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踊る純情、舞う邪悪

※軽度のグロ表現があります。

※少しだけエロい表現があります。

 

「み、ミラ姐さん!男の人ってどんな女の子が好きなんですか!?」


 意を決して、ネーネはミラに質問した。


「そんなもん、薄着で迫ればイチコロでしょ?この衣装みたいな」


 狩猟祭を明日に控え、一座は村の集会場で最後の練習をしていた。

 クマースが抱える打楽器は肩紐でくくりつけた太鼓を三つつなぎ合わせた者で、コンガに近い。

 イノはバグパイプとほぼ同じ形状の管楽器を調律している。

 顔色の優れないジュッツは、リュートをポロンポロンと弾いていた。


「ほ、ほんとですか!?」


「そりゃ、こんだけ露出した女の子になんとも思わない男はいないわよ」


 ネーネは両手を広げて自分の姿を見る。

 上半身は薄い布製の胸当てのみで、下半身も下着みたいな形をしている。その上からパレオをつけていた。

 両方の手首と腕に宝飾品をあしらった飾りをつけ、足首に紐を通した平たいサンダル。


「これでは外は歩けませんよ?」


「普段からこんな格好してたら、そりゃあ淫売って呼ばれてもおかしくないわよね」


 新人の踊り子ネーネは王都では、若い層から年配の層まで幅広い人気を誇る。

 四年前に劇団に入団し、二年の見習い期間を経て、去年から舞台に立つ事を許された。

 初公演はミラが主演の舞踊演劇の端役だった。

 最近主流の、物語に舞踏を混ぜた物だ。

 出演時間はおよそ10分も無かった。

 主役の男性貴族に恋する平民の娘という役柄で、当時はまだ14だった。

 そのわずかな出演時間と日に三度ある公演のみで、ネーネは大衆から異例の人気を得たのだ。

 もちろん言い寄ってくる男は居たが、もともとが神事の踊り子を目指していたネーネは劇団に厳重に保護されていた。

 なのでネーネは、一座の男性以外と接点を持つ事は殆どない。

 舞台に出るようになってジュッツが口説いて来た事もあったが、団長が激怒した為に大事にはならなかった。

 他の楽士や役者の男たちも、ネーネを妹のように扱っている。

 貴族の娘や平民の次女以下の娘が、良縁を求めて入団することは良くある事だ。

 そういう娘達はさっさと嫁ぎ先を決めて退団していくので、芸の腕を本気で磨く娘は少ない。

 今も踊り子で言えば二十六名、役者で言えば三十五名。その中でまともに踊れたり、演じれるのは二十名に満たない。

 先輩を兄や姐として呼んだり、逆に妹や弟として扱う事は、本当の意味で劇団の一員になった証だった。

 今の所、ネーネは劇団で一番年若い妹分であった。

 素直なネーネを、団長を筆頭にみな可愛がっている。


「ネーネは、あの兄ちゃんが好みか」


 ベテランの打楽士、クマースは楽器を下ろした。

 獣の皮を張った太鼓を二つも担いでいる。打楽士は体の大きい男性が殆どだ。


「そりゃ、あんだけカッコ良く助けて貰ったもんな。泣き喚いていたそこの腰抜けとは違うって」


 管楽士イノはバグパイプを一度鳴らして、ジュッツを見た。

 ジュッツはビクリと体を強張らせた。


「王都に帰るまで、お前は雑用係だからな」


 クマースが眉をひそめた。

 この遠征公演で、一同のジュッツの株は大暴落だ。

 もともと素行の悪さが目立っていたジュッツをつなぎ止めていたものは、楽士としての腕の良さと、パトロンの存在である。

 人格は決して評価されていない。

 楽士がその腕を買われて、道楽貴族に召し抱えられたり、王立楽団に引き抜かれる事は多い。

 だがまだ団に所属している内から援助するようなパトロンは、実は王都では限られている。

 有名な貴族の奥様などは若手の男優を多く囲い、週に一度の夜会を開いているという噂もある。

 ジュッツのパトロンも例に漏れず、とある貴族の奥方様であった。

 しかしその援助額が凄まじい。一月に金貨四枚をも団に援助するほど、ジュッツに熱を上げているようだ。

 ネーネも、夜な夜な劇団の宿舎を抜け、貴族街へと向かうジュッツを何度も目撃している。

 本来、そういったパトロンがついても周りは気にしない。それが貴族だ。

 ジュッツの素行の悪さが際立つのは、それ以外にも商人や王都の有力者の妻さえもパトロンにしている事だ。もちろん楽士としてではなく、男として。

 しかもこの男は最悪な事に、その貴族や有力者の名を用いて良縁を斡旋すると嘯き、若手に肉体関係を強要していたのだ。

 そういった事情もあって、ジュッツは団員からの評判は悪い。姉御肌、兄貴肌のミラやクマースの庇い立てでようやく不平不満を抑えている現状だった。


 無論、ネーネもジュッツを苦手としている。

 まだ見習いだった頃、しつこく言い寄られた事があった。男を知らないネーネにとって、恐怖だった。

 周りの先輩の踊り子が庇い、団長の怒りもあってすぐにジュッツは絡まなくなったが、すぐに他の見習いに言い寄っていた。

 誠実さの欠片もない男である。腕の良さが無ければおそらく今頃ここにいないであろう。


「かっ!カナメさんとは言ってないじゃないですか!?」


「アルヴァくんも居たのに、カナメくんの名前が出るのは変じゃない?」


 ミラがニヤニヤしている。


「墓穴を掘ったか」


「いやー王都の兄さん達が落ち込むな。可愛がってた妹が旅先で女になって戻ってくる……。最悪泣く奴も出るな」


「ミラ姐さんっ!兄さん達もっ……。あ、あの。やっぱりほらダインさん達も言ってましたし、王都迄の護衛でカナメさん達を雇えませんか?」


「団長から預かった銀貨がまだ全然残ってるから、できねぇ事はねぇけどよ。兄ちゃん達がどうするかだぜ?あの馬鹿が機嫌損ねちまったしな」


 財布を預かるクマースがジュッツを指差す。


「…………最悪です。ジュッツ、ちょっといい加減にして欲しいです」


「なんだよ!俺が何したって言うんだ!可愛い子に声かけただけじゃねぇか!」


 今まで黙っていたジュッツが声を荒げた。


「別にあんたが女の子引っ掛けるのはいいのよ。それをあんだけわかりやすく嫌がってた命の恩人にしたってのがまずいの。仁義の欠片も無い行為よ。人としてダメねあんた」


「しかもお前、ヘレーナちゃんだけじゃなくあわよくばリューリエちゃんにもツバつけようとしただろ。そりゃ、あの兄ちゃんもキレるさ」


 ミラとクマースから手痛い正論を吐かれ、ジュッツはぐうの音も出ない。


「救えねえ馬鹿だとは思っていたが、ここまで無様だと逆に可愛く見えてくるな。よーしジュッツくーん。イノ兄さんがミルク奢ってやるよ」


「ばっ!馬鹿にしやがって!畜生!」


 イノに茶化されたジュッツが憤慨し集会場を出ようとした。


「明日の舞台、来なかったら覚悟するんだね。いくら何でも仕事ほかす事がどう言う事か、一応芸を扱う者なんだから意味ぐらいわかってんだろ?」


 ミラの言葉でジュッツは動揺する。

 芸人にとって、芸を披露する場を自ら放棄するという事は引退を意味する。

 体調の悪化やよっぽどの理由が無い限り、それは絶対のルールとして存在していた。

 王都であぶれる芸人は多い。チャンスを自ら捨てる者などいらないのだ。それなら他の芸人に機会を与える方がいいだろう。


「わかってるよ!明日戻ればいいんだろ!」


 そういってジュッツは集会場を後にした。


「困ったヤツだな本当。イノ、リュート無しの曲を練習しとこう。アシュレイが作った曲がある。ミラ、踊り覚えてるか」


「誰に言ってんのさ。完璧に踊れるわよ。ネーネ、やった事無い曲だけど大丈夫かい?」


「はい!前にフェンネ姐さんが踊ってるの見た事があります!」


「さすが、覚えとくなんて偉いね。イノ、早いところがあんだけど大丈夫かい?」


「兄さん、譜面の写しねーか。ちょっと自信ねぇところがあったんだ。確認しときてぇ」


「あるぞ。ネーネ、ミラの順で表周りの振り付けはどうだ」


「そうだね。舞台も広かったし、その方が迫力出るだろうさ。リュート無しで音は大丈夫なのかい?」


「問題ねぇさ。デカイ分にはな。さすがに細かい部分はおざなりだ」


「いいさ祭だもの。派手ならそれでいい」


 残った四人は間違いなく本物の芸人だった。

 稽古を放り投げて逃げ出す方がどうかしているのだ。

 なにせ本番は明日なのだから。

 どんな事情があるにせよ、稽古場から逃げ出す者には気を取られない。

 それもまた、芸人の暗黙のルールだった。

 やる気と本気が混ざりあって、一座の稽古は加熱していく。


(カナメさんに踊りを見てもらって、王都の公演にも興味を持ってもらわなくちゃ!)


 恋する乙女の熱もまた、加熱されていた。










「古き鉤爪」の一行も、願い亭で宿を取っていた。

 道中ですら共に寝る事も多いので、シノアが同室でも何ら問題はない。そこは冒険者である。男女の差はでない。

 劇団経由で宿泊費が出ているとはいえ、金は節約しておきたかった。

 今は広めの部屋を取り、各々が自由に休養を取っている。


「カナメ達、王都まで付いてきてくんねぇかな」


 ダインが安物の酒を煽りながらテーブルに座っている。


「私がリューリエを説得するわ。まだ聞きたい事沢山あるもの」


 ベッドに腰掛けたシノアは、装具や術式を仕込んだロープを確認していた。

 魔道具とは呼べない代物だが、火の属性魔術を仕込んだロープはシノアの虎の子だった。

 得意の風属性の魔術と組み合わせれば、その威力は格段に上がる。

 シノア手製のロープは、作るのが難しい。

 王都の道具屋に売られている物は、上質だが値が張ってしまう。


「しっかし、あの御者共はどうなったんすかね」


 サンニアは弓の手入れをしていた。


「生きてんなら俺が殺す。死んでんならザマァってとこだ」


 狼の襲撃とほぼ同時に逃げた御者達を、ダインは恨んでいた。

 持ち去った馬車の中にはアノスの使う予定だった盾が入っていた。

 それがあればアノスが助かったかどうかは微妙だが、無くなった事でアノスの手数が減った事は確かだ。

 馬の負担を軽くするために、御者に言われて馬車にしまったのは最悪だった。


 ダインは瓶ごと酒を煽る。気分が悪い時は酒で飲み込むのが一番だ。


「あんな大量の狼、初めてみたわ。」


「ねぇ事はねぇんだが、滅多にある事じゃねぇよな」


 十年に一度ほど、森の奥で何らかの異変がある時に魔物が森から溢れる時がある。

 それでも狼から鼠までのごっちゃになった群れで、予兆があるため冒険者や軍は人を揃えて迎え撃つ。

 突発的な魔物の発生もあるが、あれほどの群れの規模にはならなかった。


「それをたった三人で仕留めたってのが凄いっすね」


「称号持ちの冒険者達なら可能だけどな。俺は一度『風穴』と一緒に仕事した事があるが、ヤツらもえれぇ強かった」


「『風穴の静かなる獅子』?有名なパーティーじゃない」


 冒険者はその働きが認められれば、組合ギルドから称号を与えられる。

『風穴』の称号を得た「静かなる獅子」はその中でも名の通った冒険者パーティーだ。

 それは冒険者個人に与えられる場合と、パーティーの名に与えられる場合に分かれる。

 個人に称号が与えられる場合なんて滅多にない。ここ三十年ほど出ていないほどだ。


「あとは、裂剣騎士団の『縦割り』ウェルフェンぐらいかな」


「ウェルフェン副団長っすね。あの人は正真正銘の化け物っす」


「気のいいヤツ何だがな。飲み友達なんだよ俺」


「名前と業績はよく知ってるけど、『縦割り』の噂は本当なの?」


「現場を見た訳じゃねぇが、獲物は見たよ。綺麗に縦に割れてやがった。ありゃ見事だ」


 王都で最強と言われる第七騎士団、俗称「裂剣騎士団」。

 鋭い七本の剣を模した隊章どおり、剣の腕を誇る騎士団である。

 その副団長、『縦割り』ウェルフェン。

 若干25にして、精鋭にして勇壮な騎士団の副団長。

 平民から爵位を得て副団長にまでなった、庶民からも人気の高い男であった。

 その二つ名である『縦割り』とは、王都の北にあるルプツ丘陵に発生した、大型の魔獣である岩巨犬ロックグリムを、剣一本で縦に割った事から由来していた。

 その魔獣が王都の城壁程の大きさだった事が、さらに彼の名前の流布を加速した。

 五年前の話だ。

 当時ウェルフェンは20歳。憲兵だった。成人は15とはいえまだ若い部類に入る。

 その功績を認められ、国王から爵位を得たウェルフェンは騎士団に入団。あれよあれよと出世していき、わずか三年で副団長にまでなった。平民が剣士として成り上がれる最高峰である。騎士団長は貴族家の世襲制なのでなれないが、長いロアの歴史でもそういない偉業だ。

 たちまち王都は彼の噂で持ちきりになった。

 偉くなったのに奢る事なく、さらには民の為の団運用までしてくれた。

 王都の貧民街スラムの治安改善は間違いなくウェルフェンの成果だ。

 その話は吟遊詩人達にとっては格好のネタになり、数多くの詩が作られた。

 今では他国にも響く雷名である。

 まさに庶民の憧れだった。


「酒飲んでる時は、普通のスケベな兄ちゃんなんだがな」


「……あんまり聞きたくなかった話ね」


「あれほどの手練れになりゃ、魔術士でもおいそれと手は出せねえぞ?シノア、お前さん剣士にゃ負けない自信があるようだが、突き抜けた剣士は一流の術士に匹敵しやがる。ありゃ無理だ」


「その自信はカナメさんで打ち砕かれたわ。あの時貼った障壁は、属性魔術以外で一番自信のある障壁だったのに、凄い薄く感じたもの」


「カナメもまた一流ってこった」


「『縦割り』とどっちが強いっすかね」


 再び酒瓶を煽るダイン。一気に飲み干し、空になった瓶を扉の横にある籠に投げた。


「さあねぇ。まあウェルフェンだろうな。あれを超す化け物なんざ、正直考えたくないからな」


 ダインは立ち上がり、扉を開けた。宿主から酒のお代わりを貰いに行くのだ。


「ちょっと酒取ってくるわ」


 シノアは酒を嫌うし、サンニアは下戸だ。

 唯一飲めたアノスも、もういない。

 実質的に戦力が低下した「古き鉤爪」が、果たして一座を王都まで送り届ける事は出来るのだろうか。

 この祭を最初に、王都まで15の村や街で一座は公演する。ざっと2ヶ月程かかるだろう。

 最初は報酬も高い美味しい仕事だと飛びついたが、状況が変わった。

 あの狼の群れの異質さに、ダインが気づかない訳がない。


(ありゃ、集められた群れだ)


 魔物を呼び寄せる手段は幾らでもある。

 狼なら、王都の怪しい道具屋に確かそんな効果を発揮する香があった。


(狙いはなんだ。俺たちか?それならこんな王都から離れた場所で襲う必要がねえし、高価な道具を使う意味もねぇ。あの芸人達か?それなら理由がわからねえ。あの馬車にも大した値打ちの物は入ってなかった。せいぜい食料くらいだ。キナ臭え)


 ダインもまたベテランの冒険者だ。アノスとなら十三年、サンニアとは五年。シノアとはここ半年ほどパーティーを組んでいる。

 アノスが死んだのは痛い。

 もともとアノスの役割はパーティーの盾であり、真っ先に死ぬ可能性もアノスは認めていた。

 しかし長年の相棒である。シノアは確かに目をかけてるが仲が浅い。サンニアには秘密主義なところがあり、完全に信用してるわけじゃない。

 あの襲撃が何らかの陰謀だと疑ってる事を漏らせば、真っ先に逃げる可能性だってある。


 ならば、カナメ達である。

 どうせ皆信用できないなら、凄腕に頼りたい。

 それにもし彼らが襲撃者だとするなら、あんな回りくどい襲い方をしないだろう。

 そのあと助ける意味も無い。

 初めて顔を合わせたからこそ、半ば信用できる。

 皮肉めいた考えを浮かべて、ダインは階段を降りた。













「畜生!畜生!」


 夜の村を、ジュッツは一人歩いている。

 手には酒瓶。酒精の強い酒だ。

 先ほどまでは娼婦といたが、所詮田舎である。ジュッツが喜ぶような娼婦はいなかった。

 気も欲も中途半端に晴らせない。

 ヤる事はヤッたが。


「みんなして馬鹿にしやがって!ネーネとミラ以外は人気も少ねぇ二流楽士じゃねえか!俺の方が稼いでるし劇団にも貢献してらぁ!」


 村に少しだけ存在していた歓楽街。

 それにも不満が出る。

 こんな寂れた埃臭い田舎に、なぜ自分が来なきゃいけないのか。

 怒りの矛先は無差別に広がっていった。


「そもそも、あの貴族のクソ爺がいけねぇんだ!あんなババァの浮気ぐらい大目に見ろってんだよ!俺はあのババァを満足させてやってたんだぞ!むしろババァを抱かなきゃいけねぇ俺が被害者だ!」


 巡業にでる半年前、ジュッツはパトロンの一人である貴族の奥方との密会を、当主である旦那に見つかっている。

 始めは死を覚悟した。あんだけ愛してると囁いた奥方が、ジュッツを責め出したのだ。


 曰く、弱みを握られて仕方なく。

 愛してるのは旦那だけ。

 こんな下賤の輩に体など許すはずが無い。


 出るわ出るわの言い訳は、ひとつひとつがジュッツへの死刑宣告だった。

 劇団の団長すら巻き込み、謝罪を繰り返し、それでも不貞は国が定めた罪である。

 この場合、権力のある上級貴族が罰される事はない。

 奥方は旦那に愛想を尽かされ、地方の教会へと旅立った。

 もう終わりだと覚悟したジュッツを救ったのは、一人の商人だった。

 聞いた事もない商会に属する商人の取りなしで、ジュッツはお咎め無しで貴族屋敷の牢から解放された。

 団長はご立腹。

 ジュッツの退団を決めていたが、狩猟祭がある。人手は圧倒的に足りない。

 首の皮一枚で団に残れたジュッツは安堵のため息を漏らした。

 退団になれば、商人との取引が無効になる。


「こんな事になるなんて!俺は聞いてねぇぞ!死ぬ所だ!」


 商人がジュッツを牢から出したのは、ある仕事を頼みたいからだと言う。


(あの冒険者どもを嵌めて、ぶっ殺すだけだっていうから、こんなあぶねえ橋まで渡ったんだ!)


 商人曰く、どうしても貴族との商売に目障りな冒険者集団がいるらしい。

 それを被害なく始末したいために、祭の巡業で護衛として雇いいれ、王都から離れた所で魔物に襲わせる。

 それがジュッツの仕事だった。


 そのため、本来なら嫌がる辺境領での巡業に名乗りを上げた。死にたくないのだ。

 団長はジュッツが普段の行いの反省をしたと喜んだ。

 問題なくジュッツは巡業のメンバーに入る。


(あの危ねぇ葉っぱの香が、あんなに狼を惹きつけるなんざ聞いてねぇ!)


 当初の手筈では、同じく取引してある御者と連携し、ヤツらを街道に置いていく算段だった。

 それがいざ蓋を開けてみれば、集まりすぎた狼に恐怖した御者はジュッツを置いて逃げてしまった。

 不測の事態にみっともなく慌てた。


(俺は、あわよくばネーネをいただいて村で憲兵を雇い入れてさっさと王都に戻るつもりだったんだ!畜生あのクソ野郎どもが、自分達だけさっさと逃げちまいやがって)


 その目論見は見事に破綻した。

 偶然通りがかった凄腕の旅人の助けもあり、冒険者は一人しか始末できてない。

 このままでは王都に帰っても、待っているのは死だ。

 失敗したジュッツを、あの貴族の旦那と商人は許さないだろう。

 憂さ晴らしに、旅人の一員の凄い美人を落とそうとしたが、いけ好かない弟に邪魔されてしまった。

 ヘレーナは涎が出る程にそそる女だ。その姉のリューリエもまた絶世の美少女だった。

 ミラはジュッツを嫌っているし、クマースとできている。

 ならば後はネーネをいただいて、ジュッツはピースイウムで隠れ住もうと画策していた。


 心の底からどうしようもない男であった。

 自らが招いた自体を、他人の責任にする事が得意であった。

 頭の中で自分に都合のいい展開を浮かべ、それが成功すると信じて疑っていなかった。


(なんもかんもうまくいかねぇ…明日の舞台も戻るつもりもねぇし…このまま逃げちまうか)


 だがこれほど落ちぶれてしまえば、さすがのジュッツも参っていた。

 もはや運良く王都に戻れて死を免れても、大口のパトロンを失ったジュッツは今までの振る舞いはできない。

 団長は喜んでジュッツを追い出すだろう。

 芸の世界は狭い。問題を起こした楽士を雇い入れる所なんて無いのだ。

 ジュッツの将来は真っ暗だった。

 もともと口の巧さとリュートのみで生きてきた男だ。

 今更農具なんて持てないし。剣も触れない。魔術の才能が無い事も遥か昔から分かってる。

 どこかの商会で小間使いしようにも、今回の一件で商会の門も狭まっている。


(なんでこんな事になっちまった!少し前まではなんだってできたじゃねぇか!)


 徹頭徹尾、自業自得である。

 生来の性格か、この男は自重という言葉を知らなかった。

 調子つけば調子づく程、天狗になっていく。

 貴族の奥方との密会も、本来は会わない日に欲に負けて金の無心をしに訪れた事で、旦那に事が露見するはめになったのだ。


(それもこれも…あのカナメとかいう若造のせいかっ!)


 酔いに爛れた思考が導いたのは、出会って間も無いカナメだった。

 本当にどうしようもない男である。







「ジュッツさん」


「ん?」


 呼ばれて振り向く。


「え?」


 気がつけば、腹に鉄の棒が食い込んでいた。そして熱い。

 よく見ればそれは剣であった。


「は?あ、え?」


「本当に馬鹿な男っすよね。ヘマしようがどうしようが、あんたみたいなヤツは使い捨てられるに決まってるでしょう?」


 未だ自体についていけないジュッツの目の前にいたのは、サンニアだ。


「な、なんでアンタがこんな。う、嘘だ」


「最初から、あんたには本当の事なんて何一つ伝わってないんす。貴族のババアとの逢瀬だって、あんなタイミングよく旦那が帰ってくるなんて不自然とは思わなかったんすか?」


 サンニアは、ジュッツの腹を抉る剣を更に捻った。


「い、いぎゃぁぁぁぁぁ!」


「いくら叫んでも大丈夫っすよ。ここいらは消音魔術で囲まれてますから、あーあこんな人のいないトコまで来ちゃって。後ろ暗い事した自覚はなかったんすか?」


「な、なんでアンタが!あんたヤツらの!」


「まぁ、貴族の旦那の方が稼ぎもいいですし。それに俺は大分前からこういう汚れた仕事してますから。ダインさんは知らないっすけど」


 サンニアの目が細くなる。

 その銀の短髪は月夜に照らされ、怪しく光っていた。


「あんまりにも哀れなんで、教えとくっすね。あんたの仕事自体は大成功っす。ようするにキナ臭い襲撃があったって事を、伝えたい人がいるんすよ。その過程でアンタらや「古き鉤爪」が全滅しても問題ないですし、俺は逃げれる自信もありましたし。あぁ、あと一人死なせちゃいけない人もいましたが、一人ぐらいなら俺でも守れますしね」


 薄ら笑いを浮かべながら、サンニアはジュッツから剣を引き抜いた。

 その体は黒一色で、おそらく血飛沫を警戒していたのだろう。


「それと、逃げた御者どもはもう死んでる手筈っす。さっき俺の仕事仲間が村に到着しましてね。アンタが今からされる事と同じように死んだらしいっすよ。その仕事仲間も死んでますが」


「や、やめっ!嘘っ!ご、ごめんなさいっ!」


 腹から流れる血を抑えながら、ジュッツは尻餅をついた。

 既に足に力が入らないのだろう。

 残った片手のみで後退りするが、サンニアの鋭い視線に許しは一切含まれない。

 サンニアは変わらずその口元を曲げ、薄ら笑いを浮かべている。


「謝る事はないっす。勝手にあんたを殺すのは俺の方っすから」


 そう言って、サンニアは懐から子瓶を取り出した。


「高価な魔道具っす。『溶かし飲む水』って毒薬なんすけどね。この小瓶に入れた水は、時間がかかるっすけど物凄い毒になるんすよ」


 そう言いながらジュッツに近寄り、顎を掴む。

 恐怖に震えるジュッツはもはや抵抗する事すら考えられない。


「凄いんすよ。少しだけ飲ますだけなんすけどね。あっと言う間に『体の中から溶けて』いくんす。赤い水溜りになるのも、直ぐっすよ」


「ひっ、ひぃ!やめておねがい!ゆるして!なんでもします!金だって、まだいっぱい残ってるんです!女だって王都にいけば!」


 ガタガタと震えるジュッツの口を開き、少しづつ小瓶を傾ける。

 その内容量は小指の爪程しかない。


「まあ、金も女も欲しいっすけど。俺もやっぱり死にたくないんす。だから諦めてください。あ、あと」


 小瓶の入り口で焦らすように蠢いていた粘性の液体が、ゆっくり糸を引いてジュッツの口に入った。舌を通らず、直接喉に流し込まれたジュッツは吐き出す事も出来ない。


「人が溶けてく様子って、面白いんすよ?」


 その言葉を聞いた直後から、ジュッツは腹に痛みを覚える。


「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!ひぃっ!痛い!助けてお願い助けてお願い助けてお願い!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


 のたうち回るジュッツを見て、サンニアの笑みは止まらない。


「ひぃっ!お、俺の腹ん中がぁぁぁぁぁぁ!」


 ジュッツのシャツの腹部が、異常な程膨れていた。赤い液体で濡れている。それは血なのか、溶けたジュッツの腹の肉なのか。


「おっ、先に臓物出ちゃいました?もうちょいで意識途切れると思うんすよ。それまでは我慢っす」


「いぎゃぁぁぁぁぁ!ああああああああ!」


 もはやジュッツには何も聞こえない。痛みが押し寄せる。じわじわと腹の肉が溶けていくのが、嫌と言うほど理解できた。

 間違いなくジュッツは死ぬ。ここから先に、希望は存在しないのだ。


「ほら頑張るっす。あともうちょいで心臓が溶けるっすよ」


「あぁぁぁぁぁぁ!おがぁぁぁぁぁ!」


 悲鳴は止まない。健康な体が驚くべき速度で溶けているのだ。その痛みは想像を絶する。


「びぁああああああ!ぎゃああああああ!」


 人気の無い村の路地。月夜に照らされたサンニアの笑みと、既に腹部から千切れた下半身と上半身に分かれたジュッツ。

 生命のしぶとさゆえに未だ叫び続けるジュッツを見て、サンニアの口元の歪みはより鋭くなっていく。


「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!ぁぁぁぁぁぁ……………」


 しばらくして、唐突にジュッツの悲鳴が止んだ。


「……心臓、溶けちゃいました?んー想像より早かったっすね。まぁ、死体を隠す手間も省けるんす。楽しかったし良しとするっすね」


 死んだジュッツに語りかけるサンニア。その間にも、ジュッツの体は溶けていく。


「あんたに魔術の才能がありゃ、この毒にやられる事もなかったんすけどね。最後まで哀れな人っす。せめて俺の記憶に残れば浮かばれるっすか?」



 そう言ってサンニアは壁に腰掛け、懐から自前の小型の酒瓶を取り出した。

 ジュッツが完全に溶けるのを待つ。回収するのは髪と服のみ。

 それまでは、溶けていくジュッツを肴に酒を飲むのだ。

 ダインには下戸だと言ってあるが、あれはダインを相手するのが面倒だからだ。

 酒は好きだ。女も好きだ。金も好きだ。

 だけど一番好きなのは。


「やっぱり殺しの仕事はいいっすねぇ……」


 恍惚の表情を浮かべ、酒を煽る。


 それからその場をサンニアが離れるのは、五分も経たない後の事だった。


メンテ後にジャンルの再設定があったけど、ハイファンタジーで本当に良かったんだろうか。

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