闇が、蠢めく
リナ・ハイルティエスター・アーディナーは、組合職員にスカウトされる前はとある有名なパーティーの一員だった。
『風車の軸』というそのパーティーは、二名の魔術士と二名の前衛という構成で、皆が女性という異色のパーティーだ。
王都中央通り。市場のある西区画の入り口に近い場所に、彼女達がよく利用するカフェがある。
狭い店内の奥にある四人掛けのテーブルに、リナと赤毛の女戦士の姿があった。
最小限の武装しかしていない女戦士は、女性としては高身長のリナよりも背が高く、はるかに大きな体格をしている。
その上呆れんばかりに大きな胸で、何もかもが大味な女性だった。
「今日はありがとうございます」
「よしとくれ。私とお前の仲じゃないのさ」
「エウロパさんは今は商人組合の雇われ剣士でしたよね」
「ああ、割のいい仕事だ」
女戦士のエウロパは、リナの元同僚である。
女だてらに長剣を振り回す実力者だった。
商人組合の斡旋で、現在は王都を中心に商いをしているドーラ商会の専属剣士として活躍している。
主に運ばれる品の護衛や、商会会頭の警護を行っていて、毎日を忙しく過ごしていた。
「しかし久しぶりだな。三年ぶりか?」
「私が組合に勤め始めてからになりますので、そうなりますね。ミンフさんとは良く会うのですが」
「あいつはまだ外で飛び回ってるからな。本部に来る事も多いんじゃないか?」
「ええ、今のパーティーも実力者揃いですし、ご活躍されてます。」
かつての『風車の軸』は、水魔術士のミンフ。
治癒士のエイミー。
重戦士のエウロパ。
そして軽戦士のリナで構成されていた。
主に討伐依頼と遺跡の調査を生業としていて、称号が与えられるのも時間の問題とまで言われた有名なパーティーだった。
解散の理由は単純。治癒士エイミーの寿引退である。
別の冒険者と恋仲だったエイミーの突然の妊娠が発覚し、そのままパーティーは自然消滅となった。
故に、喧嘩別れとは言わないが中々に気まずい別れ方をした彼女達の間で、エイミーの話は自然と出なくなった。
それは適齢期を過ぎようとし、結婚を焦っているミンフの嫉妬もあるが。
パーティーの中で一番の年少だったリナに取っては、あまり気にする事ではないので、今でもエイミーと会ってお茶をしたりしている。
「それで、私に聞きたい事ってなんだ?」
「ええ、組合では今、少し大きな護衛依頼を受けておりまして、ちょっと背景調査を行っています」
テーブルの上には湯気立つカップが二つ置かれている。中身はお茶だった。
「それで、とある商会の名前が報告に上がったんですが、あまり聞き覚えの無い名前だったので、知人で商会に雇われてる方はエウロパさんだけだったので」
「……答えるのは別に構わんが、雇い主の利益を損なうと判断したら」
「ええ、断ってくれても構いません。ただそれを口実にエウロパさんに会いに来たっていうのもありますから」
澄ました顔でカップの中のお茶をすするリナに、エウロパは苦笑した。
「ふふっ。お前のそーいうところ、変わらんな」
「私ももう19ですよ?あれから色々成長してます」
わざとらしく胸を張るリナは、常時よりすこし子供っぽい。
「感情表現はまだうまくなってないようだな」
「……これからです」
リナはバツが悪いと目を逸らす。
「んじゃ、話を聞かせてくれないか」
「はい。護衛対象はアドモント劇団。そのロア東地方の巡業の一座です。最初はただの護衛依頼だったんですが、旅中に二度ほど不自然な襲撃を受けました。動機も相手の正体も見えてませんが、何者かが一座の身を狙ってるのは明らかです」
「……不自然な襲撃とは」
「最初は魔道具によって集められた魔物による襲撃でした。貧民街の一画にある魔道具商が取り扱う香炉で、かなりの高額な使い捨て魔道具です。その後はゴロツキを装った襲撃でした。みな訓練された動きで、背後に組織があると感づかれたそいつらは自ら仲間を刺し殺して証拠を隠滅しました」
「それは、不自然だな。あまりにもお粗末すぎないか」
「そうですね。色々、手際の悪い点が多いんです。これもそうですが」
そう言ってリナはテーブルの上に木の板を置いた。
「魔物寄せの魔道具です。衝撃狼の食欲を暴走させる類の道具ですね。おそらくはあらかじめ何組かの群れを捕獲していて、この道具で焚きつけたのでしょう。受注パーティーの『古き鉤爪』、ダインさんが見たことがあると言うので、特徴を書き写しました」
「……毒の葉を燃やして周囲に拡散する魔道具か。なるほど、たかが芸人の一座を襲うには高すぎる代物だな」
木の板には、緻密な線で描かれた予想図と、細かな説明が書き記されている。
それはダインの証言を元にリナが書き起こした香炉の絵だ。
「その魔道具、製造元は簡単に特定できたんですが販売元がかなり巧妙に隠匿されてまして」
「ん?売っている場所は分かってるんだろう?」
「殺されてました」
「は?」
「二ヶ月ほど前に、店主が殺されていました。貧民街ですから、そう珍しい事ではないんですが。幾ら何でも偶然が過ぎると思いませんか?」
貧民街には国すら存在を認めぬ棄民の集落がある。
そこは華やかな王都にそぐわない荒んだ区画で、場所も西区画の奥の奥。城壁の側に追いやられた国の闇であった。
そこそこの規模の貧民街は逃亡奴隷や犯罪者、ゴロツキや盗賊団など多種多様な裏の人間が住み着き、万引きに始まり殺人、強姦、強盗、果ては儀式と称して人を生贄にする闇結社すら存在する。
そんな場所なので、人が死ぬような事件は日常茶飯事だった。
「一座が王都を旅立ってすぐに、王都郊外の川で店主の死体が上がってます。当時の憲兵の記録を少し見せて貰ったんですが、雇われの店主だったようで、死体が見つかった翌日には店がもぬけの空となってました。その店の所有者名は不明です。どこの商会の者か、商人組合に問い合わせてみてもわからずじまいでした」
「……怪しいな。十中八九、口封じか。それで製造元は?」
「『翼の心理』です。魔道具の特徴と術式から、あの結社の起こした事件を洗いました。同様の術式が組み込まれた魔道具を過去に売りに出して問題になってます」
エウロパの眉間に皺がよる。
『翼の心理』。商会に所縁のある者はあまり聞きたくない名前だ。
「……その爪の甘さと、無駄に毒々しい魔道具は。何というか、奴ららしいな」
「ええ。狩猟祭だというのに最近大人しかったのもありまして。かなりの信憑性の高い推察だと思います」
「……そうだな。何かある度に抗議という名の苦情と利益供与を求める奴らが、この二年ほど音沙汰なしだ。ウチの会頭も不気味がっていたな」
『翼の心理』、それはロア中で悪名高い魔術結社だ。
その歴史は古く、少なくとも二百年前から存在する。
二百年の歴史は、彼らの強請りと集りの歴史でもある。
こと魔術や魔道具の開発は、莫大な金銭と大量の人員を必要とする。
媒介は希少な素材を必要とする事が多く、時にその開発実験は死者すら出す事もあるのだ。
だから結社という組織はどこも金策に苦心している。
真っ当な組織は商会と手を組み自らの魔術で作り上げた魔道具などを売ったり、冒険者組合に魔術士を斡旋して仲介料金を頂く。
『翼の心理』ももちろんそう言った活動は行っているが、彼らを有名足らしめるのは、他の組織への難癖だった。
とある商会で扱う魔道具を自分達の秘匿魔術の模倣だと言い、賠償金を請求する。
とある市場に並べられた野菜を、外法の魔術で作られたと流布し妨害する。
他の結社が協賛する催しに、相応しくないので我らが取り仕切ると口を出す。
民と国に迷惑をかけた二百年と言っていい。
所謂、大店と呼ばれる商会は、皆例外なく『翼の心理』の被害を被った経験があるのだ。だから商人達は彼等を心の底から嫌っている。
それでも独自の流通経路を持つ『翼の心理』は、時々魔道具を市場に売りに出す。彼等が作り出す魔道具、その効能は一般的とはとても言えた物では無かった。
暗示をかけて痛みを消す麻酔。
第三者からの認識を阻害する香水。
裂傷を治し辛くする刀剣。
どこか不穏な効果を持つ魔道具は、だいたい『翼の心理』製造の魔道具であった。
「そこまでわかってて、なぜ商会の情報なんて欲しがるのさ」
「……香炉では無いですが、『翼の心理』製の魔道具が最近になって大量に卸されてます。消音魔術の燭台や、同じように魔物を寄せ集める類の魔道具が」
これだけ符丁が揃っていて、怪しまない訳にはいかないだろう。
リナの話を聞きながら、エウロパはカップに口をつけて傾けた。
「結社の方は叡智の秘匿と言う名目でこれ以上の情報の開示を拒否しています。ですから、組織でなく個人としてエウロパさんに心当たりを」
「なるほど、その商会の名は?」
「……ヒスペランザ」
エウロパの顔から色が消える。リナの目を見たまま微動だにせず、口元まで運んだカップは止まったままだ。
「……ご存知、みたいですね」
「…そりゃ…な」
その名前は、こと商いに携わる物なら誰しもが知っている。
それは都市伝説と言っても過言ではない。
とある国が乱れる時に、必ず莫大な儲けを出す商会。
戦争が起こる前に必ず国境に現れる隊商。
一夜にしてありえない儲けを出し、一夜にして消える貨幣の流通を乱す組織。
そんな都合のいいおとぎ話の中の商会の名が、ヒスペランザ商会。
出来過ぎにもほどがある話である。
商人達の間ではある種の教訓として取り扱われる話だった。
金の力が国を乱す。そう言った教訓だ。
だが知る者は知っている。その商会が実在する事を。
「……噂話程度なら、話はできる。あたしもそんな深く商会に入り込んでるわけじゃないからな。ただ」
「ただ?」
エウロパはカップをテーブルの上に置き、周囲に目を配らせる。
あたりには富裕層の子女やカップルが楽しそうに談笑をしていた。
やがてエウロパはその大きな体をリナに寄せ、小声で呟いた。
「その噂話が真実なら、この国が危ない」
カフェの喧騒は穏やかだ。
カウンターには初老のマスターがカップを磨いていて、仲睦まじいカップルが人目も気にせずじゃれ合っている。
奉納試合。
本予選は二日目を迎えていた。
観客は大勢。皆興奮した様子で石舞台を見ている。
観客席の最上段。そこにカナメの姿があった。
その表情はどこか険しい。
視線の先は石舞台にあった。
軍関係の予選が行われる今日は、カナメ達の一日目の予選と違いトーナメント式だった。
十六名の出場者が争い、四組の中から四名の本奉納の出場者を決める。
今は第三組の決勝。
舞台の上では二人の騎士が戦っている。
一人は短槍を携えた煌びやかな鎧を身につけた騎士。素早い連撃で第一試合を勝ち抜いた、第二騎士団所属の騎士だ。
もう一人はウェルフェン。第七騎士団副団長。ロアの最強の騎士。
(……何が平等だよ。ほとんど何もしてないじゃねーか)
舞台の上は悲惨な物だった。
苦痛の表情で短槍を繰り出す騎士の連撃を、ウェルフェンは剣を片手に全てを捌く。
試合開始から一歩も動いていない。
相手の騎士は片手に円盾を持ったいかにもな姿だった。
相対するウェルフェンは使い古した騎士鎧に、それだけが不釣り合いな眩い黄金の剣。
副団長の任命の際に、王より授けられし宝剣『絢爛』
貴重な光金と呼ばれる金を盛り込んだ剣だ。
その切れ味は凄まじく、打ち込んでいるはずの騎士の持つ短槍が、剣に弾かれる度短くなる。
ウェルフェンの顔は真剣そのもの。
油断など微塵も無かった。無い上で相手を簡単にあしらっている。
その実力の差は絶望的に広く、端から見ても騎士の勝ち目は一切無い。
(……すげぇ)
カナメは戦慄していた。
ウェルフェンは第一試合も相手の降参を待つだけだった。
ウェルフェンからは一撃も入れていない。
どのような角度でどのように武器が斬りかかろうと、全てを捌き、捌ききる。
対戦相手が諦めるまで、ただひたすらに武器をはらい、打ち返す。
攻めているはずなのに打つ手を無くした対戦相手が諦めるまで、時間はそうかからない。
物の五分程で決着はつく。
騎士の顔色が目に見えて悪くなる。
まるで大きな岩にボロボロの木の枝で打ち込んでいるかのようだ。
既に短槍は本来の形を残していない。
本来の宝剣『絢爛』の切れ味でも、相手の武器を削るような真似など出来るはずが無い。
ウェルフェンの比類なき剣技がそれを可能にしているのだ。
相手の太刀筋を見極め、その武器のしかるべき角度にしかるべき打ち込みをする事で、武器破壊という恐ろしい結果が生まれている。
やがて騎士が荒い息で肩を上下しながら、その動きを止めた。
目線はウェルフェンを見ながら、目尻にはみっともなく涙まで滲ませている。
ウェルフェンは動かない。ただ黙って相手の目を見ていた。
騎士は恐怖している。
そこに立つだけなのに、ウェルフェンに短槍が当たるイメージが浮かばない。それどころか、打ち込むごとに自分の死のイメージがフラッシュバックしていた。
ウェルフェンが本気で打ち込んでくれば、おそらく秒と持たずに騎士は地面を舐めているだろう。
そのまま、騎士が降参の宣言をした。
観客席が沸き立つ。
誰が見ても圧倒的な実力差だった。平民上がりのウェルフェンが、貴族である騎士に打ち勝つ。
民にとってこれほど胸のすく光景もないだろう。
割れんばかりの歓声の中、ウェルフェンはカナメを見ていた。
目の前でうなだれる騎士など目にもくれず、カナメのみを凝視している。
(楽しかったろ?)
カナメにそう目で訴えていた。
その口元が吊り上がった。
今日行われた二つの試合。それはカナメへの挑戦状だ。
前日行われた本予選初日。
カナメは本気など一切出していない。
勝ててしまった。こんなものかと心が冷えていくのを自覚した。
だが今は違う。
(……あの人に勝てんのかな)
胸の内で、何が熱くなるのを感じた。
それは小さな熱だ。だが確かにそこで燃えている。
カナメにとって剣は自衛の手段であり、五色蝶達と自分の身を守る為のみ磨かれてきた物だ。
誰かと競う気は毛頭なく、率先して人に振るいたい技では無い。
魔獣や魔物、獣に対して振るわれるべきものだ。
大森林での一年は、多くの経験と力をカナメに与えた。
強くなった自信はある。始めは太刀打ちできなかった魔物に、一撃を入れられた時から、自身の実力が日に日に跳ね上がるのを実感してきた。
だが、それは果たしてどの程度の強さなのか。カナメにはわからない。
ダインやサンニアの剣の腕も見事だったが、負ける気は不思議としなかった。
リューリエとは毎日稽古で剣を合わせていたが、剣の腕だけならカナメに軍配があがる。彼女の本来の強さはその魔術の威力と精度にあるのだ。
(あの人と戦ったら、俺は勝てるんだろうか)
もともと都城 要という人間は、記憶が無いせいなのか、あまり他人からの評価という物を気にした事がない。
張るべき見栄や、培った自信までもが記憶と共に失われていたからだ。
だから、誰かより強くあろうとか、誰かを打ち倒そうなどといった思いを抱いた事も無かった。
(……勝ち、たい…のか?)
初めての感情だった。
たった今目の前で繰り広げられた試合は、それだけの衝撃だった。
カナメが初めて出会う、強者の姿。
(……勝てるなら、勝ちたいよなぁ)
それはカナメにとって最初の欲だった。
生存欲求でもなく、性的欲求でもなく、ただ相手を打ち倒す雄としての本能欲求。
あの雄より強くありたい。
ただそれだけの原始的な欲。
石舞台の上では未だ騎士が項垂れていて、ウェルフェンはカナメを見たままだ。
その視線はどちらも外せない。
歓声は未だ鳴り響いている。
背筋に走るのは、悪寒なのか昂りなのか。
カナメにはまだわからない。
太陽は落ち、空は暗くなる。
祭の雰囲気で賑わう通りには、冒険者パーティー『古き鉤爪』の弓士、サンニアの姿があった。
銀髪を肩まで伸ばし、腰から短剣を差したサンニアは一人街を歩いていた。
未だ雇い主からの指示もなく、祭はおよそあと三日で終わる。
サンニアには別に焦れる理由も無いし、このまま指示が無ければ今まで通り冒険者として振る舞うだけだ。
一座の護衛も交代を迎え、今のサンニアは休暇となっている。
このまま祭の熱気に当てられると、どうしても人を殺したくなる。
平時ならまだしも今は請け負った仕事の真っ最中だ。そんな危ない橋は渡れない。
仕方なく娼婦を抱こうと通りにでたが、そこで尾行されている事に気付いた。
(……少し下手っすけど、素人じゃないっすね)
その手の人間にしかわからない空気という物がある。
趣味で殺し屋なんてしているサンニアには気付けた。常に視線をサンニアに固定し、本来ありえない位置からじっとこちらを捉えている。
(バレたっすかね? いや、そんな感じじゃないっすね)
目に付いた店に入り、人混みを掻き分けてカウンターの奥へと移動する。
「いらっしゃい」
「なんでもいいっす。強い酒」
無愛想な店主にそう告げると、あまり間を置かずにグラスを差し出された。
サンニアは懐から袋を出すと、銀貨を一枚と銅貨を五枚出すとカウンターに無造作に置いた。
「お客さん、少し多いよ」
「いいっすよ」
そう言ってサンニアは腰の剣を少し浮かせて、店主に見せた。
「……用があったら呼んでくれ。それまでは客を近寄らせねぇ」
店主はカウンターの硬貨を受け取ると、カウンターの反対側へと歩いていく。
酒場では時に、そういう人間達に配慮する事がある。この店もまた、理解ある酒場の一つだった。
グラスをゆっくりと傾ける。相当に強い酒だったようだ。喉が少しヒリつき、鼻から抜けるような味わいだった。
「………いい加減、用があるなら出てきてくんないすか」
小声でボソリと呟いた。
しばらく待つ。返事は無い。だがサンニアには気配を感じ取れている。
サンニアの背後のテーブルには、どこかの工房の子弟が三人、酒盛りをしていた。
ジョッキを片手に何やら口論をしているようで、中々に白熱している。その間に、見えない空気の壁がある。
三人の子弟の喧騒を隔てるその壁は、人の形をしていた。
(こんな人の多いところで中途半端に気配消すようじゃ、二流もいいとこっすね)
常に獲物の気配を嗅ぎ取る弓士だからか、はたまた後ろ暗い経験からか、サンニアには手に取る様に違和感を感じ取れた。
サンニアには他の冒険者が持たない特技があった。それは自らの気配を、周囲に完全に溶け込ませる事だ。
消すのではなく、まるでその風景の一部になったかの様に自分の輪郭をぼやけさせる特技だ。
周りに意図して関心を向けないようにすれば、誰にもサンニアを認識する事ができない。
弱点としては、意識を個人に集中すれば容易く輪郭がハッキリとする事だろう。おかげである程度の実力者の暗殺には向かない特技だった。
「……待たせたな。次の指示が決まった」
唐突に気配から声がかかる。
「…遅いっすね。諦めたかと思ったっす」
目線を手元のグラスに落としたまま、サンニアは答えた。
「色々あったんだ。気にするな」
未だ気配は消えたまま、声の主はその姿を現さずに喋り続ける。
「いつもの人じゃないっすね。雇い主さんからっすか?」
「…アイツらには別件があるからな」
今までの連絡員は、魔術によって気配を消す術があった。
だが今回の者には魔術を使用している気配がない。
「んで、どうするんすか? 祭ももうじき終わるっす」
「……明日の夜、頃合いを見計らって娘を西区画の貧民街の飛び火という店まで連れて来い。娘だけ、無傷でだ」
「…飛び火?あそこは去年から廃墟っすよ」
西区画の貧民街は市場の奥にあり、雰囲気もいかがわしい酒場や店が多く存在する。
路上には安い娼婦が男達をあらゆる手で誘惑し、怪しい露店がポツポツと存在していた。
『飛び火』と呼ばれる酒場は、一年前までそこにあった。
客同士の諍いに巻き込まれた店主が刺し殺され、それ以来そのままの姿で廃墟と化している。
「余計な詮索はするな」
その瞬間、サンニアの背筋に悪寒が走る。
背中越しには確かな殺意。今余計な事をすれば、間違いなく斬り殺されるだろう。
人の気配はしないが、剣の気配は強く感じ取れる。
(……強いっすね。今までのボンクラ共とは違うみたいっす)
尾行の仕方で二流と判断していたが、どうやら本業は剣にあったようだ。
浴びせられる殺気は尋常では無かった。
慌てる必要はない。所詮サンニアもただの手駒でしか無いのだ。今ここで生かす必要もなければ、殺す必要もない。
「………んで、金なんすけど。先に頂けませんか。どうにもこの先、あんたらが俺を始末しないって保証が無いっすから。貰う物は貰って置きたいんす」
「……いいだろう。お前を殺す予定は今のところ無いが、報酬の半分は渡しておく。残り半分は娘と引き換えだ」
サンニアの右横から唐突に腕が伸び、カウンターの上に小さな布袋が置かれた。サンニアは視線を動かさずにその袋を開けると、中を確認する。
(……金貨七枚。馬鹿みてぇな大金っすね)
背後の気配は消えていた。どうやら話は終わったようだ。
サンニアは一息ついてグラスを一気に飲み込む。
「店主。もう一杯くれないっすか」
「…待ってろ」
カウンターの奥にいた店主がグラスを取りに来た。サンニアは銀貨を一枚手渡す。
「……俺の事」
「言わねぇよ。死にたくねぇ」
店主は明らかに不機嫌でグラスに酒を注いだ。
「ただもう来ないでくれ。命がいくつあっても足りねぇ」
「わかってるっす」
明日には店主もサンニアの顔など忘れてるだろう。様々な人間が住む王都に店を構えていれば、こう言った事はよくある事だ。客の顔を覚えておく事は大事な事だが、客の顔を忘れるのも大切な事だった。
「……どっかで逃げねぇとまずいっすかね」
酒を受け取ったサンニアは思わず独り言を口にしてしまった。
おそらくだが、何か大きな事件が起こるのだろう。そのために、サンニアの依頼主はネーネを必要としている。
サンニアはわからないし知りたくも無いが、おそらくロクでも無い事だ。
この先、事が済めばサンニアは確実に殺される。
(ヤキが回ったっすかね。こう言った面倒くせぇヤマは避けてたんすけど)
裏の世界に生きるようになって長い。
人も多いが闇も多い王都では、今までも様々な表沙汰にならない事件が起きてきた。
しかし今回はどうも勝手が違うようだ。
回りくどい殺しに回りくどい誘拐。
明らかに依頼主以外の思想が入っている。
こう言った明確な目的の無い裏工作は必ずと言っていいほど手がかかる。
サンニアの見て聞いた経験から言えば、かなり危うい状態だった。
(明日の夜、嬢ちゃんを送り届けたらすぐに王都を出るっすかね)
このまま逃げる事はできないだろう。
どうやら既にサンニアは計画の一部に組み込まれている。逃げようとしたら、王都を抜ける前に殺される。
サンニアは注意深く周りを警戒する。少なくとも四名。サンニアの監視についているようだ。ただある程度の手練れなのか、その位置まで掴めない。
(あとは、どうやってダインさんとかを出し抜くかって話っすね)
もう一度、グラスを勢いよく煽った。
考えるのは後にしよう。そう思い立ったサンニアは銅貨を五枚カウンターに置き、店を後にする。
長かった王都の最後の夜になるかもしれない。
お気に入りの娼館でお気に入りの娼婦を抱いておこう。もしかしたら殺したくなるかも知れないが、どうせ王都とはおさらばだ。その時はその時だろう。
サンニアは足早に貧民街へと足を向ける。
その顔に笑みが浮かんでいるのを、本人は気づいていない。
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