彼女達の始まり
※【】表記があります
「カナメ、お酒が欲しいわ」
「ヘレーナ、右手のグラスにまだ残ってる」
カナメ達がトーバの村に滞在を始めて、およそ四日目の昼である。
前日の夜から祭りが始まり、村の中央広場は人で溢れていた。
「カナメ!この麺料理すっごい美味しいわ!」
「リューリエ、そろそろお腹壊すぞ」
広場では、商人や料理人が様々な出店を出店している。
酒や食べ物、珍しい異国の果物などが出されていた。
「カナメっ!これ凄いよ!普通の包丁より切れ味の凄い包丁だって!僕にはただ穴を開けただけにしか見えないのに!」
「アルヴァ、そんなもん買ってどうすんだよ」
普段の開拓作業で抑圧されていた村人達や開拓者達が、この日ばかりはと羽目を外している。
まだ昼時だというのに祭りは最高潮だった。
【わー!凄い凄い!あの人、口から火を吹けるんだ!】
【シュレウスぅ、あんまり近づくと危ないよぉ】
【エンリケ、シュレウス。迷子になるなよ】
「カナメ、お酒が欲しいの」
「もう飲んだのかヘレーナ!」
「カナメ!このお肉は羊のお肉なんですって!」
「リューリエ!その両手に持った串全部食べる気か!?」
「カナメ!幸運の不思議な石だって!僕にはただの石にしか見えないのに!」
「アルヴァ!そんなもん買っちゃいけません!」
始めて人里に降りた五色蝶のテンションはもう右肩上がりだ。
ヘレーナはカナメにしがみつきながら目につく酒を片っ端から飲み出し、リューリエは食べ物を次から次へ食していく。
アルヴァはテンションに任せて珍しい品を買いあさり、シュレウスはフラフラと楽しそうな場所に誘い込まれていく。
エンリケだけが周りのテンションについていけず、オロオロとカナメの頭上を飛んでいた。
「凄いわ!これがお祭りなのね!色んな人が色んな格好をして、色んな食べ物がいっぱい!」
「森で取れたもんとか、獣の皮とか高く売れて良かったな。かといって使いすぎんなよ」
「そうよね!お金を払わなきゃ食べられないもの!ところでカナメ、あとどれくらい食べれるのかしら」
「…………銀貨がまだ十三枚あるし、銅貨も多いから祭りで破産はしないけどさ」
「も、もうちょっとだけ、ダメ?」
上目使いのリューリエに勝てるわけがない。
食に目覚めたリューリエは、作る方も食べる方も貪欲だった。
その胸の前でいじらしく手をすり合わせるあざといポーズは、カナメの理性にクリティカルヒットを与える。
リューリエに限らず、カナメは五色蝶の我儘にめっぽう弱かった。
「しゃーない。今日は特別だ。みんな気がすむまで食っていいし飲んでいいぞ。アルヴァ、買う前に俺に見せろよ。さっきの石は絶対嘘だぞ」
「嘘もあるの!?」
「嘘って言うか、物は言い様って言うか。幸運になってもその石を持ってたからって言う証拠は無いだろ?」
「なるほど、これが商い術……っ!」
ワナワナと身体を震わせ、興奮が抑えきれないアルヴァの背中を、カナメは軽く叩いた。
「一つ勉強になったって事で、この失敗を糧にしような」
「そうだよ!僕はまた一つ知識を得たんだ!」
いきなり両手をあげて吠え出した。失敗すらも嬉しいようだ。
カナメは苦笑するしかない。
そのままアルヴァは怪しい露店に突入していった。
シュレウスとエンリケもそれに続く。
「カナメ、いつの間にかお酒がないわ」
「………どの店の酒がいいんだ?俺が買ってくるよ」
「うふふ、あそこのレモンが乗ったお酒まだ飲んでないわ。ありがとうカナメ」
カナメにグラスを手渡し、気持ちよさそうにカナメの肩を頰ずりするヘレーナ。
「ヘレーナが幸せそうだから礼はいいよ」
半分閉じかけた瞳のヘレーナは、少し前から酔っ払っている。
隙だらけのその姿は普段の澄ました表情からは想像もつかないほどに可憐だった。
グラスを受け取り、ヘレーナを広場のベンチに座らせてカナメは出店に向かう。
先ほどから周りの男達がチラチラとヘレーナを盗み見ているのが、何より気にくわないカナメだった。
「ヘレーナって酔ってからが長いのよね」
カナメが買い出しに行っている間、ヘレーナの隣はリューリエが座っている。
ヘレーナはリューリエの肩に頭を預けると、グリグリと優しく押し付けた。
酔っ払ったヘレーナの甘え方である。
「うふふ。お姉ちゃんもお酒飲みましょう?」
リューリエの黒髪を甘噛みしながら、際限なく甘えてくる。
先ほどリューリエが言ったように、ここからの彼女は長い。過去に酔い潰れたのは一回だけだが、その時は夜通し飲み続けていた。
「はいはい。あとでいただくわ。普段はお姉ちゃんなんて言わないから新鮮だこと。悔しいけどあたしの妹は可愛いわ。はいあーん」
「あーん」
持っていた串の一本をヘレーナに与えるリューリエ。それを嬉しそうに口を開けて待つヘレーナ。
「おう、嬢ちゃん達。どうだい一杯。俺が奢るぜ?さっきの兄ちゃんなんかより俺の方が男前だろう?」
二人の美少女が戯れる姿を見て、我慢できずに飛び出して来た男がいた。
冒険者風の大柄な男だった。
「お気持ちだけで結構よ。妹は少し酔ってるの」
「うふふ。ごめんなさい」
宿を出た時から、隙あればと色々な男達が二人に声をかけてくる。
あまりにも多すぎて辟易するほどだ。
アルヴァやカナメが側にいる時ですら近寄ってくる者もいて、あしらい方にも慣れてしまった。
「かまやしねぇさ。二人とも面倒見てやるよ。この通り俺は腕の立つ冒険者だ。軽そうな女二人くらい余裕で相手できるぜ?」
負けじと男は下品な笑みを浮かべる。
その顔に不快感を感じたリューリエは思わず身体を引いてしまう。
「なんの相手だか知らないけれど、本当に結構よ。あたし達は家族でお祭りを楽しんでいるの」
「うふふ。カナメだって、私達二人ぐらい簡単に抱っこしてくれるわ」
男の前で手を差し込み、ヘレーナとの距離をあけるリューリエ。
姉の気持ちも知らずにヘレーナは呑気に笑っていた。
「まぁまぁ、実は仲間とこの先の店で飲んでんだよ。絶対損させねぇから、大人しくついてこいって」
「あら」
男はヘレーナの手を取り強引に引っ張ろうとする。
「ちょっと!妹から手を離してちょうだい!」
引き寄せられるヘレーナの空いてる手を掴み、リューリエはベンチから立ち上がった。
「お姉ちゃんも一緒だよ!おら!あんまり焦らすんじゃねぇよ!俺は気が短えんだ!」
「っ!あなたいい加減にしなさいよ!」
リューリエの肩を掴み、強引に引き寄せようと男は力を込めた。
リューリエは足を踏ん張って抵抗する。
「心配すんなって!可愛がってやっからよ!」
下卑た笑みを浮かべる男。やがて不幸が訪れるとも知らず。
「おい」
「ああ!? なんだもう戻ったのかよ!残念だったな坊主!この嬢ちゃん達は強くて逞しい男をご所望だってよ!」
酒のグラスを片手に、カナメは目を見開いて立っていた。
その表情に感情は一切含まれていない。
「勝手な事言わないで!カナメっ!」
視線で助けを求めるリューリエ。
「あっ、カナメお酒」
カナメを見つけたヘレーナは嬉しそうに笑った。
「坊主は宿に帰って一人でなぐさあぶぁ!!」
誰の目にも留まらぬスピードで男が吹き飛んでいく。やがて広場の外の木に激しくぶつかり、派手な音を立てて地面に落ちた。
周囲の人間が驚いている。突然ムサイ男が飛んで来れば、誰だって驚くだろう。
カナメは、右腕を振りかぶった姿勢で固まっていた。
「………油断も隙もありゃしねぇ。リューリエ、ヘレーナ。大丈夫か?」
ゆっくり起き上がり、二人を気遣う。
呆れながら鼻を鳴らし、右手をプラプラと揺らした。
「あたし達は大丈夫だけど。あの人、死んでないわよね?」
「カナメ、お酒落ちちゃったわ」
「おっと。ごめんヘレーナ。すぐに買い直してくるよグラス代も払ってこなきゃ」
我を忘れて殴りかかってしまったので、持っていたグラスの存在を忘れていた。
このグラスは最初に酒を買った出店から借りていた物だ。
無残にもグラスは割れ、乗っていたレモンが土まみれで落ちていた。
「三人でいきましょ。あたしのお肉も無くなっちゃったの。あそこの猪のスープって飲んでみたいわ」
「あそこのお酒も美味しそう」
「んじゃそうしよっか。このあたりでならアルヴァも見つけやすいだろうしな」
以前のジュッツの一件以来、カナメの二人への独占欲は歯止めが効かなくなっていた。
村に滞在してる間、リューリエとヘレーナへの視線が絶える事がなかったのも、大きな原因の一つだろう。
どこに行っても、男女問わず沢山の注目を浴びてしまい、もちろん中には言い寄ってくる男もいるのだ。
もちろんアルヴァやエンリケ、シュレウスへの兄心も強く持っている。
だがこの女性二人に対する想いが一体何なのかを、カナメは整理できていない。
恋心もあるだろう。それは認めている。
家族愛ももちろんある。
そして友情に似た気持ちすら混ざって、その気持ちを何と呼んで良いのかカナメは知らない。
だから、カナメは隠さなくなった。
全ては心のままに、流されてしまおう。
それがカナメの答えだった。
「おーいカナメー。祭り楽しんでるみたいじゃねえか」
「ダインさん。シノアさん。」
酒屋に割ったグラスの代金を支払っている時に、人混みの中から顔に傷のある男、ダインが出てきた。
その隣にはシノアが立っている。
「リューリエ!こんにちは!」
「こんにちはシノア!ねぇあそこの麺料理食べた?とっても美味しかったわ!」
シノアはリューリエの手を取り、嬉しそうに笑う。
それにつられてリューリエも黒髪を揺らしてシノアに近寄った。
仲睦まじく二人は騒いでいる。
「ヘレーナの嬢ちゃんは飲んでるみたいだな」
その光景を尻目に、ダインは手持ちのグラスを煽った。そのグラスにも酒が入っているようだ。
「こんにちはダインさん。うふふ、お酒がいっぱいあって素敵だわ」
相変わらずカナメの左腕を抱きながら体を預け、火照った表情のヘレーナ。
「飲みっぱなしなんで大変です」
「嬢ちゃんはイケる口か。あっちに珍しい酒が売ってたぞ」
「カナメ」
「……わかったって。酒は逃げないから」
閉じかけた目を開いてカナメに催促するヘレーナ。
大河で酒の味を覚えたヘレーナは、その味にやみつきだった。
「アルヴァはどうした?」
「露天の怪しい品が面白いって、暴走してます。そろそろ小遣いが無くなって戻ってくるんじゃないですかね」
端から見ても田舎者丸出しのアルヴァは、露店商人の掌で見事に転がされていた。
村の市場は未開拓地とはいえ、領主の手の入った商会が取り仕切っている。
祭とはいえ簡単に出店する事は出来ないが、やはり中には眉唾物の怪しい商人がいたりする。
それもまた祭の醍醐味という事で、商会も黙認してる部分があるのだ。
ただ、物事には限度という物がある。やりすぎるとどうなるかは、想像に難くない。
「んで、リューリエの嬢ちゃんは食い道楽か。大変だなカナメ。こりゃ稼がなきゃいけねぇぞ?」
「ええまぁ。ダインさんに教わって剥いだ狼の皮、結構な値段になりましたよ。 相場も聞いてて助かりました。早速足元見てくるヤツもいて」
まだ祭の見学を始めて二時間ほどだが、それでもカナメ達の財布はそこそこ軽くなっている。
ダインから頂いた依頼報酬だけだったらこんな贅沢は出来なかった。
獣の皮や牙や骨を売って稼ぎを得る。
旅人や冒険者の一般的な稼ぎ方だ。
アンタム大森林でも魔物の牙や角は集めていた。
通貨が流通している事は大河の半魚人から聞いてはいたが、その価値がわからなかったので保険として採取していたのだ。
最悪所有する魔道具を幾つか売りはらう事も考えたが、快く譲ってくれた大河の者に申し訳無かったので、あまり取りたくない手段だった。
心配しながら、いざ商会と組合が合同経営する買取所に持っていくと、結構な稼ぎになってカナメは安心した。
「獲物の価値を理解するのも一流の条件だ。冒険者も旅人もそれは変わらねえよ。狼の皮は結構出回ってるとはいえ需要はデカイからな。それがわからねえヤツはこの仕事は向いてねぇ。言い方は悪いが騙されるのは勉強不足のそいつが悪いんだよ」
商人も必死である。できるだけ安い値段で仕入れて高い値段で売捌きたい。
若手の冒険者を騙すように買い取り価格を偽るのも、暗黙のルールだ。
まともな商人は看破されればすぐに諦めるものである。
「一座の踊りを見に来たのでしょう?祭りの見回りも今回の依頼に含まれてるの。良かったら私達と回らない?」
懇願するようにリューリエを見るシノア。
「そうね。この広場の出店も殆ど回っちゃったし、あとはあの猪のスープが飲めればあたしはそれでいいわ。カナメどうする?」
基本的にリューリエはカナメの行動に従う。
いつだって最終決定権はカナメに委ねられるのだ。
「ああ、大丈夫だよ。アルヴァ達が戻ってくるのを待ってからになるけど」
「アルヴァ達?なんだ他にも連れがいるのか?」
「あ、いや。待ってるのはアルヴァだけです。あはは。俺ちょっとヘレーナの酒買ってくるんで、二人をお願いしてもいいですか?」
ダインの前でエンリケとシュレウスの存在を仄めかせてしまった。
人語を解する蝶など、おそらく余計なトラブルの元となる。
本当ならあの二匹には自由に行動して貰いたいが、できるだけ穏便に旅しようと家族会議で決めていたのだ。
蝶の姿では人語の発声はできないが、意志の疎通が取れている所を見られたら二匹が衆目を集めてしまう。
エンリケとシュレウスもそれは理解していて、人前ではあまりカナメに話しかけたりはしなかった。
本当によくできた子供達である。
「おう。そんぐらいお安い御用だ。行ってこい」
「ありがとうございます。ヘレーナ、大人しくしとけよ」
「ありがとうカナメ。私待ってるわ」
カナメの腕を抱くヘレーナを優しく剥がして、ベンチに座らせ出店へと走る。
「大変だな。さっき吹っ飛んでったヤツはカナメが?」
それを目撃したからダイン達は彼らを見つけられたのだ。
「ええ。しつこかったからカナメが怒っちゃったの」
「顔だけは知ってる冒険者だった。評判はあまり良くねえ。あれぐらいで死なねえし、偶にはいい薬だろ」
腕を組んで可愛らしく怒るリューリエに、ダインも呆れた顔で答えた。
この村は辺境領でも大きい部類に入る。
領地の半分が未開拓の荒れ地であり職には事欠かない。もともと多くの作業者がいる。
さらには国境に近く、街道も整備されている事もあって、このトーバの村は今や流通の要所だ。
ここ三十年でかなりの発展を遂げ、祭りとなれば様々な人で溢れかえる。
長く冒険者をやっているダインだ。顔見知りがいてもおかしくはない。
「しつこいと言えば、あの弦語りの若造だがよ。ついに一座も愛想尽かして追い出したらしいぜ」
ダインがニヤニヤとアゴをさすった。
「彼、王都で顔合わせした時に私にも言い寄ってきたのよ。あれは一種の病気だわ。いなくなってせいせいした」
シノアが嫌悪感を隠さずに言った。
ジュッツの話になると、女性陣はみな険しい顔をする。
「ええ、どこにでも行けばいいのよ。あんな人。うふふ」
酒の力で幸せそうなヘレーナにとって、もはやジュッツの事などどうでもよかった。
「あ、あたし達の所為かしら。なんか悪い事しちゃった?」
少しバツが悪そうに、リューリエが心配する。
「いや別に嬢ちゃん達やカナメは悪くねえさ。あのバカがやり過ぎただけの話だよ」
「そうね。リューリエは礼儀を弁えてたもの。カナメさんが怒ったのも当然よ」
リューリエに贔屓目のシノアはともかく、誰がどう見てもジュッツの自業自得である。
そもそもリューリエが気に病むのはおかしな話だろう。彼女も被害者の一人なのだから。
「お姉ちゃん。お腹すいたわ」
「そうねヘレーナ。カナメが戻ってきたら猪のスープを買いに行きましょう。……あなた普段からその態度なら凄い可愛いのだけれど」
「あら、ありがとうお姉ちゃん。大好きよ」
「ええ、あたしだって大好きよ」
リューリエに抱きつきながらおねだりをしている。
素面では絶対に見れない姿だ。
酔いのおかげで普段より素直なヘレーナが、もの凄く可愛かった。
ダインは微笑ましい気持ちで二人のじゃれ合いを見ている。
あの吹き飛んだ冒険者の気持ちもわからなくはなかった。
ヘレーナの酒を買う為、カナメは賑わう出店の列に並んでいた。
(まぁ、フレグ姫みたいな人魚達や半魚人がいるから、いてもおかしくはないんだけど)
カナメの前に並んでいるのは、狼の耳を頭に生やした、髪の毛の量が多い冒険者風の男性である。
更に周りを見渡せば、犬や猫の様な耳を持つ者もいる。
(一応貰った本とか、アルヴァには聞いていたけど、聞くのと見るのじゃやっぱ感じ方が違うな)
獣人。
人をベースに様々な獣の特性を持つ者達。
その存在は少なからずいる。
その中には、逆に獣が二足歩行をしている姿の者もいる。
人間サイズの獣が鎧や服を着て、通りを歩いて行った。
(なんだっけ。亜人だっけ)
カナメが並ぶ列の出店の店員も、セントバーナードが服を着て歩いている様な姿の亜人だった。
(あとでまた詳しく聞こう)
「ありがとう!はい次の兄ちゃん!」
自分の番が来て、カナメはセントバーナード店員に向き合う。
「すみません。珍しい酒があるって聞いたんですが」
「アッスールの事だね!この国の東にあるイムサって国の酒だ!この祭の為に仕入れておいたんだ!お兄さんも運がいいね!もう少しで全部売れちまう所だったよ!」
気持ちのいい威勢でセントバーナード店員が答えた。
「へー。じゃあそれを五つ貰えますか?」
異国の酒に興味を抱き、自分達の他にダインやシノアの分も購入した。
ダインが酒を飲む所は見たがシノアはどうだろうか。
少し考えたが、飲めなかったらヘレーナが飲むであろうとすぐに結論がでた。
「五つかい?結構高いんだけど大丈夫?」
「お幾らですか?」
「一杯で銅貨十六枚。全部で八十枚だね」
この村で質の良い宿が、一泊で銀貨一枚だった。
先ほどリューリエが食べていた肉料理が銅貨十枚。
普通の酒なら銅貨五枚が普通だ。
銅貨十六枚はなかなかの高級品だ。
「んー。大丈夫です。下さい」
頭の中で軽く計算してからカナメは答える。
この村に着いてから、財布の管理はカナメが担当している。
しっかり者のリューリエだが、食の誘惑に負ける事が多かったので持たせられなかったのだ。
「えっと、いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はい八十。確認して下さい」
ヘレーナが几帳面に十枚の棒金にしていた銅貨を、八本出してセントバーナード店員に渡した。
「んー。ちょっと待ってなー。うん、ぴったりだ。グラスは持ってるかい?無かったらそのままウチのグラス取っときな。大口のお客さんだからおまけしてやるよ」
受け取った銅貨を手早く確認し、セントバーナード店員は頷いた。
祭で出される飲み物は、それぞれが持ち寄ったグラスに入れられる。持っていない者用にグラスを売る露店もあった。
アッスールは柑橘系の黄色いが濃い果実酒だった。
酸っぱさの中に仄かな甘味のあるジュースの様な味だ。
陶器製のグラスが店のテーブルに並べられる。
「はいよっ!盆を貸してやるから零さないでおくれよ!」
丸い盆に五つのグラスを乗せて、カナメに手渡すセントバーナード店員。
「ありがとう。あとでお盆返しにきます」
よく見たらセントバーナード店員のお尻の方で、大きな尻尾がブンブンと揺れている。
感情表現だとしたら、素直すぎるとカナメは思った。
「カナメさーん!」
盆を受け取り人混みを掻き分けていたら、背後から声がした。
振り返って見ると赤毛のポニーテールを揺らしてネーネが走って来る。
「ネーネ。こんにちは」
「こんにちはカナメさん!今日の舞台、見てくださるんですよね!?」
ネーネは大きなローブを羽織り、完全に身体を隠している。
ローブの前部分数カ所を麻紐で結んでいた。
「ああ、楽しみにしてるよ」
「はいっ!楽しんでって下さい!」
喜色一杯の笑みを浮かべて、リューリエは胸の前で小さくガッツポーズを取った。
「俺達の他にダインさんとシノアさんもいるんだ。時間ある?奢るよ?」
慣れないトレイを両手でプルプルと揺らし、カナメはアゴで皆のいる方角を指し示した。
「すみません。ジュッツが昨日から戻ってなくて、稽古場にすぐ戻らなきゃいけないんです。姐さん達のお昼を買いに来たので。せっかくなのでご一緒したかったんですが」
「えっ?アイツいなくなったの?大丈夫?」
「はい!全然大丈夫です!もし間に合わなくてもダイン兄さん達が準備してますから!」
その顔にはジュッツの心配など微塵も感じない。
さすがに四年を同じ劇団で過ごしているので、心配が無い訳ではない。
しかしそれ以上に、芸人として舞台を放棄するという事がどれだけバカな事かをネーネは知っている。
自らの舞台を捨てる芸人など、もはや心配する価値も無いのだ。
前日の一件が無ければ事故などを考慮して、ミラもクマースも心配してくれただろう。
残念な事にジュッツは稽古場から逃げ出し、一日戻ってきていない。
詫びの出来ない者は、芸人としてどころか人として見捨てられるのだ。
「いなくなるんじゃねぇよネーネ。探しただろうが。おっ、兄ちゃんじゃねぇか。祭楽しんでるか?」
大きな盆に大量の肉料理を乗せ、管楽士イノが姿を見せた。
素肌に皮のベスト、大きめのズボンに装飾品。
つまりは舞台衣装を着けている。
「あっ、ごめんなさい兄さん!カナメさんを見つけたのでつい」
「こんちはイノさん。すごい楽しんでますよ」
顔を真っ赤にして慌てるネーネを見ながら、カナメは答えた。
「そりゃよかった。あと少しで俺たちの出番だからよ。教会前の広場だ。席取っとかねぇと知らねぇぞぉ?」
「あ、そっか。席忘れてました。今から押さえに行かなきゃ」
「ウチのネーネ嬢の為にも最前列を押さえてくれよ?」
「兄さん!?」
イノはカナメに取って話しやすい男だった。
軽そうな態度はジュッツと同じなのに、そこにはちゃんと話し相手への配慮が感じられる。
人をからかったり茶化したりするが、すぐにフォローに入ったりちゃんと笑いに変えてくれたりと、根は優しい人だと思えた。
「おっと、いけねぇ。おらネーネ。クマース兄さんが腹減らして待ってんぞ?ただでさえお前が財布忘れたり、舞台衣装のままで表出たりで時間食ってんだから。ほんとそそっかしいとこはいつまで経っても治んねぇのな」
「にっ兄さん!何もカナメさんの前で言わなくても!」
「あっ、あはは」
ニヤニヤとネーネを茶化すイノと、それに慌てるネーネを見て、カナメも自然と笑いが止まらない。
「それじゃカナメさん!舞台で会いましょうね!」
「カナメー楽しんでってなー」
「はい!頑張ってくださいねー!楽しみにしてまーす!」
二人はカナメに手を振りながら人混みの中に消えていく。
両手の塞がったカナメは大声でそれを見送った。
「何してるのカナメ。ヘレーナがカナメがいないって泣いちゃったわ」
「おっと、ネーネとイノさんに会ったんだ」
振り向けばリューリエが立っていた。
「へー。そういえばジュッツって人いなくなったらしいわ」
「ああ聞いたよ。ネーネ達も別に普通だったし、いいんじゃ無いか?」
二人で戻りながら会話する。
カナメのバランスの悪さを見かねて、リューリエは両手にグラスを一つずつ持っている。
「それならいいんだけど。ほらヘレーナ、カナメが戻って来たわ」
「カナメ、お、遅いわ。心配したのよ?」
その大きな瞳からぽろぽろと涙を零して、ヘレーナは泣いていた。
カナメの姿を見るとヨロヨロと立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと待ってヘレーナ。酒が溢れるから」
慌てて酒をベンチに置くと、ヘレーナが勢い良く抱きついて来た。
「ひっく。よ、良かったわ。っすん。戻って来て」
「ごめんごめん。酒買ってきただけだって、ほら涙拭いて」
カナメの胸に顔を埋めて泣き続けるヘレーナの頭を撫でる。
「びっくりしたぜ。急に泣き出すからよ」
ダインが苦笑しながらベンチの上の盆から酒を取った。
「こりゃ俺たちの分かい?悪りぃなカナメ。遠慮なく頂くぜ」
「私も少し飲んでみようかしら。あまりお酒は得意じゃないのだけど」
そう言ってシノアもグラスを取る。
その酒の匂いを嗅いで確かめている。
「ついでだったんで。遠慮なく貰ってください。祭ですから」
「カナメ!水を綺麗にする瓶とか髪の生える水とかあったよ!」
アルヴァが肩に二匹の蝶を休ませながら戻って来た。
【僕がそんなの何に使うのって聞かなきゃ、アルヴァ買っちゃうとこだったんだ】
【銀貨五枚とかするんだよ!お水ならお部屋にいっぱいあるもんね!髪の毛もみんないっぱい持ってるし!そんなの要らないよね!】
エンリケとシュレウスがその羽をパタパタと揺らした。
【でかしたぞエンリケ!ほらアルヴァ、シュレウスもちゃんと考えてんだぞ?勢いで高い買い物しちゃ駄目だからな】
【わっ、わかってるさ!ほら買ってきてないだろう?】
【エンリケが止めなかったら買ってたでしょ?まぁ、今日のあたしも買いすぎだから怒れないわ】
神語で会話をしながら、リューリエもグラスを取ってアルヴァに渡した。
「お酒だけど甘いらしいから、あんまり勢い良く飲むなよ?」
「わかったよ。ありがとうカナメ」
それを受け取り、少し手のひらに零すアルヴァ。
エンリケとシュレウス用だが、二匹は少し顔を近づけて駄目だったらしく、またアルヴァの肩に戻って行った。
「カナメ、私も飲みたい」
ヘレーナは鼻を真っ赤にしてカナメの顔を見上げていた。
「ちゃんとあるから心配すんなって。そろそろネーネ達の舞台の席取りに行こうか。人が多くなると見れなくなっちゃうからな」
「おっ、もうそんな時間か。んじゃ飯は俺が出そう。カナメ達は席を取っといてくれ」
「私達も一座の護衛も兼ねて見学を許されてるの。リューリエ、後でね」
「ダインさんありがとう。待ってるわシノア」
そう言って二人は出店の方に歩いていく。
【お酒ってなんでこんな匂いするの?僕駄目だ】
エンリケは大河の宴席で酒を一滴飲み、気持ち悪くなった経験がある。
【僕も駄目!お花の蜜の方が美味しい!】
シュレウスも同じ意見だ。
【うふふ。大人の味なの。あなた達が飲むのは変身出来るようになってからね】
未だカナメの胸から離れないヘレーナが二匹に笑いかける。
【美味しいわねこのお酒】
【ちょっと高かったからな。美味しくて良かった】
グラスをチビチビと煽るリューリエ。
カナメもゆっくり飲み始めた。
【さっき他の人が言ってたけど、教会の前の広場は人気らしいんだ。早く行かなきゃね】
アルヴァは周りから情報収集するのも怠らない。
テンションは高めだが、基本的にかなり賢い子なのだ。
【さーて特等席を探しに行こうか】
祭を大いに堪能しながら、カナメ達は教会を目指した。
日が傾き、辺りが真っ赤に染まる。
それぞれの家の軒先には灯りが灯され、影と夕焼けのコントラストが美しい。
舞台の上で、打楽士クマースが二つの太鼓を交互に叩きだした。
それは始めはゆっくり小さく、徐々に大きく、そして早くなっていく。
管楽士イノのバグパイプが、か細く鳴り響く。
単調な音がしばらく続き、時に野太く、時に甲高く鳴り続けた。
舞台中央で、ミラとネーネが頭からマントを被りうずくまっている。
その身体はゆっくりと左右に揺れ始め、だんだんとその揺れ幅が大きくなっていく。
クマースの太鼓が突如止んだ。
それに合わせてミラとネーネの動きも止まる。
鳴り響くのはイノが奏でるバグパイプの音、その音が一定の間隔を開けて拍を刻みを出した。
大きな太鼓の音が鳴り響く。
踊り子二人がマントを勢い良く脱ぎ捨て、滑るように交差した。
観客から歓声が飛ぶ。
男の声は欲にまみれ、女の声は憧れを混じり、教会前の広場に設置された広い矢倉のような舞台に集中していた。
それは、大地を揺らす情動の音。
巧みな楽士達は、その音すらも曲の一部とする。
イノのバグパイプの音が大きく鳴り響く。
合わせるようにクマースの太鼓がリズムを刻む。
叩かれているのは太鼓の筈なのに、観客は自らの身体が打たれているかの様な錯覚を得た。
力強く、遠く遥か彼方まで届けるように、その太鼓は腹の底を揺さぶりながら観客の身体を打つ。
複雑な音の重なりなのに、イノの奏でる音は流れるように旋律を描く。
時にそれは荒れ狂い、また時にはしとやかに。
観客を挑発するような音を出したかと思えば、その気持ちを鎮めるための音をだしたりと、巧みにその心を翻弄していく。
ミラはその細い腰をくねらせ、矢倉の淵で妖艶な魅力を振りまいていた。
自分の手足を撫でるように、周りの空気を流すように、その動きは淀みなく、儚くも不思議な強さを持つ踊りだった。
思わず身体を乗り出す観客。
その笑顔はどこまでも蠱惑的で、恐ろしささえ感じられる。
それでも心に興奮と喜びを抱きながら、目の前の踊り子に観客達は操られる。
ネーネもまた、まだ幼さの残る容姿を際立たせ、どこか脆そうな、それでいて触れたくてたまらなくなる動きをする。
盛り上がる衝動に合わせて揺れる腰。
観客の心を鷲掴みにする目線。
虜にするような妖しい笑顔。
一挙手一投足が全て男を誑かすような、危険な動きだった。
全てを投げ出してもまだ足りない。
あの踊り子が求めるのなら、自分の身体を隅から隅まで絞っても、差し出しても、構わない。
支配される喜びを、観客達は味わっている。
リューリエは、ネーネから目が離せない。
神族にして精霊神の愛娘。
精神の格で言うなれば、五色の蝶はこの広場の誰よりも高い。
それでもその魂は、ネーネの動きに合わせて時には激しく時に穏やかに揺さぶられる。
優しくくすぐられるかのように、激しく殴りつけられるかのように、腹の奥の知らない部分が刺激されていく。
その小さな口からは思わずため息すら出始めた。
人族となっている己の身体を両手で抱いて、リューリエは存在を守ろうとする。
気を抜けば、もしかしたら連れて行かれてしまう。
興奮は軽い危機感のような感情に変わり、しかしそれすらも甘美な熱を持っている。
奥底から湧き出る衝動は、激しい情熱と痛いほどの焦りだ。
隣に立つカナメを見た。
無様に口を開けて舞台を見つめるその目は、ネーネを見続けている。
無意識に、カナメの腕を抱いた。
反対側では、ヘレーナも蕩けた表情で舞台を見上げている。
カナメに体重を預け、その手はカナメのシャツを強く握り締めていた。
恐らく、リューリエと同じ感情を抱いているのだろう。
リューリエは少しだけ恐ろしい。
ネーネがその腕を振るだけで、カナメを持って行ってしまうかも知れない。
身体じゃない。魂をだ。
それほど、その踊りは凄まじかった。
教会広場に集まる五百は超える観客の中には、すでにその心を奪われた者もいるのかも知れない。
リューリエに取って初めての、心を震わす感動と言う感情。
神水泉を出発してから、カナメと出会ってから度々、その心中に知らない感覚が生まれる事がある。
この場でもまた、そうだった。
綺麗であった。素晴らしいと素直に思えた。
そう思えば思うほど、ネーネが恐ろしい。
どうかカナメを連れて行かないで。
そう無意識に思いながら、リューリエは再び舞台を見る。
それは、リューリエとヘレーナにとっての目覚めであった。
女としての意識。
嫉妬心と、独占欲。
皮肉な事に、先日カナメがジュッツに対して抱いた感情が二人の胸の中で渦巻いている。
嫉妬の対象はミラではなかった。
女の勘が働いたとしか言いようが無い。
カナメに少なからず恋心を抱いているネーネだからこそ、リューリエもヘレーナも危機感を覚えたのだ。
取られなくない。
奪われたく無い。
それが妖精としての彼女達に果たしてどう働くのかは、恐らく土神にすらわからない。
それは感情の話なのだから。




