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逃走は最善



Loading……


 全くもって、生きにくい世の中だ。死んでしまいたい。とはいえ、医学が発達しすぎたせいで死ぬのも何だか困難だ。


 平均寿命は理論上四桁まで伸びました、か。数が多けりゃ良いとでも思ってるんだろう。死ね俗物ども。


「ごめんなさい」


 しかし、口の方は建前が立った。建前というよりは素直な『引き』。


 母親を悲しませたくないという狂った『倫理的』な理由もあったが、それよりは早くこの場を離れたいと云う気持ちの方が強かった。


 今日は気候自由調節機器の歴史について書かれた本を読みたいのだ。その要旨を《簡易手記》に打ち込んで、《拡張記憶》に保存しておきたい所だ。


 それが読み終わればそうだ、昨日調べた戦争繋がりで拷問の歴史でも。


 拷問には実に様々な法がある。爪を剥がすぐらいじゃ生温い。それを少し読んで……それからあのオジサンと話でもしよう、と少女がそこまで思いを巡らせたところで、



「今日は自宅謹慎よ。外に出るのを禁ずるわ」



 なんて。


「へ」


 ……少々、耳の感度が悪くなったようだ、と少女は自分に言い聞かせた。なんか聞こえたけれど、


「聞いています? 今日は自宅謹慎よ」


 何を仰るのですか、御母様。


「聞いています? 今日は」


「じ、自宅謹慎!?」


「しっかり聞いてるじゃありませんか。最近の貴女の行動は、目に余ります。少し頭を冷やしなさい。それと、いつもは何も言わないけど、今日は読書も禁止よ」


「ど、読書まで! ちょっと……!」


 あんなデッドメディアは読まない方が良いから。なんであんなものを読むの、と少女に対して母親は冷たい言葉を浴びせた。


「ちょ、待ってください! 御母様、御慈悲を……」


 説得の甲斐無く、少女は自室に叩き込まれる。ドアが閉まり、ガチャリと音がした。鍵が掛かる音だ。


「……」


 少女は小さく溜め息を吐くと、ベッドに背中から倒れ込んだ。ベッドはぎしり、と揺れる。


 室内が少しばかり寒いのを感知したセンサが勝手に暖房を入れる。熱風が壁の無数の極小穴から吹き出した。ぶわり、と髪が膨らんで流されるので、少女は鬱陶しそうに壁に背中を向ける。


「ちえっ」


 部屋には各種センサの他にもカメラやマイクが常設されている。これは少女の部屋に限らず、世界中ほとんどの建物はこうなっている。


 個人情報保護というモノが昔はあったらしいが、残念。現在は情報開示が基本だ。


 食事、睡眠、着替え、自慰行為に至るまで室内の全ては外に晒される。プライバシーなどミクロも存在しない。尤も、個人情報が溢れ出しすぎたお陰で、誰も個人情報に興味を持たなくなったのもまた事実。


 ただ、覗きや痴漢、下着泥棒等の手合いは減らない。


 なんでわざわざ、と訊くと、彼等曰く『このスリルに虜になる』んだそうだ。馬鹿じゃないの、と少女はその手のニュースを目にする度に蔑視する。


「嫌な社会」


 途端、びーっ、と警告音が鳴った。



《警告、一回目。反社会的レジスタンス発言ハ国家治安法第34号ニ抵触スル恐レガ有リマス。速ヤカニ発言ヲ撤回シテ下サイ》



「はいはい。言い間違いですごめんなさーい」


 少女が適当に謝るとスピーカーは速やかに沈黙した。ポンコツが偉そうに、と声に出さずに呟く。


 今の『警告、一回目』というのは本日一回目の警告、ということだ。一日の内に警告を三回受ければ政治警察が嬉々として飛んでくる。彼等はどうも、政治犯を捕まえるのが楽しくて仕方ないらしい。


「全く、嫌な社会」


 再び、びーっ、と低いベルが鳴り響いた。


 今度は、少し長く。



 ◇



 今日はあの少女は来ないようだ。


 私は縁石に腰掛けて、水のペットボトル片手に本を読んでいた。道行く人々がひそひそと噂しているのが分かるが、無視する。


 本の内容は、言ってしまえば拷問についてだ。とはいえ拷問にも様々な法がある。


 今読んでいるのは、特に水を利用した拷問だ。水は殴打等の拷問に比べ、『死の感覚』をより強く感じさせることが出来る。おまけに身体に傷をつけない。すなわち、…………。


 仔細を語るのは止めておこう。こういうのは自分で調べるに限る。


「さてと」


 本を閉じてバックパックに適当に突っ込み、代わりに手帳を開く。酒場などでこれを開くと、『なんだその可笑しなモノは』と笑われる。


「……この土地も明日でお別れか」


『未来』が見付からなかったのは悲観することではない。それが日常なのだから。


 ところで、日常が非日常へ向かう過程だというのは、どうやら正しいらしい。


 現代人は非日常に極めて強い憧れを無意識下に抱く一方、日常に恋い焦がれる。無理もない、皆が大規模な核戦争を潜り抜けた人々の子孫なのだから、非日常への帰巣本能が体に強く染み付いている。


 それを倫理という汚ならしい鎖でなんとか縛り上げ、暴れないように押さえている。それ故に、日常が好きでしょうがないのだ。


「この世界も仕舞い……かも、な」


 戦争が突如始まることは無いだろう。長年の何かしらの鬱憤が、或いは欲望が弾け出して初めて、日常は非日常へ転落する。


 そんなことを考えながら立ち上がり、ふと、違和感を覚えた。だが、それが何かは定かでは無い。――しかし何か、違和感があった。


 通りを、古い新聞紙が風に乗せられて飛ばされてゆく。


 横目でそれを眺めながら違和感の正体を掴めない不快感に顔をしかめつつ、私は林へと足を向けた。



 ◇



 ダメだった。


 守りきれなかった。


 ごめんなさい先生。


《システム停止……復……き……け……反え……ードA……失敗……構築し……ん入……代理……書……B……変え……成功……シス……復……開……始》


『世界』はもうお仕舞いです。


 ゴメンナサイ。



 ◇



 朝の空気は爽やかである。


 冬の冷たい風が肌を触っていくが、不思議と不快感は無い。通りは未だほとんど人通りが無く、閑散としていた。


 歩いていると、少女が向こうから、息切れ切れに走って近づいてきた。


「おっはよーおっじさーん!」


「帰れ」


「あ、相変わらず冷たい……」


 少女は私の前で止まると、膝に手を付いて息を吐いた。ただ、視線はきょろきょろと忙しなく右左に動いている。


「ところでお前、昨日は」


「昨日でしょ! いや――御母様に自宅謹慎言い渡されちゃって。しかも本とかも全部取り上げられて、もーう暇だったこと暇だったこと。会いに行けなくてゴメンね?」


「聞いてねえよ。うるせぇ……」


「なーんて言って。本当はさ、寂しかったんでしょ? 分かってるって『黙れ、殺すぞ』ちょ、それは酷すぎる……ところで」


 先ほどからどこか落ち着きのなかった少女はここに来てようやく、意を決したように私の顔をじっと見詰めた。


「ん?」


「助けてくれない?」


「?」


「ほら後ろ、百から二百メートルくらい向こう……」


 後ろ? と首を回す。そこには、こちらに駆けてくる人影が二つ。


 そのどちらも、きっちりかっちりとしたお揃いの緑の服を着込んでいる。その手には冷たく鈍く光る、金属製の棒。


 というか。あの服は、まさか。


「……政治警察?」


「ピンポーンピンポーン」


 少女が青い顔で冷や汗を垂らしながら口でベルの音を真似た。


「……訊きたいことは一杯あるが……」


「うんうん」


 少女の手を握る。意外と小さくて、少し冷たいことになんだかどきりとした。


「取り敢えず逃げるぞ!」


「やっぱりね!」


 駆け出す。細い路地が近くにあったのを記憶している。取り敢えずそこを使って撒こう。


 と、次の瞬間。何かが音も無く左頬を掠めた。掠められた所がじんわりと熱を持って、同時に皮膚が裂けるような感覚に襲われた。


 まさか、と左頬に手を当てる。妙に冷えた固体が手に触れて、同時に、べちゃり、と何か温かくてどろりとしたものが手に付いた。


 血。


 それは人体の組織液の一つである、粘性の赤い液体だった。


 ばっ! と後ろを振り向くと、二人のうち片方が、手に持った棒をこちらに向けて突き出している。先端には小さな穴が見える。あれは恐らく、


「レイガンか……! めんどくせぇ!」


「え! ……そんなモノまで!?」


 レイガン。光線銃、熱線銃とも言う。これは実に優れた発明品で、最近は防犯用に威力を落としたモノも売られている。


 軽くて扱いやすい事がヒットのポイントだ。


 また、実銃とは違い、基本的にマガジンや銃身を必要としない為、先程のように警棒型レイガンのような不思議な形のモノも作れる。更に実銃と違い弾が風に流されないので、より正確な射撃が可能になる。


 問題と云えば、全体的に実銃に比べやや威力が低いことか。


 それにしても最初からヘッドショットを狙ってくるとは、相手は私達を殺す気満々なようだ。


「一体、何言ったんだお前! 生死を問わない逮捕命令なんて、尋常じゃねぇぞ!」


「知らないわよ! 私はただ……」


「……っ、こっちだ!」


「えぅ!」


 少女の後ろ襟を掴んで、強引に進行方向を変換させる。変な声を出しながら、少女は路地裏に転がり込んだ。


「走れ! 急いで!」


「げほっ……うん!」


 少女を直ぐに再起させ、再び駆け出す。直ぐ近くにある道を右へ。…………等といった、ちょこまかと撒くような真似は使わない。というか、使えないのだ。


 情報開示に徹底した社会は、どこまでもお尋ね者に優しくない。上から衛星写真で大まかな動きを捕捉されているのは当然。監視カメラもここが力の見せどころとばかりにしきりに警察に情報提供する。


 カメラの映像は無修正のまま駅前でLIVEされる事もしょっちゅうだし、何より《視覚情報提示手術》が憎い事をやってくれる。


「おいお前。……《視覚情報提示手術めのしゅじゅつ》やってないだろうな!」


「勿論、やってるよ! それがどうかしたの……、あ、そっか」


「ああ。……最悪だ」


 あの手術で埋め込まれる部品の内に、とある発信器が有る。


 元は地図などに自分の居場所を表示する為の物だが、犯罪予防、犯罪解決として、警察はそれを逆探知或いは検出出来る。


 だがこのシステム、普段は脱獄者など、『IDと云う名の身元』が割れている人にしか使えない。


 ……というのも、流石に初犯でかつ現行犯で逃走するような顔も名前も正確には分からない人では、例えば人混みの中での事件であったとき、沢山検出される発信器の中から、『どの発信器が容疑者のモノ』かを判別することが中々難しいからだ。


 ただ、判別できずとも、特殊な地図上、例えば『犯人がいると思われる付近』の地図上に全ての発信器の位置を示すことは可能である事がポイントだ。


 そして間が悪いことにこの時間帯。人混みどころか、人っ子一人いない。そんな中、発信器付けたまま逃げ回っていたらどうなるか。


 地図上を高速移動する発信器が容疑者の発信器だとマークされて、ID登録されること間違いなしだ。


「私は手術していないし……目ん玉、抉り出せば何とかなるぞ?」


「ごめんおじさん、その発想は無い」


「だよな」


 嘆息しつつ、出来るだけ曲がらずに真っ直ぐ、速く駆け抜ける。視界から逃れる事が無意味ならば、距離を稼ぐ以外に方法はない。路地裏を選んだのは、単に遮蔽物が多いためレイガンが外れ易いと踏んだからだ。


 それにしても、全く、生きにくい世の中だ。世界はなんで、ここまで私を虐めたがるのだろうか。分からない。


To be continued……



あとがき


 三人が、酷い姿で病院の白いベッドに横たわる。▼

 何本も繋がれたチューブは矢鱈とカラフルで、吐き気がした。▼

 許してやればいい。▼

 そう言った×××は、既に死んだ。左目と小腸を抉り出されて。▼

 許してやればいい。全ての罪を。無くしてやればいい。全ての罰を。▼

 私は、▼



あとがき(追加)2015/6/28改稿

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