信頼しているの
「ユスティーネ様、ルクス男爵家のアデライト様と名乗る方が面会を求めております」
執事の言葉に、ユスティーネは目を瞬いた。
ネイト伯爵家のユスティーネは、夫であるダレンの手紙を読み返しているところだった。
緊急の手紙として昨夜届けられたそれを封筒に戻し、ユスティーネは執事を振り返る。
執事は、困った顔をしていた。
「どういたしますか?」
そう言いつつも、執事は断ると思っていた。
ルクス男爵家とは交流が無いし、そもそも先触れも無く訪問するなど失礼にもほどがある。
門前に居座って迷惑だから報告しているだけで、ユスティーネは当然会わないと答えるだろうと。
だが、執事の予想は裏切られる。
「いいわ、会いましょう」
「え⋯⋯? よ、よろしいのですか?」
「ええ。ただし、お茶は出さなくていいわ。身支度をするから、多少待たせてしまうけれど」
そう言って、ユスティーネは侍女に着替えを指示した。それを見て、執事は頭を下げて退室する。その顔に、困惑をにじませながら。
それを横目に見送り、ユスティーネは唇を緩めた。
「さて、例の彼女は何を言い出すのかしらね」
その顔は、実に楽しそうだった。
───
身支度を済ませたユスティーネは、応接間に向かった。
落ち着いたモスグリーンの布地をレースで飾ったドレスに、美しい白い羽根と百合の生花でできた髪飾り、大きなエメラルドが輝く金の指環を身に着けた彼女は、淡い亜麻色の髪と深い蒼色の瞳も相まってしとやかな貴婦人そのものだ。
そんな彼女が応接間で対峙するのは、大胆なドレスを着た妖艶な女性だった。
肩と胸元が露出した真っ赤なドレスは日中に着るには刺激が強い。胸元に至っては半分近くさらしており、こぼれ落ちそうである。
谷間に入り込みそうな位置には赤と金色で構成された派手な首飾り、両腕には金に輝く腕輪、指にも大きな石がはまった指環がある。
夜会ならまだしも、日も高い昼前の姿としてはおかしな格好だ。
黒い髪に鮮やかなオレンジの瞳の女性は、ユスティーネを認めたとたん、目を吊り上げた。
「遅いじゃない! どれだけ待たせる気よ!」
甲高い声に、一緒に入室した侍女と執事が殺気立った。それを制止し、ユスティーネは目を細める。
「なぜ、先触れも無く、爵位も下の令嬢のために、わたくしが急がなければならないのかしら」
そう言ったとたん、女性──アデライトは言葉を詰まらせた。
その隙にゆっくりとした動作で向かいのソファーに座ったユスティーネは、小首を傾げる。
「それで? 先触れもうかがいの手紙も無く、直接訪ねてきたんですもの、何か重要なご用があるのでしょう?」
ユスティーネがそう問いかけたとたん、アデライトは不機嫌な表情から一転、勝ち誇った顔をした。
「貴女、ダレン様と別れてくれないかしら」
「⋯⋯あら」
思った以上にストレートに夫の名前が出たことを、ユスティーネは少し意外に思った。
「まあ、突然何なのかしら。貴女に、わたくし達夫婦の関係に口出しする権利は無いでしょう?」
「あるわ。私、あの人と付き合っているもの!」
アデライトは頬を赤らめ、妖しげな流し目を向けてきた。
彼女の弁によると、前々からアデライトとダレンは想いを通わせており、つい先日ついに褥を共にしたらしい。
褥の部分は露悪的な表現をするものだから、ユスティーネは思わず扇子で口元を隠した。
そんな様子を見てますます調子付いて語るアデライトに、後ろに控えていた侍女と執事の殺気が膨らむ。
全てを聞き終えたユスティーネは、ぱちん、と扇子を閉じた。
「つまり貴女は、花を摘んだ我が夫ダレンに、責任を取ってほしいということね」
「そうよ!」
アデライトはそう言って、胸元の首飾りに触れた。
「今着けてるものは、全部ダレン様からいただいたの。貴女は、こんな高価な贈り物はいただいたことが無いでしょう?」
アデライトはユスティーネをじろじろと眺め、ふふん、と笑う。品のある装いを、地味と捉えるタイプらしい。
──とはいえ。
アデライトの指し示す装飾品をしばらく見つめたユスティーネは、くすり、と小さく笑った。
「高価、ねぇ?」
「な、何よ⁉」
「それを高価なんて言ったら、我が家が笑われてしまうわね」
ユスティーネは扇子を左頬に添え、笑みを深めた。
「まず、腕輪は鍍金ね。指環の石は、粗悪な偽物。うまく磨けばそれなりに見えたでしょうけど、遠目からでも傷が目立つから、雑に研磨したのでしょう。カッティングも雑だし」
「は、え⋯⋯?」
「そして首飾りだけど⋯⋯それ、宝石じゃなくて硝子だわ」
ユスティーネが扇子で指し示すと、アデライトは吊られて視線を首飾りに落とした。
「勿論、良質な硝子は下手な宝石より美しく、高価な装飾品になるけど⋯⋯それは駄目ね。気泡だらけで、透明度も低い。気泡だけなら味になるでしょうけど、透明度が低いとそれも映えないわね」
矢継ぎ早に指摘される駄目出しに、アデライトはぽかんと口を開けた。身に着けているものといい、ドレスといい、貴族令嬢とは思えない。平民の娼婦が貴族の仮装をしていると言われた方が、まだ納得がいく。
しばらくして、わなわなと震え出した。
「自分がダレン様に愛されていないからって、難癖付けないでよ! 本当にこれはダレン様に贈られたものなんだからっ」
「もしそれが本当なら、貴女はダレンにとってその程度の女だと認識されているということよ。もっとも、本当にダレンが贈ったならの話だけど」
「なっ⋯⋯!」
「例えば、ね」
ユスティーネは自分の胸元に扇子を滑らせた。
「わたくしが今身に着けているものは、全てダレンから贈られたものよ。正真正銘、ね」
「あ」
「ああ、いったんお黙りになって? 人の話は最後まで聞くものだわ」
ユスティーネは扇子を広げだ。
「このドレスは龍帝国の高級絹製よ。緑なのは、あの人が自分の瞳の色をまとってほしいって言ったから。この結婚指輪のエメラルドも同様よ。結構独占欲が強いの、彼って」
「な⋯⋯」
「それにこの髪飾り。あの人が遠征先で討伐した魔物の羽根と、あの人の魔法で保存をかけた百合でできているの。あの人が腕のいい魔術師である証みたいなものね。最後に、この扇子」
ユスティーネの扇子は白いレースでできた繊細な美しさを備えた逸品である。骨組みは香木を使っているため、あおぐたびにほのかにかぐわしい香りが漂った。
「最近贈られたものなんだけど⋯⋯ご存知? 男性が女性に扇子を贈る意味。特別な好意を贈る、というのよ。あら、おかしいわね。ダレンの寵愛は、貴女にあるはずなのに⋯⋯」
「! ふざけ──」
激高して叫ぼうとしたアデライトの口を、突如響いた音が塞いだ。扉が乱暴に開かれた音だ。
「ユスティーネ!」
金色がかった茶色の髪に、深い緑の瞳、人目を惹く整った顔立ちの貴公子──ユスティーネの夫であるダレンだった。
「お帰りなさい、ダレン」
のんびりとした迎えの言葉に、ダレンの強張った表情がふ、と緩んだ。
「ただいま、ユスティーネ──無事でよかった」
ダレンはまっすぐユスティーネの元まで歩み寄ると、華奢な身体を抱き締めた。それを受け止め、ユスティーネも背中に腕を回す。
抱擁を始めた夫婦にぽかんとしていたアデライトは、呆然とそれを眺めていたが──ふと、我に返った。
「ダ、ダレン様!」
「⋯⋯ルクス嬢」
ダレンは先ほどまでの甘い顔から一変し、厳しい表情でアデライトを見返した。それにひるむことなく、アデライトは言葉を重ねる。
「ダレン様、私のこと⋯⋯責任取ってくださるんですよね? そう言ってくれたじゃないですか」
「⋯⋯確かに、事実確認を取った後、本当に間違いを犯していたなら責任を取るとは言ったがな」
はあ、とダレンはため息をつき、ユスティーネを見た。
「すまない、ユスティーネ。まさか昨日の今日で君のところに来るとは」
「いえ。手紙は読んでいたから、冷静に対応できたわ。それで⋯⋯彼女は、以前より逢瀬を重ねて、装飾品も贈ってくれたと話しているんだけど?」
「はあ? そんなわけないだろう。手紙にも書いた通り、彼女とは一昨日の夜会が初対面だし、そもそも、一見して三流以下の装飾品なんてどうでもいい相手でも僕は贈らないよ」
「そうよねぇ」
ふたりはのほほんと会話をする。それを気抜けした顔で聞いているアデライト。
はたから見れば、奇妙な光景だった。
昨日の早朝、ユスティーネはダレンから一通の手紙をもらった。
手紙には前日の夜会で起きたことが書かれていた。
知り合いに無理矢理酒を勧められたこと、飲んだ酒に薬を盛られたらしく、その後の記憶が無いこと、気付けば休憩室で寝ており、その横に乱れた格好のアデライトがいたこと──
酒だけでなく薬も盛られた以上、自分が何をしたのか解らない。事実確認をして、本当に間違いを犯していたら責任を取ることになるので、把握しておいてほしいという内容だった。
そんな手紙をもらっていたからこそ、ユスティーネはアデライトがネイト家の屋敷に来たことは驚いたものの理由は解っていたし、手紙とは違う話を聞かされてアデライトの狙いも何となく解った。
そしてダレンがこうして呑気な会話をしているということは──
「幸い、僕は間違いを犯してはいなかった」
ダレンは眉尻を下げて笑った。
「薬は媚薬ではなく、催眠薬だったようだ。皇宮医師に検査してもらったし、僕に薬を盛った奴を締め上げて証言も取ってる。不幸中の幸いかな。それに、あの時の休憩室の様子を知っている人間が何人かいたから、そこからの証言もある」
「それはよかったわね」
「よくないわよ!」
がたん、とアデライトは立ち上がった。
「わ、私は本当にあの時ダレン様とっ」
「悪いが、僕が間違いを犯していないことはちゃんと証言がある。休憩室や周辺で働いていたメイドだ」
「メイドぉ? 平民じゃない! 平民の証言が信用できるわけないじゃないですか」
侍女とメイドは明確に違いがある。
侍女は貴人の身の回りの世話をする上級使用人、メイドは屋敷などの掃除といった下働きの下級使用人だ。侍女は貴族がなることも多いが、メイドは全員が平民だ。
もっとも、下位貴族の屋敷などではその辺りは曖昧だったりするのだが、少なくともメイドはイコール平民という図式は常識だった。
「いつの時代の人間なのよ、貴女」
ユスティーネは呆れた顔をアデライトに向けた。
「今時、平民より貴族の証言が優先される、なんてことは無いわ。そもそも、信用度が違う。そのメイドがどこで働いていると思っているの?」
「どこって皇宮⋯⋯あ」
アデライトの顔が、瞬時に青ざめた。
アデライトがダレンにしかけたのは、皇宮で開かれた夜会である。つまり、その主催は皇室だ。
そこでないとダレンと接点が無かったのだろうが、そんなところで上位貴族に薬を盛り、既成事実を作ろうとした。それが大問題だと、子供でも解ることだった。
当然そこで働くメイドも身元のはっきりとした、人間性も信用も高い者達ばかりだ。何より皇宮で働く平民は貴族の後援が必須となる。たかがメイド、と侮れる存在ではない。男爵家のメイドをイメージしていたのかもしれないが、その差は天と地ほどもある。
皇室で問題を起こした上に、そんな彼女らの目撃証言があるのだ。当然ただで済むはずが無い。
何より──
「ダレンは皇宮魔術師よ。生まれは侯爵家だし、伯爵家当主であるわたくしの夫。そんな彼を手籠めにしようとするなんて、命知らずもいいところね」
「え?」
アデライトは目を見開いた。
「ダ、ダレン様が伯爵じゃ」
「僕は入り婿だよ。個人で子爵位は持っているけど、この家と領地はユスティーネのものだ」
そんなことも知らなかったのか、と言いたげなダレンに、アデライトはへなへなと床に座り込んだ。
すっかりしおれ、血の気の失せた顔をしたアデライトは、ユスティーネを見た。
「何で⋯⋯何で疑いもしないのよ! ちょっとは疑って、取り乱しなさいよ‼」
「あら、だって」
ユスティーネは微笑する。
美しい、自信に満ちた笑みだった。
「わたくし、彼のことは信頼しているの」
───
執事によって連れ出されたアデライトを見送ったダレンは、ユスティーネを振り返った。
「あんまり危険なことはしないでくれよ。心配だし、お腹の子にもよくないだろう」
「ごめんなさい」
ユスティーネは素直に謝った。
まだ目立ってはいないものの、ユスティーネは現在妊娠中だ。だからこそ一昨日の夜会はダレンひとりで参加したわけだが、その結果危うく陥れられるところだった。内容はお粗末だったため、大したことにはならなかったが。
やれやれと首を振ったダレンは、ふと気になったことを尋ねてみた。
「本当に疑っていなかったの? 媚薬を使われていたら、無意識でも抱いていたかもしれないのに」
どれだけ高潔で意思の強い人間でも、洗脳されたり薬で思考を歪められれば、常とは違う行動を取るだろう。媚薬を使われれば、どれだけ妻を愛していたとしても、性欲に負けないとは限らない。
意思の力でねじ曲げて誰も裏切らないのは、物語の中だけの話なのだ。
そう問いかけられたユスティーネは、ふふ、と愛らしく微笑む。先ほどアデライトに見せたのとは違う、少女のような顔だった。
「言ったでしょう。わたくしは貴方を信頼しているのよ」
「言ったけど」
「⋯⋯貴方はもし意に添わぬ形で裏切ってしまっても⋯⋯必ず隠さず、わたくしに話してくれるわ。誤解なんて起きないように、きちんと」
今回のように、浮気だと詰られる可能性があったにもかかわらず、しっかり手紙で自分の身に起きたことを伝えてくれた。結果裏切りは無かったが、たとえ本当にあったとしても、ユスティーネのダレンへの信頼は揺らがないだろう。
「ねえ、本当に責任を取らなければならなくなったら⋯⋯貴方はどうしてた?」
「どうって⋯⋯僕の個人資産から慰謝料を出して、結婚の紹介をするつもりだったよ。勿論、全て君の手を煩わすつもりは無い。万が一子供ができてたら⋯⋯さすがにそこは相手次第だな。でも、ネイト家の邪魔をするような結果にはしないと約束する」
きっぱり言い切ったダレンに、ユスティーネは笑みを深めた。
「そういうところが、信頼しているし、愛しているのよ」
初めましての人もそうでない人も、こんにちは、沙伊です。
今回は「夫婦の信頼」をテーマに書いてみました。
よく浮気のボーダーラインはどこまで? という話を聞きますが、前後不覚の状態での過ちを許せるかどうかは人によって結構分かれるだろうなと思います。
沙伊はまず恋愛が解らないので、私自身はどこまで許せると問われても答えられないのですが、少なくとも貴族だったら酒や薬を盛られることは普通の人より多いだろうし、それによる過ちは冷静に対処するのが理想なんだろうな、と思った結果できあがったのが今作です。
以下、裏設定的なもの↓
アデライトが身に付けてるもの:男爵家で買ったもの。裕福ではないのでイミテーションばかり。貴族じゃなければ誤魔化せたかもね。
アデライトの狙い:玉の輿+一目惚れしたダレンと結婚したくてやらかした。ダレンに薬を盛ったのは共通の知り合いかつアデライトと遊んでいた男性。ダレンを陥れたくてやったが、のちにしっかり制裁される。




