17日 第三インウィディア 〜始まり〜(イドル視点)
第四鉱区都市、通称『灰石街』は冒険者が少ない。
王都から馬車で十二日かかるのもそうだが、特産は建材として使われる岩石だけ。宝石や鉄などが出るわけでもなく、ダンジョンもないため立ち寄る理由がないのが一番だろうとイドルは考えている。
イドルは灰石街が好きだ。
仕事は崖上や門近くの警備などの仕事しかないが、住人は穏やかで王都にはない静けさを愛している。
この平和が続けばいいと、イドルは柄にもなくそう思っていた。
その日も、灰石街の冒険者ギルドでイドルはぼんやりとしていた。
仕事はあるが急ぎのものはなく、何かがあったときの戦力として控えているつもりだった。
カツカツ、と灰石街では聞き慣れない足音が聞こえて、イドルは出入り口に視線を向けた。
若い黒髪の人間がいた。
年の頃はおそらく十五をすぎて、成人して間もないくらいだろうか。顔は美しい少女のように華があり、黒い燕尾服と相まってどこぞの貴族の使用人か、お忍びの貴族の子女のように思えた。
入ってきた若者はギルドの出入り口で立ち止まると、どこを見ているのかぼんやりとしていた。
イドルは貴族の子女だろうと思い、受付のカウンターにいるバルトに目線だけで尋ねた。
バルトはイドルに向かって少し頷く。
「おう、若いの。そんなとこに突っ立ってたら邪魔だ。こっち来な。」
ぼんやりしていたのか、バルトの声に少し遅れて若者が反応する。妙に重心のブレがない動きで受付まで移動したのを思わず見やる。
「……はあ。お前さん、ギルドは初めてか?」
ワンテンポ遅れて若者が頷く。
「だろうな。……んで、内容は? 仕事の依頼か?」
お貴族さまが冒険者になるなんて道楽以外ではないだろう。お忍びで来た貴族の子供が、僻地の冒険者ギルドに変な依頼を持ち込みに来たに違いない。一介の冒険者であるイドルはそう思った。
王都の冒険者ギルドに勤めていたバルトには慣れたものだろうと、イドルは二人のやり取りを静かに眺めることにした。
「冒険者登録しに来ました。」
抑揚のない少年の声だった。
どうやら道楽で冒険者になりに来た貴族の坊っちゃんのようだ。
「冒険者登録? ……そうか、名前は?」
どうやらバルトは登録をしてやるらしい。これは依頼の難しさを体感させて諦めさせるに違いない。
「シーナ。」
若者が名前だけ言う。
イドルには聞き覚えのない名前だった。
偽名かもしれないが、冒険者ギルドには関係がない。依頼さえこなすなら貴族でも凡人でもなんでもいいのだろう。
バルトが銅板に文字を彫る音が静かに響く。シーナと名乗った若者は微動だにせず、それがイドルには異様に思えた。
「待たせたな、できたぞ。ギルド証だ。……失くすなよ、再発行は手間がかかる。」
バルトが差し出したギルド証を、シーナは普通に受け取った。
そのまま先ほど同様、微動だにせず立っている。
何もかも世話をされて、世話を焼いてもらうのが当たり前の上位の貴族なのかもしれない。
バルトが動いた。
「ちょっと待て、新人。……ギルドにはルールがある。お前にも教えといてやる。ついて来い。」
カウンターから出てきたバルトが、依頼を貼り出している掲示板にシーナを誘導しようとしている。
近くを通った時に思わず声をかけた。
「面倒見がいいねぇ、バルトの旦那。」
「うるせぇ。」
にべもない。
バルトの後ろをシーナは無言でついて来る。
シーナの上等らしい靴の音だけが脇を通り過ぎた。
「依頼はギルドで精査されて、こちらに張り出される。文字は読めるか? 読めなければギルドの奴に頼め。」
これだけ上等そうな格好の人間が文字を読めないということはないだろうが、もしもがあるだろう。
後ろ姿でわからないが、シーナは掲示板を見ているようだ。
「めぼしい依頼はあったか? 受けたい依頼は引っ剥がして受付に持って来な。早いもの勝ちだから文句は言うなよ。」
「……わかりました。」
シーナの返事を聞いて、バルトはカウンターに引っ込んだ。
シーナは突っ立ったまま掲示板を眺めていたが、できそうな依頼を見つけたのか、それを取り外すと受付の方へ歩き出した。
依頼書をバルトに差し出している。受け取って目を通したらしいバルトがシーナに依頼書を返しているのが見えた。
「おう、頑張れよ、新人。」
バルトは許可を出した。シーナは無言でギルドを出て行く。
思わずバルトいる受付の方に近寄った。
「……貴族か?」
「……わからん。だが、可能性は高い。」
「依頼の内容は?」
「守秘義務が、と言いたいところだが例外だ。……外の森で薬草集めだ。」
「……後を追う。危なそうなら俺が出る。」
「わかった。もし貴族だった場合、面倒だ……。」
ギルドの外に出て、黒い燕尾服を探す。出入り口に向かっているのが見える。見失わない程度のところで後を追った。
守衛にギルド証と依頼書を見せて外に出たのが見えた。
「おつかれ。ちょっとワケアリでな。あの坊っちゃんに危険がないか追いかけてる。通ってもいいか?」
「ああ、イドルさん。別にいいですよ。」
「助かる。」
「……あの黒いの、いつ入ってきたんですかねえ。」
「さあ……? 交代のタイミングで見てないだけだろ。」
顔なじみの守衛は話が早い。すんなりと外に出ることができた。シーナがいつ入ってきたのかは守衛も知らないらしいが、今はどうでもいい。
迷いのない足取りで歩くシーナの背中を追いかける。
最短距離で薬草が生えている地点まで到着した。土地勘があるならともかく、なさそうな坊っちゃんがすんなり来れるのは異様だ。目標までナビゲートする祝福の持ち主だろうか。
シーナはその辺をうろうろ歩き回ったかと思えば、突然しゃがみこみ何かを摘むような動きをしている。
……まさか、さっきの動きで薬草を見分けたのか? 貴族の持つ祝福の恩恵である可能性が高い。
薬草と思しきものを取り、ぼんやりと立っていたシーナが突然動き出した。急な動きに少し反応が遅れる。
追いかけて、シーナの背中が見える頃にはグレーボアと対峙していた。
慌てて割って入ろうにも距離が遠い。間に合わない。グレーボアがシーナに向かって突撃するのが見えた。
もう駄目だとイドルは思った。
イドルの予想に反して、グレーボアの突進を正面から受け止めたシーナは、何事もなかったかのように立っていた。
思わずイドルの足が止まる。何が起こったのかわからなかった。
グレーボアはシーナを攻撃しているが、効いていないようで苛立っている。
シーナの右腕が上がる。いつの間にか右手にトゲまみれの鉄球に棒を取り付けたような武骨なメイスを持っていた。
グレーボアの頭部にメイスが振り下ろされる。
ごしゃ、と音がしてグレーボアは倒れた。
頭が潰れている。血の臭いがする。
身体強化系の祝福だろうか、貴族だけが持つ祝福に詳しくないイドルにはわからなかった。
シーナがしゃがみこみ、何かを拾うような動きをした後、再び動き出した。
木々の間に消えていく黒い燕尾服を見る。
グレーボアの死体があった場所に行くと、死体は綺麗さっぱり消えていたが、血の臭いだけは残っていた。
イドルはシーナを追うことを優先した。わからないことが起きすぎて、現実逃避にも近い行動だった。
その後もシーナは、周囲を歩き回ったかと思えば唐突にしゃがみこみ薬草と思しきものを摘み、グレーボアに遭遇してはメイスで一撃で葬っていった。
死体は三体とも残らなかった。
正直、異常だとイドルは思った。
これは本当に貴族の子息なのだろうか、と。
* * *
「戻ったか。あの新人すごいぞ。仕事は早いし、薬草の目利きがうまい。……何かあったのか?」
灰石街の冒険者ギルドに戻ってきたイドルに、バルトはシーナの評価を言う。イドルの顔色の悪さを見て、バルトは尋ねた。
「あいつ、グレーボアに突進されたんだ。……直撃だったのに身じろぎもしないで、持ってたメイスで頭蓋骨ごとかち割って顔色一つ変わらなかった……。」
うわ言のようにイドルが言う。実際に見ていなければイドルだって疑っただろう。
「身体強化系の祝福じゃないのか? 常に発動してるらしいじゃないか。」
貴族慣れしているバルトも身体強化系の祝福を疑ったらしい。
でも、それだけではグレーボアの死体が残らなかった説明にならない。
「グレーボアの死体が残ってなかったんだ……。」
「見間違い、とかじゃないのか……?」
「グレーボアを三体倒してたんだ。見間違えるかよ。……三体とも死体が残ってなくてな……。」
それきりイドルは黙り込んでしまった。
バルトも沈黙したまま、静寂だけが冒険者ギルドを支配していた。




