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その名に祈りを込めて

「さて、これから忙しくなるわよ!」


  先ほどまで神の座していた台座を見上げながら、白黒がカナメの肩に止まったまま羽ばたく。


  土神のいなくなった森は、見た目にもわかるスピードで衰えていく。

  台座周りから順に、青々とした木々は色を失い、生い茂っていた草は枯れていく。


  その光景に圧倒されながらカナメの肩で蝶達は騒いでいる。


「ど、どどど、どうするの?タム様がいなかったら僕達どうしたらいいの?」


「落ち着きなさいったら。とりあえず今日はカナメを休ませましょう。生まれたばかりなのに色々あったんだもの。そんなに急かすのも可哀想よ。私達のねぐらならここから近いし、あんまり獣達も近寄らないでしょう?」


  緑白の蝶と青白の蝶が交差しながらカナメの肩から飛び立った。

 

  「この森を出るの僕初めてだよ!タム様がいなくなって大変だけど、楽しみだなぁ!」


「うん。僕もだ。タム様には悪いけど僕も今からワクワクしてるんだ!」


  赤黒と黄黒が跳ねるように上下に飛んだ。

 哀れ土神。

  感動的な別れもそこそこに、子供達は余韻に浸る事なくはしゃいでいた。


「まぁ、なんか。とてつもなく疲れたなぁ…」


  何もわからずに謎の森と湖で目覚め、人語を喋る蝶達に出会い、神を名乗る巨人に対峙し、新感覚のテレパシー伝言。

  突然世界を旅する事になり、崩れ落ちる神を見た。

  濃い。背脂コッテリギトギトである。濃すぎて胃もたれを起こしそうだ。せめて黒烏龍茶を飲ませていただきたい。

 なかなかの苦難を強いられていたらしい生前のカナメも、こんな日常を送っていたのだろうか。さすがにそれは考えられない。


「とりあえず、話をまとめたいからさ。休めるところがあるなら案内してくれないかな。正直言ってどう飲み込んだらいいかわかんないんだよ」


「そうね。あたし達はともかく、カナメには他にも準備が必要よね」


「教えとかないといけない事もあるからね。僕が知っていることなら何でも聞いてよ」


  肩に止まる白黒、目の前に飛んできた黄黒が続く。


「案内するわ。私達の寝床はエレ・アミュの近くの浅い洞窟なの。人族だと何かと窮屈かもしれないけど、しばらくは我慢して、としか言えないわ。ごめんなさい」


「休めるならどこだっていいさ。案内頼むよ」


  頷くように傾き、先導して飛ぶ青白に続いて、カナメと5匹の蝶は枯れ続ける草を踏みながら湖へと歩き出した。



 



  案内された洞窟は、雨風なら何とかしのげる程度の深さと広さだった。

  カナメが座るとそれだけでいっぱいになってしまう広さだ。

  生い茂った草むらが洞窟の入り口を隠し、外からじゃなかなか見つけられないようにできている。

  それはあくまで人間の目線で見た感想だった。野生の獣なら難なく見つけられるだろう。


「タム様の神気はまだ大分残っているから、ここならあと数日は安全なはずよ」


  そういって白黒は洞窟奥へと飛んでいく。

 続いて蝶達も続いて飛んでいくので、カナメも慌ててついていく。

  草むらをかき分け、足元を確かめながらなので、普通の蝶よりしっかりとした飛び方をする五色蝶達には、中々追いつけない。


「ねぇ。あんなの朝あったっけ?」


  先に飛んで行った白黒が何かを見つけた。

  見てみると、壁に五つのビー玉のような物が埋め込まれている。とても澄んだ、混じりっけないガラスの様な玉だった。

  赤、緑、黄色、青、そして透明。

  蝶達の羽のまだらと同じ色を持つビー玉


「…タム様の神気の塊みたいだね」


  ビー玉の周りをふよふよと飛んでいた黄黒。どうやら蝶達も初めてみる物らしい。


「これ、名前よね。あたし達の」


「名前?」


  カナメの肩に止まり、羽を休ませるながら言う白黒に、カナメは聞く。


「そういや、お前達の名前聞いてなかったっけ。あれ、なんでだろ?」


  初対面の相手に名乗っておきながら、相手の名前を聞きそびれるのはかなりの失礼にあたる。記憶を失っているとはいえ、そんな常識すら忘れたとは思いたくない。とは言え、今の今まで名前の事について気にも留めなかったのは、いくら何でもおかしいだろう。

  蝶達と出会っておよそ半日、会話はたくさんしている。それでも彼らを呼び分けようとは思っていなかったのだ。


「なんでって、言われても。僕達はそもそも名前なんてないもの!」


「たぶんだけど、人族と違って僕達妖精は種族名が名前みたいなところがあるからね。個人名がある妖精なんてちょっとした神だもの」


「妖精に名前を乗せるなんて神にしかできないわ。私達の場合はタム様がお造りになられたけど、普通の妖精は勝手に生まれて勝手に生きていくものよ」


「カナメが聞かなかったのも、僕達に呼び方がない事を理として気づいてたからだと思うよ」


「タム様だって、あたし達のことを羽の色で呼んでたじゃない。妖精なんてそんなものよ。今まで必要なかったけど、カナメと一緒に旅をするんじゃ名前を使う事もあると思うから、貰えるものは貰っときましょう」


  勢い良く蝶達が話し出す。

  なるほど、神が噛んでいるなら不思議でも何でもない。とは、簡単に納得できないが、実際に見た土神がかなり軽い存在感だったため、特に深く考えない事に成功した。


「じゃあなんでその玉が名前って事になるんだ?」


  どこから見てもビー玉である。文字なんてどこにも書いてないし、中に何かが入ってすらいない。


「タム様の神気で丸めてあるけど、僕達の魔力にタム様の真言で名前を刻んであるんだ。魔力の持ち主だったら自分の魔力ぐらいすぐ気づくもんなんだよ?」


  得意げに語りながら、黄黒が自分の羽と同じ色のビー玉に触れた。

  一瞬、光が瞬くとビー玉は消えて丸いくぼみだけがそこに残った。


「……うん。やっぱりタム様の残した僕らの名前だね。子供っぽいところがある方だから、驚かせようと思ってねぐらに隠してたんだと思うよ。タム様自身が崩れたときの振動で、出てきたんだろうね」


「本当、神様っぽくない事するなぁ…」


  言動といい行動といい、神様のイメージをいちいち落とす土神だった。

  そして、またしてもファンタジーだった。

 光るのなら光ると一言あれば、無様にビクつく事も回避できたかもしれない。

  何でもない風を装って、黄黒の言葉に返事を返す。


「ねえ!なんて名前だった!?かっこいい感じ!?」


  確かめるようにくぼみの前に浮かんでいる黄黒に、赤黒が飛び込んで行った。

  勢いよすぎて黄黒が跳ね飛ばされるが、日常によくあるコミュニケーションなのか、慣れたように黄黒は羽ばたく。


「うん。僕の名前はアルヴァ。今日から僕の事をアルヴァって呼んでね」


  黄黒改めアルヴァ。

  名前を手に入れたアルヴァは嬉しそうに赤黒とじゃれ合っている。

  互いの羽を合わせたり、触覚を突き合わせたりと、大いに盛り上がっていた。


「よろしくなアルヴァ」


「わぁ!カッコイイ!次!次僕ね!僕の番だからね!」


  カナメの言葉に食い気味で、興奮気味に赤いビー玉へと飛ぶ赤黒は、その綺麗な羽で包むように抱きつくと同じように一瞬光り、そして消える。

  今度はビクつかず、普通を装う事に成功したカナメだったが、赤黒の勢いが急すぎて内心はやはり驚いていた。


「……フフ、ウフフ、ウフフー!僕の名前はシュレウス!僕はシュレウスだー!」


  上下左右にせわしなく動きながら、赤と黒の羽を持つシュレウスは喜んでいる。

  出会ってからの彼の様子を見る限り、五色蝶の中でも彼はかなり幼い言動を取る。

  カナメには蝶の年齢を外見から読む知識は無い。

 湖での会話では、彼らも最近生まれたと言っていたが、もしかしたら人間と時間の感覚が違うのかもしれない。


「僕も名前もらっていいのかなぁ」


「え?ダメなんて事があるのか?」


「何言ってるの?これはあなたのためにタム様が用意した名前なのだから、あたし達に伺い立てる事なんてないのよ?」


  恐々とカナメの肩で震えていた緑白に、白黒が言う。

 緑白はかなり臆病な性格らしい。先に見た好奇心の旺盛さを思うと、放っておけない感じがある。


「お先にどうぞ。私はあなたの次に行こうと思ってるの。ほら」


「わ、わかったよ」


  なかなか動かない緑白を青白が促し、ようやく羽を弱々しく広げ飛ぶと、ゆっくり羽の先を緑のビー玉に触れる。

  3度目の発光、そして消えた。

  今度は体勢を整える時間があったので、ようやく光に驚かずに済んだ。


「僕は、え、エンリケです。よろしくね。カナメ」


「ああ、よろしくエンリケ」


「僕はシュレウスだよ!」


「お、おう!よろしくなシュレウス」


「うん!よろしくカナメ!僕はシュレウス!」


  エンリケの初めての名乗りにも食い気味で、シュレウスはまだ興奮から冷めていなかった。

 遮られたエンリケは悲しそうに項垂れて羽ばたいている。

  カナメは右腕をあげて人指し指を伸ばし、エンリケを乗せて慰めた。


「はい私ね。ヘレーナだわ。よろしくカナメ」


  勢い余って飛びついたシュレウスがカナメの顔を羽で押し込んでいた時、青白はさっさとビー玉に触れてカナメの肩に止まっていた。

 シュレウスはすぐにカナメの顔から離れて、まだまだ嬉しそうにカナメの周囲を飛び続けている。


「い、いいのかそんな適当な感じで」


「別に、喜ぼうがなんだろうが名前はついたじゃない。平気だわ」


  しれっと澄ました口調で答える青白、改めヘレーナ。淡々と事実を述べて羽をたたむ。


「そっ、そうか。ヘレーナがいいなら、別にいいのか。えっとよろしくヘレーナ」


  ぴくっと羽と触覚を動かし、ヘレーナは固まった。


「カナメ、もう一回呼んで」


「え?なんで?」


「いいから、呼んで。ゆっくり、優しく、心を込めて」


  ヘレーナから発する謎の圧迫感に気圧され、カナメは少しだけ顔の距離を広げた。

  一体何が彼女の琴線に触れたのだろうか。訳もわからずカナメは口を開けた。


「へ、ヘレーナ?」


「もう一回」


「ヘレーナ」


「大きな声で!」


「えっ!?へ、ヘレーナ!!」


「もっと大きく!叫んで!!」


  大きく息を吸い込んで、ピタッと止まり、吐き出す。


「ヘレェェェェェェェナァァァァァッ!!」


  喉を潰しかねない勢いで叫んだ。

 狭い洞窟に響き渡り、脆い部分の土がポロポロと零れ落ちていく。


「……………名前って、いいものだったのね」


  その青と白の羽をもじもじと擦り合わせた。

  ヘレーナは謎の昂揚感を感じているようだ。声色に若干の艶をだし、時折小刻みに震えていた。

  その様子を見ながらカナメは助けを求めるかのように、反対の右肩に止まるもう1匹の女の子を見る。


「……………あたしの妹の事なのに、あなたのツボだけは何年経ってもわかんないわ」


  わかりやすくヒキながら、白黒が飛び立つ。

 残った透明なビー玉に、彼女の名前が刻まれているらしい。

 ビー玉の前で一度止まり、その周りをぐるっと確認し、彼女はまた玉の前で止まって大きく息を吐いた。


「さて、最後はあたしね。たぶんなんだけど、タム様は自分のいなくなった後に、この玉が現れるように仕掛けていたと思うのよ。いいえ、絶対そうだわ!なんだかんだであの方は大精霊様だし!それくらい余裕でできるし想定してた筈だし!」


  そう言いながら透明なビー玉に触れた。


「この光だって無駄な魔力式を使って演出してるもの!あたし達が喜び泣く姿を期待していたみたいだけど!お亡くなりになったわけでもないのに泣くわけないじゃない!エレ様と神域で乳繰り合う事を期待してた事ぐらい、さっきの様子でわかりきってるのよ!」


  父に対して辛辣な言葉を放つ白黒をみて、カナメは反抗期という言葉が頭に浮かんでいた。 どこの世間でもお父さんは大変である。


「それよりもさ、どんな名前だったんだ?」


  憤慨する彼女をなだめる為に、話題を元に戻そうとするカナメ。


「ええ、あたしはリューリエ!五色蝶の長女、『芽吹き』のリューリエよ!改めてよろしくお願いするわ!カナメ!」


  どうやら目論見は達成したらしい。一気にリューリエの機嫌が直った。

 安心したカナメは大きく胸を撫で下ろし、白と黒の羽を持つリューリエをまっすぐ見た。


「こちらこそよろしく、リューリエ。ところで芽吹きってなんだ?」


  元気良く返事をするリューリエ。やはり嬉しかったのか、パタパタと軽快に飛びまたもカナメの右肩に止まった。

  何かを終える度に彼女はカナメの右肩に戻ってくる。

  気に入ってもらったのなら問題は無いのだが、一体何が気に入ったのかがそろそろ気になってきた。


「あたし達は、一本の木の育つ理を5つに分けて、意思を持たせてできた妖精なの」


  5匹の蝶は一斉に飛び立ち、洞窟の中をその羽から溢れる5つの光で渦を描く。やがてその羽を大きく広げると、綺麗に整列しながらカナメの前で浮遊した。


「あたしは土から『芽吹き』生まれるリューリエよ」


「私は力強く『育ち』そびえ立つヘレーナ」


「僕はやがて『実り』溢れるアルヴァさ」


「僕は静かに『枯らし』落ちる葉のエンリケだよ」


「最後に僕!土に『戻し』巡るシュレウス!」


  くるくると周りだし、踊るように飛ぶ。

 それは湖で一度見た光景だが、何度見てもカナメの心を魅了する。


「今日からあなたのために頑張るわ。あたし達は木の大精霊、土神タム・アウの眷属。大いなる樹木の理。きっとあなたの役に立てる。水と風に愛されしカナメ。わたしたちにどんどん頼りなさい!」


  くるくると舞いながらカナメの眼前に浮遊するリューリエに、やはり笑顔の似合う女の子を幻視する。


「後悔なんて、させないんだから!」


 明るく朗らかな笑顔が似合うリューリエを見て、しばしカナメは様々な不安を忘れるのであった。







  やはり、記憶は取り戻すべきだ。

 たとえどんなに辛く苦しい記憶でも、それは生前のカナメを形作った全てである。

  水神の言う通り、そのトラウマが蘇りカナメが自らの死を選ぼうと、今この胸を締め付ける不安感にこの先耐えられるとは思えない。


  たとえどんな結果になろうと、受け止めれるよう強くなり、できる限りの覚悟をしようと、カナメは考える。

  小さな小さな決意だが、それは確かに、空っぽだった少年が最初に得た確かな物だ。





「というわけで、俺はこの世界とは違う世界から来たんだ」


  水神から伝えられた話を蝶達に伝えた。

 浅い洞窟の中、壁にもたれかかって体を休める。

  湖の水は冷たかったし、慣れない森の中を歩いた体は、カナメ本人が思っていたより疲弊していたようだ。

  程よい眠気を感じながら、それでも説明だけはしとかなければと、カナメは蝶達に話を切り出した。

  隠す必要もない。全てをできるだけ細かく説明し終える頃には、空は赤く夕焼けに染まっていた。


「そう、そんな事があったの…」


  リューリエが綺麗な白い羽を落とす。

 あぐらをかいて座るカナメの前で、蝶達は文字通り羽を休めていた。


「じゃあ、カナメはエレ様とタム様の子供なんだね。

 遠い兄妹どころか実の兄妹だったんだ」


「異界についてのお話は、タム様からは何も聞かされてなかったわ。カナメには悪いけど面白そうな話ね」


  エンリケとヘレーナは互いを見ながら答える。 水神の伝言は、謎の水の玉を通してカナメにしか聞こえていなかった。初めて聞く情報に大げさに驚いたり深く頷いたりと、聞き上手な蝶達である。


「それで、カナメはどうしたいんだ?タム様との約束どうり、この森を出て世界を旅するつもりかい?カナメのしたい様にしてくれれば、僕達は勝手についていくつもりだよ?」


  自信の表れだろうか、アルヴァはその羽を大きく広げた。蝶にとってのかっこいいポーズかもしれない。


  地面を見つめてカナメは考える。手がかりの少ない探し物だ。 確かな情報は、水神と土神に信用された神が封じた。それだけ。

  この世界には神はどれだけいるのか、そもそも簡単に会えるような存在ではないだろう。神様なのだから。

  それに、封印されているなら、解かなきゃいけない。封じた神様がそのまま持っているとは限らないのだから。

  というか、記憶を探すってどういう事なのか。テレパシー式水玉レコーダーのように、わかりやすく形にしてくれているのだろうか。

  知らない事が多すぎる。


「タム様の友達の神様で、エレ様が知っている人(?)って、いる?」


  未だ羽を落としたままのリューリエに聞く。しっかり者のリューリエなら、他の神族に挨拶など交わしていないかと思ったのだ。


「そうね。色んな神族がこの森に訪れていたけど、エレ様が知っている様な格の神族は狼神族のオオカミ様と、人命神様かしら」


  神様ネットワークでもあるのか、他の神はかなりこの森を訪れているらしい。その中で二柱の神が該当したのは多いのか、少ないのか。判断に困る。


「そっか。どこに住んでるかとか知らない?」


「えっと、えっとね。オオカミ様は遠い北の森から来たらしいよ。なんか、凄い寒いところだって。恵みの礼にって大きな氷漬けのイノシシを持って来て、たまたま森にいた猪神の眷属が怒ってたのを僕見たんだ」


「人命神様は知らない!どこから来たのって聞いても、教えてくれなかったんだ!でもタム様はご近所様って言ってた!」


  エンリケは自信なさげに、シュレウスは元気良く答えた。


「んじゃあ、まずはどっかで人命神様の情報でも集めようか」


  腕を組んで今後を考える。寒いところはできるだけ勘弁して貰いたい。しかもかなり遠いとくれば、後回しにしても問題ないだろう。

  ならご近所神様である人命神を優先しよう。

 わざわざ自ら辛いところに赴く事などしない。


「と、いうわけでさ。ついでで良いんだけど、俺の記憶探しを手伝って欲しいんだ。どこにあるかもわかんないし、手がかりも少ない。どんな形なのかもわかんないから、何年かかるかわかんないんだけどさ」


「いいのよ。別についでじゃなくて。カナメも私達も神族なんだもの。時間はいっぱいあるから」


「そうよ!あたし達にだってタム様の言いつけを守って世界を見るつもりだもの!どっちかって言うとあたし達のほうがついでだわ!」


  女の子コンビはそういうと、ぱたぱたとカナメの右肩に移動した。相変わらずの右肩率。一体何が彼女達右肩に惹きつけるのだろうか。


  その時、何かを絞るような音な鳴り響いた。

 絞られたのはカナメの胃だ。目覚めてすでに半日以上経っている。

  これまで何も食べていないから、腹の虫が鳴いても不思議でも何でもない。

  神の息子になったからって、食欲からは解放されてはいないらしい。


「ん。お腹すいたんだね。泉のそばに甘くて美味しい果実のなる木があるから案内するよ」


「そうね。カナメも疲れてるだろうし、ご飯にしたらもう休みましょう。他の事は明日でも大丈夫でしょ?」


  アルヴァとヘレーナは飛び立つと、洞窟の入り口でカナメを待っている。


「ああ、そうしよっか。正直もうヘトヘトなんだ」


  動きづらい体に力を込めて、カナメは洞窟から出て歩き出した。






「あー!つめてー!」


  湖の近くの木から果実をもぎり、洞窟でみんなで食べた後はすぐに眠りについた。

  夢すら見ない深い眠りから覚めたカナメは、神水泉エレ・アミュの水で顔を洗っている。


「おはようカナメ。よく寝れた?」


  頭上から声が聞こえたから、濡れた顔を手で拭って見上げる。

 そこには、木々の間からこもれる陽光を浴びて、キラキラと輝く白と黒の蝶がひらひらと飛んでいる。


「おはようリューリエ。すっげえ寝たよ。夢も見なかった」


  光が目を刺し、すこし見えずらかったので、手で顔に影を作って答える。


「それは良かったわ。それですこし考えたんだけど、タム様の話では、カナメって凄い沢山の魔力を持ってるじゃない?」


  話しながら、やはり右肩に止まったリューリエ。カナメも予想していたので、首を傾けて待っていた。


「だから、魔術の練習をしましょう。旅の途中で獣や魔物に襲われた時、戦う術がないと危ないもの。あたし達だけなら大型の魔獣でも何とかなるけど、カナメだって戦えるに越した事ないんだから」


  左の羽を動かして、カナメの頬を何度も撫でるリューリエ。


「魔術かぁ。覚えておいた方がいいなら覚えるけどさ。でもタム様は使い過ぎると俺が消滅するって言ってなかった?」


「沢山あるなら練習くらいで使い尽くす事なんてないわ。それにここは神水泉エレ・アミュ。水になる程に凝縮された混じり気の無い魔力の湖なのよ?ここの水さえ飲んでれば、一日中魔術を使ったってすぐに元の量にもどる筈よ」


  ぴしりと羽で湖を指す。

 

「そうなの?元に戻すとかできるんだ」


「普通に呼吸をするだけで、わずかだけど魔力は蓄えられるんだから。神水泉エレ・アミュの水って、神様の名前がついてる程に凄い魔力が溢れてるの。カナメが練習するにはもってこいの場所ってわけ」


  湖を見ても、ただの広い水たまりにしか見えない。

 魚や他の生物が見えないくらいで、凄さや不思議さは一切感じないが、リューリエが言うならそれは紛れもなく凄い湖なのだろう。


「リューリエが言うなら、そうしよっか」


「そう、聞き分けが良くて安心したわ。シュレウスなんて何度言っても難しい練習をサボっちゃうの。本当に困った子なんだから」


  そう言って、白と黒の羽を持つお姉ちゃんはカナメの肩を離れた。


  前日の食事中に聞いた話では、蝶達は生まれた年が違うようで、リューリエが最初に生まれた長女。

 ヘレーナがそのほとんど同時に、わずかに遅れて生まれた次女。

 その一年後に長男のアルヴァが生まれ、次男のエンリケは空けて三年後に生まれた。

  最後に、エンリケが生まれてから三年経って、三男の末弟であるシュレウスの誕生である。

  リューリエが生まれたのは十六年ほど前の事だが、神族にとってはつい最近の感覚らしい。


「そうと決まったらさっさと始めましょう。起きた後、周りを見てきたんだけど、タム様の残した神気はおそらく十四日ぐらいで消えて無くなるわ。そうなったら、エレ・アミュはともかく森の中心部まで獣や魔物が来れちゃうようになるの」


「二週間くらいか……。あんまり時間無いって事はわかった。みんなはまだ寝てるのか?起きるまで待つ?」


「基礎の練習なんてあたしだって教えられるわ。より高度な魔力の扱いになったら、説明が大好きで大得意なアルヴァが一番良いんだけどね」


  湖の浅瀬、その水面に浮かんだリューリエの体が、突然淡く光だす。


「人族と羽妖精じゃ、体に流れる魔力の道の形が違うから、教えるなら同じ人族にならなきゃね」


  その言葉とともに、徐々にリューリエから出る光が強くなると、一気に膨れ上がり人の形へと変わっていく。


「え!?ちょっ、ちょっと待って!?リューリエは一体何してんの!?」


  目の前のリューリエの変化について行けず、カナメは慌てて浅瀬に近づいていく。


「何って、人族に変化してるの。人命神様がいらっしゃった時に契約したから、人族になれちゃうの。凄いでしょ?」


「えっと!そ、そりゃ凄いけどさ!凄いんだけどさ!ちょっと待ってよ!」


 一瞬、より強い光が周囲を照らし、たまらずカナメは目を閉じた。

 なぜだか凄く悪い予感がする。


  リューリエは蝶である。小さな小さな蝶だ。身体の八割近くを大きな羽が占めていて、空気を掴んで飛ぶタイプの生き物である。

  つまり、身体が軽くなければならず、その身体を重くする意味は全く無い。

 自分より重い物はつけられないし、つける必要が無い。

  だからリューリエは自らの身体に何もつけていない。つけるという意味が、理解できない。


  恐る恐る、過ぎた光に慣れた目をゆっくり開けていく。


「久しぶりだけど、うまくいったわ」


「わあぁぁっ!やっぱり!やっぱりー!」


  そこには、細く真っ直ぐな長い黒髪をたなびかせ、腰に手を当て自慢気な顔で不敵に笑う、凄い美少女が立っていた。


  全裸で。





「いいわね!これ!」


  面白いほどに慌てたカナメに、学ランを押し付けられ、リューリエらしい美少女は湖の岸辺に上がっていた。

  キラキラと目を輝かせて学ランの生地を触っている。胸ポケットに指を入れたり、クルッと一回転したりで楽しそうにニコニコと笑っていた。


「これが人族の服なのね!あ、カナメの服だから異界の服なのよね。へー。あったかいなー。話では聞いた事あるけど、実際に触ったのは生まれて初めてよ!」


  黒髪姫カットである。背中まで長い細い黒髪は、前部は額で綺麗に揃えられ、リューリエが動くたびにサラサラと揺れている。

  小柄で顔も小さい。カナメの学ランだと大きいのか、袖が長く余っていてより小ささを増幅していた。

  その色白の肌もきめ細やかで、ほとんどミニのワンピースと化した学ランが、見えそうで見えない謎の空間を作っていた。


「そうだよな蝶だもんな服なんてつけた事ないしいつも裸みたいなもんだもんなだから恥ずかしいとかないしなだって蝶だもん綺麗だし可愛いしちっさいし白いし可愛いし可愛いけど元々は虫だもんな可愛い虫で蝶で可愛い女の子で女子で乙女で裸で全裸でマッパでちっさいし胸もなかったけど女子だし可愛いしお腹白くておへそもちいさくて」


  その後ろでは、四つん這いで懺悔するカナメがいた。突然の全裸美少女を前に混乱していたが、理性を総動員して学ランを脱ぎ、慌ててリューリエにかぶせて岸に逃げた後はずっとこの姿で己の煩悩を恥じていた。


「ねえ?カナメ。さっきから何してるの?」


「何もしてません!本当ですごめんなさい!」


「なんで謝ったの?」


  リューリエに問われて、本能で謝罪した。

 記憶を取り戻す前に、自分が童貞である事が確定した瞬間だった。もちろん気のせいだが。真偽は定かではない。


「リューリエさん。ねえリューリエさん」


「なぁに?」


  こてん、と擬音がつきそうな仕草でリューリエが首を横に傾ける。あざとい仕草だがリューリエに他意はない。純粋天然一点物のあざとさがそこにあった。


「お願いだから、今度から人間になる時は前もって言ってくださいね。俺の薄汚れた学ランでよければいくらでも貸してあげるから、あと、その足元にも注意して絶対に事前に報連相を行い、混乱を防ぐための安全措置を取り、充分に距離を取った上で用法、用量を守って正しい男の子の扱い方を」


「ごめんなさいカナメ。何を言ってるのかさっぱりわからないわ」


  未だ混乱の渦の中できりもみ回転中のカナメであった。


「ごめん。テンパってた。いや、今も混乱してる。人間になれたのか」


「ええ。あたしとヘレーナとアルヴァは、人命神様が快く契約して下さったから、身体を作り変えて人族になる事ができるの。魔力の流れを変える術式だから、エンリケとシュレウスにはまだ難しいと思うわ」


  ヘレーナとアルヴァにもしっかりと注意しなければならない。

 リューリエと同じ女の子のヘレーナも勿論危ないが、アルヴァは男の子で大惨事になる恐れがある。


 事件は起こる前に防がなければならない。

 正義の心溢れる男は強く拳を握りしめた。

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