邪悪が刺す
遅れてすみません。
逃げ惑う人々、燃え盛る建物。
王都フリビナルは今や混乱の渦中にある。
「ヤベェな……ありゃ骨人だ。なんでこんな街中に」
ダインは長剣を構えて、建物の陰から通りを伺っている。そこには夥しい数の魔物の姿があった。
西区画の公園広場に通じるこの通りでは、騎士や憲兵達が必死に魔物の群れと交戦している。
ここは王都の外壁からは遠く離れている。その通りまで魔物達の進入を許したのは、長いロアの歴史でも初めての事だった。
骨人。それは獣や人の骨が寄せ集められた魔物。一説では魔力の影響を受けた魔獣の死骸が核となり、怨嗟に濡れた骨を寄せ集めた存在。その殆どが朽ちた剣や槍などの武器を構えた人型の姿で、稀に狼や猪などの獣の骨も混ざった半人半獣の姿を持つ個体もいる。殆どが戦場跡などに出現する魔物で、それほど強い訳では無い。厄介なのは群れで出現する事だ。一体現れれば百体生まれるとまで言われ、継戦能力の乏しいパーティーをジワジワと全滅させる事で有名な魔物である。
「ダイン、アレを見て」
シノアが空を指差す。
燃える王都の炎に照らされた空には、人と同じ程度の大きさのトカゲが三匹飛び回っていた。
「翼竜達が集まってきましたね。やはり統率されているのでしょうか」
リナがそれを冷静に分析した。
骨と皮のみで痩せ細った姿を持つ、毒や腐食のブレスを吐く、竜種の中でも下位の竜だ。
その姿は竜と言うよりはヤモリに近く、先端に針を持つ尻尾や、頭部の鋭い角が特徴的だ。
「な、なんでこんなに魔物が」
「ヒステリア商会の噂は、本物だったようですね」
ミラの怯えた声に、リナは小さな声で答えた。
「ヒステリア商会?」
リューリエが怯えて震えるネーネの身を庇いながら聞き返す。
「ええ。その商会の名が聞こえた時、必ず一つの国で異変が起きると言われています。香炉の販路を探ってる時に辿り着いた名前です」
「随分と予想外な結果になったな」
何時もの澄ました表情で語るリナの言葉にダインが険しい表情を見せた。
ダイン達一行は、最初の爆発音から十数分後には第三練兵場を抜け出していた。
騒つく会場の雰囲気をいち早く察知したダインの指示で、混乱し逃げるタイミングを逃す前に会場を出て、北区画の王立劇場へと向かっている。
カナメとは、緊急避難先として劇場で落ち合う段取りを以前から打ち合わせている。
この場にいないのは国王との謁見中だったカナメと、いつの間にか姿を消したサンニアだけだ。
「カナメ、追いつけば良いけど。一人で大丈夫かしら」
リューリエが心配そうに第三練兵場の方向を向く。カナメの強さは疑ってはいないが、それでも目の届かない場所で一人で傷つく事を恐れているのだ。
「大丈夫よ。念の為にエンリケとシュレウスがついてるもの」
ヘレーナがリューリエの肩に手を置く。
試合会場がどよめき始めた時に、比較的動きやすい弟二人に、カナメへの伝言役を任せたのだ。
普段どおりに気丈に振舞ってはいるが、ヘレーナだってカナメの事が心配で堪らない。
ヘレーナは治癒術による結界を張っていた。翼竜の毒と腐食のブレスを緩和する為に、解毒と清浄の魔術を常に周囲にかけながら移動しているのだ。カナメの事は確かに心配だが、治癒結界の維持の為にも冷静でいなければならなかった。今はこのパーティーを守る事を優先しなければならない。
「それよりは、問題はこの骨人の多さだ。劇場に行こうにも先に進めやしねぇ」
「うん」
ダインの言葉にアルヴァが適当に頷く。
サンニアには及ばないが、アルヴァの警戒能力は高い。死角からの襲撃や、魔物との鉢合わせを防ぐ為に、いつも以上に気を張って周囲を伺っている。
「ダインさん、今なら行ける」
「わかった。リューリエは後ろを頼むぞ」
「任せて。ネーネ、大丈夫?」
リューリエが肩を震わせて怯えるネーネに気を使う。
「だ、大丈夫です」
弱々しい返答だった。
その顔は血の気が引いて青ざめている。
第三練兵場からこの路地に来るまでに、夥しい数の人の死体を目撃したのだから、それも仕方の無い事だ。
どうやら骨人の群は王都の外側から来ているらしく、大通りに来るまでは姿を現さなかった。
死体を量産したのは今も王都の空を迂回しながら飛ぶ翼竜だ。
毒と腐食のブレスを吐きながら、翼竜はあらゆる場所で死体を増やしていた。皮が爛れてグズグズと溶けた兵士や、人の皮膚とは思えないほど変色し悶え苦しんだ壮絶な表情の騎士の亡骸が今も傍にある。貴族達の邸宅が並ぶ高級住宅街や、北区画の貧民街はもはや壊滅状態である。
目の前には、区画門の憲兵や各屋敷の守衛などの死体が其処彼処に転がっていた。
「……姐さん。劇場のみんなは大丈夫かな」
イノがミラの傍で呟く。
「……護衛の冒険者さん達がいるから、大丈夫だと思いたいわね」
「畜生、なんだってこんな事に」
ミラはクマースに抱きかかえられながら震えていた。青ざめた顔をしながら空いた片方の手はネーネをしっかりと掴んでいる。一介の芸人でしか無い彼らには、ダインやリューリエ達、冒険者のようには振る舞えない。身を守る術を身につける暇なんて芸に生きる彼らには無かったのだから。
ダインにしたって、繁栄と安全を誇っていた王都の突然の騒乱に、未だ頭が追いついていなかった。建国以来、どんな規模の戦が起ころうと王都は必ず守られてきた。ダインにとっても想定外の襲撃なのだ。
一行は警戒心を強めながら、人と魔物の死体を避けて先へと急ぐ。
骨人の視界を掻い潜り、翼竜のブレスをヘレーナの治癒結界で緩和しながら一行は北区画門へと辿り着いた。
北区画は王立図書館や王立公園、さらには王立劇場等を構えたフリビナルでも一番大きな区画である。高級住宅地や店舗などが多く存在している。
王城へと続く通りでは騎士や憲兵、更には魔術士達が魔物と剣や槍を打ち合わせている。
「治癒術士はいるか! 誰かこいつを助けてやってくれ!」
「くそっ!数が多いっ!」
「痛ぇ……痛ぇよぉ……」
「しっかりしろ!」
「うわっ!うわああああ!」
「援護っ!援護を頼むっ!何やってんだよ魔術士!」
「頼むよ!術の構築の間は敵を近寄らせないでくれ!」
「弓兵はまだかよ!屋根に登れよっ!」
「屋根の上じゃあのトカゲにやられちまうんだよ!」
「小隊長がやられた!誰か指揮を!」
戦場は混乱していた。比較的広い通りとは言え、それでも建築物に挟まれた雑多な場所だ。戦闘経験の乏しいロアの兵士や騎士では、地形を考慮した戦術を組む事が出来ていない。もちろん彼らだって訓練を怠った訳では無い。目の前の実戦と普段の訓練のギャップに追いつけていないのだ。翼竜がいなければあるいはまだ体裁が取れていたかもしれない。地上には千を超す大量の骨人。空には三匹の翼竜がいる。弓兵や魔術士が高所からの狙撃や援護をしようにも、平屋の続く通りでは二階程度の高さの屋根に登るしか無い。登れば登れたで翼竜にその姿を無防備に晒す事になる。混乱した彼らの取れた唯一の行動は、愚策にも盾兵を前面に出しての防衛戦しかない。
並んで盾を構える盾兵の隙間から槍を構えた騎士や兵が骨人を攻撃し、ようやく前進すれば剣を構えた騎士が捨て身の突撃をする。戦の素人から見ても下策なのは間違い無かった。頭上の翼竜への対抗策を全く考えていない。
「なんて阿呆な戦いをしてやがる……。頭を抑えられてるって自覚がないのかよ」
ダインが呆れと絶望の含んだ声で嘆く。区画門の守衛室。そこにネーネやミラ達を押し込み、突破の機会を計っていた。
だが形勢は確実に魔物有利。このままでは劇場に辿り着く前に、骨人らに攻め込まれてしまう。
「ダインさん。翼竜を先に倒した方が僕達も安全だよね」
空のトカゲと地の骨を見比べていたアルヴァが、ダインに問う。
「そうだな。兵士達に任せてたら完全に手遅れになっちまう。やれるか?」
「大丈夫。本当はカナメが居た方が確実なんだけど」
アルヴァはリューリエを見る。
「僕とリューリエの魔術で翼竜を落とすから、止めをダインさんとシノアさんにお願いしたいんだ」
「そうね。少し威力も見た目も派手な魔術になるけど、ここまで壊れてたら関係無いわよね。街の人の避難先ってどこかしら」
リューリエは頷いて、周囲を伺う。
「ここら辺の人だと、公園広場が避難場所だと思うわ。あそこなら広いし、劇場も作りは硬いから」
シノアが答えた。
シノアの得意な属性魔術は風と水。
元々、風の属性を強く持つ翼竜には相性が悪い。動きさえ止めれば翼竜を仕留める事など容易いが、その動きを捉える事が難しい。
「そこなら被害は無さそうね。アルヴァ、大きいの打つからその間は任せたわ。ヘレーナは治癒結界の維持をお願い」
「うん。任せて」
「ええ、気をつけてね」
姉弟の顔をしっかりと確認し、リューリエはアルヴァを連れて守衛室のある門柱の反対側へと駆ける。
二対ある門柱の一本には木製の梯子が立てられていて、門の二階へと繋がっていた。
アルヴァが先に梯子を登り、リューリエが後に続く。
区画門の二階部分では、憲兵達が矢襖を立て、弓を射ていた。
「な、なんだお前ら!」
指揮をしていた憲兵がアルヴァの姿を見て怒鳴る。
経験不足からくる怯えを隠さずに、彼らはワタワタと混乱していた。
「冒険者です! 空の翼竜を落すから、その間協力して下さい!」
「な、何を言ってるんだ! あんな早く動く翼竜をどうやって!」
「うるさい! 」
アルヴァの言葉に反論仕掛けた憲兵を、リューリエが一喝して制した。
「黙って矢を放ってて! アルヴァ、いける?」
「任せて。大河の時とは違うってところ、見せてあげるよ!」
そう言ってアルヴァは壁に立てかけられていた矢筒を蹴り、地面に矢をばら撒いた。
憲兵達が困惑しながら止めに入ろうとするが、アルヴァの身体を魔力光が包むと怯えてその動きを止めた。数十本の矢に手をかざし、魔力を練る。
「僕が翼竜を撹乱して、一箇所に誘導するから、リューリエはそこを突いて」
「ええ。任せなさい」
アルヴァの手に纏わりついていた魔力光が、次第に矢へと移っていく。
一瞬眩しく光り、数十本の矢は次々に宙へと浮いていく。
「準備はいい?」
「大丈夫よ」
アルヴァは跳躍し、区画門の屋根へと飛び乗った。すぐさま翼竜の一匹へと両手を突き出す。
「行け!」
アルヴァの言葉と共に、矢は一斉に上空へと飛んでいく。
真っ直ぐ上昇した矢の群れは、かなりの速度で直角に曲がり、一匹の翼竜目掛けて襲いかかる。
突然の矢の襲来に驚いた翼竜は体をよじって翻し、地面に急降下した。もう一匹の飛竜がそれに気付き、距離を取ろうと身体を反転する。
「甘い!」
突き出した左手のみを下に振り下ろす。すると矢の一群が二手に分かれた。
半分が奥を飛ぶ翼竜へ、半分が地面に逃げる翼竜へと矢の群れは飛んでいく。
アルヴァが得意とする『動かす』魔術。
精密コントロールと、意識の分割による複数操作。それがアルヴァの求める戦闘スタイルだった。
炎鬼や炎盾小鬼との戦いでは、大岩を一つしか操れなかった事でリューリエの負傷を許してしまった。
冒険者パーティー『五色の蝶』での自分の役割は、撹乱と分析だとアルヴァは考えている。
先陣を切って場を乱し、そして整え、カナメが切り込んで戦力を削る。エンリケが防御魔術でリューリエを守り、ヘレーナがそれを魔術格闘によって補佐し、タイミングを見計らったリューリエの属性魔術で一気に殲滅する。
それが『五色の蝶』の最も適した戦い方であった。最悪どこかでその段取りが崩れていても、リューリエには近接攻撃の手段があるし、ヘレーナの治癒術ならかなりの怪我も瞬時に治せる。ならばアルヴァが担当すべきは、先手を打って戦場を分析し、次の手を打つ姉弟やカナメを動きやすくする事だ。その分析が正確であればあるほど、リューリエやヘレーナへの負担が軽くなる。
「どうだっ!」
双方向に動く両手に合わせて矢が縦横無尽に王都の空を飛ぶ。その速度は徐々に増していき、翼竜らはブレスを吐く事すら忘れて逃げ回っていた。普通の矢では無い。アルヴァの魔力を纏った貫通力の高い矢である。野生の魔力感知を持つ魔物は本能でその危険度を知覚する。現状、捕捉しているのは二匹。翼竜はあと一匹残っている。
現在アルヴァが余裕をもって操作できるのは二つの物体までだ。数十本の矢を一つの物体と捉え、それを半分にする事で『二本の矢』と無理矢理認識する事で、大量の矢の操作を可能としている。
だけどこれではもう一匹の翼竜に対応出来ない。しかしアルヴァには奥の手がある。
アルヴァの集中力が増していく。いつの間にか背後に立っていたリューリエが目を閉じて魔力を練りだした。
魔術には二通りの発動方法がある。
一つは精密発動。
魔力を練るところから発動までを細く構築し、術士にとって最高の威力と精度を獲得する方法。
もう一つが短縮発動。
その魔術の名称によって記憶していた構築術式を、名称の発声により比較的短い時間で構築する方法。
リューリエが好むのは精密発動だが、現状のような時間の無い戦闘の場合は短縮発動が必要となる。
魔術名と構築術式をリンクさせて術式を簡略化するのもまた高度な技術と修練を必要とするが、精密発動に比べるとどうしても術の完成度が低くなってしまう。魔術とは用途に応じた細かい術式構築と構造理解が求められるものなのだ。
やがてアルヴァの操る二群の矢の中から、もう一方へと飛んでいく群れが現れた。その群れは遥か後方の最後の翼竜へと飛んでいく。
三匹の翼竜が、風と煙を切りながら王都の空を逃げ回る。驚異的な集中力で、三方向の矢の操作をするアルヴァ。額には玉のような汗が滲んでいた。
区画門の守衛室前にいたシノアは信じられない物を見ている。
「あ、あんな沢山の矢を、それも三匹の翼竜相手に……ど、どうやって」
これがアルヴァの奥の手。自動追尾である。
アルヴァは視界で捉えた二匹の翼竜への矢の群れの操作と、五感感知によるもう一匹への自動操作を同時に行っていた。
アルヴァの優れた観察眼と感知能力により、三つ目の矢の群れはアルヴァの意識外の翼竜を俯瞰で捉えている。
ギリギリの操作ではあるが、五感に優れ、更に魔力操作に秀でたアルヴァだからこそできた魔術である。
「リューリエっ!行くよっ!」
「ええっ!」
やがて追い詰められた翼竜らが一箇所へと誘導される。
「今だっ!」
「みんな耳を塞いで目を閉じてっ!」
リューリエの大声は階下の守衛室まで届き、ダインとシノアは慌てて指示に従った。
遅れたのは芸人達と憲兵や騎士達だ。
宙を舞う矢の群れに圧倒されていた彼らは、その所為でリューリエの指示を聞き逃し、ダイン達の所作につられて耳を塞ぐ事しかできなかった。
ヘレーナがそれを見て、慌てて正面に防音効果と遮光効果のある魔術障壁を展開した。
「『地射す雷槍』っ!」
リューリエの言葉と共に、目も眩む瞬光が瞬き、かなり遅れて耳を劈く甲高い音が王都に鳴り響く。
リューリエの魔術により発生した力場から、稲妻が三筋、地面へと刺さった。
人に認識できない速さで三匹の翼竜を雷光に包み、身を一瞬にして焦がしていた。
焦げて煙を上げる翼竜らがくるくると回りながら落ちていく。次いでアルヴァの操る矢の群れがその体を次々と突き刺していく。
「ダインさん!」
ヘレーナの声が響く。
リューリエの制御下にある雷属性の魔術は、実際の稲妻と比べて音が小さく光量が低かった。
それでもその音に驚いたダインが、ヘレーナの声で我に帰るのに数秒の時間を要し、慌てて剣を構え区画門を出る。
同じ様に反応の出遅れていたシノアが、ダインの後を追う様に走り出す。
勢い良く地面に落ちた翼竜は全身を強打し、のたうち回っていた。それでも生きているのは、竜種としての生命力の強さのせいだろう。
すぐさま追いついたダインが上段に構えた剣を振り下ろし、一匹の首を刎ねた。
短い断末魔の声を上げ、翼竜は絶命する。
シノアもまた少し遅れて、魔術による熱風の刃を数発放ち、翼竜の首と胴体を切り裂く。
傷の痛みと熱さで悶える翼竜がジタバタと最後の抵抗を見せたが、やがて突然その首を地に落とし、動かなくなった。
最後の一匹はヨロヨロと立ち上がり、煙が上がるその灰色の翼を広げ、再び王都の空を飛ぼうと跳躍した。
「させるかっ!」
区画門の屋根の上に立つアルヴァが、腰の短杖を右手で取りだして構え、更に魔力光を強めた。
短杖から発する魔術が、周囲の瓦礫や木片をかき集め、大きな塊となる。
大河の眷属から譲り受けた『引き寄せる杖』と銘打たれた魔杖。その能力は指定した無機物を寄せ集める事だ。アルヴァの持つ幾つかの魔杖の一つであり、事前に魔力を溜め込む事で瞬時に発動するタイプの魔道具だった。
「落ちろっ!」
一軒分の家の木材を丸めた塊が、アルヴァの魔術の制御下の元で翼竜へと降り落ちる。
傷ついた翼竜は逃げる事も出来ずにその下敷きとなり、潰れた塊からはみ出た翼はピクリとも動かなかった。
「おし!空は抑えた!弓兵は上がれ!」
ダインの言葉に、今まで唖然とその光景を見ていた憲兵の一人が我に帰り、振り返る。
「弓兵と魔術士は屋根に登れー!盾兵は一度後退!骨野郎を魔術の効果範囲まで引きつけろ!」
「騎士は盾兵を守れ!決して前には出るな!まずは防衛線を再構築する!」
憲兵や騎士の指揮官の一声で、兵士達は次々と立ち位置を変えていく。
乱雑に引かれていた防衛線が、ゆっくりと綺麗に整えられていく。
「ダインさん!まだ翼竜のブレスが消えてないから、負傷者はここに連れてきて!他の治癒術士の方々はここを拠点にしましょう!」
ヘレーナが区画門の詰所からダインに提案する。
「わかった!」
ダインが頷き、まだ息のあった負傷者を見つけると抱き抱えて走る。
「頑張れ!今助けてやる!」
「あ、あああ、ありが、とう」
息も絶え絶えのその兵士は、青ざめた顔でダインへと礼を告げる。どうやら毒のブレスに充てられたらしく、身体を細く痙攣させていた。
「ヘレーナ!頼む!」
「ええ!」
区画門の屋根の上では、アルヴァとリューリエ、そして急いで登ってきたシノアが魔術で騎士達をサポートしていた。
防衛線が整えられた為に、今まで兵士達がいた奥の方の骨人への魔術が解禁された。味方を巻き込む心配さえなければ、リューリエの属性魔術がその猛威を遺憾なく発揮できる。
「『溶かし燃やす業火』!」
リューリエが最も得意とする火の属性魔術が放たれる。
属性魔術であるならば満遍なく扱えるリューリエだが、その中でも火の属性は彼女の魔力特性に最も適している。五大素の中でも、火の属性魔術は容易に魔素を増幅する事ができ、更に威力に優れている。風の属性と並んで対魔物に適した属性魔術と言われている。
リューリエの放つ火の属性魔術が、骨人達を飲み込む。
『溶かし燃やす業火』は、土の属性魔術との混成魔術だ。
高温に熱した岩や土砂を生み出し、まるで柔らかい粘土の様な流体の炎で相手を包み込む。やがて熱されたそれらは対象ごと溶かし尽くす。
痛覚が無く怪我に怯む事なく進軍し、硬い骨しか無い骨人を滅するには適した魔術だろう。
次々とマグマに似た炎に飲み込まれる骨人。その猛威からかろうじて逃れていた数体に、アルヴァが操る瓦礫が降り注ぐ。
「リューリエ!もうちょっと遠くを狙わないと、兵士さん達も巻き込むよ!」
「そんなヘマはしないわよ!シノアの魔術で抑えて貰ってるわ!」
「リューリエっ!ごめんなさいっ!これ以上だと私では無理よっ!」
流体の炎が最前線の盾兵達に届かない様に、シノアが風の魔術を強く吹き込み、防衛線の先へと炎を流していた。
周りの建物への被害も考えて、通りの中心に集める様に操作している。
風に煽られた炎は勢いを増して、燃やされている骨人達は次々と溶けて消えていく。
「す、すげえ」
「あ、あれは誰だ?」
「冒険者なのか?二つ名付きか?」
「お前らっ、ボサッとするな!彼女達のおかげで前線が押し込める!」
その光景に呆気に取られた兵士達が、指揮官の喝で一斉に動き出す。
「おおおおっ!押し込めぇっ!」
「おりゃあっ!」
「押せ押せっ!」
騎士達が槍や剣で活路を開き、弓兵や魔術士達が左右の建物の上から突出した骨人を一体ずつ仕留めていく。
盾兵がラインを崩さずに強引に進んでいった。
リューリエとシノアはそのラインに合わせて炎を移動させている。
「もう少しで十字路を割れる!そうすりゃ城壁も近いぞ!」
「公園広場の隊とも合流できる!まずは北区画を取り戻すんだ!」
目に見えて兵士達の動きが良くなっていく。
終わりの見えない防衛戦が、殲滅戦へといつの間にか変わっているのだ。モチベーションが変わるのも当然だろう。
「ヘレーナさん。周囲は任せて下さい」
リナが脇道から溢れた骨人を、鞭で絡めて振り回す。
勢い良く壁に叩きつけられ、バラバラになった骨人を憲兵達が慌ててトドメを刺す。
「ダインさん!そこの人も生きてるわ!」
「おう!」
ダインは憲兵を数人引き連れて、周囲を警戒しながら負傷者を集めていた。
集められた負傷者をヘレーナは驚異的な速度で治癒していく。
兵団に属する治癒術士達は、いつの間にかヘレーナの補佐へと回っていた。
芸人達四人も、治癒を終えた者を壁際に移動させたり、怪我の具合を見るなどといった作業に回っている。
「シノア!アルヴァ!あそこの建物、一番高いわ!手伝って!」
「ええ!」
「わかったよ!」
やがて防衛線は大通りに面した十字路まで前進していた。
市場のど真ん中を通るその十字路は、公園広場へ向かう北通り、住宅地へ向かう西通り、城壁へ向かう本通りに分かれている。
その真ん中には、北区画のシンボルである、青銅の大鐘楼がそびえ立っていた。
高さは他の建物より頭四つほど高く、遠くを見渡せる。
魔力で増強した脚力で建物の屋根を飛び回り、リューリエ達は大鐘楼入り口へと辿り着いた。
建物の凹凸を利用して一気に最上階まで跳躍し、眼下を見渡す。
王都の四分の一を見渡せる大鐘楼の最上階。それほどフリビナルは広い。所々に煙が上がっているが、翼竜が倒された事で、各区画でも情勢を整える事に成功した様だ。
兵士達の雄叫びが響いている。場所によっては勝どきの声も上がっていた。
「シノア!行くわよ!」
「ええ!」
リューリエとシノアは魔力を練り出す。
アルヴァはその間も、瓦礫などを操り骨人を仕留め続けていた。
大きな魔力の流れがリューリエを中心に吹き荒れる。シノアの魔力がその流れに巻き込まれる様に追随する。
やがて魔力自体が渦を巻く風となり、そして緑の竜巻となる。暴風の渦は大鐘楼の上空で不自然に停滞していた。
アルヴァがその竜巻に瓦礫を放り込む。
「「『風牙』!!」」
リューリエとシノアの声に合わせて、緑の竜巻が十字路に向かって突撃した。
十字路中央に急降下する竜巻は、通りに合わせて三方へと枝分かれする。
リューリエが作り出し、シノアが整えた風の魔術はアルヴァによって破壊力を増し、さらには三人によって操られている。
暴風は三つの通りを埋め尽くす骨人共を蹂躙していく。
自然の風ではありえない動き。指向性を持った『横』に走る竜巻は、次々と魔物を粉々に砕いていた。
元々は、リューリエによる魔術理論を学んだシノアの発案で生まれた合体魔術だ。
咄嗟の判断でアルヴァも加わり、その威力はシノアの想像を遥かに超えた。
高い魔力を持つリューリエによって只々大きく作られた竜巻が、シノアの魔力によって凝縮され、アルヴァの放りこんだ瓦礫が殺傷力を跳ね上げる。さらには先程リューリエが放った『溶かし燃やす業火』と同様に、三人が分担して効果範囲を絞り込み、リューリエとアルヴァにより操られた竜巻は、兵士や建物を傷つける事なく、まるで生き物の様に骨人らのみを薙ぎ倒していた。
「えええ……」
「なにあれ」
「すげえ」
「う、美しい……」
「ど、どこの結社の秘伝魔術?」
「う、ウチでは無いな」
「私の所でも無いわよ。あんな魔術があったら、総帥がドヤ顔で披露してるわ」
その魔術の複雑さと有用性に気づいた魔術士達が、思い思いに驚いていた。
「ヘレーナ!こいつもだ!」
未だ区画門で負傷者の対応をしているダインやヘレーナ。
徐々に手隙となった兵士達も加わり、救助は着々と進んでいた。
ヘレーナによって助けられた兵達も、軽症の者は細々とした作業を手伝っている。
救護場となった区画門の守衛室は人で溢れ、ヘレーナはネーネを連れて入り口で負傷者の対応に当たっていた。
「ヘレーナさん!この方で、今の重傷者は最後です!」
「ネーネはリナさんと一緒にいなさい!」
突発的に兵達の救護をする事になったが、一行の目的はネーネやミラ達、芸人の護衛である。
「で、でも!黙って見てるなんてできません!」
「ミラさん!ネーネを連れて行って!」
治癒に追われたヘレーナは、ネーネへの説得をすぐに切り上げ、ミラに委ねた。
「ネーネ、気持ちは分かるわ。でもこれ以上はやめときましょう」
「そうだネーネ。狙われてるのはお前かも知れないんだ。リナさんの後ろにいよう」
ミラとクマースが説得に回る。
「でも、でも、こんな」
青ざめた顔で周囲を見回す。
助かった者達が壁にもたれて休んでいる。
だが、助からなかった者達も当然いた。
ヘレーナの処置が追いつかず、その間に息を引き取った兵士が、少なく無い人数、守衛室の外に並べられている。
「ネーネ。しょうがねぇんだ。俺たちじゃ何もできない。奥で助かった人達を休ませよう」
「に、兄さん!だって、あそこにはまだ生きてる人達がいるかも知れないんですよ!」
区画門の後方には、少し離れた通りの戦場が見える。
そこはウェルフェンが駆けつけた事により戦局を覆し、今は王都中央通りの奪還に向けて兵達が動いていた。
それでも被害は尋常では無く、翼竜のブレスによって中途半端に生かされた兵達が倒れている。
ウェルフェンの指示で救護の治癒術士が動いているが、この区画門程の成果を得られていなかった。
圧倒的な被害故に、治癒術士の数が不足しているのだ。
ヘレーナ程の治癒術士はそうはいない。
一般的な治癒術とは、切り傷や擦過傷などの体の表層を癒す術の事を言う。
それ以上の重傷になると、複数の術士が手順と手間と時間を掛けてようやく行える術式である。
ヘレーナの様に、切断しかけた四肢を繋ぎ合わせたり、貫かれた肉体や臓器を復元できる術士の事を、大治癒術士と呼ぶ。そしてそれは広い王国ロアと言えども、ヘレーナを抜いて二人しかいない。
そもそも治癒術士はその殆どが神職に携わっている為、軍や騎士団に専門的に属する者は少ないのだ。
例外的なのが冒険者であるが、組合に属する治癒術士は副業の意味合いが強く、教会や神殿が組合の要請に応じて派遣したり、冒険者の傍に副業として嗜む程度で、専門的に学んでいない者が大半だった。
「ほ、ほっとけないです。見捨てられないですよぉ」
ポロポロと涙を零しながら、ネーネはクマースに縋り付く。
「しょうがないんだ。ネーネ。しょうがねぇんだよ。あそこまで行くには、ダインさんやリナさんの手助けが必要だ。ここの人達だって、まだ全員助けられて無いんだよ。俺たちじゃどうしようも無い」
倒れた兵達の生存確認や、怪我の程度などを見るのに、手の空いた兵士達が手伝っている。とはいえ、まだ戦場は動いている。
リューリエ達の魔術により、損耗率は下がったが、これが通常の戦で、マトモな指揮官がいるならすでに兵を撤退させている。
それほど被害は広がっていた。
だがここは王都であり、王城への最終防衛戦。
さらには、各区画の避難所には民達が大勢避難しており、貴族達の勝手な振る舞いによって兵達も分散されていた。
この騒動に、撤退は許されないのだ。戦場を放棄するという事は、ロアという国の崩壊を意味していた。
「俺が行くっすよ。ネーネさん」
「サンニアっ⁉︎ テメェっ!今までどこにいやがった!」
突如現れたサンニアに、ダインの怒号が飛ぶ。
「すいません。知人と話し込んでたらはぐれたっす」
申し訳無さそうな顔をして、サンニアは頭を下げた。
「ネーネさん、俺が護衛するっす。幸い、こことあそこの間はもう殲滅が済んでるっす。仮に魔物が出たとしても一匹や二匹、俺でも大丈夫っすから」
「ほ、本当ですか⁉︎ 」
涙を浮かべたまま、ネーネは喜ぶ。
「うっす。本当っすよ。何人かの兵士さんを連れて急ぎましょう。今も苦しんでる人がいるっす」
「待ってください。なら私とサンニアさんで行きましょう。ネーネさんが行くことは許可できません」
リナが裏通りから出てくる骨人を鞭で引きずりながらサンニアを呼び止めた。
「いやいや、リナさんはここを守って欲しいっす。俺より防衛戦が得意なの知ってるっすよ。俺の得意分野は対人護衛と哨戒っすから」
「しかし」
「ほら、他にも兵士さん達が来てくれるっす。心配いらないっすよ」
そう言ってサンニアはネーネの手を引き、区画門を出る。一連の口論を聞いていた兵士達が慌てて後を追った。
「あっ!」
慌てて後を追おうとするリナに、建物の脇から現れた骨人が襲いかかる。即座に鞭を振り下ろし、骨人の構えた剣を弾き飛ばす。
「サンニアっ!俺も行くぞっ!」
ダインがネーネとサンニアの後を追って駆け出した。
「ダインさん!お願いします!」
「ああっ!リナはヘレーナと他の芸人達の護衛を頼むっ!」
兵士達と通りを進むサンニアとネーネに追いついたダインは、剣を肩に担いだまま周囲を警戒する。
「ダインさんも心配性っすね」
「当たり前だ。今の状況を見りゃ、何が起きてもおかしくは無いからな」
何事もなく目的地である通りに辿り着いた。数十人の騎士達が地に伏し、治癒術士達の手当てを受けている。
「おい、区画門を拠点にしてんだ。あそこなら凄腕の治癒術士がいる。手の空いてる奴らで怪我人を運ぶのを手伝ってくれ」
「わっ、わかりました」
指揮を任された年若い騎士が頷いた。
「ダインさんっ!この人を先に!」
ネーネが一人の兵士の側に駆け出す。そこには腹を剣で貫かれた兵士が、大量の血液と共に倒れていた。すでに虫の息ではあるが、ヘレーナの腕前なら助かる可能性が出てくる。
「わかった!サンニアっ!お前は周囲を警戒しながら護衛に」
「無理っす」
「な⁉︎ 」
ダインの腹を、剣が貫いていた。
「サ、サンニア……さん?」
その剣はサンニアが持つ剣だ。ネーネはその光景を唖然と見つめていた。
「わざわざ出しゃ張るから、死ぬハメになるんすよ。ダインさん」
「サ、サンニアっ……テメェっ!」
「もうコソコソする必要無いっすから、この嬢ちゃんは貰ってくっすよっと」
勢い良く剣を抜き、地面へと投げ捨てる。
「ぐぅっ!」
「え、えっ?」
痛みを堪えるダイン。
サンニアは困惑するネーネの肩を抱き寄せ、懐から出した鈴を耳元で鳴らす。
「ほーら。『眠りの鈴』っすよー。怖くないっすよー」
軽い調子でネーネに語りかける。
「サ、サンニアさん!何を……し……て……」
抱き寄せられたネーネの頭が急に落ちる。
「はぁっ!はっ!サンニ、アァ!」
「今までありがとうございました。心配しなくてもその傷で死ねますから。アノスさんに宜しくっす」
猛禽類を思わせる瞳を歪ませ、口元を三日月の様に曲げてニヤけるサンニア。
銀髪の髪は炎に照らされ、怪しく光り輝く。
「本当なら死ぬまで見てたいんすけど、時間が無いんで行かせて貰うっす。いやー。カナメさんが居ない上にあの姉弟から嬢ちゃんを引き離すなんて、ありがたくてありがたくて。シノアも殺してやりたかったすけど、贅沢は言えないっすね」
そう言いながら、サンニアは忙しなく動く兵士達の中に消えていく。
「待てっ!サンニアっ!この野郎っ!サンニアァー‼︎」
腹を押さえたまま、ダインは叫ぶ。
体内の魔力を傷へと集め、止血の術式を組む。だが何かに阻害されて術が働かない。
「ダインっ!ダイン⁉︎ どうしたの⁉︎ 」
リナからの要請でネーネ達の後を追ってきたシノアがダインを見つける。
慌ててダインに駆け寄る。驚いたのはその血の量だ。ベテランの冒険者であるダインは、自身に対しての救急措置を幾つか身につけていた筈だ。
もちろん止血の術を使っている所も見た事がある。しかし今のダインは傍目から見ても、命が危ない量の血が流れている。
「シ、シノア……サンニアだっ!野郎が裏切りやがった!いや、最初からあいつは敵だったんだ! ネーネが連れて行かれたっ!」
「何を言ってるの⁉︎ そんな、まさか。だって」
倒れかけるダインを抱えて、シノアは周囲を見る。
未だ混乱収まらぬ通りでは、兵士達が右往左往していて、どこにもサンニアとネーネの姿は見つけられない。
「とにかく、まずは貴方の怪我を治さなきゃっ!ヘレーナのところに連れて行くわ!」
「くそっ……駄目だ……傷に魔力が通らねえ……何でだ……あの剣には魔術なんてかけられてなかったのに……ぐぅっ」
「魔傷なの⁉︎ 酷い血の量よ!喋らないで!」
よろめくダインを抱えて、シノアは区画門へと急ぐ。
「や、野郎……初めから仕組んでやがったんだ……この仕事……持ち込んできたのも……サンニアだった……」
「ダイン!お願い喋らないで!」
「ア、アノスを囮にした……のも考えたら野郎だ……ちくしょう……馬鹿にし……やがって……」
腹を押さえ、血を吐きながらダインは呻く。シノアが支えるダインの身体から、徐々に力が抜けていく。
「ちく……しょう……サン…ニアァ……………………」
「ダイン⁉︎ お願いダイン!返事をして!ダイン!ダイン!」
ダインがシノアに声をかける事は、もう二度と無い。




