金髪の獅子
少し短めです。
「陛下。本日の政務にございます」
内政大臣のブロアー・ヒューザー・ドナヒュー伯爵が羊皮紙を手渡す。
「隣国三国。特にイムサの内乱について軍務大臣からの陳情がございます」
「……この機に乗じてイムサを攻めろと書いてあるぞ。あそこはもともと三つの部族からなる国だ。内乱も最大勢力と他二つの部族で争っているらしいじゃないか。取り込んでも御しきれん。それに、ローアン領の兵士や騎士達は治安維持程度で手一杯なのだぞ。他の領地から兵を召集しようにも領主達の反感を買うだけだ」
アランカラン王は溜息を漏らす。
この国の貴族達は戦を知らない。
自らが王位を継承した五十年前は、国内の情勢は荒れに荒れていたが、なんとか三年で平定できた。
他国へはその圧倒的な国有資産と、強大な軍事力を盾にして押しとどめているが、どちらも危ういバランスの上で成り立っている。
そんな中で他国の内乱に乱入すれば、安定した国内の食料事情を滞らせたり、民の不満を爆発させかねない。
他国からのどさくさ紛れの介入もある。付け入らせる隙も出るのだ。
この国の貴族達の意識では、民に人権は存在しない。
むしろ民の事を想う王の方がこのロアでは異端なのだ。
自らの戦功や国土の発展による利益しか、貴族の頭には存在しない。
その過程でどれだけの民が傷つくのかを、殆どの貴族が理解していないし想像できていない。
「承知しております。しかし貴族達の間では派兵論が高まっておりますれば、すべての意見を払い除けるわけにはいかないでしょう」
そう言ってブロアー伯爵は頭を下げた。
彼は数世代前の国王から仕えるドナヒュー家の当主である。
もともとは一介の騎士であった過去のドナヒュー家が陞爵されて以来、その確かな家柄は歴代の国王を補助し助けていた。
長男であり跡取りのヒューリック子爵も有能な人物だ。ドナヒュー家の家名は盤石であろう。
「それで不満を覚えた領主達が結託すれば、我が王位はあっという間に奪われるぞ」
「そちらの配慮は私が。王陛下はご下命を拝して頂ければよろしいかと」
「………祭のついでに他の隣国からも使者が来ておる。その真意を突き止めてからでも遅くはあるまい」
「畏まりました」
目頭を押さえる王は、老いてなお冴え渡る思考で考える。
元来の王家は突き詰めて言えば象徴である。
ロアに伝わる神話の中で、アシュー神に神託を賜った最初の男がローアン家の者だった。
その神話に習い、アシュー神に大平原を託されたローアン家がこの地の王となっている。
王都フリビナルを中心とした広大で豊かな領地。
その領地の統治から大きく抜けて国全体を纏めあげたのは、紛れもなくアラン王である。
かつてその家名の権威のみしか認められていなかった王家も、今では実質的な権力を有している。
それを密かに狙う者は多い。
大規模な領地を持つ領主全てが、謀反も目論んでいる可能性だってあるのだ。
かつてお飾りの王だった頃には、そんな心配もなかった。
(国内の情勢を憐れんだばかりに、余計な事をした儂の罪か。後の王族に要らぬ苦労を与えてしまった)
少数の貴族に絶大な決定権のあるロアでは、貴族達の浅ましい見栄や自慢で満ち満ちている。
権力の椅子を巡った静かな椅子とりゲーム。
擦り寄る欲深い者達。
人知れず消費されていく民。
華やかな大国の影では、未だ多くの問題がその牙を研いでいる。
「奉納試合の授賞式もございます。今年は我が息子やウェルフェン第七騎士団副団長も出場しておりますので、見応えのある試合が行われるでしょう」
「おお、そうであったな。ドナヒュー子爵の剣技を見るのは初めてだ。ウェルフェンにも期待しておる」
王はウェルフェンをいたく気に入っている。個人的にも、その功績的にもだ。
岩巨犬討伐の功労として、騎士爵を陞爵した時、年若いウェルフェンはその目に決意を宿して王に陳情した。
『私は!騎士として弱き民達の剣になりたいのです!』
その気持ちの良い若者を見て、王はすぐに騎士団の入団を許した。
それから五年の後、第一王子が死ぬ原因となった大翼竜討伐戦でも、騎士の名に恥じぬ働きを称えてウェルフェンは準男爵となる。
王子亡き国の微かな希望となり得るウェルフェンに、王としてもその将来を期待してやまない。
「本奉納の決勝は騎士団と近衛兵団で争われるのはもはや伝統となっておるが、意外な番狂わせでもあれば盛り上がると思うのだ。いや、子爵の強さを疑っている訳ではないがな」
「わかっております」
ブロアー伯爵が頭を下げた。
アラン王は考える。
この五十年の間で、様々な勢力の様々な企てがあった。
その芽が開く前に叩き続けられた事は良い。戦にもならず、王位転覆の企みも防ぎきった。
良き事ばかりなはずだ。
その一方で、民はおろか兵士までもが堕落した。
国の脅威を忘れ、ただひたすらに怠惰な時間を無為に過ごしている。
果たしてそれは抑止できる事なのか。
だから少しだけ願う。
伝統ゆえに台本のような筋書きの奉納試合。
そこに思いがけない波乱が有れば、きっと何かが、本当に些細な何かが変わってくれるのではないかと。
緩やかに時間の流れる王城の執務室に、為政者でありながら変革を望む王の姿があった。
奉納試合、緑の布の組の第二予選。
広い石舞台の上には、屈強な男達が十名。うち七名が無様に横たわっている。
立っているのは三名。
そこには『風穴』の称号を持つパーティーの一員、双剣使いのシュルツの姿がある。
その手には鉄職人組合に特注で拵えてもらった、二対の短剣。
歴戦の相棒を逆手に構え、相対する少年を険しい表情で見つめている。
冒険者組合の強制依頼で参加した奉納試合。
パーティー仲間には迷惑だとは嘯いていたが、軍への仕官はシュルツの悲願だ。内心は喜んで参加した。
前回は大翼竜のおかげで中止となった祭と奉納試合。
現在三十路一歩手前のシュルツに取っては最後の好機である。
本来なら冒険者稼業を一度辞めてでも参加するつもりだった。
(おかしいなー?あれー?)
自信はあった。曲がりなりにも称号持ちのパーティー、その前衛を任された腕利きの冒険者である。
街のチンピラ程度なら寝ぼけてても捻ることができるし、大型の魔獣相手にも太刀打ちできる。
それが成人すらしてない子供に、踏み込む事すらできない。
(あれー? )
半ば逃避した思考のまま、目の前で剣を構える少年を見る。
たまたま試合前に、知人であるベテラン冒険者のダインと会った事を思い出した。
面倒見の良い男でシュルツも何かと世話になった覚えがある。
『残念だったな。今回は、相手が悪い』
開口一番に慰められてしまった。
その言葉に頭に来る前に、疑問が湧いて出た。
少し前に仕事で一緒になった時は自分の剣の腕前を褒めてくれた男が、その剣技を目の当たりにした目利きの利く男が、試合前に自分の負けを予告したのだ。
(ダインのとっちゃん。こりゃねーよー)
いくら考えても勝機の見出せない状況で、頭の中の冷静な部分が最初に諦めた。
これは無理だ。
持ち前のスピードで凌駕されている。
どこに踏み込もうが、何処を狙おうが、その剣があの少年の身体に触れるビジョンが浮かばない。
売りである身軽さを取られれば、あとは経験で補うしかない。
例えば他の参加者と結託して挟撃。例えば他の参加者を囮に使った奇襲。それすらも成功する可能性が低い。だが行動せねばシュルツの勝機は本当に塵もなくなる。
そう考えた時には既に手遅れだった。
「ち、チクショオォ!ギャア!」
隣で大剣を構えていた大男が、沈黙に耐えかねて突撃し、玉砕した。
彼がシュルツと少年以外の最後の参加者だ。
これで一対一。もはや策を講じる段階は遥か彼方。
(組合長、あんたとんだ化け物を放り込んだな)
第二試合が始まる前に、少年と挨拶をした。
なかなかの好青年で、きちんと挨拶を返してくれて多少驚いた。
彼からの話によれば、同じ組合枠で参加している若手の冒険者らしい。
聞いたパーティー名は『五色の蝶』。聞いた少年の名はカナメ・トジョウ。
どちらも聞き覚えの無い名だった。それもその筈、パーティー結成も冒険者としての活動も、まだ三ヶ月も経ってないとの事だ。
『今日は宜しくお願いします』
そう告げたカナメの手を取った時から、勝てる気など霞の如く消し飛んだのだ。
剣士といえど人間であり、しかも冒険者だ。魔力の恩恵は至る所で受けているし、助けられている。
時に手足に纏い身体能力を強化したり、薄いながらも障壁だって張れる。魔術士ほどでは無いがその制御は一流の冒険者として身につけている。
その一流の冒険者としての能力が、握った手からシュルツの敗北を感じ取ってしまった。
計り知れない魔力の総量、そしてその制御力。自然体の淀みなさ。一挙手一投足の体運びの隙のなさ。全てがシュルツの技量を軽く飛び越えていた。
これが試合前で、非戦闘時である。試合が始まって戦闘体勢を整えた時にはどうなるのか、シュルツの想像力では追いつけなかった。
今その答えが目の前にある。
(……馬鹿みたいな魔力が両脚に集まってやがる。しかも腕と足で循環しながらとか、悪い冗談だろ。つまり、一瞬でその魔力を腕に移動できるのか)
軽く見ただけでも、その量はシュルツの全開時の数倍。
もはや悪夢としか言いようがない。
いざシュルツが踏み込めば、脚の魔力でシュルツより早く回りこみ、続いて瞬間的に腕に移動した魔力により叩き潰される。
たとえ何処に踏み込もうとだ。
(……さらば俺の仕官の野望。俺はおとなしく冒険者で一攫千金を狙い続けるか)
冷めた思考が身体の熱を奪い取る。奇跡でも起きない限り、その実力差は埋められないのだ。
「シュルツさん、来ないなら、行きます」
カナメが宣言する。
シュルツが覚えているのは、眼前に突然現れた鞘付きの剣だけだった。
「ふう。終わった終わった」
予選を突破したカナメは、会場である第三練兵場の詰所にいた。
そこにはカナメも合わせた各組を突破した本奉納の出場者四名の姿がある。
一人は壮年の重戦士。両手剣使いだ。
一人は軽装の剣士。大小二本の剣を腰に差している。
一人は煌びやかな鎧をつけた騎士風の男。どうやら細剣を使うようだ。
予選突破の激励や、二日後の本奉納の開始時間などの説明を受けたら、時間はもう夕暮れだった。
予選通過者が挨拶も無しに詰所を出る。そこには本奉納進出の喜びなど微塵もない。
それぞれが眉間に皺を寄せたまま、暮れなずむ市街へと消えていった。
空気の悪さに萎縮していたカナメが、詰所を最後に出た。
正確には最後じゃないと動けなかったのだ。なぜか他の参加者より先に詰所を出る気にはなれなかった。
自分の情けなさに頭の中で苦笑する。
会場にはもう観客の姿は無かった。東の空は徐々に暗くなっている。
市街に続く道を急いだ。
家ではリューリエがご馳走を用意して待っているだろう。
練兵場を抜ければ住宅地にたどり着く。いくら祭の期間といえど、大通りや市場から離れているこの場所は静かだ。
各区画ごとに設置されている門が見えた。
あの門をくぐればカナメ達が借りている家のある区画に入る。
なんとなく家族の顔が見たくて、自然とカナメの足も早くなっていく。
門番の憲兵が誰かと喋っていた。
夕陽に照らされた金の短髪が、まるで獅子のように見える、しなやかな身体の背の高い男だ。
組合から発行された通行許可証を懐から出した。
木製のそれは組合の紋章が焼印で描かれており、割り符の右半分だ。王都内の区画門や、国境の関所などで用いられる。
各所に配られた左半分と合わせれば、ちゃんとした組合章の模様になる。
「すいません。確認お願いします」
「わかった」
憲兵に割り符を差し出す。事務的な対応で憲兵が壁にかけられた割り符を探しに移動した。
「よう少年。予選通過おめでとう」
男が急に話しかけてきた。
「え?あ、ありがとうございます」
(考えてなかったけど、目立っちゃってたんだよな。俺)
大勢の観客の前で大立ち回りをしたのだ。
おそらく明日には王都中に顔が知れ渡るだろう。もしかしたらもう広まっているのかも知れない。
「強かったな。見てたよ。良かったら名前を教えてくれないか」
そう言って男は右手を差し出してきた。
「俺の名前はウェルフェン」
「あ、カナメです」
カナメが慌てて右手を出した。
(…え?)
その手を握ったと同時に、背筋に悪寒が走る。
全身が総毛立ち、思わず一歩引いてしまった。
「……あぁ、そうか。わかっちまうよな」
ウェルフェンはカナメの手を握ったまま、口元を釣り上げた。
その目は猛禽類のように鋭くカナメを射抜く。
射抜かれたカナメは、そこから動けなくなった。
「カナメ、お前も。わかっちまうのか」
「……何を、ですか」
カナメもまた、その手は離さない。
理由はわからないが、離した途端襲いかかってくる気がしたからだ。
「全身が、理解しただろ? おそらく今俺が感じてる感覚と一緒だ。ゾワリときてんだろ?身体が臨戦体勢を取りたがってんだよ。わかっちまうのさ。目の前にいるヤツがどれだけ危険で、どれだけ強いのか」
「………手を、離してください」
カナメはウェルフェンの服装を見る。
特に何かを仕込んでいる様子はない。七部丈のシャツに、厚手の布のズボン。黒色のグローブにブーツ。腰にも背中にも剣は差さっていない。
ウェルフェンがゆっくりと指を広げた。
カナメもまたゆっくりとその手を離す。
「名前を言やあ気づくと思ってたんだが、俺の過剰な思い上がりだったか」
「……初めて聞くお名前です」
ウェルフェンが苦笑いしながら頭を掻いた。
「第七騎士団、副団長をやってる。ウェルフェン・リアッツ・フェルドナだ。成り立てだが準男爵の爵位を持ってる」
貴族だった。カナメがまともに会話する初めての貴族だ。
「俺も奉納試合の出場者だ。恥ずかしながら優勝候補とか言われてる。お前とも、戦う事に、なるだろうな」
「………冒険者パーティー、『五色の蝶』のカナメです」
相手が正式に名乗りを上げたのだ。カナメも名乗らなければならなかった。特にウェルフェンは貴族である。貴族相手では些細な事で反感を買うとダインから聞いている。
「ダインのおっさんの言う通りだったな。面白いもんが見れた。お前も明日の俺の試合を観に来い。勝負は平等に行こうぜ。特にお前と俺はな」
ウェルフェンがまたニヤリと笑った。
「きっと戦う事になる。他の奴らじゃダメだ。俺達を止められねぇ。ドナヒュー近衛兵団長には悪いが、あの人と俺とじゃ楽しくない。お前となら、楽しめる」
その笑みはどこまでも鋭利だった。
見た者の心に突き刺さる。獲物を前にした肉食獣の様な表情だった。後ろを見せたら、食い殺される。
「……ご期待に添えられるよう頑張ります」
「心配すんな。期待はずれにはならねぇさ。お互いにな」
そう言ってウェルフェンは背中を見せた。
だけどカナメは動けない。腰の剣を抜きたい衝動が収まらない。
この金色の獅子の前で、剣を抜いていないことが心配だった。
「気兼ねなくやろうぜ! 全力で、おもっいきりな!」
振り返らずに右手を上げたウェルフェンが叫ぶ。
その背中は徐々に小さくなっていき、やがて街の角へと消えていった。
(…第七騎士団、副団長。ウェルフェン・リアッツ・フェルドナ、か)
握手していた手は未だに熱かった。
その手を握り、カナメはウェルフェンが消えていった方角をみる。
既に日は落ち、もうじき完全に夜になる。
冷えた風が吹いた。火照ったカナメの身体を冷やすには丁度いい風だった。
「お、おい」
しばらく街を眺めていたら、背後から声をかけられた。
カナメはゆっくり振り返る。
「あ、も、もう確認終わってんだけど」
「あ、ありがとうございます」
割り符を持った憲兵が所在なさげに立っていた。
カナメは恥ずかしくなり、足早に区画門を後にする。
「アーマル!」
第七騎士団詰所。その大広間に興奮したウェルフェンが突入してきた。
「アーマルいるか!アーマル!」
「はいっ!アーマルはここに!」
奥から副団長補佐のアーマルが慌てて走ってくる。
団長不在の第七騎士団、その書類関係はウェルフェンでは処理しきれずに、アーマルが半分を片付けていたのだ。
おかげで奉納試合も見れなかった。
「暇してる奴らを何名か連れて来い!中庭だ!」
「ど、どうしたんですか副団長⁉︎」
その顔は嬉しそうに笑っていた。
アーマルが初めて見る顔だ。
酒場で酒を飲んでいるとき、訓練で部下を鍛えているとき、ウェルフェンの笑う姿は幾度も見ているが、今の表情はそのどれとも違う凄まじい笑みだった。
「生きのいいヤツがいた! 強いヤツだ! ありゃ凄ぇぞ! おかげで身体動かさねぇと寝れやしねぇ!」
壁に並べられた剣を取り、ウェルフェンがシャツを脱ぐ。
鍛えられた身体は今にも湯気が出そうなほど熱を帯びていた。
「ああ楽しみだ。そうさ楽しみだとも。こんな気分は久々だぜ。やってくれやがって。見てろ」
そう言ってウェルフェンは中庭へと通じる扉を開けた。
ご意見、ご感想お待ちしてます。




