未来は虚実
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日が高く登ってから、林を出た。林は木が乱立していて、ハンモックを引っ掛けるのに丁度良い。おまけに街に近いとあって最高だ。
どうも昔は私のような旅行者を泊めることを専門にした店、確か――宿とやらがあったそうだが、愚の骨頂だ。先人は馬鹿だったのか。
窃盗が大した罪にならないのは、それは『盗られる方が悪い』という戒めからだ。私はそれを良しとしないが、世界の大勢はこの考えの元に動く。
さればこそ、客を監視なき部屋に置いておくなど。それとも昔は『盗る方が悪い』という考えが主流だったのか、そんな馬鹿な。
妙に頭が痛いのは多分、昨日温突の煙を吸いすぎたせいだ。喉が痛いのも。
バックパックを背負って、街を抜ける。
このバックパックにしたって、一世紀前からしたら『未来』の塊だ。だが、未来とは本当にそんなに素晴らしいモノなのだろうか。
もし例外なく未来が素晴らしいのだとしたら、今この世界はもっと輝いているはずだ。きらきらと。だが現実を見れば、そこはモラルの欠如に毒々しく彩られた世界でしかない。
卑怯だ、と思う。
『未来』なんてつまらない言葉でぼやかして現実を見詰めないなんて、卑怯だ。
結局、私の思うところとはそこだ。古人は一体、『未来』、即ち今の何処に憧れたのか。それを知りたい。
純粋に尊敬の念を抱かせる何か。古人はきっと無意識中にそんな何かが『未来』に有ると知ったから、未来に強く憧れたに違いない。
そうでなければ、彼等は本当に現実から逃避するために未来を見つめ続けた阿呆だと云うことになる。
それを認めたくはない。少なくとも――、
「……どうしたのおじさん? 怖い顔して……」
邪魔だ、どっか行け。
◇
「なるほど。未来、かぁ……」
あまりにもしつこく訊かれるものだから、掻い摘まんで説明してやった。黒髪美しい少女は、ふぅん、と唸りだか何だかよく分からない声を上げる。
「【未来】時の経過を三つに区分した一つで、これから来る時。将来…………か」
「なぁに、それ」
私の呟きに少女は敏感に反応した。
「『辞書』って云う、所謂単語帳の一項目だ。一世紀も前の、ね。様々な種類があるそれの内の数十冊、私は覚えている」
「《拡張記憶》使って?」
「いいや」私はゆるりと首を横に振った。「あんな気持ち悪いモノは使わない」
「だよね」少女は何故かはにかむように笑うと、前髪を人差し指に絡めた。
「あんな機械にスーベニアを託す奴等の気持ちが分からない……」
愚痴る私に、少女は微笑むと、
「【スーベニア】解説:スーブニールに同じ。【スーブニール】記念品。また、記念。思い出」
……驚いた。それは偶然か否か、兎にも角にも私の《辞書》の記憶と合致していた。
「……どう?」
私の心全てを見透かしたかのように、少女は問いかけてくる。
「どうって……完璧だ」
内心、衝撃は引かぬまま、頷く。少女はそれを見ると満足したように頷き返した。そうして彼女は手を後ろ、腰の辺りで組み、長く美しい黒髪を風に靡かせながら天を仰いだ。
「私とおじさん、何だか似ているわよね」
少女は縁石の上に乗ると、バランスを取るように手を横に広げて、一歩二歩と歩いた。そうして振り返って、
「ちなみに、さっきの『辞書』ならさ。【辞書】多くの言葉や文字を一定の基準によって配列し、その表記法・発音・語源・意味・用法などを記した書物。国語辞書・漢和辞書・外国語辞書、百科辞書のほか、」
少女がその先を言う前に私が、口を開いた。
「【辞書】(続き)ある分野の語を集めた特殊辞書、ある専門分野の語を集めた専門辞書などの種類がある。辞典。辞彙 (じい)。語彙。字書。字引」
少女ははっと目を見開くと、
「……やっぱり、私と息ぴったりじゃん」
「うるさい」
「……で。お前は何処までついてくるワケ?」
歩きながら私は少女に訊いた。少女はずっと、横をついてくる。
「おじさんがエッチしてくれないって言うからさ。ならせめておじさんについていって家出しようかと」
「いやそれ答えになってないからな?」
「知ってるよ」
ああ面倒臭い、と私はぼやく。この手合いは苦手だ。
「ここでおじさんにクエスチョン。どうして人間は、あらゆる動物の中でも特別なんだと思う?」
「は?」
突然の質問に面喰らって頭に疑問符を浮かべる私に、少女はやはり微笑むと、
「一世紀前ならさ、人間は唯一『道具を作る道具を使う』動物だからとか、取り敢えず色んな理由が付けられた訳だけれど」
因みに、唯一道具を作る道具を使うって云うのは違うね、と少女は付け足した。昔はそんな動物はいなかったかも知れないけれど、今は私達以外の動物も進化した。今やネズミだってチーズを捕るために棒を使い、その棒の先端はラジオペンチのような道具で鉤状に折られている。
首を傾げて答えを探す私の顔をやや下方から仰ぎ見るように少女は見詰めてくる。その視線に催促されるでもなく、私は降参した。
「いや、分からない」
「んふ。だよね。だって答えはさ、人間が『人間だから』なんだよね?」
「……馬鹿にしてるのか?」
「まさか! 至って真面目よ?」
「……一応、理由を聞こう」
「あのねー、人間は自分が人間だから、昔から思っていたの。『自分達は特別なんだ』って。理由も無く。直感的に、ね。……こじつけ的理由は沢山あったけど。まあ、言うなればナルキソッスの物語よ。人間は元来、みんなナルシシズムに縛られた存在」
ナルキソッスは、ギリシャ神話に出てくる少年の名前だ。彼は水に映った自分の姿に恋をし焦がれ、しかし実ることは決してない想いに次第に生命力を奪われ死に、そして水仙になった……。
「だがその理論だと、人間は特別ではないことになるぞ」
「当然よ。だからさっきの問いは、問いかけから矛盾してることになるわ。人間は特別でもなんでもない、只の生物」
尤も、と少女は付け加える。人間が本当の意味で生きているかというのは、また別の話だけどね。
「……発言に、気を付けろよ。私は気にしないが、この世界の九十九%はその考えを否定する。損するぞ、……色々と」
言いながら、辺りをこっそり見渡す。良かった。あいつらに気付かれなかったようだ。
「だから私とオジサンは似てるじゃん。この世界の異端的存在である所が特に」
「まあ否定できないが」
まあ否定できないが、肯定もしたくはない。後半部分は喉から飛び出す寸前で止まった。
少女はそんな私など気に掛けず、次々に言葉を口から撃ち出す。
「ああ、何だか嬉しいような喜ばしいようなこのふわふわした気持ち……これは所謂『恋』だと思うのよね?」
「一度、精神外科に行った方がいいと思うぞ」
「廃れた医学ね。ロボトミーは一世紀以上前から既に使われていない。前頭葉白質切断術の地位はとっくに、薬に奪われているわ」
驚いた。こっちの知識もあるのか。
「その『廃れた』ものを愛するのが私だ」
「……お好きに、どうぞ。でも私は生憎と、温故知新タイプではないので」
少女はそう言うと、暫し黙った。そうして立ち止まると、
「実のところ私は、『現在』も嫌いじゃないわ。そう悲観するものでもないと思うの、この悪しき『未来』という現在は」
「……私には」
私は歩みを止めない。少女との距離がぐいぐいと離れる。
「私には分からない。分からないから探しているんだ」
「ふーん」
少女は小走りで走ってきて直ぐに私の横に並ぶと、
「それにしても、見付かるものなの? それは。目にも見えないのに」
「目に見える形だけが全てじゃない。感じることも大事だ。感じられればやはり、見付けたことになる」
「……何だか綺麗な話をぶち壊すようで悪いけれど、フィーリングは当てにならないわよ?」
「承知の上だ」
「人間の脳ほど、信用出来ないものは無いわ? 時として、自分にすら嘘をつく……」
「だからこそ、時として信用してやらなくちゃいけない」
「……、」
少女は暫しぽかんとした顔で私を見詰めた後、
「うーん、かっこいい! ますますオジサンと気が合う気がしてきた♪」
「……」
さっさと帰れ。私は声に出さず、心の中で小さく呟いた。
◇
「――――――!」
「お母さん、さあ。悲しくならない?」
「――――――! ――、――――!」
「いやだから……」
「! ―――」
まるで暗号だ、と少女は小さくごてた。
まるで意味が分からない。それは別に少女の母親の発音に問題があるのではなく、ただ単に少女が聞く耳を持たないせいで、かつ少女には母親の考えが理解できないからだ。
母親はただ、少女の未来を思って叱ってくれているだけだ。
それは分かる。だが、だからといって少女が母親の話を聞く気になるかといえば、そんなことはない。
何故自分はこんな風に捻れてしまったか。今まで己に何十回も問い掛けてきた疑問を、再び自分にぶつける。
そして、脳という単純なシステムは今までと同じ答えを吐き出した。
《古文書のせいに違いない》。
とある学術誌ではこんな研究が発表された。『古文書による現代人への影響及び倫理観の転換について』。古文書――即ち、《大崩壊》以前の書籍……これらは人間の思考回路を、価値観を、倫理観を、それらを丸々変えてしまうという。
少女は『本』を愛していた。廃れた媒体、穢れた情報の溜まり場等と云った不名誉な評価を受けつつ、しかし過去には人類の知の結晶として崇められていた、『本』を。
色とりどりの知識に溢れている故、確かに不必要なものも多い。だが、それは現在のメディアだって同じこと。寧ろ現在のメディアの方が酷い。
要は読み手の力だと、少女は思っている。情報の取捨選択、それが出来るか否かに掛かっている。
そして私は出来る自信がある、と少女は小さく呟く。
「―――! ――、――! 全く、聞いてるのッ!?」
ん、理解できる一文が飛び出した。とはいえ、それも無駄な叱責に変わりは無い。
「はい、聞いています、御母様」
「それにしては全く反省の色が見えないようだけど! 貴女は、自分のしでかした事を自覚しているの!?」
「はい……期末テスト、迂闊にも手を抜き損ね、学年一位になってしまいました」
「そう! 貴女ね、協調が求められるこのご時世……何故、わざわざ劣等生に成りたがるのかしら!? 信じられない!」
信じられないのはてめえの頭だ、と少女は汚い悪態を心の中でつく。それともあれか。これは、私の方がおかしいのか、一位を栄光と思う私の方が。
現在、学校で成績学年一位は劣等生の烙印が押される。
協調性を大事にするこのふざけた世界では、平均的な成績を取るように常に努力する必要がある。故に、成績一位は成績最下位と同レベルだ。
いや寧ろ、『平均より上に行こう』と努力した分、成績一位の方がタチが悪いらしい。
そんなに一つの成績で固まりたいなら、それを協調と呼びたいなら、こちらまでこい。高得点を取れ。
言ってみたところでそれは無駄。『弱者』が吠えているだけだ。何故なら協調が求められるこのご時世、世界は多数派に絶対に傾くように出来ている。
もしかすればそれは、日本人精神、とか云うやつに近いかも知れない。そしてその多数派は、大抵何においても『劣等生』だ。本当の意味での。
To be continued……
あとがき
?『オジサン、こっちは任してくれ。絶対に守って見せるから……』▼
私『ダメだ! 戻れ×××!』▼
伸ばした手は届かず。▼
?『オジサン、走って下さい! ×××の覚悟を無駄にしないで!』▼
待て、よせ。私の叫びは廊下に反響して。▼
次の瞬間。轟音に掻き消された。▼
あとがき(追加)
2015/06/27 改稿