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17/17

17 - 月夜に開く、パンドラの箱。 後

後半を大幅に修正しました。

時は夕刻。


今にも沈んでしまいそうな太陽の残り火に照らされながら、俺達は言葉を交わすことも無く歩いていく。



1週間ほど前に交わした「昼飯が美味く作れたら俺を外に連れ出すことができる」という約束を律儀に覚えていたニーナによって、俺は彼女に連れ出される形で部屋の外へと出かけていた。



やがてニーナが足を止め、俺もそれにならう。



「到着です」


「……やっぱりここか」



彼女が指し示すように手を広げた先にあるのは、小さな泉。


湧き出す水によって天然の噴水のようになっているそれは夕焼けと宵闇が混じり合い、熟成された蜂蜜のような色を反射している。


あたかも粘性をもっているようなトロリとしたその色合いと造形は、もはや芸術の域まで達しているのではないだろうか。



「ここに来るのも、久しぶりだな」



そう、学園東端の森にひっそりと存在するこの泉は、ちょうどこの世界で言う”一月前”にニーナが寝込んでいるのを迎えに行った場所である。



「そっか。 私はあの後も何回か来てるんだけどね」


「へぇ…あの時にもここに来たこといい、何か思い入れでもあるのか?」


「まあね。 といっても旅に出る前に偶然にここを見つけてお気に入りになったってだけなんだけどさー」


「お気に入りか。 その気持ちは分からんでも無いな」


「でしょ! 凄く綺麗だよね、この泉。 何か見てると心が落ち着くっていうかさ」


「ああ……まあ、落ち着きすぎてここで寝るのはどうかと思うが」


「も、もう! そんなこと思い出さなくていいの!」



怒ったように頬をふくらますニーナを見、思わず口元が緩みそうになる。



一瞬だけいつもの関係が戻ったような気がしたが、会話が止まると再び気まずい雰囲気がやってくる。




太陽がさらに沈み、泉から朱の色が段々と抜け落ちていく。




本当はニーナがやってきた時にすぐ謝るべきだったのだが、彼女と会ってからはどうもそうするのは違うような気がしている。


隣でたたずむニーナの横顔を盗み見るが、夕闇の陰に隠れてその表情を伺うことは出来ない。




とりあえずは、思ったことを話してみよう。



「そういえばその服、どうしたんだ?」



彼女の服装は、ほとんど彼女と初めて会った時の服装そのままの格好だ。


機能性を重視していると思われるジャケットにパンツ、頑丈そうなブーツ。


後はマントにリュックサックでも背負っていれば、立派な旅人に見えるだろう。



「旅に…出るのか?」



その姿を見れば当たり前に出てくる質問。


だけど、俺はその質問の答えを聞くのが少しだけ怖くて、思わずニーナから視線をはずした。



「…クロス、その右手どうしたの?」


「っ!」



しまった、と思い後ろ手に隠そうとするも時すでに遅く、淀みの無い瞳がこちらをジッと見つめている。



射抜くような視線に仕方なく右手を見せると、血の滲んだ包帯が露になりニーナが少しだけ息を飲んだ。



「これ、どうしたの……?」


「…ちょっと転んだだけだ」


「それだけじゃここまでならないでしょ!?」



ニーナは叫ぶように言葉を紡ぐと俺の右手を強引に、それでも優しく自分の手の中に引き寄せる。



「お願いだから、本当のこと教えて?」



何もかもを透過するような目……この目をしたニーナには、俺はどうしても逆らうことができない。



「……鏡を殴ったんだ」


「…どうして、そんなことしたの……?」



悲しげに目を潤ませるニーナに耐えられなくなり、俺は目をそらす。



「…さあな」



まあ、自分でも何故あんなことをしたのか正確には分かっていないのだから答えようも無いのは事実だ。



その時、右手から温かな感触が伝わってくる。



見れば、ニーナが自分の左手と頬で俺の右手を包み込むようにしていたので、驚いて引きはがそうとしたが、彼女は決して手を放そうとはしてくれない。



「……クロス、私ね?」



そのまま話し出すニーナ。


振動が直に伝わってきて少しくすぐったい。



「もうちょっと早く謝りに行こうと思ったんだけど、一晩中泣いたせいで酷い顔でさ。 クロスに会う前にゆっくり考えたいこともあって、おそ、遅くなっちゃって、その、せいで、グスッ、クロスに、クロスにまたケガさせちゃってっ、うぐ」


ポロポロとこぼれ出す雫が、包帯にしみ込んでいく。


泣き出してしまったニーナに、頭が真っ白になりかける。


「ニーナ、違う、違うんだ! 謝らないといけないのは俺で、怪我したのもただの八つ当たりで自己責任だ! 君のせいじゃない、だから頼むから泣かないでくれ……」


その後しばらく泣き止まないニーナを必死であやしていたが、その時の俺の慌て具合は見てられないものだったろうと自負できる。



ようやく泣き止んだ後もニーナは俺の右手を離さず、壊れ物を扱うかのように優しく撫で続けている。



俺は改めて自分の犯した愚行に後悔を抱き、ニーナをまた泣かせてしまった自分を心の内で激しく罵っていた。



「ニーナ、もう大丈夫だから離してくれ。元々そんなに酷い怪我じゃないから大丈夫だ」


「やだ!」


「おいおい……」


「あ…うん、分かった。……ごめんなさい」



思わずため息をつくと、それまで頑なだったニーナは慌てたように手を離す。


しかしその瞳はまたも悲しげに揺れている。



「あーもう、だから謝るのは俺の方だって言ってんだろ。 それに、俺の心配をしてくれてるのは十分に伝わってるから……ありがとな」



滲んだ血がニーナについてしまわないように、左手でニーナの頭を撫でる。


「……うん」


どうやら持ち直してくれたみたいだ。



よく不機嫌な時のシェリルに撫でるのをねだられたりするが、ニーナにも効果はあったようだ。



「あー…やっぱダメだな、私」



自嘲的に呟くニーナに、そんなことは無いと言おうとしたが、それはニーナが突き出した手によって防がれてしまった。



「私ね、気付いたんだ」



頭を振って、俺の手から逃れて立ち上がる。


先程までのニーナと同じように座り込んでいる俺は、ニーナの横顔を見上げる形になる。


すっかり日も沈み、今度は月の光によって青白く反射する泉を見つめながら、ニーナは言葉を続ける。



「私、学園に帰ってきてからずっとクロスに甘えてた。 勝手に自分のことを押し付けて、居場所を無理やり作りだして……それでも私の為にたくさんのことをしてくれるクロスに舞い上がっちゃってさ。 だから、クロスがどんな思いで他の皆から隔離されたような生活をしてたかなんて考えもしなかった……ううん、ヒントはたくさん出てたのに、見て見ぬ振りをしてただけ。―――――それで、これ以上クロスに迷惑掛けちゃわないように、また旅に出ようと思ったのです」



そう言って今の服装を見せつけるように手を広げる。



「それでも……俺は君といて楽しかった。 毎日君が来ても苦に思わない位には」



――――そう、これが俺の本音。



「俺の為にこの学園を出るというのなら……それは間違ってる」



「そっか…そう思ってくれるなら嬉しいし、何だか安心した」



儚げな笑みを見せるニーナ。


俺は何故だかその表情を見ていられなくなって、思わず目を逸らす。



「じゃあさ――――もう少しだけ”ニーナ”を押し付けても良いかな?」



その問いに俺はどう答えていいか分からず、それでも肯定しなければならない気がして、ただ「ああ」とだけ返した。



ニーナはしばらく泉を見つめて佇んでいたが、やがて俺の隣に座りこみ、膝を抱え込む。



「前にも話した通り、私って家族に見放されて育ってきたでしょ? それで、皆から隔離された場所でずっと、ずっと一人ぼっちだった。 もちろん世話役の人達はたくさん居たから、精神的にって意味だけどさ」


茶化すように笑うニーナだが、俺は得意の無言で続きを促す。


「…それである日、そんな生活に嫌気がさして屋敷を抜け出したの。 12歳にもなって自分の意志で初めて屋敷の領内から出た私は、一つの光景を見たの……なんてもったいぶる話でも無いんだけど、屋敷からも見える小さな酒場の中を覗いたんだ。 そこは他の酒場とたいして変わらないごく平凡な場所だったけど、小さい店内に窮屈そうにして座りながらも楽しげな笑い声をあげる彼らの姿は、私にとって強い憧れを抱かせた」


そう言って楽しそうに笑うニーナ。


でもその表情は、俺には酷く悲しげにみえた。


「そこにはね、私に無いものが全部揃ってたの。 温かさとか、団らんとか、仲間とか……それは目に見えないものばかりだったけど、その時の私にははっきりと目に映っていたんだ――――そして、私は旅に出るの……私には与えられなかったもの、私にも温かさをくれるような居場所を求めて」


「……居場所、か。 俺には縁の遠い言葉だな」


そう言うとニーナは緩くかぶりを振り、「そんなことないよ」と返してくれるが、俺にはあの”孤独な楽園”にしか居場所は無い。

いや、ニーナの定義だとそれさえも居場所とは言えないかもしれない。


そんなことをポツポツと説明してやると、ニーナはまた寂しそうな微笑みをつくる。


その表情は、俺の心ををひどく締め付ける。


「私はね、色んな街で必死に居場所づくりをしたの。 街の人達から認めてもらう為に面倒事にわざわざ自分から突っ込んで行って、街の為に貢献することで信頼を勝ち取って私の居場所を築き上げて、その街に自分の確かな居場所が存在していることに満足するとそれだけじゃ足りなくなって、その居場所がまた失われてしまうことが怖くて、また次の街で居場所づくりをして……そんな不安定な私より、クロスの方がずっと確かな居場所を持ってると思うよ?」


「そんなことないって――――」


「――――そんなことあるもん」


突然こちらに寄りかかってきたニーナに両手を包まれ、少しだけ動揺する。



「だって、もうクロスは私の居場所になってるから。 きっとシェリル先輩もルー君もそう思ってるはずだよ……それにクロスは私にとって、いっとう特別なんだよ?」


太陽に入れ替わるようにして上ってきた月の光に照らされて、少しだけ頬を赤く染めたニーナが幻想的に煌めいている。


まるで何かの魔術だろうかと思うほどに美しい彼女の姿に見とれ、熱にうかされたように「……特別?」と彼女の言葉を反芻する。



「そう、特別――――”居場所が欲しい”だけじゃなくて、”誰かの居場所になりたい”と思えたのはクロスだけなんだから」



あぁ……これはいけない。


俺は、鳥肌が立つほどの喜びが湧き上がってくるのを感じてしまっている。



「前に言ったよね、”一緒に背負いたい””辛いことも悲しいことも分けてほしい”って……私は、私の都合でクロスに私の全部を話したんだよ? ねぇ、クロス……私にも押し付けて良いんだよ?」


それは、俺がずっと欲していたもの。


自分だけでずっと抱えてきたものを吐き出してしまえば、どれだけ楽になれるのだろう……?


でも、それでも。


「それでも、俺は……」


なおも躊躇う俺に、ニーナの表情が曇る。


俺の手を包み込んでいた柔らかな感触が離れていく―――――瞬間、今度は体全体が温かな感覚と匂いに包まれる。

体をこわばらせる俺の胸に顔をうずめたニーナが、すがるような声でささやく。


「これだけ自分勝手なことしてるのに、クロスはまだ自分のことを責めてるの?」


その言葉は、俺の心をまたも大きく揺さぶる。


「私が好き勝手言ってるのに、どうして私を怒らないの? 自分のことを押し付けた私を、どうして責めないの? クロス…私、嫌なんだよっ! クロスが一人で苦しんでるのをこれ以上知らんぷりなんて出来ない! 少しでも苦しみを取り除いてあげたいのに、私はクロスのこと全然知らなくてっ……だから私は自分のこと話したんだよ?」


震える体。


顔を上げたニーナの、どこまでも澄んだ瑠璃色の海の中に自分の顔が映る。


「クロスは、私の話を聞いてどう思った……? おかしな奴だって思うでしょ…? それでも私は――――」


「―――おかしな奴だなんて思うかよ」


ニーナの問いかけに反射的に出た言葉。


「居場所が欲しいって感情は誰もが持ってる気持ちだろ?…この俺だって、持ってる感情だ。 確かにニーナのそれは少し過剰だと言えるが、君の境遇を考えれば、そうおかしなことじゃないと断言できる。 少なくとも俺はそう思う」


「…ありがとう。 本当に優しいね、クロスは……でもズルい、凄くズルいよ」


彼女の目に映る俺の姿がゆらゆらと揺らめく。


「嫌われるの覚悟してまで自分のこと全部話したのに、クロスはそうやってすんなりと受け入れてくれる。 そのくせ、自分のことは絶対に話そうとしてくれない……これじゃあ、本当に私だけが自分を押し付けただけで終わりだね」


「そんなこと……」


――――無い、という言葉は、何故か俺の口からは出てこない。


「そんなこと、なに? クロスだって、分かってるんでしょ? 自分が周りにおっきな、おっきな壁を作ってるってこと……私、まだ足りなかったのかな? でも、これ以上のことは思いつかなかった」


ニーナの顔は下に落ち、わずかな吐息が胸にかかる。


「私ね? クロスのことをもっと知りたくて、でもその為にはまず私のことを教えてからだと思って…あはは、何だか空回ってるね……結局私がクロスに悩み聞いてもらっただけだし」


―――空回ってなんか無い。

ここまで言われて、ニーナの想いが伝わらないはずが無い…真っすぐ過ぎて俺には直視できないような輝きを持って、俺の心に響く。


でも、いやだからこそ。



「俺は、怖いだけなんだ」


「…怖い?」


再び顔を上げるニーナの目線から逃げるように顔をそむける。


「ああ、怖いんだよ。 ニーナは自分を歪んだ精神を持ってるかのように言うが、俺から見れば君は、眩しすぎるくらいに真っすぐだ……本当に歪んでいる俺を殺してしまいたくなる程に。 だから、俺は全てを打ち明けることが怖いし、そのせいで君までも歪めてしまう――いや、嫌われてしまうことが怖いんだ…俺のことを話せないのは君のせいじゃなく、ただ俺が臆病なだけだ」


考えてみれば、こうも自分の深い部分を人に晒すのは初めてかもしれない。


これ以上はいけない、と開きかけた禁忌の蓋を閉じようとするも、それはニーナに包み込むように抱きしめられたことによって停止する。


「お、おい、ニーナ…」


「一緒だよ…私も、すっごく臆病なんだ。 旅に出ようとしたのも、実はクロスに嫌われちゃったらすぐに逃げ出しちゃおうと思ったっていうのもあって……ふふ、やっぱり私達って似た者同士なのかもね」


耳元で囁かれる彼女の言葉。


俺はまた柄にも無く慌ててしまい反射的に彼女を押しのけようとするも、彼女は腕に込める力をさらにキツくする。



「私、約束するから。 クロスにどんな過去があって、どんな思いを持っていても、私はクロスを嫌いになったりしない。 こんな私を真っすぐだと言ってくれるなら、私は真っすぐであり続けるって誓う。 だから、もう我慢しなくても良いんだよ?」


…どうして、そんなことが言えるんだ?

俺の過去を知りもしないくせに、俺の醜さの片鱗を知っているくせに。


分からない、分からない。


「……どうして、そこまで俺に―――」


その続きに当てはまる言葉が上手く見つけられず、言葉に詰まる。

それでもニーナは、俺から体を少しだけ離すと薄く微笑んだ。


「―――それを聞くのは、少し野暮だと思うのです」


そう言って軽くウインクしてみせる姿は、神秘的な光景と不思議と調和していて。


「まるで女神様みたいだ」


「うぇっ!? そ、それって私のこと!? な、無い無い!!」


夜目でも分かるほど顔を真っ赤にして顔を横に振る年相応な様子に、自然と頬が緩むのを感じながら。



「―――少しだけ、昔話に付き合ってくれないか?」



俺は、心の蓋を開いた。

ニーナの番も終わり、次はいよいよクロスの過去に入ります。


色々試行錯誤してますが、どうなるんでしょうか…(他人事)

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