2 - 彼の、失敗。
ニーナが塔に取り付けられた梯子から危なげもなく下りていくのを確認した後、俺は昼食を調達するついでに"第二の憩いの場"へと足を運んだ。
学園に内装されているパン屋のパンをかじりながら向かったのは、学園の東のはずれにある研究棟。
最上階である四階の一番隅にある一室。
ここは俺専用の研究室なのである。
この学園の特待生は授業免除以外にも様々な特権が与えられ、その一つが"個人研究への全面援助"である。
通常の特待生は往々にして魔術研究に対する高い志を持っているものであり、能力の高い者は学園を卒業して国の研究機関に入る前から充実した環境で研究を行えるように、という学園の配慮であり、その研究の成果を学園の物とする思惑を多分に含んだ対応でもある。
つまるところ、特待生には個人用の研究室が与えられ、研究の資金援助も受けれますよー、ということだ。
俺も個人スペースの確保の為に面倒なのを忍んでテキトーな研究プランを立て、晴れて部屋を手に入れることが出来たのだが、俺が自分から動くのを見た担任が泣いて喜んでいたのが少しだけ気まずかった。
その担任の働きもあってか個人用の研究室にしてはいささか広すぎる部屋を与えてもらい、場所的にも俺の要望であった「静かな場所」を十分に満たしていた。
おかげでたどり着くのも面倒な場所になってしまって後悔したが。
買ったパンを食べ尽くす頃に研究室にようやくたどり着き、ため息を尽きながら扉を開く。
そこには見慣れた、しかしおおよそ研究室とは呼べない光景が広がっている。
暇つぶしに描いた絵や彫刻が室内に広がり、それらの元となった絵の具や彫刻刀が散らかっている。
もし何も知らない者がこの部屋に入れば、疑いなくここを美術室だと考えるだろう。
乾いた絵の具とニスの匂いが漂う部屋の真ん中辺りに置かれたソファに体を沈め、予定外の体力消費を回復させようと瞑想してしばらく経った時、部屋の扉が勢い良く開かれた。
「もう!後でお土産持ってくるねって言った――――――」
声を荒げて入り込んできたニーナが、言葉の途中で声を失う。
口をポカーンと開いている様子から、この部屋の様子に驚いているのだろう。
「これ、全部クロスの作品なの……?」
「ああ、そうだが」
「マイトン先生が『研究室で芸術活動し始めて困ってる』って言ってたけど……まさかここまでだとは思わなかった」
…確かに、研究室なんかに素人の美術品が敷き詰めてあったら正気を疑うだろうな。
ちなみにマイトンは俺の担任。
俺が言うのも何だが苦労性のオッサンだ。
「趣味でやってんだよ。ほっとけ」
呆然と立ちすくんでいたニーナに声を掛けると、一転してキラキラした目ではしゃぎ出した。
「すっごーい!!めちゃくちゃ上手じゃない!!うわーっ、この絵キレー!ひゃあ、何これ!見たことないよ、こんなの!!」
俺が作った作品のほとんどが版画とか石膏を使ったギリシャ様式の彫刻などの、魔術による技術が主流のこの世界には無いものなので、ニーナが見たことが無いのは当然だ。
「ホントに凄いよ、これ!
魔術の研究なんかよりよっぽど価値あるんじゃない?」
「んなわけあるか。ただの趣味の範疇だよ、こんなのは」
まあ雰囲気だけはマトモに見えるが、その道の専門でない俺にそれを判断する権利は無い。
「そうなの?…でも、クロスにこんな趣味があったなんて意外だなぁ!」
未だに部屋を俺の作品を見てグルグル周りながら感心したように言うニーナ。
…いい加減恥ずかしくなってきたんだが。
「意外で悪かったな……で、お前はわざわざ何をしに来たんだ」
「だから、お土産持ってくるって言ったでしょ!話聞いてくれるってクロスが言うから塔の上行ったのに居なくなってるし!!」
そういえばそんなことも言ったような。
拗ねたように頬を膨らますニーナを見て、表情がコロコロ変わって面白いな、と思った。
「あー分かった分かった。謝るから落ち着いて座ってくれ」
長机を挟んで俺と対面のソファを指差すと、ニーナはまだ見てない作品を物惜しそうに見ながらもそこに座る。
作品の中にあまり触れて欲しくないものがあったので少しホッとする。
「んで、お土産って一体何だよ。俺は頼んだ覚え無いんだが。というか正直いらないんだが」
「いーの、そんなことは。貰っても損は無いからさ!」
そう言って肩に掛けたリュックを降ろし、中身を文字通り長机にぶちまけた。
お土産なのに無造作だな……
机に広がった奇妙なお土産の数々は、どれ一つとして俺の食指を動かしそうに無い。
「これはマーズで買った温泉饅頭に、こっちはイーリヤ島で買った石像のレプリカだよ!妙に愛嬌があるから買ったんだー。それでこっちが――――――」
嬉々として説明を始めたニーナを見て、確信した。
コイツ、ただ自慢しに来ただけだろ……。
オリエンタル感満載の帽子やらモアイ像ソックリの置物やらを指差しながら、延々としゃべり続けるのに適当に相づちをしつつ、心の中で大きくため息を吐く。
だから、何で、相手が俺なんだよ!
「…?どうしたの、クロス?」
ゲンナリしているのに気付いたのか、不思議そうに首を傾げる。
それにつられてサラリと流れる白金の髪に意識が奪われそうになったのは置いておいて、不思議に思ってるのは俺の方だ。
「なぁ…なんでわざわざ俺の所に来たんだ?旅の自慢ならお前の友達にでもすれば良いだろ?」
「それは…だって、さっき約束したし」
「それは分かってるよ…俺が言いたいのはそもそもの話だ。どうして俺なんかに会いに来たんだ?」
「"俺なんか"なんてこと無いよ!クロスは特待生だよ?それなのに誰もクロスのこと知らないって言うから気になってたの」
「で、わざわざ会いに来たってことか。なら、もう分かっただろ。おれがどんな奴か」
「うん、想像以上だった」
今まで困ったように笑っていたニーナが、今度は嬉しそうに話し出す。
「ちょっと無愛想だけど私の話ちゃんと聞いてくれたし、物知りだし、絵もすごく上手だし――――――」
「――――――やめろ」
思わず出てしまった声に、ニーナが口を閉ざした。
「それは、ただの薄っぺらい表面に過ぎないよ」
ニーナが何か言おうと口を開きかけたが、手でそれを制した。
そして、俺は続ける。
「今から話す事は君を傷つけるものだ。恨んでくれて構わない」
ニーナを俺から遠ざける為に。
「おれは、生まれてこの方努力をした事がないんだ。特待生になったのは、頑張らなくてもなれて、面倒な授業を受けなくて済むと思ったから。芸術のセンスだって磨いた覚えは無いし、知識だってそれらのオマケ程度でしか無い。
君は、俺を"特待生"って先入観で見てるから悪い印象を受けなかったみたいだけど、それは違うな。
俺は君が努力して成し遂げた偉大な成果を踏みにじったんだ。そしてそれを分かっていながら、いや、分かっているからこそ、君と話すのが煩わしいと思ってしまう。
―――――最低最悪の男なんだよ、俺は」
『面倒臭いからこれ以上俺に関わるな』というニュアンスのつもりが、思ってたのと違う風になってしまった。
まあ、言った言葉は本心だから訂正する気も無いが。
ニーナは俯き、その表情を見ることは出来ない。
だが、先ほどまで見せていた純真な笑顔をもう見ることが出来ないのも自明だった。
その笑顔がおれに釣り合うことが無いのも最初から分かっていたことだが。
しかし、彼女からの返答は俺の予想とは大きくかけ離れていたものだった。
「………どうして?」
囁くような声。
「どうして、ニーナって呼んでくれないの?」
「…え?」
「確かに、最初に気なったのはクロスが特待生だったからだよ…?でも、話しかけてからはそんな事もうどうでも良かったの!私は、特待生とか貴族の生まれとか関係なく接してくれるクロスが、ただ嬉しかっただけなのに!
なのに、努力とか才能とか下らないことで、クロスは……!」
ニーナが静かに立ち上がる。
失望したように濁った瑠璃の瞳からは、透明な雫がこぼれ続けていた。
「クロス君も、結局みんなと同じだったんだ……。
――――――私、もう帰るね」
そして、ニーナは音も無く部屋を後にした。
その間、俺は一言も言葉を紡ぐことが出来なかった。
机の上に散らばった見慣れない小物や菓子が、今の光景が現実であることを告げている。
夢であったらいいのに――――――そう思う程に、俺は自分の発した言葉を後悔していたのだ。