燻る炎にたかる鬼
「それはありがたいわ!ありがとう姫!」
喜色いっぱいの顔でリューリエは両手を叩く。
被服の面で学ランしかない彼女も、姫の提案はありがたい様だ。薄々ではあるが、下着すら身に付けてないその身に疑問を抱いていたらしい。この姿の時だけ、カナメの様子がおかしくなるからだ。
五色蝶の長女『芽吹き』のリューリエにとってカナメとは大人しい少年と認識されている。
いかなる物事も自然体で受け流し、常に冷静な優しい弟。寡黙だが聞き上手であり、そばにいるだけで無条件で落ち着ける存在。調和を大事にし、周りにふんわりとした空気を与える人。己一人が胸の内で耐え偲び、弱さを見せる事に恐れを抱く強くて弱い手のかかる子。
それが、今のリューリエにとってのカナメである。
無論最初からそう思っていた訳じゃない。
初対面なんて、他の人族と顔の見分けすらつかなかったのだ。
数百箇所もの難所や、獣・魔物・魔獣の巣を内包するこのアンタム大森林。土神の居ますその中央部にも、ごく稀であるが人族が迷い込む。
それは打ち破れ、逃げ落ちた冒険者。魔獣に弄ばれ攫われてきた狩人。上質な食材や材木、果ては魔力の実を求めて森に入る哀れな商人団。罪を犯した逃亡者など、様々な人族が巡り巡って中央部まで来る事がある。蝶の姿のリューリエにとって、一人の例外なく男か女ぐらいの見分けしかつかなかった。神族の中にも人族の姿をもつ者は多く、神気や色で判断していた。
カナメも初めは髪の色で判断していたのだ。この世界では珍しい黒髪。着ていた学ランも相まって、全身真っ黒の水の妖精。そう判断していた。
多分、それが確かにカナメと認識できたのは彼が自らの名前を得たとき。今まで不確かであやふやだった輪郭が急に強さを取り戻した。不思議な感覚だった。出会って数時間、それだけしか見ていない筈のカナメの顔がとても懐かしく思えたのだ。まるで彼を待ちわびていたかの様だった。出会えた事で、何かを終えた気になれた。途端にリューリエの精神は舞い上がってしまったのだ。
それから彼に親近感を感じるまでが早かった。見ているだけで、何を思っているのかを幾分か予想できるまでになっていた。
水神の伝言を一人聞いていたカナメが何かに耐えるような表情を見せた時など、心配でいても立ってもいられなかった。
そんなカナメがわかりやすく動揺するのが、人族に姿を変えた直後である。アルヴァの話から、人族は自らの裸体を晒すことを恥ずかしいと感じるらしい。だからと言って、今の内にこの姿に慣れとかなければ、森を出てからの旅が心配になる。普通の羽妖精は流暢に喋らないし、普通の蝶は言葉すら発さない事を知っている。人族の姿を持つカナメの為にも、蝶とは魔力の使い方や体の動かし方すら違うこの姿に早く慣れなければならない。ヘレーナやアルヴァも同じ考えだったのだが、身につけられる服は学ラン一着。長女特権とすぐに必要になる得意魔術を楯にして押し通したのだ。大河の宝物の中に衣服が有るなら、この件は問題なく全て解決できる。
「喜んでくれるなら何よりだ」
余裕ある表情のフレグ姫が、腰に手をあてて頷いた。
「でも、いいんですか?炎鬼の事で大変何でしょう?」
その黄色と黒の羽で飛び上がり、フレグ姫の魅力的に解放された胸元に止まるアルヴァ。なぜ胸元に止まったのかを問い詰めたいが、大童貞(仮)であるカナメはそれすらも躊躇してしまう。
「うん。土神様が不在であっても、大河とこの辺りの森林は妾の管轄。いかなる事態も妾と大河の眷属の手で対処すべきだ。可愛いお主達の門出すら祝わずして、土神様の神族などとても名乗れんよ」
そう言いながら、アルヴァを優しく撫でる。溢れる親戚の優しいお姉さんオーラは留まる所を知らない。
「そうね。それじゃあありがたく受け取っておきましょう。姫の寝床は大河の中よね?」
「うん。いや、陸からも入れるようになっている。入り口は隠しているがな」
それじゃあ早速行きましょうとヘレーナが変身し、カナメを大いにおかしくしたとき、ようやくシュレウスが目覚めたのだった。
なんとかヘレーナを蝶の姿に戻し、一向はフレグ姫の寝床であるバスタ鍾乳洞へと向かっている。リューリエのみに許された人化にヘレーナはヘソを曲げ、カナメの頭の上で不貞寝していた。
「リューリエやヘレーナは本当に変身が上手いなぁ。僕も魔術は頑張っているのに、未だに変身するのに時間かかっちゃう」
アルヴァはどうやら人化が苦手のようだ。フレグ姫の肩で、相変わらず大げさなポーズで羽ばたいている。
「あなたは集中力が足りないの!少し静かに魔力を練れば、簡単に変身できるのよ?それなのにあなたったらすぐに別の事に気がいっちゃって、全然魔力を制御できてないじゃない!」
「うん。そうかそうか、アルヴァは落ち着きが無いのか。フフっ」
ちっさいお姉さんのリューリエと大きなお姉さんのフレグ姫が、片方は真っ直ぐに厳しく、片方は遠回りに優しく叱りつけている。何が大きくて何が小さいかは、色んな意味がある。
「い、イヤだなー。ちょっと気になる事が多いだけじゃないか。ほら、お勉強の方は僕が一番タム様に褒められたんだから」
「魔術の練習で一番怒られていたのもあなただわ!シュレウスと一緒にすぐ逃げるんだもの!!」
「僕は逃げてないやい!アルヴァが面白いこと見つけたって言うから、見に行っただけだもん!」
「そうかそうか。うん。だけどシュレウス。そのとき魔術の練習は出来ているのかな?」
「えっと、ええっとぉ」
お姉さん達は無敵である。たちどころにアルヴァとシュレウスのサボタージュコンビは追い込まれた。エンリケは相変わらず、リューリエの肩の上で静かに空を見ている。
二人の背中を見ながら、カナメは口元を緩めた。こういうやりとりは、見ていて暖かい気持ちになる。
周囲に爆砂漠の魔物が潜んでいるかもしれないのに、カナメは警戒心の欠片もなく歩いていた。
「ところで坊や」
「うお!!は、はいっ!何でしょう!」
だから突然話を振られて大慌てだ。
「坊やは神語を喋れているようだが、人語は喋れるのか?
「え?今話をしてるじゃないですか」
「……もしや坊や。今普通に話をしていると思ってるのか?」
カナメにはフレグ姫が何を言っているのか理解できない。
「うん坊や。妾の口元をよく見てろ」
「は、はい」
フレグ姫が近寄ってくる。ちょっとなけなしの勇気を振り絞れば、簡単に唇と唇がこんにちはできる距離だ。
「今、妾の話がわかるか?」
「はい、わかりま……え?」
口が動いていなかった。
「何かの芸とか魔術とかではない。妾達が普段使っているのは神語。音に意味を乗せて喋る言語だ。口元から音さえ発していれば、神族なら誰でもできるし聞ける。例えば呼吸音でも」
たしか元いた世界では、口唇を動かさずに舌や喉の動きだけで発声する芸がある。
「完全に口元を塞いでいても会話できるよ。そうか、今まで周りに五色蝶しかおらんかったし、リューリエもヘレーナも人族の発声の練習をしておったと土神様から聞いておる。坊やが気づかなくても不思議ではないが、少し坊やは油断が過ぎるようだな」
「あー、ゴメンねカナメ。そういや言ってなかったや。僕達にとっては生まれたてのカナメが会話できる事が凄くて説明してなかった」
フレグ姫とアルヴァの言葉に、カナメは気付かされる。思えばリューリエやヘレーナ、アルヴァと人族の姿で会話する時、音の遅れや違和感を感じる事があった。基本的に事なかれ主義のカナメは、それもまた記憶喪失の弊害か妖精特有の何かだと、勝手に思い込んでいた。
「あたしもヘレーナも、この体に変身できる様になってからずっと発声の練習をしてたから、違和感が少なくて気づかなかったのね」
リューリエが申し訳なさそうにカナメの腕を触った。
「なんにせよ。人族の国までに言葉を覚える必要があるな。たしか大河の眷属に、人の村と軽い交流を持つ者がいた筈だ。挨拶と謝罪の言葉くらいは覚えておきなさい」
「スラガ語なら、僕とヘレーナは喋れるよ!猿の神族が良くタム様の所に来た時に教えて貰ってたんだ!」
「あたしが謁見希望の対応してる間にそんな事教わってたの?」
大袈裟に羽ばたくアルヴァは、自慢気にそう語るとカナメの目の前で8の字を描いた。
リューリエは土神の秘書的な役割を良くしていたらしい。
スラガ語とは、大森林から東部の国に広く用いられる言語である。
かつてそのあたりに栄えていた古の国。おとぎ話の様な栄華を極め、おとぎ話の様に突如滅んでいった魔術大国スラガ。今では幾分か意味合いの変わる言語体系のみしか残されておらず、その王城がどこにあったか、なぜ滅びなければならなかったかなどはわかっていない。
「ほう、やるではないかアルヴァ。こっちこい。褒めてやろう」
上機嫌で8の字を飛ぶアルヴァに手招きし、感心した様なフレグ姫。
「それじゃ、今日から寝る前にはスラガ語の授業をしましょう。教えるのはヘレーナよ。アルヴァじゃまた余計な話で眠れなくなっちゃうから!」
「なんで!?僕だってカナメに教えたい!」
「カナメだけじゃなくてあたしやエンリケ達も習うのよ?あなた、退屈したシュレウスに言う事聞かせられるの?」
「いや、ヘレーナが適任かな。うん。きっとそうだ」
シュレウスは退屈すると、無意識の内に楽しそうな所に飛んで行ってしまう癖がある。本当に自然と動き出すので、彼にマトモに物を教えられるのは土神を除いてリューリエとヘレーナだけである。リューリエは諦めずに最後までシュレウスに説教をするし、ヘレーナは淡々となぜそんな事をするのかを聞いてシュレウスを泣かせる。だからシュレウスは、ヘレーナに何かを教わる時は普段の倍の集中力を持っている。
「んじゃ、俺も神語を喋ってんのか。ずっと皆が日本語喋ってると思ってたよ」
「うん。ニホンゴとは何か知らんが、異界の言語なんだろう。その言語に意味を乗せて、今まで会話していたのだろうな」
フレグ姫はそう言って、カナメの頭を撫でた。
カナメの身長より少しだけ高いフレグ姫は目線をカナメに合わせると、その目を覗き込んだ。
「土神様の加護もキチンと働いているようだ。循環する魔力が一定の速度を維持しておる。他にもありそうだが、何か聞いておらんか」
「そういや、色々あるって言ってたな。時間なさそうだったから、あのオッサン省いたかな?」
「フフフ。うん。さすがは水神と土神の息子だ。恵みの精霊神にオッサンなど、大したもんだよ」
思わず素で口に出していた。なにせ見た目巨人のファンキーなオッサンだったのだ。神様ですと言われても笑いの神かと疑うほどに。
「さて、そんなこんなでもうじき。妾の寝床の入り口が見える……筈なんだが皆止まれ」
フレグ姫の表情が無くなった。あれだけ華やかに余裕のあった顔に、一切の感情が感じられない。
「………ちっ!不味いな。嗅ぎつけられておったか!」
そう言ってフレグ姫は魚の下半身を器用に動かし、カナメ達を置いて先に進んでいく。
「ちょっ!姫!?」
アルヴァがその後を追おうと羽ばたいた。
「待ちなさいアルヴァ!」
「は、はいっ!」
初めて聴くリューリエの怒声。
「考えなしに追うんじゃないの!あなた賢いのに余裕がないのが欠点よ!エンリケ、防御魔術の準備をしなさい。カナメ、ヘレーナを起こして。シュレウス、あたしの胸の中で大人しくしてなさい」
テキパキと指示を出しながら皆を落ち着かせるリューリエ。さすが長女である。
「……起きてるわ。あの様子だと、寝床に炎鬼の魔物どもが来てるようね。いえ、もしかしたら炎鬼も」
「あなたもそう思うのね。ヘレーナ。どうしましょう。姫の言う通り大河の眷属の手に委ねてあたし達は先に行く?今なら安全にこの辺りを抜けれるわ」
リューリエの瞳はカナメを見ている。この二週間、何時だってそうだった。アルヴァもヘレーナも、最終的な決断はカナメに委ねる。エンリケやシュレウスだって、カナメの判断に文句を言った事などないのだ。なぜならこれはカナメの為の旅だ。五色蝶が成長する為の旅でもあるが、それだってカナメの為になりつつある。カナメだって薄々だが、それには気づいていた。この旅は自らの記憶を取り戻し、自らが納得する為の旅だ。
だから、カナメに迷いはなかった。
「行こう。姫のところに。足手まといかもしれないけど、俺たちが動く事で少しでも大河の眷属が助かるなら、俺は行きたい」
「さっすがカナメ!僕は信じてた!」
「……あまり賢い決断とは言えないけれど、嫌いじゃないわ」
「ぼ、僕なら防御魔術、使えるから、人魚さん達助けられる?」
「ええ!エンリケの防御魔術は最高よ!たかが炎鬼如きの攻撃、全部跳ね返せるわ!」
「ぼ、僕もやるぞー!やるんだからねー!」
五色蝶各々が士気を高め合う。そうだ、確かにカナメは弱い。この中で最弱である。でも水神も言ってたではないか。強くなれと。あらゆる災難に打ち勝てるように、強く『在れ』と。
それに五色蝶もいる。大丈夫。カナメ達は一人と5匹で家族だ。この家族なら、きっと何が来ようと打ち勝てる筈。
「カナメ!洞窟に入ってからじゃ遅いわ!今の内に魔力の制御をしておきなさい!両手足と胴体にできるだけ!乱戦になったらフォローできないから、できるだけアルヴァの所に吹っ飛ばすのよ!アルヴァ、イケるわね!?」
「もちろん!任せてよ!」
リューリエの激が飛びアルヴァが力強く答える。
「行くわよ!」
いま、カナメにとっての初陣が始まる。
「姫様!姫様がもどられたー!」
「よーしみんなー!ここで抑えるのよー!」
「拙者どもは皆、粉骨砕身で猪突猛進でありまーーーす!!」
洞窟内は激戦地であった。可愛らしい小さな人魚が、洞窟内の水辺から初級の水魔術を打ちながら半魚人達を援護している。半魚人達は手製の槍を構え、魔物達を牽制している。
そこにいた魔物は熱鼠が殆どである。高温を持つ砂漠の鼠。触れた草花を焦がすほどの熱量で、その鋭利な前歯を使い敵を噛みちぎり、傷跡を焼き焦がす鼠だ。
「狭い洞窟の中じゃ、あたしの魔術は大した事ができないわ!主力はアルヴァよ!ヘレーナ!増幅魔術の用意!」
リューリエが先陣を切って熱鼠の群れに突っ込んだ。人族の体を器用に動かし、戦闘の半魚人の所に辿り着く。
「聞いて!あたし達は敵じゃない!この森の創造主である土神タム様の名代よ!土神族のフレグ姫の手助けに来たわ!」
「おお!五色の理の蝶か!なんで人型なのだ!?」
「変身してるからよ!姫はどこに行ったの!?」
熱鼠を風の属性魔術で切り刻みながら、リューリエは先頭の唯一兜を被った半魚人に問いただした。
「リューリエ!先に行きすぎだって!」
カナメも両手の魔力の塊で熱鼠をぶん殴りながら、遅れて半魚人の元に辿り着いた。
「お、お前も土神族か?姫は奥の炎鬼の元に走られた!悔しくも我々ではヤツに対して何もできん!足手まといになる!」
その時、10匹の熱鼠が壁を走り天井からカナメめがけて襲いかかってくる。
「うおっ!?」
「お主っ!危ない!」
「やぁっ!」
10匹の鼠は、その胴体と同じ大きさの一つの岩に横殴りにされ壁にぶつかり真っ赤なシミとなった。
「へへーん!こんな狭い所!僕の『動かす』魔術から逃げれなくなるだけだよ!」
淡く発光したアルヴァが飛び跳ねながらカナメの肩に止まった。彼の得意な『動かす』魔術は、力量に応じた質量の物体を、同じく力量に応じた速度で操る事ができる。単純な移動に限られるが。
「調子に乗らないの。エンリケ、ここに壁を張れる?」
同じくカナメの右肩にいるヘレーナが咎める。
「う、うん。水があるから、水の障壁が一番強く張れるよ」
「よし、いい子ね。リューリエ、私とエンリケはここで他の魔物を食い止めるわ。エンリケの防御魔術の補佐は任せて」
「頼むわ!シュレウス、ここにいなさい」
長女と次女は互いの姿すら確認せずに周りの鼠を葬って行く。攻撃魔術の苦手なヘレーナは、単純な魔力波のみで鼠を後退させる事のみではあるが。
「リューリエ!ぼ、僕も戦う!」
「馬鹿言わないの!あなたはまだ強化魔術しか使えないのよ!?カナメみたいに長い手足も無いのに、敵に体当たりするだけで勝てるとおもってるの!?」
「で、でも!僕も人魚さんや半魚さんを助けたい!」
「シュレウス!」
「僕も!」
「シュレウス!!」
シュレウスはその体を強張らせた。初めて聴く、厳しくても何時だって優しい姉の本気の怒声。
「…聞いて、可愛いシュレウス。あなたは強くなるわ。もしかしたらあたし達の誰よりも強くなる。それでも、今のあなたはまだ弱いの。もしかしたらそこの鼠に負けてしまうかもしれない。あたしの可愛いシュレウス。お願い。あたしにあなたの死体を埋めさせたりしないで。お姉ちゃんはあなたの事が本当に大切なの。わかってくれる?」
一転、その声はどこまでも優しく響く。その声もまたシュレウスは聞いた事がない。
「ひっ、うっ、ぐすっ。ゔぁ、ゔぁかっだ。わがっだよぅ。お姉ちゃん…」
「ああ、ごめんね。シュレウス。お姉ちゃんがあなたを守れるぐらい強かったらよかったのに。良い子よシュレウス。あたし達の自慢の子。大丈夫よ。あなたのお兄ちゃんやお姉ちゃんが強いの、あなたが一番良く知ってるでしょ?」
人族の体をゆっくり広げ、リューリエはその胸にシュレウスを誘う。優しく、壊れ物を扱うようにその赤と黒の羽を撫でて蝶の目から溢れる小さな小さな涙を拭った。
「ええ、こんないい子。他のどこにもいないわ。エンリケもそう。だからあなた達は私が守るの」
ヘレーナも寄り添うように飛んでくる。
「大丈夫だよシュレウス!カナメだって強くなってるんだ!兄ちゃんだって無敵なんだぞ!」
「シュレウス、僕と一緒に待ってよう?僕の魔術を見てれば、シュレウスならきっとすぐにできるようになるさ」
エンリケとアルヴァも同じように飛んできた。
「ああ…。俺に任せとけシュレウス!こんなとこで躓いてるようじゃ、旅なんてできないさ」
カナメの胸が暖かい。こんな美しい光景、きっと他のどこに行っても見る事は出来ないだろう。なんて愛おしい兄姉達だろうか。未だ守られてばかりのカナメの中に、また一つの覚悟が生まれつつあった。それは、きっといつか彼らを守る存在でありたいと願う、一つの未来の選択だった。
「ええ、そうですとも!あたし達家族の旅は、今ここから始まるのよ!」
リューリエの声が、鍾乳洞に木霊する。
「頼む!拙者達の代わりに姫を!姫を!」
兜姿の半魚人、オーナーの声を聞きながらカナメとリューリエ、そしてカナメの肩にアルヴァを乗せて洞窟を走る。
「カナメ!熱鼠だけとは限らないわ!爆砂漠の魔物の中で、あれは弱い方の魔物なの!」
「いるとするなら炎覇王樹とか熱蚯蚓の可能性が高いよ!」
無数の熱鼠を蹴り、殴り、踏みつけ、壁に叩きつけながらカナメは走る。鼠の体温は草花を焦がす。手足に若干の痛みはあるが、集めた魔力の層に阻まれ、火傷にまでは至ってなかった。
「リューリエ、奥になんかいる!炎覇王樹ってあれか!?」
「でかしたわカナメ!あいつは動きが遅い方の魔物なの!この距離ならあたしが!」
手のひらを前にリューリエの体が淡く発光する。
「アルヴァ!あの足元になんかいる!すごい沢山だ!岩で潰せるか?」
「さっすがカナメ!熱蚯蚓だ!」
肩のアルヴァも発光を伴い、カナメの左に大きな岩が並走しだした。
「一気に潰そう!鼠は俺がやる!」
「「わかった」わ!!」
最初にアルヴァの操る岩が飛んで行った。ついでリューリエの水の属性魔術。細く圧縮された水の剣が飛んでいく。
一拍空けて、壁や天井から熱鼠が大量に飛びかかってきた。
「ざっ!っけんなぁ!!」
カナメは勢い良く飛び上がり、そのまま一番前に飛び出した鼠を踏みつけ、力いっぱい踏みつけた。
「うわぁ!カナメすごい!」
肩のアルヴァが歓声を上げる。
カナメは一匹目を踏みつけた勢いのまま、空中を再び飛び上がった。目の前の2匹を左脚で薙ぎ払い、次いで壁を蹴る。返す勢いで横の3匹を両腕と頭で叩き潰した。
リューリエの魔術は炎覇王樹を貫通し、その奥の覇王樹まで薙ぎ払った。壁に弾ける水の音の後、大きな岩が地面に蠢く鼠蚯蚓を轢き潰していく。気持ちの悪い音を立てた岩は、地面にめり込んだ直前にまるで磁石に弾かれたように飛んできた方角に戻っていった。
「アルヴァ!上頼んだ!」
「任せてよ!」
「カナメ!前の4匹はあたしがやるわ!」
お互いを確認する事なく、対空するカナメと、リューリエとアルヴァの魔術が交差する。
カナメの手足が旋風の様に5匹を壁や地面に叩きつけ、アルヴァの大岩が下から天井の4匹を挟み潰す。リューリエの水の魔術が、散弾の様に4匹を貫通した。
カナメが再び地面に辿り着く頃には、その戦闘は全て終わっていたのだ。
「はぁっ、はぁ、ここはもう…大丈夫だ…よな」
「すごいわカナメ!凄い!今の動き!殆ど魔力を使ってなかった!どうしたらあんな動きできるの!?」
肩で息をするカナメに、学ラン姿のリューリエが抱きついてきた。
「わっ!リューリエ!あとで、あとで説明するから!」
「僕にも!僕にもだよ!シュレウスやエンリケにも教えてやらなきゃ!ヘレーナはきっと悔しがるよ!あんなかっこいいカナメを見逃すなんて!」
興奮するリューリエとアルヴァをなだめながら、カナメは洞窟の奥へと顔を向けた。
「しっ!奥から何か聞こえる?……アルヴァ、魔力の流れはどうだ?」
「………無理やり動かされてる魔力が奥に流れてる。大きな属性魔術の使われている証拠だ」
「急ぎましょう!」
再び、洞窟の奥へと走った。
「姫っ!」
鍾乳洞の中腹、開けた場所でフレグ姫を見つけた。
大きな怪我はしていないが、そのナイトドレスはボロボロで、彼女の絹の様な白い肌を惜しげもなく晒していた。
「坊や達!?なぜ来た!大河の者に任せろと言っただろう!?」
「すいません!後で怒られます!助けに来ました!無理にでも助けます!」
「まだ成り立てだけど、あたし達はタム様の名代よ!土神族の者の窮地に動かないなんて、土神の名折れよ!!」
リューリエがそう言いながらフレグ姫に近寄ってその身体を抱きしめた。
「……説教は後にしよう。情けないが妾と炎鬼ではやはり妾の分が悪い。水の力を借りてようやくと言ったところだが、他の魔獣が厄介での」
カナメが広場の奥に視線を送った。
そこにいるのは7匹の小鬼。火盾小鬼。それぞれが火をつけた盾を構え、小さなナイフを所持した小汚い姿の小さな鬼だった。そして。
「あれが、炎鬼か……」
小鬼達に守られるように、人より大きな巨体を蠢かせて、焼きただれた体表に砂を擦りつけた炎を貪り喰う鬼がそこにいた。
大きな棍棒から煤けた煙が立ちあがっている。身体の所々がひび割れ、薄暗い洞窟の中はっきりわかるくらい赤い光が漏れていた。
炎鬼。爆砂漠の一部を統べる赤き鬼。
圧倒的な存在感の強者の姿が、そこにあった。
ようやく戦闘回だよ…(呆)




