第14話 誰?
「ねえ、ほら早く、早く」
しびれを切らした子供のように青年は友哉の右手を握り、足元のテーブル状の岩に肘を付くようにしゃがみ込んだ。
偶然だとは思えなかった。
それは、友哉が由宇と腕相撲した岩だ。
友哉はしゃがみ込みながら、呆然として正面の青年を見つめた。
友哉と目があった瞬間、なぜか青年は一瞬苦痛に顔をゆがめたように見えたが、すぐさま隠すようにその顔を伏せた。
「なんで・・・腕相撲なんか・・・」
友哉が訊くと、青年はすぐに表情を元に戻した。
「いいから、いいから。さあ、始めるよ! レディ、ゴウ!」
そう叫ぶと青年はグッと右手に力を入れてきた。
「誰なんだよ、お前!」
疑問と不安とが混ざり合った不快さ。
友哉は急に腹立たしさを感じ、右手に思い切り力を入れ、自分よりも頼りないその手を力一杯握り、右側に叩きつけようとした。
けれどその瞬間、びくりと痙攣し友哉は動きを止めた。
あの日、自分が岩に叩きつけた由宇の手の甲の、痛々しいアザが脳裏に蘇ってきたのだ。
行き場のない憤りを、何の罪もない由宇にぶつけ、傷つけた。
今の自分は、あの時の自分と何か違っているだろうか。
友哉は力を抜き、今対峙している青年の目を見つめた。
色の薄い、少しグリーンがかった琥珀色の瞳だ。
由宇の瞳だ。
友哉の腕から完全に力が抜けた。
青年は無表情のまま、たいして力を入れずに、友哉の右手をパンと岩の上に倒した。
「君の負けだ」
青年はスッと立ち上がると静かに言った。
「だから僕が誰なのか、教えない」
友哉はしゃがみ込んだまま青年をぼんやり見上げる。
「お前、・・・誰なんだ」
語尾が震えた。
「ずるいな。教えないって言ったのに」
青年は可笑しそうにカラリと笑い、続けた。
「そうだな・・・。じゃあね、今から僕が独り言を言うから、君はそれを聞いていてくれる? いい?」
青年はまるで一人芝居を演じようとする役者のように落ち着いた笑みを浮かべ、まだ座り込んでいる友哉を見下ろした。
いつしか青年の言葉は、よそよそしい敬語ではなく、友だちのような柔らかい口調に変わっていたが、友哉はその変化に気付かない。
たった一人の語り部に、たった一人の観客。
青年は、友哉の返事を待たずに、物語を読むように語り始めた。
「9年前のあの日、由宇という少年は、まだ明け切らない早朝、この滝壺を渡って向こう側の洞穴に行ったんだ」