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赤羽の蝶、飛び立つ

私事の混乱で、投稿が遅れた事をお詫び申し上げます。

 

 西区画の正門。それは複数あるフリビナルの入り口の中でも一番の大きさを誇る。

 王都の台所とも言われる最大の市場を有している西区画は、それゆえに最も隊商の出入りが多いのが大きさの理由だ。

 幾度の大規模な補修と共に徐々に堅牢に分厚くされ、また憲兵屯所や騎士の駐留舎も備えていた。複数ある門の中でも最大の防衛力を備え、万が一にも他国の軍や魔物が攻めてきても破られる事は誰も想定していなかった。

『外』からの侵略に限っての話だったからだ。


 最初に異変に気付いたのは、輸入品の税の検閲を行っていた憲兵だった。

 門の内部の屯所に勤める若い兵士。彼がそれを見つけられたのは偶然でしかない。

 王城へ続く西中央通り。その脇道の薄暗がりの先で、鈍く微かに青い光が瞬いた。

 たまたま余所見をしていた彼がそれを目撃し、疑問に思って同僚を連れて確認を取ろうと腰を上げた時、通りで若い女性が悲鳴を上げた。何事かと急いで駆けつける最中、それは建物の角から現れた。

 骨人ポーン。国土の半分以上に広大な草原を有するロア。かつての戦場跡が多く存在するこの国では、比較的に良く発生するアンデッド種の魔物だ。

 若手の憲兵達にとっての最初の仕事は王都周辺の魔物討伐であり、殆どの兵士が一度は骨人ポーンを目撃、始末した事がある。

 この若い兵士の初陣も骨人ポーンだった。

 強大な魔物とは言い難い。然るべき練度を備え、物量に勝る兵団ならば、容易に屠れる魔物だった。だからだろうか。城門内部に突如現れた魔物に対する疑問を解決する前に、平時の余裕ぶった経験則から彼は即座に骨人ポーンを一刀の元に斬り伏せた。

 自慢気に断ち切った骨の魔物を踏みつけ、慢心からか確認を怠った彼が、脇道から次々と溢れる骨人ポーンに貪り喰われたのは、瞬間的な出来事だった。彼が、この王都の騒動の最初の犠牲者となった。


 その脇道に溢れかえる骨、骨、骨。据えた死臭を帯びた魔物の一群は、この時点では百に届くかどうか程度の数だった。

 通用門に控えた憲兵達が、落ち着いて対処をすれば、問題にはならなかった筈である。しかし、突発的な事態に馴染みの無い憲兵達は、無様にも狼狽えてしまった。もう一人、もう一人と兵が胸元を貫かれ、生に恨みと妬みを持つ骨の魔物が、その顎を開き死体に群がる。



 そして西門周辺は、悲鳴の木霊する凄惨な場所となった。









 ヒューリックの許可を得て、抱き合って咽び泣く王と王女から逃げるように第三練兵場を後にしたカナメは、エンリケとシュレウスと共に北区の王立劇場を目指していた。目指している筈だった。


「まずい、ここ西区じゃないか……」


【だって、カナメが……】


【目につく魔物を全部切っていくんだもの!僕たち追いつくのがやっとだよ!】


 気がつけば幾つかの区画門を超えて、西市場まで辿り着いてしまった。

 カナメが立つそこは貧民街スラムの入口。ここまで迷い込んだのは、もちろんカナメの所為だ。

 逃げ惑う群衆に襲いかかる骨人ポーンを反射的に撃退し続けていたら、最も魔物の数の多かった西区にまで入り込んでいた。

 余りにもお人好しがすぎるカナメに、エンリケもシュレウスも呆れるばかりだが、同時に誇らしくもあった。殆ど意識せず、襲われていた人々を助けている。見返りを求める事もしていない。そもそも自分が人を助けたとも自覚していないのかもしれない。危なかったから割って入った。襲われていた人が逃げる時間を少しでも稼いだ。そんな認識だ。そんなカナメがとてもカッコよかったし、二匹の弟は憧れてもいた。沢山の人達がカナメに礼を述べていった。中には縋り付いて感謝の涙すら流している者もいたのだ。

 賢いエンリケは早い段階で劇場から離れている事に気がついていたが、あえてそれを告げずに誇らしい兄貴分のフォローに回っていた。

 エンリケが得意とする防御魔術を駆使し、敵を斬る事と人を逃す事に夢中だったカナメを補佐していた。カナメは気づいていなかったが、翼竜ワイバーンの毒と腐敗のブレスを、エンリケの風属性の障壁が遮っていた。区画を一つ丸ごと覆う風の障壁、『風珠結界(ウインドボール)』。風の属性に秀でたエンリケが、最も得意とする属性障壁である。並みの魔術士が用いた場合、良くて半径5メートル程度の効果範囲しか得られないが、エンリケもまた充分に規格外の存在なのだ。


【さっきの翼竜ワイバーンが落ちたのって】


【リューリエだよね!】


 少し前に王都の空を飛ぶ翼竜ワイバーンを、魔術の雷が撃ち落とした。魔力感知に秀でたエンリケには、すぐに姉の放った属性魔術だと分かったが、魔物の相手に忙しかったカナメに伝える事が出来ていなかった。


「あっちも無事みたいだな」


 リューリエやヘレーナ、アルヴァ達三人が揃っていて、骨人ポーン如きに遅れを取るわけは無いが、それでも心配はしていた。

 どんなに数を揃えようと骨人ポーンでは彼女達の相手になる訳が無い。


「よし、俺たちも急ぐか」


【だいぶ遠回りしちゃったね】


【騎士さん達がいっぱい来たから、ここももう大丈夫だよね!】


 中央通りは今も混乱の渦中にあるが、ウェルフェンの到着により事態は大きく好転したようだ。遠くの空には雄々しい声が上がり、所々で歓声が上がっていた。


「北区はこっちか。貧民街スラムを突っ切る方が早いかな」


【ダインさんがあまり貧民街スラムには近寄るなって】


「うーん。そうもいってらんないよなぁ」


 各区に少なからず存在する中でも、西区の貧民街スラムは王都でも一番の広さを持つ。商業的にも立地的にも、失職者や孤児、娼婦や悪党、それより後ろ暗くドス黒い者達に取って身を隠す条件に適しているからだ。活気に溢れた市場や歓楽街を内包する王都西区。酒で判断を鈍らせた獲物カモや、色事に飢えた獲物スケベが自然と多くなる。人の集まる所には、必ず裏と表が同時に存在する。


 カナメ達は市場通りから脇道へ入る。しばらくして建物の様子がガラリと一変した。鮮やかな赤黒い煉瓦レンガ造りの建物から、ボロボロの木材で組まれた平屋へと風景を変える。さらにはその平屋が乱雑に並び、不規則な迷路の様に入り組んでいる。異臭を放つ布や薄汚れた皮などで日除けられていて、さらに狭い道路は砂利や木片などで荒れ放題だ。


「こりゃ迷うな」


【僕が飛んで上から見ようか?】


【僕も行く!】


「頼んでいいか?」


 国の区画整理の手が入らない貧民街スラムは悪い意味で人の入れ替わりが多い。そのため一軒一軒の建物が増改築を繰り返され、歪に歪んだ不自然な道ができる。住み慣れた者すら全ての道を把握できないほどに変化を繰り返す。ここはそういった場所だ。


【ちょっと待っててね】


 エンリケがヒラヒラと羽を動かしながら上昇し、シュレウスが続いて飛び上がる。


【あれ?】


「どうした?」


 シュレウスが疑問の声を上げた。見ているのは街壁方向。人の集まる中央部から押しやられた貧民街スラムは、基本的に街壁に近い部分にある。西区の貧民街スラムも例に漏れず、西門街壁に隣接した場所だった。


【あれ、ネーネお姉ちゃんがいる】


「は?」


 カナメが素っ頓狂な声を出した。ネーネはリューリエ達と共に北区の王立劇場を目指している筈だ。


【あ、本当だ。サンニアさんも居る】


 エンリケがシュレウスの見ている方向を見て言った。


「どういう事?」


【なんか、建物の地下に入ってったよ】


 エンリケが続いてその姿を確認した。


「エンリケ、先に行って様子見れるか?中には入らないでいいから」


【うん。分かった】


「シュレウスは案内を頼むよ」


【任せて!】


 緑の羽を真っ直ぐ伸ばし、エンリケは高い位置から滑空して地面へと飛んでいく。


【こっちだよ!】


 ゆっくりカナメの下に降りてきたシュレウスが、羽根を広げて先導する。そのあとに続いて何回か平家の角を曲がり、やがてカナメは一軒の建物へと辿り着いた。そこは通りに面した店の様で、他の建物と違い造り的には少しばかり綺麗目に見える。入り口からは地下に続く階段が伸び、その階下は薄暗く先が見えない。


「酒場?」


 軒先には飲食店を示す記号が、木の板に描かれて下げられている。


 ロアでは店の種類によって記号が定められていて、飲食店は英語のWに似た記号が割り振られていた。その酒場の軒先は、見た目にも分かりやすく荒れている。一階部分の窓の木枠は全て壊されていて、さらにその中も滅茶苦茶だ。テーブルと思わしき残骸が横たわり、割れた酒瓶が彼方此方(あちらこちら)に飛散している。


【ここに降りて行ったんだ】


「本当にサンニアさんとネーネだったか?」


【うん。間違いないよ。ネーネお姉ちゃんはサンニアさんにおぶさってた】


 エンリケが階段の入り口の前をヒラヒラと飛び回る。


「行ってみるか……」


 訝しみながらカナメは一歩踏み出し、そして止まった。


「……エンリケ、障壁。シュレウスはエンリケに増強魔術。二人でくっついて離れるな」


【え?】


「早く!」


【わっ、分かった!】


【うん!】


 カナメの大声に、エンリケは慌てて厚めの障壁で自分とシュレウスを覆った。シュレウスはエンリケに寄り添い、増強魔術の光で自分とエンリケを包む。


「来るぞ!」


 突如、階段下から物凄い勢いで槍が飛んで来た。カナメは身を屈めて槍を躱し、ルファリスを腰の鞘から抜いて構える。


「誰だ!」


 階段の下の暗闇に吠える。返答は無かった。代わりにコツコツとブーツの踵を鳴らす音が聞こえてきた。それは複数。やがて暗がりの中からその姿を現した。


「イヒ、エヘヘへ、へへへ」


「わ、わわわわわわ我らけけけけ気高い者!」


「剣を持ってる!剣だ!剣を持ってる黒く無い奴は敵!」


「ごごごごごごご、ゴメンナサイとうさま!ゴメンナサイ!」


 それは黒い布で顔と体を隠していた。薄汚れた布だ。そして少なくても十人はいるだろう。皆がその容貌に似合わない豪奢な銀の短槍を構え、定まらない視線でカナメを捉えている。


「……エンリケ。あれ、マトモじゃないよな?」


【う、うん。ていうか、魔術の残滓がある】


 構えた姿のまま、カナメは注意深く観察する。


 落ち着きなく槍を上下に振る者。

 布越しに頭部をガリガリと搔きむしる者。

 首をガクガクと揺らしひたすら何かに謝罪する者。

 ブツブツと何事かを呟きながら、腰を左右に振る者。何処から見ても異常者の集まりだった。


「なんだこいつら……」


「我らのテェキィィ!」


 突然、黒布の集団の中から一人が飛び出した。力一杯に階段を駆け上り、短槍を突き出しながら一直線にカナメへと向かってくる。


「クソっ!なんなんだよ!」


 カナメはルファリスを構えると、上体を軽く反らして短槍を躱す。


「ゴメンナサイ!ゴゴゴゴゴ!」


 さらに後ろからもう一人の黒布が飛び出して来る。前に立つ一人を軽く飛び越え、銀の短槍を振りかぶる。


「なんだこいつら!」


 振りかぶった短槍をルファリスで受け止め、前蹴りでその体を引き剥がす。


「け、剣が敵! 槍は俺!」


「なっ!」


 カナメは信じられない物を見た。


「ギャア!痛いぃぃぃ!」


 突然、引き剥がした敵の腹を突き破り短槍が飛び出してきた。背後に控えていた者が、味方ごと貫いてカナメを攻撃したのだ。驚愕したカナメは慌てて半身で槍を躱した。


「いぃ!痛いぃぃぃ!」


「お、俺達が槍! 剣が敵で敵の剣!槍が槍!」


 躱された短槍を、貫いた仲間ごと振り回しながら、奇声をあげた。宙を飛び回る男は、痛みの声を上げながら手足を振り回している。


「エヘヘへ!へへへ!」


「高貴なる私! 光なる私!」


 二人の男が階段を駆け上り、同時に槍を突き出してきた。


「くっ!こいつら! 見たまんまだけどマトモじゃない!」


【カナメ!反撃しないと!】


【この人達怖い!】


 繰り出される刺突をいなしながら、カナメは隙を見て体制を低くし、ルファリスを横に薙いだ。狙うは足首と、アキレス腱。


 カナメの狙いは正確に、男達の足首を片方ずつ寸断した。勢いそのままに地上スレスレを屈んだままで半回転し、返す連撃で今度は太ももを断ち切る。


「あがぁ!痛いぃ!」


「ぎゃぁぁあ!!」


 切られた男達は、断ち切られた根元を構わず地につけ再び構えを取った。


「嘘だろっ!?勘弁しろよっ!」


 カナメの手に、嫌な手応えが残っている。

 感触自体は魔物の肉を切る時と変わらないが、本気で人を斬るのは初めてだった。酷い感触に思えた。


 カナメはあまり人を斬りたいとは思っていない。冒険者として活動する以上、いつかは人間と敵対する事があるのは理解している。そのため日頃から覚悟だけは持ち合わせていた。それでも殺さなくて済むなら殺したくないし、切りたく無い。だから普段は剣を抜刀しないようにしていた。

 まともな人間相手なら、最悪でも数カ所の切り傷で怯んでくれる。だが目の前の集団は、見た目も言動も、そしてその行動も一目で普通ではないとわかった。未だ短槍に貫かれたままの男など、痛みに泣きながら槍を振り回している。片足の足首から下を失っても、未だ戦意を保っている。

 傷や痛みなどではこの異常者達を止められていない。なれば命を奪わなくも、行動不能までは痛めつけなければならない。


「気分悪いなぁ!ぐっ!」


 その感触に眉をしかめて、カナメは振り下ろされた短槍をルファリスで受ける。


【カナメ!】


「お前達は先に下に降りとけ!ネーネとサンニアさんを見つけてくれ!」


 その様子を心配したエンリケに指示を飛ばす。黒布達の力量は大した物じゃない。槍術は未熟が見て取れ、連携も滅茶苦茶。仲間や建物の壁に槍が当たり、姿勢すら崩している。陣形も意識せず、防御すらマトモに取れていない。そんな集団にカナメが負ける要素がない。


【う、うん!シュレウス、行こう!】


【カナメっ!気をつけてね!】


 二匹の蝶が、男達を遠回りに避けて階段を降りる。その姿を見届けたカナメは深く息を吸い込み、ルファリスの刀身へ密度の濃い魔力を注ぎ込んだ。


「なんで襲ってきたか知らないけど、覚悟してんだろ⁉︎」


 カナメは真っ直ぐに男達の中心に突撃した。









【……なんか、いっぱい人がいるよ。エンリケ】


【僕から離れないで】


 地下へと降りた二匹は、突き当たった先に扉を見つけた。シュレウスは人の気配に怯えている。いつもは姉や兄の背後に隠れるエンリケが、その弟の様子を見て前に出る。

 シュレウスは末弟、しかもエンリケのすぐ下の弟だ。五色蝶の中でシュレウスを一番構っているのはリューリエだが、一番可愛がっているのはエンリケだった。この状況で、弟を守れる兄は自分しかいない。エンリケは魔力を体内で強く発しながら、シュレウスを庇う。


【あっ】


 重たい扉が、ゆっくりと開いた。

 二匹は息を殺し、動く扉と共に壁側へと移動する。


「私は騎士で国を守る騎士で国が私で」


「……王様になるんだ……なれば全部大丈夫なんだ……王様に」


「ロア貴族は偉大な血青き血は神に選ばれし存在ロア貴族は偉大な血青き血は神に選ばれし存在」


「あくばなやらたさなかあはまやかあらやまなあ……」


 黒装束の男達が、それぞれブツブツと意味不明な事を呟きながらゆっくりと出てくる。その数は七人。階段を登り、やがて先頭の男から次々と駆け登って行く。


【シュレウス、今の内だよ】


【う、うん!】


 重い扉がゆっくりと閉まる。

 その隙間を、エンリケを先頭に二匹は通って行く。


「あぁ…あぁぁ……」


「オイシイね?オイシイし可愛いね?」


【なんだこの人達……】


【嫌ぁ……気持ち悪いよぉエンリケぇ】


 扉の先には、沢山の黒布の男達がいた。

 壁に限界まで押しやられ、中央だけ人が一人通れるぐらいの幅ができている。様々な体勢で壁に詰められた男達は、顔を覆った布をはだけて、短槍の柄を一心不乱に舐めていた。


【怖いよぉ……】


【大丈夫だよシュレウス。お兄ちゃんがいるしカナメもすぐに来るから】


 怯えて震えるシュレウスにエンリケが寄り添う。天井部分のはりまで上昇し、枕木に止まった二匹はエンリケの魔術で薄い障壁を貼った。


「………まだ、外のヤツを殺せてないみたいっすね」


 部屋の奥から声が響いた。


【……サンニアさん?】


【奥?】


【……うん、そうみたいだ。天井に張り付いて見つからないように行こう。おいでシュレウス。お兄ちゃんから離れないで】


【うん……】


 奥から聞こえてきた声を確かめる為に、二匹はゆっくりと天井を飛ぶ。時々、はりに身を隠しながら、慎重に部屋の奥まで辿り着いた。


 辿り着いた先に、長机と椅子、そして寝台があった。そしてそこだけ黒布の男達がいない。いるのは寝台に寝かされたネーネと、サンニア、そしてサンニアと対面する黒衣の男の三人だった。

 サンニアは木製の机に腰掛け、対面する男と話しをしているようだ。


「ふん。どうやら手練れのようだな」


「面倒っすね」


「予定を早めるか。ここに残った人形共を全部出す」


「人形って、このイカれた奴らっすか?」


 サンニアが机から腰を上げ、ナイフを構えて黒布達の方向へと向ける。


「そうだ。時間をかけて狂わせた使い捨ての人形共だよ」


「こんだけの人数っすか」


「所詮使い捨てだ。ここに居る奴等はまだ一部に過ぎん。それより報酬だ。確認しろ」


 そう言って、男は何かをサンニアへ投げて寄越す。


「おっと……ん。確かに頂きました。んじゃ俺はここら辺で、お気をつけて」


 どうやら渡されたのは麻袋のようだ。口紐を解き。中身を確認したサンニアは薄く笑う。


「気をつけるのは貴様の方だ。無事に街から出られれば良いがな」


「生憎、誰よりも生き汚いんすよ。またの機会があっても呼ばないで欲しいっすね」


「心配するな。貴様なんぞすぐに忘れる」


「そりゃ助かるっす」


 そう言ってサンニアは懐に麻袋をしまい、テーブルを回り込む。


【サンニアさん……どういう事?】


【わ、わかんないけど、行っちゃうよエンリケ?】


【カナメが来るまで、止めとかないと!】


 エンリケがはりを離れて男の頭上へと飛ぶ。気づかれないように体内で魔力を練ると、サンニアと男を覆うように風の障壁を張った。


「……なんだ。これは」


 男が障壁に気づき、立ち上がる。


「……なんの真似っすか?俺も殺す気っすか?」


 サンニアはナイフを構え、腰を落とした。


「貴様の仕業か。邪魔立てするなら覚悟はできているんだろうな」


 男は身体を覆っていた黒い外套を翻し、腰に差した長剣を鞘から抜いた。


「ずっとおかしいと思ってたんすよ。俺の依頼主がコロコロ変わっているみたいなんでね。最初の馬鹿な結社ソサエティの奴等とあんたらはどうゆう繋がりっすか?」


「……賢しいクズ野郎だ。殺し屋風情が余計な事に気付いたようだな。お察しの通り、お前は間抜けにも雇い主とは違うヤツに娘を渡したんだよ」


「……舐めやがって」


 サンニアの目つきが釣り上がる。その形相はエンリケやシュレウスの知るサンニアと一致しない。


が高ぇんだよドブネズミ風情が。這い蹲れ」


 黒衣の男が横に剣を振るう。その軌道は余りにも早く、蝶達では目で追う事もできなかった。

 だが驚くべき事に、サンニアはその剣撃をナイフで受けている。


「へえ、そこそこの腕は持っているみたいだな」


 男の声は軽い調子だった。


「くぅっ!テメェっ……」


 サンニアの表情はより険しさを増していた。

 剣撃を受ける事が出来たのは、見えていたからでは無い。数えきれない人を殺め続けた、異常殺人者(シリアルキラー)としての無意識の反射が働き、奇跡のような偶然で防げていただけに過ぎなかった。

 サンニアの額に冷たい汗が伝う。理解したのだ。二度目の偶然は無いと。


【エ、エンリケ!どうしよう!】


【と、とにかく!ネーネお姉ちゃんを守らなきゃ!】


 より理解できなくなった事態に慌てながら、二匹は未だ剣とナイフを合わせる二人を避けて、寝台の上に眠るネーネの胸元に降りた。


【……ネーネお姉ちゃん、魔術で眠らされてるっ!】


【え!?】


 体内の魔力の異常に気付いたのはエンリケだった。感知したネーネの魔力に混じる、複雑な魔術痕。それが彼女の意識を鈍らせ、夢すら見ない深い眠りに落としていた。


【僕は防御術式を張り続けなきゃならないし、それ以外はあんまり得意じゃないんだ。だから、ネーネお姉ちゃんを起こすのはシュレウスの魔術しかない】


【僕の?】


【うん。タム様やアルヴァから教わったろ?増強魔術が一番効果を発揮するのは、身体の中や精神だって。シュレウスの増強魔術は姉弟の中でも一番上手だ。ネーネお姉ちゃんの目を覚ますのは、シュレウスしかいないんだよ?】


 不器用で、未熟なシュレウスに使える魔術は、現時点では増強魔術しか無い。

 増強魔術とは、筋力や体力、魔力といった力をわずかながら増幅させる術式の事だ。正確には状況や環境によって常に乱れる体内の流れを、外部からの魔力によって、整え戻して万全の状態にする術の事を指す。

 そしてそれは、精神や意識に作用する術式でもある。


 強く勇敢な姉や兄達を見続けたシュレウスは、自分の不器用さに気づきつつも愚直に一つの魔術を反復し、練習し続けていた。

 理想の自分に少しでも近づくために、決して自分が弱い事に納得しないために。その結果、シュレウスによる増幅魔術は他の術者が用いるそれとは、一線を画する物となった。

 ひとえにたゆまぬ努力と、飽くなき理想の追求の片鱗と言える。

 この術式を極める者が少ないのもあるが、その違いは単純にして明確だった。


 作用する効果が、余りにも違いすぎるのだ。

 並みの術者が用いれば、たとえば腕力がわずかばかり強まる程度や、走力がコンマ単位で縮まる程度しか発揮されない。

 だがシュレウスの増強魔術は違う。

 筋力に用いれば、細腕のリューリエが馬を片手で持ち上げる。

 脚力に反映すると、アルヴァが余りの早さに悲鳴をあげる。

 体力に用いれば、ヘレーナが半日草原を走破する。


 それは限界突破と言っても過言ではないほどの効果だった。

 初めて姉弟の目の前で披露した時は、リューリエは涙を浮かべて弟を撫で回して褒め称えた程だ。


【ぼ、僕が?】


【うん。シュレウスしかできないよ】


 おずおずと、エンリケを見上げる。今まで、シュレウスは戦闘や護衛で役に立った事は無かった。

 術式の欠点のせいだ。

 規格外の力を増幅するためには、多くの魔力を時間をかけて練り上げる必要があった。

 短縮して発動する事もできる。だがそれは普通の増強魔術より僅かに強い程度でしか効果を発揮しない。

 準備して、落ち着いて、集中して、気をつけて、ゆっくりと。

 そんな手順を段階良く踏まなければ、成功した事が無いのだ。


 シュレウスには自信が無い。

 姉や兄達の様にカッコ良く、綺麗に何かを成し遂げる自分が想像できない。

 だからもう一度、エンリケに問いかける。


【……僕、できるかな。お兄ちゃん】


【もちろん!僕の自慢の弟だもの!】


 その声は、揺るぎない信頼に満ちていた。

 シュレウスはまだ気づかない。

 リューリエが最も期待して、ヘレーナが最も褒め称え、アルヴァが一番自慢して、カナメが一番理解して、そしてエンリケが誰よりも愛しているのは、他ならぬシュレウス自身だという事に。


【……うん。うん!やる!僕、ネーネお姉ちゃん助けるよ!】


 赤い羽の幼き蝶は、この日から凄まじい速度で成長を始める。







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