疑惑の匂い
「……そんなの聞いた事ないわ。でも、言われてみればそうよね」
「属性を付与するのにいちいち魔力から編み出してたら、手間も時間もかかるでしょ?なら元からある魔素から増幅すればいいのよ」
夜、街道にあった大きな木の下で一行は一晩過ごす事にした。
道中は獣や魔物も多く、「古き鉤爪」のメンバーでも対処できない事はなかったが、それでも苦戦を強いられていただろう。
カナメ達が護衛に加わる事で、その負担は無いに等しかった。
当初予定していた村までの時間は、驚くほど短縮されている。
それでも大量の衝撃狼の襲撃にあった一座の面々はかなり疲弊していた。
パーティーリーダーのダインの判断により、警戒しながらゆっくり進む事を決めた一行は、最初の夜を迎える事にしたのだ。
「そうよね。風なんてどこでも吹いているんだもの。魔素なんて沢山あるわ。なんで今まで一から作っていたのかしら。あ、でも、それなら火や水の魔素はどうするの?」
「火や水の魔素もそこら中にあるわよ?魔力探知が上手くなれば見つけるのは簡単になるわ。それどころか、五大素なんてすべて周りから集められるのよ?」
「え?土や雷も?」
「土の魔素はそもそも大地から集めればいいの。雷に関しては少し難しいし増幅しづらいけどコツさえつかめれば簡単よ」
いま、シノアとリューリエは焚き火の周りで魔術談議の最中だ。
日中、シノアの催促につられてリューリエはすべての属性魔術をお披露目していた。
その一つ一つにシノアは黄色い声をあげた。
気を良くしたリューリエはシノアにつきっきりになった。
「それに一から属性を練るのも一つの手なの。時間かかるけど魔術の構造理解が高まるわ。場合によっては有効になる可能性もあるし」
「じゃあ!私の今までは無駄じゃなかったのね!」
「今教えた事が身につけば、全てがシノアの力になる筈よ」
和気あいあいと魔術談議に花を咲かせるリューリエとシノア。
リューリエにとっては初めての歳近い話相手だ。
それを見てカナメの頬は緩んでくる。
ヘレーナはカナメの肩に頭を預け寝息を立てている。
油断したらジュッツがうざったく絡んでくるので、カナメの側から離れなくなった。
今もジュッツは馬車の向こうからヘレーナを見ている。
いい加減カナメも腹が立ってきていたので、ヘレーナを匿う様に外套をかけた。
アルヴァはサンニアに話しかけ、王都の話を色々聞いていた。
通貨の価値や冒険者の稼ぎなどまで聞き出しているので、さすがは賢いアルヴァである。
まず、カナメ達が今いる国はロアと言う国だ。
王の住む城がある王都はここから西の中央部にある。
その名はフリビナル。この東スラガ地方を代表する都である。
ロアは優れた軍事力や資源を抱えた、近隣諸国でも類を見ない大国だった。
流通している通貨はロア新貨。
銅貨、銀貨、金貨、晶石貨の順に価値が高くなっていく。
銅貨が百で銀貨、銀貨が百で金貨、金貨が百で晶石貨と値が上がる。
晶石貨はその数すら少なく、かなりの高額硬貨だ。
大体が国家間の取引でしか流通していない。
使われている晶石と言うものは国を超えて価値の変わらぬ物で、それ自体が貴重な魔道具などの媒体として扱われる。
その価値ゆえ、王族か大貴族の一部でしか所持できない。
冒険者の依頼などは、その期間などで様々だが一回の依頼で銀貨3枚。その稼ぎで大体四名パーティーが一週間養える。
カナメ達への依頼で一日銀貨一枚をつけたダインの腹は本当に太かったようだ。
「すまねえな。ウチの跳ねっ返りがオタクの嬢ちゃんに」
「気にしないでください。同年代の友達なんて今までいなかったんです。リューリエも喜んでますから」
食べ終わった鍋を片しながら、ダインはカナメから皿を受け取った。
本日の献立は狼肉の水炊き。筋張ってあまり冒険者から好かれる肉ではないが、なにせ大量にある。
それをリューリエが高温で煮込み、味付けした物だ。
森の中ではリューリエの得意料理として度々食卓に上がっていた料理で、一同その味付けに驚きながら平らげた。
今は食後の自由時間で、火の番をサンニアとアルヴァが任された所である。
「そう言ってくれて助かるよ。シノアは若手では優秀な魔術士でな。結社のやり方に反発しちまって、何処にも属せない嫌われ者になっちまったんだ」
「悪いヤツじゃないんすけどね」
アルヴァと話していたサンニアがダインの鍋を受け取った。
「なまじ若くて才能あふれるってんで結社の上から強引な勧誘を受けてたみたいでな。そのやり口がかなりヒデェってんで、完全にヤツらを毛嫌いしちまってる」
「ありゃ相当な事されてますよ。結社が絡んだ依頼すら受けねぇんすから」
困ったように笑いながらサンニアは鍋と食器を、カナメ達が用意した桶で洗い出す。
「へぇ。大変なんだな」
まさに他人事のカナメはそんな言葉しか出てこない。
なにせ結社なんて言葉は今日初めて聞いたのである。
カナメの貧困な想像力では倶楽部活動をイメージするので精一杯だった。
「ダイン!サンニア!リューリエったらすごいのよ!」
笑顔いっぱいでシノアが振り向いた。リューリエとの話に夢中で、何も耳に入っていないようだ。
「導脈の補強法とか魔素の増幅法とか、聞いた事ない知識をいっぱい持ってるの!ちょっと試してみたいんだけど、行ってきていいかしら!」
「許可してやりてぇんだがよ。さすがに仕事終わってからにしてくれよ」
呆れ顔のダイン。
カナメはシノアを見る。歳は十代の前半だろう。ショートカットの黒髪から出た両耳には三角形のイヤリングを垂らしている。
使い古した黒鉄の胸当ての中には白のシャツ。腕まである赤の手袋。ミニのスカートに黒タイツと、中々な格好をしていた。
昼間のクールな表情と打って変わって、今の彼女は年相応に見える表情をしている。
「そ、そうよね。ごめんなさい。少し舞い上がっていたわ」
慌てた様に口元を抑えるシノア。
「シノアの理解力はすごいわ。シュレウスやカナメより早く理解してしまうの。きっと下地がしっかりしてたからね」
シノアの両肩を背中から掴み、自分の事の様に喜ぶリューリエ。
「凄いな。俺も負けてらんないかな?」
「兄ちゃんの剣も充分凄いがな。それ何処で手に入れたんだ?」
『ルファリス』を指差すダイン。
カナメはその柄を握ると、鞘の側面にあるボタンを外して綺麗な青い刀身を出した。
「世話になった人からの貰い物です。こいつには大分助けられてますよ」
「見る限りそいつは魔剣だろ?羨ましいな」
「わ、私も見ていいですか?」
背後から声がした。振り向くとネーネが毛布を抱えて立っている。
彼女らの寝具は逃げ出した御者が持って行った馬車に入っていたらしく、これもカナメ達が渡した物だ。
「ああいいよ。危ないから触んないでね」
「は、はい!」
顎関節が壊れたかのように首を振るネーネ。
そのまま慌ててカナメの横に腰を下ろした。
「ほら、見える?」
「あ、凄い綺麗…」
魔剣『ルファリス』の外観は、澄んだ蒼をしている。
氷鉄は元々他の鉱石と同じ様な色をしており、特殊な製法により熱を加えられると徐々にその色合いが青くなっていく。
この色が深ければ深いほど、精度の高い鋳造であり、切れ味を現してるという。
「兄ちゃん達、あまり旅慣れてないんだろ?」
ダインが焚き火に薪を追加した。
「え?なんでですか?」
「装備がな。『倉庫』を簡単に俺たちに見せたり、魔剣を惜しみなく披露したり、あんまり褒められた事じゃねぇな」
『倉庫』や魔剣、それどころか魔道具というものはピンからキリまで高級品である。
灯りを常に灯せる燭台ですら、金貨から始まる取引で売買される程だ。
庶民や一般的な冒険者などには手の出せる代物ではない。
ましてや『倉庫』といった数に限りのある物品は、存在だけで人々の嫉妬心を招く。
魔剣や魔道具欲しさに死者の出る事件など、それこそありふれた出来事らしい。
「あーいうもんは隠すもんだ。魔剣以外に普通の剣も持っといた方がいい。それに普段から日用品は表に出して持ち歩いとけ。良からぬ輩を手招きしてるようなもんだ」
「そっか、そう言われればそうだよな」
顎に手を当て、カナメは考える。
「道具部屋に普通の鞄もあるから、あとで分けとこうか」
アルヴァが提案した。
「そうね、もう森を抜けたんだもの。人に警戒をする事も考えなきゃ」
「大森林を抜けてきたんですか!?」
リューリエの言葉にネーネが反応した。
「うん。今日ようやくね。一年ぐらい掛かったかな」
「おいおい、どんな事情があったらあの森を抜けるなんて考えんだよ」
アンタム大森林。通称「迷いの森」「焦がれ惹かれる死地」「呼び声の森」。
底の見えない深い影の森である。獣や魔物どころか、大型の魔獣すらも棲息し、一度入ると出る事は叶わない。
大国ロアの南東部から南西部一帯を囲み、遠く爆砂漠や遥か西の海運都市までその森は続いている。
馬鹿げた広さだ。ロアの国土のおよそ七倍を有し、森の中央部などは神話でしか語られない未踏の地である。
逃げ落ちた罪人や盗賊などがたまに棲みつく事もあるが、凶暴な原生物によってすぐに葬られる。
いずれにせよ、まっとうな人間が出入りするような土地ではなかった。
「止むを得ず途中までは大河を渡っていたの。やっぱり船が転覆してしまったのだけれど、家族は全員無事だったから良かったわ。あとは歩いて抜けるしか方法が無かったのよ」
それもまた、あらかじめ決めていた設定だった。
「西の方じゃ、まだあの大河を渡ろうしてんのか。馬鹿な事してんのな」
呆れた顔でダインは言った。
西の海運都市から大河を辿れば、東の港湾都市に出る。
大陸を迂回すると年をまたいでしまう船にとって、大河のルート開拓は悲願であった。
大河の幅は問題ない。貨物船が通れる充分な幅を有していた。
問題は、流れである。
大型の水棲生物すら溺れると言われる大河の流れ。
おとぎ話では悲劇の人魚の涙が引き起こす物だと言われている。
一本の大木を流せば、流れに翻弄された大木が勝手に折れる程荒れ狂っている。
そこを船で通ろうなど、正気の沙汰ではない。
「でも凄いです。やっぱりお強いんですね」
「いや、大変だったよ。何度死ぬかと思ったか」
大袈裟な話でもない。
五色蝶の実力は相当なものであったし、カナメも日に日に目に見えて実力をつけていた。
しかしそれでも自然の猛威には容易く打ち勝てない。
雨季の大森林では大雨に悩まされたし、逆に乾期では森林火災に巻き込まれた。
断崖絶壁などそこかしこにあったし、避けてはいたものの魔物の巣に不意にかち合う事も多かった。
弱いくせに幻惑の魔術を使う魔物や、獣の群れを統括する魔物等、様々な相手がいたのだ。
それによってカナメ達の実力は加速的に上昇して行った。
森を抜け、人の交通もある街道の旅路など森の中に比べればなんてことはない。
だったの半日で警戒心を緩ませるほどに安全なのだ。
カナメ達にとってはだが。
「カナメさんやリューリエさんの剣の腕も凄かったです。カナメさんの動きは私には見えなかったし、リューリエさんの剣捌きなんて、まるで踊っているようでした」
本職の踊り子であるネーネに褒められるとは、大したものである。
「ありがと。そんなネーネは王都の劇団で人気の踊り子なのよね。祭りが楽しみだわ」
「え!?あ、あの。そんな期待されても私なんて。ミラ姐さんや他の姐さん方には見劣りしてしまいますし」
キラキラと期待の目を向けるリューリエに、顔を真っ赤にしたネーネが縮こまり答えた。
「そりゃそうね。まだ踊り始めて四年程度の小娘に負けるとあっちゃ、あたし達が情けなさすぎるわ」
食器を片手にミラが話に入ってきた。
腰まであるツヤのある黒髪に、よく焼けた褐色の肌が似合っている。
エキゾチックなその雰囲気に、ミラは王都でも人気のある踊り子の一人だ。
「ミラ姐さん」
「でもこの娘は才能あふれる天才なの。滅多に人前じゃ披露できないけど、祈祷の舞なんて踊れる娘は最近じゃ少ないんだから」
「そ、それは、偶々フェンネ姐さんが踊れたからで」
「フェンネの踊りについていけるだけでどれだけ凄いことか。あたしですらやっとなのよ?」
焚き火に照らされて見えるネーネの顔がより赤くなる。
ほとんど灯りと同じような色をしていて、カナメは少し心配した程だ。
「祈祷の舞って?」
興味深そうに、アルヴァが身を乗り出した。
「神殿とかの祭事でたまに踊る舞のことよ。動きや速度は大したことないんだけど、その時身につける祭具とか踊る時間が厄介でね。長い腰布を地面につけちゃダメだったり、特別な魔道具のピアスに魔力を送りながらその光を絶やさず踊らないといけなかったりと、まぁコツや体力がいる踊りの一つよ」
「れ、練習しましたから」
東スラガ地方では、一般的に「草原の風」の加護を持つアシューと呼ばれる神が信仰されている。
国宗であるアシューを讃える神殿はロアの国では至る所にあり、信徒は莫大だった。
年に一度行われるその祭事では穏やかな風、いわゆる平穏を願う儀式がある。
王都にある本神殿で行われるその儀式は、神官や巫女などが祝詞を捧げ、それに合わせて踊り子が舞う儀式だった。
その踊りの難易度はかなり高い。
まずスローテンポの祝詞に合わせることが難しい。
メロディーラインにすら聞こえない箇所もあって、聞き慣れたものにしかリズムを取ることができない。
そして踊る時間が長い。これが難易度を上げている要因である。
三名の踊り子が休みなく祝詞に合わせて踊る。
それを半日以上、神官の許しが出るまで踊り続けなければならない。
若手の踊り子が祈祷の舞を嫌う理由にもなっている。
そして前述の祭具の扱いである。難易度は一気に跳ね上がる。
これだけの条件が重なって、祈祷の舞を最後まで踊れる踊り子は少ない。
「最近入った娘で、祈祷の舞を覚えようとする娘なんていないのよね。根性がないのよ」
ミラがため息をつく。
実は踊り子とは大衆演劇の花形といった顔の他に、神事や祭事の際に神との交信役といった巫女的な側面がある。
誰にでもなれる職業ではないのだ。
ゆえに本来ならその身は清廉潔白を求められ、国や神殿に仕える者達であった。
だが近年では国家が催す神事などの減少や、大衆の娯楽としての需要が高まった為に、昔に比べて敷居自体はかなり低くなっている。
少数の神事専門の踊り子ができた反面、その逆である演劇専門の踊り子の数が爆発的に増えたのだ。
人気を得てしまえば道楽貴族に召し抱えられたり、そのまま気に入られて結婚する者などが増えた為に、都会では若い女子の憧れの職業となっている。
劇団の数は多く大小様々なれど、その座席の数は限られている。
遠く狭い門をくぐり抜け、さらにその一握りの者が人気を手にする過酷な職業だった。
「へぇ!その儀式ってなかなか見れないの?」
アルヴァの好奇心が加速する。少しだけ身を乗り出していた。
「ぎ、儀式は王族の方や神殿の方しか立会いませんし、普通の人は儀式自体知らない人の方が多いんです」
「踊る場所も神殿の祭事場だしね。観客のいない場所で踊るなんてつまらなさすぎて」
ミラが来ている薄手のシャツをくねらせた。動きがいちいち蠱惑的なのも、人気の踊り子である所以だろうか。
「ま、祭りの踊りは激しい踊りですから!見応えはあると思います!祈祷の舞はなんていうか、淡々としてるっていうか、厳かな踊りなので」
「そっか、楽しみが増えたな」
『ルファリス』を鞘に収めて、カナメは寝ているヘレーナの頭を微調整した。
「ん…んん」
どうやら起こしてしまったらしい。
「ヘレーナ、もう横になれよ。ここじゃ風邪引いちまうぞ」
身じろいだヘレーナを揺さぶる。
「………わかったわ。リューリエ」
頭を上げたヘレーナは、目を擦りながらリューリエを見た。
彼女らの寝室はリューリエの持つ『倉庫』の中だ。
『倉庫』の一画に作った寝室スペースには、五人は横になれる大きな天蓋付きのベッドがある。
大河の眷属であるオーナーが用意したそのベッドを一番気に入ってるのはヘレーナであった。
布団や枕の洗濯を担当すらしている。
人族に変身できる三人は、その姿に慣れる為にと一日の殆どを人族のまま過ごしている。
戦闘や移動時はおろか、入浴や就寝時もである。
蝶の姿の時はお風呂も入らなかったし、寝るときは木の枝などで止まって寝ていた彼女達であるが、その心地良さにすぐに虜になった。
各自が自分の眠るポジションを決め、お気に入りの枕をセットしてある。
ベッド中央部のヘレーナの右隣はリューリエであり、左隣は布団で壁を作ってある。その隣がカナメだ。
アルヴァはカナメの左に位置して、エンリケとシュレウスはカナメの頭上を抑えている。
だがヘレーナは目覚める頃になるとカナメの横に移動していることが多く、布団の壁が機能していない事が多い。
最初こそカナメからクレームがついたので注意していたが、本人が気をつけても治らなかったし目覚めが悪いということで、無理を通してカナメの横を占有している。
布団の壁は本人からしたら最大の譲渡であった。
「ええ、いま部屋を開くからさっさと寝なさいな。もう」
「ありがと。カナメおやすみなさい」
リューリエが腰に大事に結びつけた『倉庫』の口を開き、ヘレーナが覚束ない足取りでその口へと手を入れた。
魔力光が一瞬輝き、ヘレーナの姿が消える。
「カナメ、ちょっと頼みてえ事があるんだ」
「なんですか?」
「アノスの形見な、埋めてやりてぇ」
「古き鉤爪」の四人目のメンバー。
寡黙な剣士アノスは、一座やパーティーがその防御を固める間に、囮として衝撃狼の群れと対峙し、そして無残にも食われて死んでいった。
カナメ達が目撃した最初の人の死体だった。
その遺体はまともな部位すら残らず、シノアは出発前に火の属性魔術で止むを得ず火葬したのだ。
残った物は、身につけていたレザーアーマーと愛用の両手剣だけとなった。
「こんな稼業だ。アイツも覚悟してたし、もともと孤児だったんで死を哀しむ家族もいねぇ。この先の村で共同墓地に入れようにも、孤児だったアイツはアシュー教の洗礼すら受けてねえ可能性があるからな。墓の中で窮屈な思いをしたら可哀想だ」
「だから、せめて私達だけが知ってる場所で墓を作ってやりたいの」
「リューリエ嬢ちゃんの魔術で、魂魄すら出れない深い墓を掘って欲しいんす」
古くからの慣習により、死んだ人の埋葬には決まりがあった。
その魂が未練に濡れて怨霊とならぬよう、這い出る事すらできない深い土の中に埋める。
そのあとでキチンと墓を建て、アシュー神に導きの祈りを捧げる。
その魂は一年ほど大陸の風を受け、恨みや未練を清め流して神の元へと召されるのだ。
この手順を踏まない魂は、理性のみを風に流され、人に仇なす魔物となる。
それが「草原の風」の加護をもつアシュー神の教えだった。
「わかったわ」
「喜んで手伝います」
快く快諾し、二人は立ち上がる。
『なぁ、リューリエ』
神語を使ってカナメがリューリエを呼んだ。
『なぁに?』
『アシュー様ってどんな神族だ?』
土神であるタム・アウの眷属であり、その側仕えをしていたリューリエだ。
風の神アシューの事を知ってるかも知れない。
『……風の恵みの精霊神様は、ノジェ様っていう戦の女神様よ。会った事はないけどタム様からお名前を聞いた事があるわ』
『ん?んじゃアシュー様ってのは?』
『たしか狩猟を司る男神様が、似ている名前だった覚えがあるわ』
『どうなってんだ?ノジェ様はどこ行ったんだよ』
夜営している木から、森の方向に歩く。
その後にダイン達冒険者パーティーとアルヴァ、ミラとネーネが続いていた。
『僕ね。タム様から聞いた事あるよ』
アルヴァがサンニアとスラガ語で会話しながら、器用に神語で話しかけてきた。
口から発する音ならば、神語ならどのような音でも意味を乗せれるのだ。
『人族には神性が理解し辛いから、その加護が伝わり難いんだって。中には神族に近い者もいるけど凄い珍しいとか』
『人命神様だってお名前すら知られてないらしいわ。あたし達も知らないんだけれど』
『へぇ、んじゃどっかで曲がって伝わってる宗教なのかな』
理解の及ばぬ事を曲解して伝えるなど、ありすぎる事であった。
特に人族は本能でルールを定める獣と違い、思想で統制しようとする種族である。
多種多様な思惑や欲により、本来の意図がねじ曲がって伝えられてもおかしくはない。
『それより、ダインさん達には伝えてないんだけどさ』
『なんだよ』
急に、アルヴァの声が険しくなった。
『昼間の狼達がいた場所。おかしな匂いがしたんだ』
『匂い?』
『さっきようやく思い出せたんだけど、レセの葉の匂いだと思うんだよね』
『レセの葉?』
『狼達の好きな匂いの葉っぱだよ。森の奥でその匂いを嗅いで酔っ払ってる狼を見たことがある』
森の知識なら、実学を伴って深く持ち合わせているアルヴァだ。
衝撃狼や他の魔物の生態すら、広く知っていた。
『おかしいんだよ。レセの葉って雨季の森でしか見ない葉だし、こんな森から離れたとこにある植物じゃない。それに森でも滅多に見ないんだ』
『………そういえば、あの群れおかしかったわね』
リューリエがその目を細めた。
『群れの頭らしき狼が、少なくとも四匹居たわ。そのせいでお互いの動きが邪魔してぶつかりまくってたし。それに少数の群れをなす衝撃狼が、100を超える群れを作るなんて見た事も聞いた事も無いわ』
『なぁ、もしかして』
『………イヤな話になりそうじゃない?少なくとも僕はイヤだなぁ』
『………あの群れは集められたって事か?』
『……少なくとも、自然に集まった群れではないよ』
レセの葉とは、森の狼が好む匂いを発する植物だ。その匂いと効能は、猫にとってのマタタビに似ている。
違う点は、森の狼が完全な肉食であるという事。そしてその匂いが狼の理性を揺らす匂いだという事だ。
少量でもその匂いを嗅いだ森の狼は、一種のトランス状態となり、食欲が旺盛となる。
少しでも酔っ払ったような足取りになり、自身の胃袋を超える量の餌を求めてしまう。
大量に嗅いだ狼などは腹を破裂させるほど獲物を漁り、無残な死体となるほどだ。
だがこの植物、乾期などは至って普通の樹木の葉である。
匂いも発しないし興奮作用もない。それどころか落ちてすらいないのだ。
そのレセと呼ばれる木は雨季が来て大分経った頃、幹の奥に溜まっていた特有の毒が水分によって一枚の葉の部分まで押し上げられ、重みに耐えきれない葉が地面に落ちる。
つまり樹木一本につき一枚、しかも稀にしか落とさない毒葉なのだ。
そんな葉が乾期も中頃の現在、しかも森の外に落ちているとは考え難い。
『シノアの風壁のせいで大分薄まってたけど、確かにあれはレセの匂いだよ。間違いない』
『………ネーネ達を置いてった御者の人達の仕業かしら』
『あー、逃げるにしても手際良すぎるもんなぁ』
『そうだよね。真っ先に逃げたらしいし。一座の荷物に高価な物でも詰んでたのかな』
『…………さっきのダインさんの忠告じゃないけど、警戒はしときましょう。カナメも夜番お願いしていいかしら、後で代わるわ』
『ん、わかった。リューリエは今日は大活躍だったし朝までアルヴァに付き合ってやるよ。魔力も回復させて貰いたいし、寝てなって』
『そう?お言葉に甘えるけど、念のため今日は表で寝るわ。カナメの膝貸してね』
『わ、わかった』
なんとも微妙な空気が流れた。
戦っている最中ですら、群れには違和感があったのだ。
それが人為的にけしかけられたんだとしたら、この一行はかなり危うい。
なぜならあれは明らかにやり過ぎの部類に入る量の群れだ。
そして、二人には言わなかったがカナメにはある懸念がある。
もし御者が狼の襲撃を計画していたなら、馬車ごと逃げるような真似をするだろうか。
障害物の少ない草原地帯にある街道だ。
馬と狼なら馬が早いが、それは余計な荷物が無いという前提がある。
まず馬車が邪魔なのだ。
それどころか群れで動く狼に対して、少しのコースミスが命取りになる。なおさら余計な荷物はいらない。それが持ち運べるサイズだとしてもだ。
さらに言えば、相手には冒険者もいた。もしかしたら狼をどうにかできる術があるかもしれない。それなのに結果すら見届けずに一目散に逃げれば、追走される恐れだってあるのだ。
よほどの自信か後詰めの計画がなければ、できることでは無いのだ。
『人の良さそうなこの人達を疑うのもなんか悪いし、狙われてたのはあたし達じゃないわ。もしかしたら思い過ごしかもしれないけれど、念のためよ。念のため』
それでも、彼らとカナメ達は出会ったばかりなのだ。
完全に信用などしていいのだろうか。
記憶をなくし、しかも人との交流経験の少ないカナメにはわからない。
なんとも言えない微妙な感情を隠しながら、カナメとリューリエは小高い丘の上で立ち止まり、その場を掘る準備をした。




