第二王子と奴隷剣士
『おき…!お…て!起きて!早く起きてお姉ちゃん!』
幼い子供の声に意識を揺さぶられ、ネーネは微睡みの中から引きずり出された。
開いた瞳に映るのは薄暗い天井とボロボロの梁、そしてユラユラと揺れる赤と緑の羽の二匹の蝶。
目覚めたばかりのネーネには、自分の置かれている状況がわからなかった。
(あれ……?私……たしか……)
次第に輪郭を取り戻していく思考。
思い出したのは腹に突き刺さる剣を掴み、悔しそうな顔で睨みつける見知った剣士。
(そうだ……!)
上半身に勢いをつけて、飛び起きる。
踊り子として鍛錬をしているネーネは、身体能力や柔軟性に優れている。覚醒したばかりの頭でも、バランスを崩すこと無く跳ね、寝台から降りた。
「ダインさん!サンニアさん!」
目当ての人物達を探そうと首を左右に振ると、視界の暗さに驚いた。
「えっ?あれ、えっと……」
その時点でようやく、自分が室内にいることに気がついた。そろそろと腰を下ろし、寝台に座る。
「あれ、ベッド……」
寝台の存在すら今更ながらに確認する。
状況についていけず惚けてみるも、何一つ理解ができない。
「たしか、さっき子供の声が……」
再び周囲を見回すと、そこそこに広い室内しか見えない。奥の方では、灯りの当たらない闇の中で、大量のナニかが蠢いているのが分かり、ネーネの身体が震えた。
「ど、どこですか…ここ…」
寝台に下ろした自分の腰が無意識に後ずさり、床から両足を離して奥へ奥へと進んでいく。
「あっ」
怯えるネーネの視界に、見覚えのある二匹の蝶が写り込んだ。
「カナメさんの……たしかエンリケちゃんとシュレアスちゃん?」
うろ覚えの名前を呼ぶと、蝶達はユラユラとネーネに近づいてきた。
思わず右手を差し出し、人差し指を伸ばす。
蝶達はおとなしくその指に止まり、仲睦まじく寄り添っている。
「シュレアスじゃないもん!シュレウスだもん!」
「わっ!シュ、シュレウス!ダメだよ!」
突如、声が響いた。
「え、えっ!?」
その声に驚かされ、ネーネは三度周囲を見渡す。
「僕のお名前!間違えたらダメだからね!」
声の発された場所を確かめると、自分の指先からだった。
恐る恐る指を持ち上げ、自分の目線まで上げる。
「あ、貴方なの?」
半信半疑で声をかけてみる。
「僕の大事な大事なお名前なんだから!いい?シュレウスだからね!」
彼ら精霊にとって、名前とは自己を確立する為の唯一の手段だ。
万物に無数に存在し、普遍の存在として無邪気に生きる精霊達は、個々の識別意識というものを余り持っていない。
五色蝶達は土神の創った特別な精霊であり、妖精の亜種でもある。それ故に精神・精霊・魂の格としては他の羽妖精よりも数ランク高い位置にあり、他の妖精が持ち得ない個性という物を持ち合わせていた。
カナメが目覚めるまでは羽の色でしか区別されていなかった彼らにとって、名前とは唯一無二の宝物なのだ。
「あー……もうシュレウスってば」
怒ったように羽を四度羽ばたく赤羽の蝶と、溜息を吐く動作で羽を畳む緑羽の蝶。
「え、えっと。ゴメンなさい?シュレウス、くん?」
声の聞こえ方とその話し方から、どうやら男の子らしい。
そう判断したネーネはとりあえず謝った。
「うん!シュレウスです!」
自慢気に羽をピンと伸ばし、シュレウスは元気良くお返事をした。
「……しょうがないか。説明もしなきゃダメだもんね」
何かを諦めた様な仕草で、緑羽の蝶が羽を広げてネーネの指から飛び立った。
「ネーネお姉ちゃん。僕はエンリケ。シュレウスのお兄ちゃんだよ」
「あ、はい。ご丁寧にどうも。 ネーネです。宜しくお願いします……」
未だついてこれず、惚けたままのネーネが返事を返した。
「あのね。僕達も良く分からないんだけど、お姉ちゃん、サンニアさんに連れてこられたみたいなんだ」
「……っあ!」
その説明でネーネは思い出した。
ダインの腹を突き刺した剣。それはサンニアの手に持たれた物だ。
自分を抱き寄せ、鈴の様な物を鳴らしたのもサンニア。それからの記憶が抜け落ちている。
「あ、あの人が!ダインさんを刺したの!お腹を!剣で!」
その顔は次第に青ざめ、ネーネはオロオロと口元に手を当てて慌てだした。
「えっ、えっと、僕らはあんまり他の人に喋るの良くないんだ。カナメがもう少しで来るから、それまでは僕らから離れないでね」
羽をはためかせながら、エンリケがネーネを落ち着かせる。
カナメの名前を聞いたからか、ネーネの肩から力が抜けていく。
「か、カナメさんもいるんですか?」
「うん。外でアレと戦ってる」
エンリケが右の羽を部屋の暗い方へと向けた。先ほどネーネが怯えた方向だ。
ネーネがそちらに目線を投げる。暗さに慣れず、最初は何も見えなかったが、徐々にその蠢めく謎の影の輪郭がハッキリと見えてくる。
「ひっ」
短い悲鳴が喉から出た。
そこには無数の人が、両側の壁にあらん限り押し込まれていた。
扉から一直線、人が一人分通れるぐらいの道を開け、それぞれが人として無理のある体勢でギッチリと隙間なく壁に敷き詰められている。
「な、なんですか!?あの人達、何してるんですか!?」
ネーネが最もな疑問を投げかける。
その全身黒装束の人間達は、皆一心不乱に、手に持つ棒の様な物を舐めていた。目と口だけを露出した覆面から舌を必死に伸ばし、これまた無理な姿勢で持っているソレを涎を垂らしながら舐めている。
よく見るとそれは槍だった。豪華な装飾を施された金の短槍。その切っ先が別の黒装束に突き刺さっていたり、食い込んでいたりしても、皆構わずに槍を手放さない。まるでパズルの様な不思議な噛み合わせで、中央の通路を見事に開けている。
「僕らもわかんないんだってば!サンニアさんと偉そうな人は、エンリケが閉じ込めたし、あの真っ黒な人達は動かないから、多分大丈夫だよ!」
シュレウスから場に似合わない元気な返事が返ってくる。
ネーネは知らない事だが、先程まで怯えていたのが嘘の様だ。
「え?サ、サンニアさん。ここに居るんですか?」
その名前を聞いて自然と身体を強張らせた。もう何度目かも分からない周囲の確認をすると、寝台の後方にあるもう一つの扉付近に、半球状の光が輝いていた。
よく見るとそれは球体に沿って流れている光で、強い風が吹く様な音がする。
「うん。あの中だよ。僕の防御魔術を内側に向けて囲ってるんだ。あの大きさで作ったら、カナメの技とか、リューリエとヘレーナの魔術じゃないと出られないと思う」
「え、えー?」
ますます混乱するばかりのネーネ。
エンリケの防御魔術は、小さく凝縮すればするほどその強度が増していく。
目の前の半球体の大きさは半径5メートル程度。その大きさなら、普通の攻撃や魔術ではまず破れない。
エンリケには風の属性を得意とするが、周囲の状況に合わせた属性障壁を貼る様にしている。水辺なら水の、荒地なら土で、例えば火事場なら火の障壁を作るだろう。
裏を返せば、どの様な状況でも強度に変化のない障壁が作れ、なおかつそれが敵対者の苦手とする属性なら無類の硬さを作り出せるというわけだ。
カナメの粉砕撃等の技や、リューリエの全力の属性魔術、ヘレーナの魔術特性を生かした全霊の魔術格闘なら、あるいは一点突破に絞れば破れる事もあるだろうが、それでもそこまでしなければ打ち破れない。特にカナメやリューリエに至っては周囲の被害を無視してでしか破れないのだ。
エンリケの規格外な所以がここにある。
突然、黒装束達がいる方の扉から大きな物音が響いた。
「ひっ!」
「大丈夫、来たよ!」
ネーネの悲鳴に即座に反応したシュレウスが、嬉しそうな声を上げた。
「あー!うっとおしい!エンリケ!シュレウス!大丈夫か!?」
黒く重い扉を蹴破り、苦々しく眉間に皺を寄せたカナメが現れた。
右手に持つ魔剣は血に濡れているし、身体の至る所にも血飛沫を浴びているが、怪我らしい怪我は見受けられない。
「カナメー!聞いて聞いて!僕ね!僕ね!ネーネお姉ちゃんにかけられた眠りの魔術を打ち消したんだよ!エンリケがね!僕しかできないって!あのね!あのね!」
「おわっ!」
その姿が見えるや否や、シュレウスが物凄いスピードでカナメの顔に飛び込んだ。
「うん。シュレウス、とっても偉かったよ」
エンリケはネーネから離れず、カナメへと声をかける。
「か、カナメさん…」
ネーネは身体の力を抜き、緊張を解いた。
カナメの実力は良く知っているし、それに惚れている。
こんな混沌とした状況で現れた頼れる恋する相手を前に、安心するなという方がおかしい。
「なんか知らんが、偉かったのかシュレウス。凄いぞー。あとでリューリエやヘレーナにも教えてやんないとな」
「エヘヘ」
肩に止まったシュレウスを優しく撫でると、嬉しそうな声が出た。
カナメは魔剣を鞘に収める事なくネーネへと歩み寄る。魔剣を持ってない左手を差し出すと、ネーネは恐る恐るその手を取った。
「ネーネ、大丈夫か?なんでこんな場所にいるんだ?」
優しく気遣う声に、ついに安心しきったネーネの瞳が、徐々に潤み始めた。
「わ、わからないんです……さ、サンニアさんが突然ダインさんを刺して、わ、私眠らされてた、み、みたいで、ダインさん血が一杯、い、一杯出ててぇ」
喉の奥から嗚咽が出始め、涙が溢れ出してくる。
カナメの手を両手で持ち、縋る様に額に当てると、もう堪える事ができなかったようで泣き声が止まらない。
「ダインさんが?いや、えっと、本当にわからないんだけど、とりあえずこんな場所さっさと出てしまおうか」
無意識の内にネーネを引き寄せ、その胸に埋もれさせてしまう。
右手を離してカナメの首に巻きつけ、ネーネは鼻を鳴らせて泣き続けた。
魔剣を持つ右手をネーネから離し、カナメはエンリケの障壁を見る。
「……あの中に、サンニアさんが?」
エンリケはカナメの肩にいるシュレウスの隣に止まり、頷く様に羽を広げた。
「うん。あともう一人、なんか偉そうな人も一緒だよ。喧嘩してた」
「……ネーネを狙ってたヤツらの仲間かな」
訝しみながらカナメはゆっくり後ずさる。
なぜか壁際の黒装束達は動こうとしない。
この空間全てが意味不明過ぎる。
とりあえずネーネは確保できた。ならばここに長居する意味はもう無い。
「出るぞ。ネーネ、歩けるよな?」
「ひっく、は、はい」
喉を鳴らして頷くネーネ。未だ泣き止まないが、落ち着いて来てはいる様だ。
「っ!カナメっ!出てくるよ!」
エンリケが突然声を荒げた。
その声にカナメは即座に魔剣を構える。
短い破裂音の後、風が室内で軽く爆発する。
周囲の埃を巻き上げながら、障壁が跡形もなく消えた。
その中から、腰に手を当てたサンニアと、見覚えの無い男が姿を現す。
「……ドブ野郎。お前の言う通りだな。まさかここまで早く手を打たれるとは」
男は赤黒い刀身の長剣を振り下ろしていた。鍔も無い異様な剣だ。
赤毛の頭髪を右半分ほど刈り上げ、左側は短髪。
右目の周囲にバーコードの様なタトゥーを掘り入れた目つきの鋭い男。
黒衣の衣装は、他の黒装束よりも上等にあつらえており、具足には宝石の様な物が数カ所はめられている。
「お互い話が全然噛み合ってなかったっすからね。勘違いで殺されるのは勘弁っすよ」
サンニアは呆れたため息で肩を落とした。
その表情は余裕が現れ、カナメはどこか勘に触ってしまう。
「……嘘。まさか破られるなんて……」
エンリケが落ち込んだ声を出した。
障壁の強度には自信があった。
姉弟以外の者に破られた事がエンリケの自尊心を傷つけてしまった様だ。
「……あいつ、強いぞ」
カナメはネーネに握られた手を解き、その腰に回した。強く引き寄せて密着させる。
「あっ」
ネーネの口から困惑の声が上がる。
「俺かエンリケから離れるなよネーネ。シュレウス、階段を見てきてくれ」
「は、はい…」
「わかった!」
シュレウスがカナメの右肩から飛び立ち、カナメに蹴破られて倒れた扉を追い越して飛んでいく。
「何だ、やっぱりカナメさんっすか。どこで嗅ぎ付いたか知らないっすけど」
サンニアが嫌らしく笑みを浮かべる。
「サンニアさ…いや、サンニア。どういうつもりか、説明して貰ってもいいかな」
ネーネを抱いたまま、カナメは魔剣を構え直した。
半身のまま、いつでも後退できる姿勢だ。
「まあ、簡単に言うと」
サンニアが右手で顔を覆った。少しだけうつむいたその表情を、カナメは読み取れない。
「最初から、俺の仕事はそっちなんすよ」
そう言って、手を顔から離し、顔を上げたサンニアの表情は、口元は歪んだ笑み、細い目尻は垂れ下がり、眼光は鈍く光っている。
「……最初から?」
「そう、最初からっす。一座の護衛依頼を受ける前から、っすかねぇ」
カナメの顔が険しくなる。
ネーネはサンニアの言葉の意味が分からず、カナメの胸の中でサンニアを見つめていた。
「……衝撃狼の群れも?」
「はい。俺が魔道具の香炉で集めた群れに、雇った御者が誘い入れたっす」
「ピースリントで俺達にチンピラを差し向けたのも?」
「あー。アレに関しては雇い主との連絡の不手際っすね。俺がキッチリ始末しといたんで」
「……ネーネに何の用なんだよ」
「俺に聞かれても、わかんないっすよ。俺は指示されただけっすから。あーそれと」
そう言ってサンニアはニタリと笑った。
「ジュッツとかいう弦楽士と、ダインさんを殺したのも、俺っす」
「逃げるぞ!」
その言葉にカナメの意識は沸騰した。
サンニアは許せない。キッチリと責任は取ってもらうつもりだ。
だが今はネーネを安全な場所に移す事を優先しなければいけない。
「させるとでも、思ったか」
振り向こうと身体を翻したカナメに、黒衣の男が飛びかかってきた。
振り下ろされた赤黒い長剣を、カナメは辛うじて魔剣で受ける。
ギリギリで受けたその剣からありえない重量を感じて、カナメの顔がしかめる。
「ぐっ!お、重いっ!」
「へえ、受け止めたか。その上耐えると」
黒衣の男は余裕たっぷりと薄ら笑いを浮かべる。
「あー。俺は、もういいっすかね」
サンニアがその後方で腰に手を当てた。
「消えるのなら、さっさと消えろ。二度と顔を出すなよ」
「こちらとしてもそのつもりっすよ。んじゃあカナメさん。お世話になりました。シノアに言っといて貰いたいっすね」
振り向いて、顔だけカナメに向ける。
「殺せなくて、残念だって」
「テっ!テメエっこの野郎!!サンニアァ!!」
吠えたカナメを嘲笑らうように、手の平をヒラヒラと揺らしながら、サンニアは奥の扉に消えていった。
「さーて小僧。お前は強いな。どうやら俺一人では難しそうだ」
黒衣の男が笑みを崩さずに告げる。
受け止めた剣は今も徐々に重みを増し、カナメの腕が震えだした。
「詳しくは言えんが、俺たちはその娘を保護する為に動いている。どうか任せてくれんか」
「そっ、そんな言葉信じれる訳ないっ、だろうがぁっ!」
魔力を瞬間的に右腕に込め、カナメは渾身の力で剣を押し返す。
やっとの思いではね退け、ネーネを強く抱きしめ直すと、今度は足に魔力を集中させて大きく後ろに跳ねた。
「凄いな……。さすがにウェルとまともに打ち合っただけはある。なら、こちらも手段を選んでいられんようだ」
黒衣の男はその黒い外套を払うと、右腰から金色の短い棒を取り出した。それは黒装束達が一生懸命に舐めている短槍に酷似しているが、刃が無い。
「動け人形共。『殺すなよ』」
金色の棒が淡く発光した。赤い粒子が辺りに漂うと、黒装束達の持つ短槍が呼応して光り出す。
「くっ!」
カナメが周囲の状況を探る。
闇の中から、大量の人が動く気配を感じた。
「さて、できるならお前を殺したくないんだ。王都まで彼女を守ってくれていたんだろう?」
「守るさ!今も!」
黒衣の男の言葉を聞くや、身を屈めて魔剣を振るう。
カナメから見て右の壁から、五人の黒装束達が襲いかかってきたのだ。口元をモゴモゴと動かし、か細い声で何かを呟きながら黒装束達はカナメの周りを囲んでいた。
魔剣ルファリスの刀身に魔力を通して延伸させ、出来るだけ遠い位置の黒装束を巻き込むように斬りつけた。
もはや、相手の命を考える余裕も無い。
それは次々と左右、前後から飛び出し、カナメとネーネを襲う。
エンリケの防御障壁を貼れば、攻撃は防げるが逃げ場を失う。それを理解して、エンリケはカナメの後方に壁状の障壁を作った。
「カ、カナメ!どうするの?」
「ゆっくりでいいんだ!後ろに下がり続けろ!」
エンリケの声に、カナメが答える。
守るべき弟分の前で、情けない姿は見せられない。
策らしき策は無かったが、それでもカナメは剣を振るい続ける。
(ちくしょう!アルヴァが居れば!)
アルヴァの得意とする魔術は、室内や狭い所でこそ威力を発する。それにアルヴァは賢い。この状況を打開する方法を、あの得意げな顔の素敵な弟ならきっと見つけるはずだ。
「ほら、俺もいるぞ」
黒装束達の間から、黒衣の男が飛び出してきた。
袈裟から振り上げられる剣を、魔剣を縦にする事で防ぐ。
「ぐっ!」
ネーネの腰から手を離し、身体を差し入れ背中に隠す。
片手で相手をできるような敵では無かった。
魔剣を両手で掴むと、勢いつけて振り上げる。
エンリケが障壁を二枚追加し、カナメの左右と後方を守る。
「何というか、魔術を使いながら俺の剣を受け止めるなんざ。お前本当に凄いよ」
エンリケの存在を知らない黒衣の男が、驚いた口調で話しかけてきた。
「そりゃ、どうもっ!」
剣を構え直し、床に倒れた黒装束が無理矢理振った槍を防ぐ。
考える暇も無く止めの振り下ろしで黒装束を絶命させた。
「カ、カナメっ!僕これ以上障壁出せないよぉ」
強度を保持したまま三枚の独立した障壁を作るのは至難の技だ。
ひとつながりの球体障壁ならまだ余裕があるが、他の術者ではこんな見事な障壁を複数なんて到底作れない。
「エンリケ、もう少しだ!俺の前には作らなくていいから、もう少し頑張ってくれ!」
「あ、あの!わ、私も障壁なら少しだけ張れます!こんなに強く無いけど!」
ネーネが話しに割って入る。
「なら、できるだけ強いのを!エンリケ!補助できるな!?」
「う、うん!補強するだけなら作るより簡単!」
「誰と話してるんだ!?」
黒衣の男は赤黒い長剣を両手に構えると、カナメの腕めがけて突き出す。
「さぁてね!」
カナメは魔剣を右に振るう事で捌く。
(ぐっ!やっぱり重すぎる!この剣、魔剣か!)
「重いだろ?俺もこいつを使えるようになるまで偉い苦労したもんだ。想像通り、こいつは魔剣だよ。一瞬だけ重さを増す使いづらい相棒だ」
その言葉を聞きながらも、カナメはジリジリと後退する。
扉までの距離は大した事は無い。
カナメならネーネを抱えたままワンステップで届く距離だ。
だが黒装束達の妨害と、黒衣の男の攻勢に阻まれ、その隙が見当たらない。
(くそっ!どうする!?)
エンリケの障壁のおかげで、左右からの攻撃に意識を割く事は無くなった。
だが前方の攻撃は黒衣の男の参加により苛烈さを増している。
統率の取れていない黒装束達が、なぜか男の攻撃を邪魔しないように動いていた。
「そろそろ、諦めてくれたら、楽なんだがな」
「だ、誰が!諦めるかぁ!」
防戦一方のカナメを茶化すように、余裕のある口ぶりで男と黒装束達が連携を取る。
カナメの額から汗が落ちる。
時間にしてそろそろ10分。体力的には問題は無いが、打開策の見出せない状況にカナメの精神が焦りを見せだしていた。
「ぎゃぁ!」
後方から、男の悲鳴が上がった。
「エンリケ!?」
「ぼ、僕じゃないよぉ!」
後ろを振り向けないカナメが、エンリケに問う。
否定の返事に戸惑ってすらいられない。
「僕だよ!強い人連れて来た!」
シュレウスの声が後ろから響く。
「シュレウス!?」
その声に驚きながら、黒装束の槍をいなす。
「よお、カナメ!後で説明してくれるんだよなぁ!何だコレ!」
カナメの右側から、見覚えのある黄金の剣が振られ、黒装束を数人吹き飛ばした。
声も、また、どこかで聞き覚えのある声だった。
「ウェルフェンさん!」
「貧民街を走ってたら、不思議な蝶々が泡食ってお前さんの名前を出しながら呼ぶもんだからよ!来て正解だったようだな!」
「その人、凄い強い人だよね!?僕見たもん!カナメの試合!」
ウェルフェンに続き、数人の騎士姿の男達がカナメの周囲に現れた。
「副団長!自分は最早訳がわかりません!」
「とりあえず、副団長の指示に従い、この少年を助けますが!」
そこそこに広いと言っても、そこは室内だ。
圧迫感を増した空気に、カナメの息が詰まりそうになる。
「でかしたぞシュレウス!ウェルフェンさん、とりあえず外に出たいんです!俺の後ろの女の子が狙われてて、助けないと!」
「いいな!女子供を守る戦いなんざ、騎士の本懐じゃねぇか!おう、お前ら!退路を確保しろ!」
「はい!」
「了解です!」
騎士達が後方に下がり、カナメとウェルフェンで黒装束と黒衣の男の相手をする。
「ちっ、何が起きてんだ一体!おう兄弟!久しぶりだな!」
「はぁ!?俺に兄弟なんざ……」
黒衣の男の声に、ウェルフェンが戸惑った。
目を開き、その顔を見ると、驚きの表情を作る。
「シャント……!お前、シャントか!?」
黒衣の男がバックステップで距離を空けた。
「ああ、八年ぶりか。お前の噂は聞いてるよ。夢物語を叶えられたようだな。ウェル」
シャントと呼ばれた黒衣の男が、嬉しそうに笑った。
掘り入れられた右目のタトゥーが歪むほどに破顔し、どこか人懐っこい笑顔を見せる。
「副団長!退路を!」
「ちっ!話は後だ!シャント!お前も外に出てちゃんと説明しろ!」
部下達が報告し、ウェルフェンはカナメとネーネを促した。
「ネーネ!とりあえず出よう!ここは狭すぎる!」
「は、はいっ!」
エンリケとシュレウスはネーネの肩に止まっていた。
動きを止めたシャントに、警戒心を緩める事なくカナメも下がる。
黒装束達は相変わらずウゴウゴとうざったく動いているが、ウェルフェンの部下達でも充分対応できていた。
ネーネの肩を抱きながら、自分の蹴倒した扉を踏み、階段を駆け上る。
どうやらロアは夜明けを迎えたようで、空は白み始めていた。
カナメの後ろからウェルフェンと騎士達が後方を警戒しながら続く。
シャントもまた、黒装束を引き連れて階段を昇ってきた。
貧民街の路地に出ると、遠くの方で爆音や怒声が響いていた。
どうやら兵達と魔物の戦いも佳境に入っているようだ。
ネーネを抱えて対面の建物の壁を背に、カナメは剣を構えた。
ウェルフェンや騎士達も、カナメの周囲を固める。
地下から上がってきたシャントが、金色の棒を握ると、黒装束達が周囲に散った。構えも取らずに立ちすくんでいる。
「……生きてたのかよ。シャント」
「まぁな」
宝剣『絢爛』を構えたまま、ウェルフェンがシャントに問いかける。
薄く笑ったシャントは優しげな目でウェルフェンを見ていた。
「その紋……。お前、奴隷になったのか?」
ウェルフェンは悲しそうな瞳でシャントの右目のタトゥーを見ていた。
問いかけられたシャントは、左手でゆっくりとタトゥーをなぞり、笑みを浮かべる。
「心配するな兄弟。確かに奴隷の身分になったが、俺は現状にこれ以上無い程満足している。この奴隷紋も、今となっては俺の誇りだ」
「それはどういう……」
「ウェルフェンさん」
カナメが会話に割って入る。
振り向いたウェルフェンは、苦しげな表情のカナメに驚いた。
「な、なんだカナメ」
「えっと、あの……『古き鉤爪』と俺達が、護衛の依頼を受けていたの、知ってますか?」
「あ、ああ、ダインのとっちゃんから聞いている」
ダインの名を聞き、カナメの顔が更に苦しそうに歪む。
「ウェルフェンさんの知り合いなんですよね?あの人」
「……ヤツが何をした」
ただならぬ空気に、ウェルフェンの顔から一切の余裕が消えた。
「……この娘、ネーネを狙って俺たちを襲った人達、あの人の指示みたいなんです……。ダインさんも、見た訳じゃ無いけど、殺されたみたいで」
「……なっ」
吐くようにカナメが口にした言葉に、ウェルフェンの表情から色が消える。
ゆっくりとシャントへと振り向き、信じられないような目で見る。
「……シャント。説明して貰おうか。事と次第によっては、いくらお前でも……斬らなきゃならねぇ」
シャントは笑みを崩さず、ウェルフェンを見る。
「……ああ、俺だからって余計な気を使うな。お前は騎士だ。騎士なら騎士の本分を全うしなきゃな。俺にも俺の都合があるが、話す訳にはいかねぇ。だから」
そう言って、シャントは魔剣を構えた。
「殺す気で来い」
その目から、光が消えた。
「………殺さねぇよ。訳を吐いて貰わなきゃならんしな」
「副団長……」
その様子をみた騎士達が、心配の声をかける。
「カナメ、お前はその嬢ちゃんを守ってろ。お前らは周りの奴らを相手してくれ。シャントには手を出すな。アイツは」
宝剣『絢爛』を正眼に構え、ウェルフェンは指示を飛ばす。
その眼光は厳しく、懐かしみも余裕も感じられない。
「俺の剣の、師匠だ」
腰を落としたウェルフェンが、シャントに向けて走り出す。
構えたシャントの剣が、淡く発光した。
重さを増した魔剣が、宝剣とぶつかり合う。
「……魔剣か」
「…ああ、お前も立派な剣を持つようになったな」
小さな声で会話をした二人を、騎士達はオロオロと見ている。
黒装束達が動き始め、カナメが構えを取ると騎士達もまた各々の得物を構えた。
ウェルフェンの振り下ろしに、魔剣が甲高い悲鳴をあげる。
弾き返された宝剣を追うように、魔剣の赤黒い軌跡が走った。
だが、そこにウェルフェンの姿はすでに無く、シャントは剣を止めずに身を翻し、背後までぐるりと切り裂いた。
鈍い音はシャントの右後方で鳴り、ウェルフェンの姿がそこにあった。
「……背後に回った時に相手の得物の位置を確認し忘れる癖、治したのか」
「あんだけ言われてりゃな!」
シャントの小さな声に大声で反応し、ウェルフェンは宝剣を掬い上げる。
弾かれた魔剣が発光し、急停止と同時に急直下した。
「ぐっ!どうなってんだそりゃ!」
「教える訳がないだろうさ」
左手を添えた宝剣で受け止め愚痴を溢すと、シャントが律儀に返事を返す。
「ウェルフェンさん……」
シャントとウェルフェンの打ち合いを横目で見ながら、カナメが溢す。
知り合い、しかも相当親しそうな相手だ。やり辛さは想像がつく。かといって、手心を加えるにはこの状況が許さない。
黒装束達は弱いが、数が多い。ウェルフェンの部下は六名。まだ警戒を解く訳にはいかなかった。
カナメもルファリスを振るいながら黒装束達を打ち倒す。
ネーネは未だ怯えているが、エンリケとシュレウスに励まされている。
最悪の状況は脱しているが、大事な事は何一つ解決していない。
サンニアも追わなければならないが、ネーネをミラ達の所に送る方が先だ。
リューリエ達は大丈夫だと思うが、顔を見なければ安心できない。
二人の凄腕の剣士は、傍目から見てもレベルの高い打ち合いを繰り広げている。
頭髪の色も相まって獅子のような雄々しさのウェルフェンと、しなやかな動きに力強い一撃を持つシャントは蛇のようなしつこさだ。
騎士達と黒装束達の戦いも激しくなり、カナメは焦燥感に駆られる。
その時だった。
「剣を納めろ!双方だ!」
凛とした、よく通る声が貧民街の路地に響き渡る。
その声は威圧感も併せ持ち、黒装束も含めた、そこにいる全ての者が動きを止めた。
カナメは声の出処を探す。
それは北区に抜ける路地にいた。道の真ん中で腰に手を当て、鋭い眼光を向けてウェルフェンとシャントを見ている。
豪奢な赤い外套を付け、蒼い光を放つ華美な額当てで、その青い頭髪を押さえていた。
腰に挿さる剣も煌びやかで、具足も立派な物を備えていた。
両隣に黒装束の男を五人程従えて、その人物はそこに立っていた。
「う、嘘……」
ネーネからか細い声が聞こえて、カナメはその表情を伺う。
「な、なんでこんな所に……」
その目は驚きで見開かれていた。
「ハァ、ハァ……え、えっと、どうしてこちらに……?」
ウェルフェンからも困惑の声が聞こえて、カナメは再び視線を戻した。
「もう一度余が告げる。双方、剣を納めよ。今、すぐにだ」
「も、申し訳ございません。殿下!」
今まで声を荒げなかったシャントが急に大声を上げ、慌てて鞘に魔剣を納め、右膝をついて頭を下げた。
釣られて騎士達もその姿を確認、驚愕し、得物を捨ててシャントに倣い右膝をついて頭を下げる。
「ナ、ナーザスリア殿下!?なんでここに!?」
騎士の一人が疑問の声を上げたのち、ウェルフェンも息を整え、シャントを見て構えを解き、宝剣を鞘に納めて疑問の表情のまま頭だけを下げる。
「え、えっと?」
「カナメ、あの人誰?」
「なんか、不思議な感じ!」
周囲の変化に追いつけないカナメと、二匹の蝶達は立ちすくむだけだ。
「あ、ああ、なんで?」
「ネーネ?どうした!?」
小刻みに震えるネーネを見て、心配になったカナメがその肩を揺する。
「ちょ、ネーネ!?」
虚脱するようにネーネの腰が落ち、慌ててカナメはその体を支えた。
「そんな、に、にいさま」
「え?」
か細い声を聞き逃して、カナメはネーネの顔を再びみた。
その瞳は乱入者に向けられている。視線を沿うように首を振り、カナメもその人物を捉える。
「お前もだ冒険者。剣を納めろ。もう言わぬぞ」
「あ、貴方は、誰ですか?」
「カナメさん!」
促されたカナメが疑問をそのまま口に出すと、何故かネーネから非難の声が上がる。
「ダメ、駄目ですカナメさん!は、早く剣を納めて、頭を下げなきゃ!」
「あ、ああ」
黒装束達の動きは止まり、シャントすら剣を納めている。
安全かどうかは分からないが、ウェルフェンがそうしたのならそれに従おうと、ルファリスを鞘に入れ、ボタンを留め、右膝をついて頭を下げた。
「ん、んで、あの人は誰?」
頭を下げたまま、カナメは再び問う。
「あ、あのお方はロアの第二王子、ナーザスリア・アウル・ローアン殿下。次期王国国王その人ですぅ」
泣きそうな声を出すネーネ。
カナメは顔を上げ、ナーザスリアなる人物を見た。
「うむ。もう良い。頭を上げろ。というか、下げろと言っていない。話ができんではないか。上げろ上げろ」
呆れた様な口調で、ナーザスリア王子はゆっくりと歩き出した。
顔を上げたカナメの前に立ち、その顔を覗き込む。
「……まぁ、シャントの振る舞いにも非が無いわけでは無いが、全ては余の命だ。済まないな冒険者。名乗れ、余が許す」
「え、えっと?あ、カナメ。カナメ・トジョウです」
「そうかカナメ。大儀であったな。よくぞ今までアリアを守ってくれた」
ナーザスリア王子は右手を出し、カナメはそれを恐る恐る握った。
引っ張りあげられ、立つ。
「アリア?」
「え…な、なんで名前を……」
聞き覚えの無い名前を言われ、戸惑うカナメの後ろで、ネーネの声が更に泣きそうになっている。
ナーザスリア王子はカナメの横を通り過ぎ、ネーネの前に立つと、同じ様に右手を出した。
違うのは、ネーネの手を取った訳でなく、その頭を撫でた事。
「……待たせたな。荒っぽい出迎えになってしまった。謝罪させてくれ。さあ、迎えに来たぞアリアネーネ」
ウェルフェン、騎士達、カナメの顔が更に疑問に染まる。
「アリアネーネ。我が、最愛の妹よ」
信じられない事を告げて、ナーザスリア王子は優しく笑ったのだった。




