魔力によって作用する前の状態にまで『還元』する魔術。

 

 以上5つの基礎制御を、技として昇華した術が制御系魔術となる。


  それに炎や水、氷や雷などの自然界にある概念を付属とした属性魔術。

  他者に効果を与える付与魔術。

  空中に物体や空気を止めおく固定法。

 多種さまざなな効果を生み出すのが魔術である。


  それだけの事を教えてもらうのに、およそ一日を費やした。






  空は暗く、夜が深い。

 アルヴァの授業はとても分かりやすいが、どうにも話が逸れやすかった。

  制御系魔術の話なのに、多数の人間を洗脳した古代の魔女の話に変わる。

  属性魔術の話から、急に氷魔法を用いた船の伝説を語りだす。

  付与魔術で石人を強化したらどうなるか。

  固定法で固めた空気で家は建てられるのか。

  その家に人が住んでいる時に魔力を消す面白い悪戯。

 果ては魔術から離れて、呪術や神罰の話をしだした時には、他の蝶は眠りにつき始めていた。

  何度か終業を促してみたのだが、語る事が楽しすぎて興奮したアルヴァには馬の耳に般若心経。

  止まる駅を忘れた通勤快速は、遠く遥かな終点まで猛スピードで走り続ける。

  生きる為の試練と開き直り、余す事なく聞く姿勢を見せたカナメだが、最後の辺りでは意識を飛ばし飛ばしに相槌を打つ機械となっていた。


  目の前で意識を失うように眠り落ちるカナメにアルヴァが気づくのは、南国の姫とその騎士の、恋物語のクライマックスシーンだった。





「カナメ、起きて」


  体を揺らされ、覚醒を急かされる。

 脳は睡眠をよこせと信号を発し、体はその奴隷のように従順だ。


「ダメだリューリエ。それはダメだって」


  一体何の夢を見ていたのか。寝ぼけているカナメはリューリエを跳ね除ける。


「お願い。見せたい物があるのよ。今日しか見れない物だから」


  更に強く揺さぶられ、ついに脳はリューリエに屈服する。

  上体を起こして目を擦り、立ち上がって伸びをする。


「……ん。起きたよリューリエ。って、まだ変身したままなの?」


  人族の寝方に慣れないヘレーナや、いつの間にか寝ていたアルヴァは蝶の姿に戻っていた。その隙にTシャツと学生ズボンを回収している。

  リューリエだけは一日中変わらず、人族の姿で行動している。


「旅に出たら、蝶のままじゃ色々不都合だろうし。特に損する事もないから、普段はこの姿で馴れようと思ってるの。ヘレーナにも説明するけど、あの子面倒くさがりだから」


  困ったように、洞窟の奥の岩場でシュレウスと寝ているヘレーナを見る。

  結局シュレウスは一日中寝ていた。

 あまりにも起きないので心配したが、他の姉弟が止めたので起こしてはいない。

  なにやら羽妖精は、成長期にはたくさん寝るらしい。エンリケもこの間までは一週間近く眠ってたとか。


「あんまり余裕ないから急ぎましょう。神水泉エレ・アミュに行くの。ついてきて」


  リューリエに手を引かれて、カナメは洞窟を後にする。

  夜道は暗く、リューリエの先導無しでは迷っていただろう。

  繋いだ手に安心感を感じ、特に動揺せずに彼女を見る事ができる。

 その格好は昼間と一緒で、学ラン一着だ。もちろん下着なんて履いていない。


  これが普通の男女なら、甘酸っぱくてR18な夜になっていたのだろうが、片方は蝶で片方は記憶喪失である。

 さすがに意味がわからない。


  一切の光すら無い森の中、しばらく歩くと木々の間から青くて淡い光が漏れ出し始めた。

 それが湖から発する光だと気付いたのは、水面がチラチラと見え始めた時だ。

 近くに連れて光の中は増すが、目には優しい光だった。







「うっわぁ………すっげぇ……」


  湖に着いたカナメは息を呑む。

 それは確かに昼間に魔力制御の練習をした場所だった。

  だけど覚えているその景色とは感じ方が全て違う。小さな淡い光の青い粒子が見えてる限り周りいっぱいに浮かび、落ちては水面が所々で波紋を広げている。

 水面から発する光は木々の葉っぱを照らし、作られる影すら穏やかに見える。

  色取り取りの蝶が舞い、木には鳥が、岸辺には大小様々な動物がその体をを休めていた。

  そよぐ風の音が心地よく、水の匂いが心を落ち着かせていく。


  幻想的とは、このような風景の事を言うのだろう。

 それは、一枚の絵画に迷い込んだ感覚。

 現実感なんて存在しない、なのに不安感も存在しない。

  そこに立っているのに、確かにここに居るのに、もしかしたらここにいないかもしれない。

  そんな矛盾じみた訳のわからない想いが、カナメの胸中に詰まっている。

  でも、嫌じゃ無い。怖くない。

 言葉にも文章でも、簡単には表せない。そんな風景だった。


「月の無い夜は、神水泉エレ・アミュの魔力がより強くなるの」


  湖の浅瀬に足を入れて、リューリエは岸に座り込んだ。

 バシャバシャと、青い光を掻き分けるように動かし、水面に新たな波紋を作っていく。


「凄いよ……綺麗だ…」


  湖もだが、リューリエもだ。

 

 照らす青光でリューリエの表情は神々しささえ感じられる。神族だから当然といえば当然だが。

  額で揃えられた黒髪は、水面を揺らす足の動きに合わせて、左右にゆっくりと動いている。

  袖の余った学ランを腕の上まで折り曲げて、白い肌を見せている。

  フンフンと聞いた事があるようなメロディーで、鼻歌を歌っているリューリエはその風景に決して負けない美しさを醸し出す。

  幼さを多分に残す顔立ちは、まるで宝石のようで。


 カナメが見惚れるのも、きっと不思議でもなんでもない。


「……生まれた森を出るのは、少しばかり怖いわ」


  困ったような顔で、リューリエはカナメと向き合った。

 慌てて意識を戻し、リューリエの左側の岸に座り、その瞳を正面から覗く。


「でも、なんでだろう。あなたと居れると考えると、とても心が弾むの。怖いのに、楽しみ。変ねあたし」


  眉を落としたままクスリと笑った。


「……俺はさ、正直言って。不安でどうにかなりそうなんだ。情けない事にさ」


 それは紛れもない本音だ。


「情けないかもしれないけど、それでいいんじゃないかしら。あたしがもしすべてを忘れて、あの子たちがいない場所で目覚めるなんて、想像するだけで泣きそうになるわ」


 左手で カナメの手を取る。


「だから、情けなくていい。カナメは、あたしたちの前では情けないカナメでいいのよ。だってあたしたちは家族だもの。姉弟なんだもの」


「リューリエ…」


  もう片方の手でカナメの頬を撫で、リューリエは笑った。

  何度も言うが、カナメには記憶がない。ある程度の知識と常識、それしかない。

  だけど何故だろうか。リューリエの笑顔に、見覚えを感じる。

  優しいリューリエ。しっかり者のリューリエ。お姉さんのリューリエ。

  湖で目覚めて蝶の姿で出会ってから、人の姿でいる今この瞬間まで、彼女の一挙手一投足に、懐かしさを感じている。


「カナメ……泣いてるの?」


「え?」


  慌てて顔に手を当てる。頬に流れる一筋の雫。

 湖の水が跳ねたのだろうか。

  いや、それは確かにカナメの目から流れていた。


「あ、あれ?えっと、いや、まって、なんでだろう」


 流れていると確認したら、止まらなくなった。次から次に雫が垂れ落ち、学生ズボンに染みをつけていく。


「あ、あはは。変だな。いや、まぁ変なんだけどさ。違うっていうか、何ていうか」


  拭っても拭っても、涙が止まらない。


「カナメ」


  体が強張った。リューリエの声に、怯えてしまった。怯える必要なんかない筈なのに。それでもカナメには悪戯を咎められた時のように、失敗を責められた時のように、身構えてしまった。


「お願いカナメ。怖がらないで、こっちを向いて」


  その両手が頬を包み込み、ゆっくりと顔をリューリエに向けられた。

  ゆっくりと、だ。

 力なんて込められていない。優しく、どこかに無理が出ないように、ひびの入った硝子に触れるように。

 壊してなるものかと、どこまでも優しく導いていく。


「いや、リューリエ。ダメだ…。見ないでほしい。こんな顔、見せたくない」


「嫌よ」


 涙を拭えず滲む視界で、リューリエの瞳が輝く。

  決意の眼差し。慈しみではなく、守るべきものへ向ける光。


「タム様の前で……エレ様の話を聞いていた時から、今までずっと様子が変だとは思っていたの。やけに調子が良かったでしょ?」

 

  両の頬にある手が、耳を超えて、頭の後ろで組まれた。


「ずっと、心は泣きたがっていたのね」


 そう言って、今度は勢いよく引っ張られた。

 着地点はリューリエの胸の上。学ランの第二ボタンの位置。心臓が在る場所。


「ここでなら、泣けるでしょ?」


  か細い声で、囁かれた。

 頭は抱え込まれ、後頭部にはリューリエの顎が置かれて、もう逃げ場なんてどこにもないし、取り繕う余裕も根こそぎ奪われる。


  喉の奥が燃えるように熱くなった。目頭が痛み、耐えられなくて目を閉じる。

  肺から上に吐き出される息は、量に負けて口が開くほどだ。


  カナメには無理だった。それに打ち勝つことはもうできない。

  今までなんとか押さえ込んでいた物が、溢れ出る。


「あ…あぁっ…」


  最初の波が立つと、次の波が押し寄せてくる。


「あぁっ!あぁぁぁあぁぁっ!!」


  翻弄される。心が、感情が、波にもまれて上下左右に。

  もがいてももがいても、勢いついて弄ばれる。


「うわぁぁぁっ!あああぁあああっ!!」


  大きな声で泣き出したカナメを、目を閉じたまま受け止めるリューリエ。


  そこは女神の愛した場所。神水泉エレ・アミュ

 優しさの青い光と、空を舞う蝶の群れ。

  いくつもの無垢な動物の瞳が、泣き止まないカナメと、すべてをこぼすまいとするリューリエを見つめ続けていた。













  泣き疲れたカナメの頭をを膝に乗せ、リューリエは歌っている。


 ♪お眠りなさい お眠りなさい 明日も元気に遊んでらっしゃい ぜんぶぜんぶ 食べていきなさい♪


  瞳を閉じて、前後に静かに体を揺らして歌っている。


♪森にいきなさい 海で泳ぎなさい 明日も元気に遊んでらっしゃい たくさんたくさん 食べていきなさい♪


  ユラユラと水面から反射した光の中、膝の上の頭を撫でて、リューリエは歌っている。


  ♪愛しなさい 愛されなさい 明日も明後日も生きていきなさい いつまでもいつまでも 笑っていなさい♪


 そして歌い終わったリューリエは、カナメの耳元で優しく呟く。


「大丈夫。きっと大丈夫。一緒なら、あたし達は大丈夫だから」





  ♪安心してお眠りなさい♪




  序章〜了〜

 

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