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神話の扉を開ける音

「カナメ!聞いてるの⁉︎」


「あっ、悪りぃ」


 リューリエが頬を膨らませて問い詰めてくる。

 上の空で話半分だったカナメはその声で我に帰った。


「……どうしたの?」


 カナメより頭一つ背の低いリューリエが心配そうに見上げていた。


「あ、いや、なんでもないよ」


「奉納試合、心配なの?」


「あ、ああ大丈夫だって、ほら行こう?」


 第三練兵場の入り口付近は、大勢の観客達で賑わっている。

 今日は奉納試合の最終日。本奉納の日である。

 伝統ある狩猟祭。風の神アシューに感謝を捧げる儀式として、勇敢なる戦士の闘いを奉納する。

 本来は狩猟の神であるアシューと、その大神である風と戦の精霊神ノジェ・ノースのイメージが混ざりあったその催しは、かつてアシュー教を興した人間達の勘違いと辻褄合わせでできた祭だった。


 本奉納は、八名の出場者からなるトーナメントだ。

 平民予選から四名。軍属予選から四名。

 合計七戦行われ、優勝者は莫大な賞金と名誉。そして国王への謁見が許される。


「カナメさーん!」


 人混みの中から、ネーネが大声を上げた。


「カナメ、ネーネ達が来たわ」


 いつものようにカナメの左腕を抱いたヘレーナがその方向を指差す。


「ダインさんとシノアさんもいるね。あ、珍しい。サンニアさんもいるよ?」


 身長の高いアルヴァからは、向かってくるネーネ達の姿が良く見えるようだ。


「おはようございますカナメさん!」


「おはようネーネ」


「リューリエさん達もおはようございます!」


「ええ、おはよう」


 次々と挨拶を返すネーネ達の姿を見ながらも、やはりカナメはどこか上の空だ。


「なんだカナメ。緊張……してるって感じじゃねぇな」


「昨日からこうなの。一人で奉納試合を見に行った後からだわ。もう」


 その様子を茶化そうとしたダインはカナメの様子を訝しんだ。

 リューリエが呆れながら言う。


「……カナメ、大丈夫?」


 カナメの頬を撫でるヘレーナ。

 前日の夜、奉納試合の観戦から王都の借家に帰ってきたカナメはずっと静かに何かを考え込んでいた。


「…ダインさん」


「なんだ」


 頬を撫でるヘレーナの手を取り、カナメはダインに向き合った。

 その表情はどこか険しい。


「ウェルフェンって人に会いました」


「ん?ああアイツに会ったのか?なんか言われたのか?」


「宣戦布告を」


 その言葉に、出店で買った料理の大皿を抱えたミラが驚く。


「『縦割り』ウェルフェンって言えば、この国の子供達の英雄だし、うたや物語にもなってるわ。ウチでも何回か公演してるほどよ?」


「前回のお祭りは中止になっちゃったから、今回の奉納試合が初めての出場なんです。うちの団員にも好きな人いますし、優勝はウェルフェン副団長だってみんな言ってました」


 答えると、続いてネーネも頷いた。


「平民から騎士爵を授かり、あっという間に準男爵にまでなった人っすね。その剣の腕はかなりすごいっす。城壁と同じ大きさの岩の魔獣を真っ二つにした事から、ついた二つ名が『縦割り』ウェルフェン。王都最強の第七騎士団の副団長っすよ」


「凄い人に目をつけられちゃったね。やっぱカナメは強いんだよ」


「何よ!カナメの方が強いに決まってるわ!」


 サンニアとアルヴァがそう言うと、リューリエが腕を組んで、その慎ましい胸を張った。


「……わかんないけど。おれ、どうしたらいいのか」


「悪いヤツじゃねぇんだがよ。気を悪くすんなよ」


 ダインがカナメの背中を強く叩く。

 勢い余ったカナメは少し体勢を崩した。


「痛っ!……いえ別に、感じの良い人だったんで。特に悪い印象はないんですけど」



「……カナメ、もしかして怖いの?」


 ヘレーナがカナメの顔を覗き込んでくる。


「怖い……わけじゃないんだけどさ。昨日、試合見てきたんだ。全然本気じゃなくて、確かに凄い強い人なんだろうけど、どこまで強いのかはわかんなかった」


 拳を握り、じっと見つめる。

 ウェルフェンの試合を見てから、不思議な熱が取れなかった。

 カナメは大人しい性格だ。進んで剣を振るった事は一度もない。

 大河で炎鬼ファイアオーガと戦った時も、アンタム大森林での一年も、一座の護衛をしている時も、自分のために剣を握った事は一度もない。


「……なんか、誰かを守るためじゃない闘いって初めてで、どうしたらいいのか」


 腰の剣を持ち上げる。鞘から出す事はしない。

 魔剣ルファリスも、いま持つこの長剣も、カナメが望めば容易く人を殺せるだろう。

 だからカナメはできる限り鞘から剣を抜きたくない。

 手段が手の中にある。それすらも本当は嫌なのだ。

 あくまで自衛の為の物だ。

 抜かないでいいならそれに越した事はない。

 だから予選でもカナメは鞘をつけたまま試合に出た。


「……怖いのは、自分が加減を間違える事、なのかもしれない」


 誰にも聞こえないように、小声で呟いた。

 本奉納は、戦士の儀式だ。

 人を殺せば失格になるが、必ず真剣で試合に臨まなければならない。

 その規則ルールを守れる程の実力がなければ、大会には出られない。

 これがこの大会のレベルの高さを引き上げる要因になっている。


「……私はいつでも動けるようにしてるわ。貴方が傷ついても、他の人が傷ついても、絶対に死なせない。カナメがそれを望んでいないなら、それは私が望まない事でもあるの」


 ヘレーナには聞こえていたようだ。

 強く握りしめたカナメの手を優しく包み込んだ。


 奉納試合には、必ず数名の実力ある治癒士が付いていた。

 その数名の治癒士よりも、ヘレーナの力量の方が遥かに優れているだろう。


「カナメは、勝ちたいのね?」


 リューリエがカナメの頬を撫でる。


「……わかんないんだ。ついこの間までは、本当はどうでも良かったんだよ。王都で動けるための条件で出場さえすればいいと思ってた」


「……でも、今は違う」


 リューリエの瞳はまっすぐカナメの目を見ている。


「違う、の、かな?」


「少なくてもあたしには、カナメは何かを望んでいるように見えるわ」


「望んで…る…」


 前日のウェルフェンの試合を見たとき、カナメの胸中には、ウェルフェンに勝てるかどうかの疑問が湧いていた。

 それは果たして、何を意味していたのか。

 ずっと考えていた。


「……勝ち、たいんじゃなくて」


「なくて?」


 その頬を撫で続けるリューリエの手に、己の手を添えた。

 未だ答えは出てこないが、少なくとも何を望んでいるのかは、見えてきた。


「負けたくないんだと、思う」


 カナメの瞳に、小さな光が宿る。









「……あんなカナメは初めて見たな」


 石舞台へと急ぐカナメを見送って、ダインが溢した。


「ええ、あんなに前向きなのは私達は初めて見るわね」


 シノアも同感らしい。

 少なくともダイン達やネーネ達から見たカナメは、リューリエやヘレーナが絡んでいない時は恐ろしく消極的だった。

 自分から意見を出す事も無く、リューリエが促さない限り何かを決める事すらしない。

 アルヴァといるときですら、常にアルヴァを優先する。ヘレーナに至っては甘やかしすぎだと思うほどだ。


「……あんな顔のカナメさんも、いいと思います」


 ネーネが顔を赤くしてカナメが消えた方角を見続けている。


「ネーネはほら、惚れた相手だからじゃねえの?」


「イノ、野暮ってもんだぜそれは。乙女心を察してやれよ」


「あら、そんなクマースは乙女心を知ってるって?初耳ね」


「は、早く席に行きましょう!」


 盛り上がりながら一座の面々は観客席への階段を登り始めた。


【なんか、カナメ変だったね】


 エンリケがアルヴァの肩の上で羽を広げた。


【リューリエ、カナメの番まで側に行っていい?】


 シュレウスがリューリエの頭の上で羽ばたく。そのままリューリエの周りを周りだした。


【ええ。お願いするわ。貴方達がいたら、カナメも落ち着くから】


 シュレウスを手のひらで受け止めてリューリエは優しく微笑む。

 その言葉で、シュレウスは石舞台の方向へと飛んでいく。エンリケも続いて羽ばたいて行った。


【…そうね。エンリケとシュレウスには特に甘い人だもの。今のカナメは何か考えすぎな気がするの】


 ヘレーナが心配そうに眉を落とした。


【……あたしは、嬉しかった…かな】


【嬉しい?】


 アルヴァが不思議そうにリューリエの顔を伺う。


神水泉エレ・アミュを出てから、カナメはずっとあたし達の事ばかり気にしてたもの。ああいう風に自分の事を考えてるカナメは久しぶり。欲しい物とか、嫌な事とか、滅多に口に出さないでしょ?】


【前に怒ったときも、リューリエとヘレーナの事だったもんね】


 納得するように、アルヴァが頷いた。


【…そうね。それは、嬉しい事ね。もう少し我儘を言ってくれたら、私も嬉しいわ】


【ヘレーナはカナメに甘えすぎよ】


【リューリエはカナメに構いすぎだと僕は思うな】


【そんなアルヴァはカナメに迷惑をかけ過ぎだわ】


【そ、そうかな】


 三人が三人ともカナメを案じている。

 大切な家族だ。当然だろう。

 いつだって蝶達を庇うように前に立ち、いつだって先に傷つくのはカナメだった。

 それが心配でたまらない。


 リューリエもヘレーナもアルヴァも、カナメが去って行った方向から目が離せなかった。










「十年ぶりの祭りだ。賑わっているな」


「ええ、良い事です」


 練兵場を見渡せる城壁の上に、アランカラン王とヒューリック近衛兵団長の姿があった。

 国王は豪華な椅子に座っている。その横でイリアリーナ王女も、王の椅子より少し装飾の少ない椅子に腰掛けていた。

 周囲には近衛兵達が四名ほど警護の任についている。


「ドナヒュー子爵は行かなくてよろしいのですか?」


 たなびく青い髪を抑えながら、イリアリーナはヒューリックを見る。

 胸元を大きく開いた大胆なドレス、病的に白い彼女はあまりにも儚い姿だ。

 その美貌は王女にふさわしく、城壁の上にいる事で後光が射し、対面の観客席にいる民は見惚れてしまう。

 魔術兵団から障壁魔術に優れた術士が数名派遣されていて、弓や魔術への警戒も万全であった。


「私の試合は後半ですので、出来る限り陛下や王女様の側におりたいと思います」


 ヒューリックが膝を折り、頭を垂れる。


「そうか。楽しみにしておる。お、フェルドナ準男爵のお目見えか」


 ウェルフェンが王達の観覧席に姿を現した。

 昨日までの使い古した鎧ではなく、礼装用の派手な赤い鎧と、隊章が縫い付けられたマントを身につけていた。


 アラン王から少し離れた位置で膝を折り、頭を垂れるウェルフェン。


「よい、面を上げよ」


 王の言葉でウェルフェンが顔を上げる。


「お久しぶりでございます陛下、王女殿下。第七騎士団副団長、ウェルフェン・リアッツ・フェルドナ。御身の前に」


「うむ。久しぶりだな。どうだ今日の試合は」


 王はその薄い青の立派な髭をさすりながらウェルフェンを見て笑う。

 王家の者は、生来より濃い青の頭髪を持っている。

 伝承では風の神アシューより平原の制定を託された証であり、王家の血筋を証明する象徴として知られている。

 歳を経て白髪の増えたアラン王は、頭髪も髭も青が薄くなっている。


「はっ!騎士の名に恥じぬ戦いをご期待ください」


「うむ。期待しておる。伝統とは言え、試合の組み合わせがドナヒュー子爵と離されておるな」


 笑みを浮かべたまま、アラン王はそばに置いていた木の板を見る。

 そこには本奉納の試合組みが記載されていて、優勝候補であるウェルフェンとヒューリックは端と端になっていた。

 これは、決勝で騎士団と近衛兵団が争う伝統を守る為の措置である。


「致し方のない事です。私とフェルドナ準男爵の試合は他の兵や民からも期待されておりますから」


「そうですね。民もフェルドナ準男爵の勇姿を楽しみにしてますでしょう」


 王の側でヒューリックが目を閉じた。

 イリアリーナ王女が穏やかな笑みを浮かべて頷いている。


「私の試合は第一試合ですので、その前に陛下と王女殿下へご挨拶にと参りました」


「うむ。存分に戦うがよい」


「はっ!失礼致します!」


 ウェルフェンは勢い良く立ち上がり、深々と頭を下げる。かかとを回してヒューリックの横を通る。そのままヒューリックの横で止まると、小さな声で呟いた。


「ドナヒュー近衛兵団長。もしかしたら此度の本奉納、決勝は俺ではないかもしれません」


「……どういう事かな」


「強いヤツがいます。第一試合で俺と当たるヤツです。是非ご覧あれ」


 短く答えたウェルフェンは、そのまま城壁の通路を進んでいく。


(……あのウェルフェンにそこまで言わせるとは)


 内心、ヒューリックは驚いていた。

 ヒューリックの目から見ても、ウェルフェンは圧倒的な実力者である。

 その剣技もさる者ながら、若い頃に冒険者として培われた経験や、暴徒制圧の功績から考えても、ウェルフェンに勝てる剣士はロアでは見つからないだろう。

 守りに長けたヒューリックとは、ウェルフェンは拮抗している。

 防御系魔術に秀でたヒューリックは、『動かない』剣技と『貫かれぬ』障壁を用いた戦法を取る。

 その堅牢さは人族としては規格外であり、同じ規格外の剣技を持つウェルフェンとはお互い相性が良くない。

 未だ全力で相対した事は無いが、おそらく千日手の様な状況になるだろう。


(………会場内に第七騎士団の姿が無いという事は、市街の警備を強化してくれているのだろう。ありがたい事だ)


 国王の側にヒューリックがいるだけで、警護の厚さは充分となる。

 余計な人員を回しているのは、試合に出なければいけないからだ。

 ウェルフェンもヒューリックもそれをわかっているからこそ、奉納試合への出場を渋っていたのだ。


(……これで少しは試合が楽しめるか。いかんな、私とした事が)


 王の護衛という大任である。一時も気を抜く事は許されない。

 それでもヒューリック・ヒューズ・ドナヒュー近衛兵団長は、徐々に湧き上がる興奮を少なからず感じていた。








【カナメの試合、一番初めなんだね】


 エンリケがカナメの肩で審判団の騎士の姿を見ていた。

 ここは出場者が待機する為に区分けされている場所。

 観客席の目の前で、簡単にロープで仕切られており、質素なベンチと長机が置かれていた。


【しかも最初からあの人とか】


 カナメも説明を続ける騎士の姿を眺めている。


【カナメ!頑張ってね!僕達、試合が始まったらリューリエの所で見てるから!】


 シュレウスはカナメの頭上でパタパタと羽を揺らしている。


【ああ、そろそろみたいだ。ほら、行っといで。迷子になるなよ】


 エンリケとシュレウスの羽を優しく摘むと、手のひらの上に乗せて頬ずりをする。

 可愛い蝶達の応援だ。それだけで心が和む。


【うん。僕もずっと見てるから】


 エンリケがそう言うと、カナメの手のひらから飛び立ち、観客席へと飛んでいった。


【後でね!】


 シュレウスもそれに続いて羽ばたいていく。周りの出場者はそんなカナメを見て不思議そうにしていた。

 二匹の蝶を従えて、頬ずりする男。

 訝しまれても可笑しくはない。

 だがカナメに取っては人の目など気にする事では無い。

 試合前に二匹が側に居てくれて助かった。余計なプレッシャーなど微塵も考える事無く、愛くるしい姿を存分に堪能できた。


「権威ある大会であります!皆様のご健闘を!」


 説明を終えた騎士が頭を下げる。

 ここにはカナメ達の様な庶民以外にも、彼らの上司である騎士や近衛兵もいるのだ。初日にカナメに見せた様な態度は取れないのだろう。


「では、陛下のお言葉に続いて第一試合を始めます!カナメ・トジョウ!ウェルフェン・リアッツ・フェルドナ副団長は石舞台へお願いします!」


 その言葉に、ベンチに腰掛けていたウェルフェンが立ち上がった。


「よう、カナメ。早くもお前とやれて嬉しいぜ俺は」


「フェルドナ、さま」


 危うく相手が貴族だという事を忘れていた。

 成り上がりとは言え準男爵。家名を残す事を許された者だ。無礼を働けばどんなややこしい事が起きるかわからない。

 以前からダインが口煩く注意していた事だ。


「よせよ。今から殴り合うってのに、余計な気を使うな。ウェルフェンでいいさ」


「そ、それじゃウェルフェンさん。あの、宜しくお願いします」


 カナメが頭を下げた。


「……予選の時も感じてたんだが、どうにも覇気って物を感じられねぇ。ここだけ見てたらただの小僧だなお前」


「はぁ」


 馬鹿にされているのだろうか。かといってカナメに取っては特に気にする事も無い言葉であるし、ウェルフェンの様子から見ても深い意味は無いのだろう。


「……試合中は変わるんだろうな。楽しみにしてらぁ」


 そう言ってウェルフェンは待機場を出る。

 赤い鎧が日光を浴びて眩しい。

 方やカナメの装備といえば、大河の眷属から貰った地味な胸当てと、『交差する盾』の代わりの普通の籠手。そして具足である。

 腰に下げた長剣も、なんてことはない普通の剣だし、ウェルフェンの佩剣はいけんである宝剣『絢爛けんらん』と見比べたら酷く見すぼらしい。


 カナメは観客席を見上げた。

 そこには驚いた顔のダインやシノア、ネーネ達の姿と、心配そうな顔のリューリエやヘレーナ、アルヴァの姿が遠くに見える。

 どうやら第一試合からウェルフェンと戦う事になるとは思ってもみなかったのだろう。

 その姿を確認したカナメは目を閉じて大袈裟に深呼吸をする。

 大丈夫。

 カナメの心は祭りの熱気にも、奉納試合の空気にも動じていない。

 何時いつだって蝶達と共にあり、蝶達の姿を見るだけで不思議な程に落ち着けるのだ。

 ゆっくりと瞼を開けて、カナメは歩き出す。

 これから戦う相手は、カナメが出会った人族の中で一番の強者だ。

 炎鬼ファイアオーガとの戦いは覚えていないから、カナメに取っては最初の全力戦闘になる。

 ゆっくりとした足取りは力強く、まっすぐに石舞台へと進んでいく。







『我が愛する国民よ。今日という日を迎えられて、儂は偉大なるアシュー神に感謝をしている』


 拡声の魔術により、弱々しいアラン王の声が会場内に響き渡る。

 城壁の上で杖をつき、観客一人一人を見るかの様に首を回すアラン王。その傍らにはイリアリーナ王女が控え、優しい微笑みを浮かべている。


『だからこそ、アシュー神の元に勇敢なる戦士の戦いを奉じよう。五年前の凶厄から、我が愛する民が倒れずに国を支えてこれたのも、偉大なる草原の神。全知にして全能なるアシューの御業みわざの賜物である』


 大袈裟に身振り手振りを加えて、アラン王は続ける。


『さあ、ロアの勇壮なる勇者達よ!雄々しく気高く戦うが良い!アシュー神の元にその名が届く様、全霊を賭けて自らの力を示すのだ!本奉納を始めよ!」


 その言葉に、石舞台中央の神官が祈りを捧げ、大きな鐘の音がなる。


「では第一試合の勇者よ!参れ!」


 審判団の騎士の声で、石舞台の側に控えていたカナメとウェルフェンが進み出す。

 観客達の声援は強まり、会場の熱気は最高潮に達している。

 やがて舞台中央に立つと、お互いを見合う。

 ウェルフェンの顔は凄まじい笑みが貼り付けられ、その双眸はカナメを捕らえて離さない。

 カナメもまた、ウェルフェンの眼差しから目を離さず、普段のおとなしい顔と違う強い決意を秘めた表情をしていた。


「神と王の御前である。気高い戦士の戦いを心掛けよ」


 神官の声に二人とも適当に頷く。


「さぁ、カナメ。始めようぜ。待ちに待った戦いだ」


「……ウェルフェンさん。貴方に勝てるとは思いません」


 カナメが一度顔を下げた。長剣を鞘から抜くと、小指から順番に握り締める。


「でも、負ける気もありません」


その顔を上げたカナメの目には、力強い光があった。


「………はっ!はははははっ!いいぞカナメ!その顔、さっきまでとは大違いだ!」


 ウェルフェンの笑みがより凄みを増した。

 宝剣『絢爛けんらん』を抜き、片手で肩に担ぐとウェルフェンは腰を落とした。


 カナメもまた、剣を構えて腰を落とす。


「太鼓の音が合図である!」


 神官が石舞台を降り、審判を務める騎士も舞台の隅に逃げる。

 この試合は、毒薬や魔道具の使用を禁じたのみで他に規則ルールは一つしかない。

 相手を死に至らしめた場合は失格となる。

 それだけである。

 よって審判のする事は、隠し持つ毒や魔道具の見極め以外無い。


 観客達の歓声が少し弱まる。

 皆が英雄ウェルフェンの勝ちを信じて揺るぎない。誰もカナメを知らないし、予選を見た者達でもウェルフェンが負けるとは露とも思っていない。


 ジリジリとした空気が、石舞台に漂っている。

 カナメとウェルフェンは剣を構えたまま、お互いの瞳を見つめあっている。


 やがてその空気が伝わったのか、歓声が完全に止んだ。


「……………始めっ!」


 大きな太鼓の音が鳴り響いた。


 先手を打つのはカナメだった。

 得意の増強魔術、脚に集めた大量の魔力が、カナメの脚力を数倍に跳ね上げる。

 サイドステップで一度ウェルフェンの視界から消える。

 三度跳ねて左後方に周り混むと、立ち竦むウェルフェンのうなじ目掛けて剣を振り下ろした。


 大きな金属音が鳴り響く。


 観客にその速さを捉えられた者は少ない。カナメの動きもそうだが、ウェルフェンが向きを変えて宝剣を振り上げた動作もだ。


 甲高い金属音が、静まり返る第三練兵場に反響しながら響き渡る。










 この音が、やがて世界を変えうる神話の扉を開ける音とは、誰に予想できただろうか。

 その会場には、この先の歴史を動かす者達が集まっていた。

 英雄として後世まで語られる者達。

 その名を呼ぶ事すら憚られる者達。

 悲劇の主役として名を馳せる者達。

 後に神と謳われる者達。


 そして、その存在すら忘れられる者。


 それらが織り成す神話の始まりを敢えて示すなら、正しく王都フリビナル。ここであったし、この会場であった。


 やがて吟遊詩人は謳うだろうか。

 確かにそこには居たのだ。


 リューリエが、ヘレーナが、アルヴァが、エンリケが、シュレウスが、そしてカナメが。


 だけど今は誰にもわからない。

 ただつるぎは高らかに声を上げる。

 それはきっと悲しみの声だ。

 始まってしまったと、嘆き悲しむ声である。


 天女の嘆きが空から舞い降り、やがて死者と生者が折り重なる。

 龍は地に伏せ、人は逃げ惑い、神々との別れを不死鳥が惜しみ泣く。

 戯れの悪意が海を覆い、清き乙女がその涙を零すとき、地に這う戦士が光を受け、やがて彼は英雄となる。


 でもこの時は、誰にも分からなかった。





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