おやすみ神様
まず最初に感じたのは優しさだった。その声色と同じく、暖かな、穏やかな感情はすぐにわかった。
最終的にはオカンだった。本人も言っていたが母である。しかも相当過保護なペアレントだった。
水神エレ・アーレ。
それがカナメを蘇らせた神。現代日本から見れば異世界の女神。声のトーンだと幼い。多分中学生くらいの声色だ。蝶達も言っていたが本当に若いらしい。
目の前の土神を見る。木の大精霊、土神タム・アウ。
身体つきはがっしりとたくましいが、どこから見てもおじいさん。いや、おじいちゃんだ。神にもロリコンがいたらしい。 だが話を信じるなら結婚して16万年。熟年どころではない。熟れて腐り落ち土に帰るどころの話では済まない年月である。それを新婚と言うあたり、悔しいが神のスケールだ。
カナメは整理する。エレの語った情報は、衝撃としか言えない内容だった。
まず、カナメは日本では特殊な境遇にいたらしい。
その生活は命すら危ぶまれるもので、ついにはカナメの命を奪う事になる。 その経緯をたまたま見ていた水神は、同情からカナメの魂を拾い保護する。 境遇どころか根幹が特殊だったカナメは、こちらの世界に来た事で神にも匹敵する魂となってしまった。 哀れなカナメを蘇らせるため、神のハッスルの結果強い肉体が生まれ、カナメの魂を込めた。 なんだかズタボロだったカナメは、その傷、言うなればトラウマみたいな物を癒すために、今日まで眠り続けていたようだ。
なんだか馬鹿みたいな話である。映画のシナリオなら三流。ライトノベルでも安直だと罵られるレベル。
しかも主人公が死んでいる。読者を敵に回す酷さだ。 しかし、確かにここは異界である。鮮やかな蝶が言葉を喋り、見上げても見上げ足りない大男がふんぞり返り、謎の通信ツールで心に話しかける。 これを現実と認識するには、少しばかり常識を捨てる必要がある。 しかも、たかが数時間でこれほどのファンタジーだ。 これから先どんな現実離れした現実が襲いかかるかは、記憶を失ったカナメには予想もつかない。
「受け止めるには、時間がほしいかなぁ…」
「そうも言ってられんのだ。迷い子よ」
土神の身体はもはや殆ど残っていない。カナメがエレの話を聞いている間にも崩れ続け、今ではどこがどう崩れたのか不思議だが顔しか残っていなかった。
「見てみよ。ワシのこの様を。他の精霊神より体力のあるワシですら、もう肉の身体を維持する事ができん。恵みを止めれば何万年でも現界できるが、さすがにそれでは生き物が生きておれん」
首を器用に動かして、土神はコミカルにそう言った。
「だ、大丈夫なんですかそれ」
「ん?死ぬほど痛いぞ。ガハハハハハハハ」
豪快に笑う土神。なるほど、エレの言っていた通りの大雑把さである。
「さて迷い子よ。お前に頼みたいのは、五色蝶の保護じゃ。未だ幼く頼りないが、この子達はワシの神気を浴びて生まれ落ち、エレの神気の泉で育った紛れもない神族。しばしの間、現世を離れるワシの、土神の代理である」
その瞳をカナメと、5匹の蝶に見据えて目尻を下げる土神。そこに輝く色は、寂しさに見えた。
「保護、ですか?ここで暮らせばいいのですか?」
「記憶を取り戻すにせよ何にせよ、お前はこの森を出て生きていかねばならぬ。ワシが現界しておれば、この森はワシの神気によって守られておるが、いなくなれば少しばかり獣の少ないただの樹海じゃ。この世界の知識のないお前にとっては充分危険な場所となる」
スイッチが入ったように真顔に戻り、土神はカナメを見据えて言う。
「タム様、あたし達聞いてないんですけど」
いつの間にかカナメの肩に止まっていた白黒。声だけでしか判断できないが、寂しそうに、不安げにうつむいていた。
「聞かせておらんよ。迷い子が目覚めなかった場合、お前達はワシが戻るまで眠ってもらうつもりじゃったし、お前達の成長を焦らせたくなかったからの。化身まで行えるようになったのは白と青と黄のみじゃし、迷い子の目覚めは半ば諦めていたからのー」
「だからあんなに厳しかったのか…」
赤黒はポツリとつぶやいた。
「それはお前と黄が逃げるからじゃ」
「すいません」
赤黒と黄黒が器用に頭を下げた。
「おそらくエレの事じゃから、お前が強くなる事を望んでいる筈じゃ。高純度の魔力で形作られたといえ、それを扱えないお前は普通の人族と変わらん」
力強くカナメを見据えて。
「世に出よ。世を見るのじゃ。人に会い、人を見よ。世に習い、世に教え、人に習い、人を学べ。神ですら善悪のふるいからは逃れられぬ。善を知れ。善に学べ。悪を知り、悪に逆らえ。多いに学び、健やかに強かに育つのじゃ」
暖かな笑顔を見せながら、土神の顔は崩れていく。
「我が子よ。迷い子よ。そして五色の理の蝶達よ。
不甲斐ない父がお前達にしてやれるのはここまでじゃ。許してくれとは言わん。足りないのは承知しておる。だからこそじゃ、我が最愛なる子供らよ」
ついには頭の先が大きく音立ててひび割れ、目と鼻の形すら保てなくなっていく。
「強くなれ。強くなってくれ。再びこの地で会えるよう、どうか強く強く生きて欲しい。迷い子が知らぬこの世界の知識は、すべて蝶達に授けてある。と言いたいが、教えれぬ事が沢山あった。すまぬ。すまなんだ子らよ。この先お前達が命を落とせば、きっとワシとエレは悔やんでも悔やみ切れぬ。輪廻の輪に入れば、異界に生まれ落ちるのが定め。再び巡り会うことすらできぬ」
残っているのは、左目と口元だけ。それでもかなりの大きさだが、元の巨大な土神を見ているカナメには、見た目以上の小ささが感じられた。
「だから生きよ。精一杯足掻き生きるのじゃ我が子達よ。何もできない父の、勝手な願いじゃ。勘弁してくれ」
「タム様…僕達は大丈夫です。カナメの事もきっと大丈夫…」
「僕!ちゃんとお勉強して立派な神様になっておくから!」
「みんなの事は、私に任せて。どうか神域で安らかにお眠りください…」
「ほ、ほんとにいっちゃうの?僕はついていっちゃいけないの?」
「情けない事言わないの!タム様だって大変なのよ!?大丈夫よタム様!あたしお姉ちゃんだもの!みんなやカナメだって、ちゃんと守るわ!」
「ああ、お前達がみんな一緒なら、大丈夫だとも」
黄黒、赤黒、青白、緑白と続き、白黒が震えた声で土神に答える。カナメの両肩に止まっている蝶達は、ハタハタと羽ばたいていた。なぜだろうか。カナメにはそれが、泣きながら笑う子供達に見えたのは、きっと雰囲気に呑まれただけでは無いと思うのは。
「迷い子よ。急な事で、お前も大変戸惑っているだろう。本来なら覚悟を問うために時間を与えたいのじゃが、見ての通りじゃ。どうか今答えてはくれぬか。この5匹の子らを任せても良いかどうかを」
少し悩んだ。それを受けて良いのか、判断すべき物がカナメには無い。記憶も知識も力も無い。
どちらかというと保護されているのはカナメである。持ちうる知識が通用するかどうかすら、この世界ではわからないのだ。だけど。
「……俺にしか、できないなら。いや、ちがうな。えっと」
少しばかりの焦りを取り払う様に、カナメは目を閉じ、頭を振って、もはや唇しか残っていない土神を再び見た。わずかばかりかき集めた、覚悟を乗せて。
「はい。任せてください」
大きな唇の端が持ち上がり、笑みが浮かんだ。
「うむ。頼んだぞ」
その言葉を待つかの様に土神だった物はすべて落ち、残っているのは小さな白い花と、ほどほどに育った木々だけになった。