第7話 弱肉
梅雨が明け、輝くばかりの新緑の季節になった。
保奈美は相変わらず女子や一部の男子の憧れの的として君臨し、富田達と敵対していた。
保奈美はそんな状況を楽しんででもいるかのように、更に生き生きと輝きを増した。
弟の由宇も相変わらず保奈美の庇護のもと、空気のように存在を消し、
そして友哉はあまり誰とも喋らなくなった。
保奈美もあれ以来友哉を非難することは言わなくなったし、富田もイジメ甲斐のない友哉をターゲットにするのは諦めたようだった。
ただ友哉自信が、正体不明の殻に自分を閉じこめていた。
今まで友だちと笑い合ってたことの、一体何が面白かったのかが思い出せない。
その様子に気付いて、逆に保奈美が気遣うように時たま声をかけて来るのだが、友哉は無視した。
あの時のことを怒っているのではなかった。
単純に苦しいのだ。
あんなことがあったにもかかわらず、友哉の中の性は、保奈美を意識から外してはくれなかった。
そのサラサラとした長い髪が風に揺れるのも、その時ふんわり香るシャンプーの匂いも、白い肌も大きな瞳も長いまつ毛も。
ただ友哉を苦しめた。胸が苦しくて息ができなくなる。
だから目をそらし、常に距離を保ち、早く秋になって居なくなってくれと願った。
「保奈美さんは今日からお休みです。出先で転倒し、足の骨にひびが入ってしまったそうで。夏休みまでに退院は難しいかもしれません」
6月下旬、担任教師が残念そうにそう言った時も、友哉は心配よりもむしろ、どこかホッとした気持ちでいた。
主君を無くした女子達は一様に大人しくなり、マドンナや標的を無くした男子たちは、つまらなさそうに、それぞれの遊びを探し始めた。
刺激を。更なる刺激を。
健全な好奇心や欲望はちょっとした切っ掛けで、ごく自然に残酷な少年期の遊びに変わる。
強烈な夏の太陽に刺激され、獣たちは再び、弱い草食動物を狩る楽しみを見つけた。
◇
「友哉くん!」
短く鋭く甲高い声と共に、何かが後ろから友哉の腰にしがみついてきた。
下校途中だった友哉は、慌てて自分にしがみついて来たものを見た。
「由宇?」
由宇は顔も上げず、ただ力一杯に友哉の腰にしがみついていた。
理由はすぐに分かった。
後から不服そうな顔で富田達3人がのっそり歩いて来たのだ。手には由宇のランドセルをぶら下げている。
「きしょいな、友哉。何二人で抱きおうちょるん。変態やろ、お前ら」
またもや獲物を取られた富田達の不満そうな顔は、次第にニヤけたものに変わっていった。
獲物が一つ増えただけだと理解したらしい。
友哉はため息をついた。
全てが面倒くさい。
ありったけの声を張り上げて友哉は、富田達ではなく、由宇に怒鳴った。
「離れえや由宇! 何回も俺を頼るな! 姉ちゃんがおらんようになったら俺なんか? 都合良すぎるんやないか? 少しは自分で自分のこと守れや。俺はお前のお守りなんかせんぞ!」
グイと力一杯由宇の肩を掴んで自分から引き剥がした。
由宇が小さく声をあげて顔を歪めたのに一瞬ひるみ、友哉は改めてその少年を見つめた。
姉にそっくりな大きな瞳は涙をいっぱいに溜め、拒否された衝撃に震えながら友哉を見上げていた。
「何じゃ、友哉もこっち組かあ。ええやん、一緒に遊ぼうや、由宇と」
そう言うと富田は由宇のランドセルを傾斜の激しい竹林にポンと転がした。
それは勢いよくコロコロと転がり、細い孟宗竹の間をくぐって、あっと言う間に見えなくなってしまった。
「あれー。悪い悪い。ちょっと置いたつもりじゃったのに、派手に転がり落ちたなあ」
富田がわざとらしくそう言うと、木ノ下がグイと由宇の手首を掴んで引き寄せ、今度は急斜面にドンと押しやった。
「早う取って来いや。カバン川まで落ちるぞ。ちゃんと取って来れたら男じゃって認めちゃる。取って来れんかったら男じゃないけ、服剥いてここで調べちゃる」
由宇は涙を溜めた目でただ、急斜面を見つめていた。
友哉の方を一瞬窺うようにチラリと見たが、今や友哉にも怯え、警戒し、近寄って来ようとはしなかった。
ウンザリだった。
バカな3人も。
ただ弱いだけの少年も。
その少年が、姉に似ていると言うことも。
友哉はゆっくりと、足元に転がっている拳大の石を拾い上げると、バカ3人に向き合った。
「器物損壊、りっぱな犯罪じゃ。それ以上由宇に何かやったら訴えちゃる。喧嘩売るんやったら3人でかかってきたらええ。手加減せんけぇ」
友哉の声は穏やかだった。
けれどその穏やかさと対照的な冷たい目が富田らを退かせた。
そして何よりも友哉の握っている石が尋常でないものを思わせ、彼らを怯えさせた。
「・・・お前あたまイカレちょるやろ。何ムキになっちょう。アホくさ」
その声にはまるで勢いは無い。
3人が捨て台詞を残して帰って行くのに、そんなに時間は掛からなかった。
富田たちの姿が見えなくなると、友哉は手に持っていた石をようやくポトリと下に落とし、首筋に流れてくる汗を手の甲で拭った。
そして、すぐ側で自分を見つめている由宇に言った。
「大丈夫。カバン、俺が取ってきちゃる。ここで待っとき」
由宇は、ホッとしたように一つ大きく呼吸すると、まるで花がほころぶように満面の笑みを浮かべた。
友哉の中に、何ともいえず温かいものが湧き上がって来る。
あの日感じた怒りは、事も無くさらさらと溶けて消えた。
欠けて尖っていた部分を、何かがやんわりと包んでゆくような感覚。高揚感。
無くしかけた大事なものが、また、この手の中に戻ってきたような気がした。




