第3話 最悪は更新されなくていいんだよ
転生して三日が過ぎた。
この3日の間に生活に役立ちそうなものは収集しておいた。もちろん他人(人でなくエルフだが)の家ではないぞ。
俺――今の名は「ナプレン」らしいが――は、エルフの里の外れにある自室(という名の木のうろ)に引きこもっていた。
そう、俺が憑依したこの地域は分かりやすくエルフの里だったらしい。
幸いなことに、この里では「刻印の儀」という成人の儀式を控えた若者は、瞑想のために数日間独りになるのが通例らしく、不審がられることはなかった。10歳が成人だ。刻印と聞いて焼き印でもされるかと思ったが違ったらしい。その場合は儀式までの全ての時間を使って回復系の魔法を身につけなければならないだろう。10歳で大人か。特殊出生数は多いが乳児死亡率は高い段階の文明だろうな。やはり快適な生活に関しては難しそう。縄文時代から通過儀礼ってあったんだもんな。そっちは抜歯をしていたらしいが。麻酔はない。麻酔なしって現代人には狂気だけど、当事者には常識だったんだろうな。
常識と言えば
「ふざけんなよ……。トイレはどうすんだ、トイレは。なんでトイレットペーパーがないんだよ、この世界」
葉っぱ。
答えは「特定の植物の葉」だった。
文化の壁は厚い。あまりに厚すぎる。
予想していたことではあった。アスファルトはおろか何かしらの方法でさえ道が舗装していない時点で可能性はあった。
だが、ここまでとは想像したくなかった。
文明発展と相性の悪いエルフの特徴もあるのだろうか。早めにこの大陸か、この惑星で最も大規模な都市に訪れる必要がある。記憶消去魔法は最終手段で、地球に戻るための方法、なんちゃら文明でも、科学でも、魔法でも手段は問わない、それを見つけて見せる。ないなら自分で作るしかない。
取り合えず、今の俺が求めているのは、魔法で火を出す方法でも、エルフの長寿の秘訣でもない。ウォシュレットだ。あるいは、冷房の効いたコンビニの雑誌コーナーだ。
俺は自室に転がっていた「古びた石板」を眺める。
このナプレンという少女は、里の中でも変わり者だったらしく、独りで古文書や奇妙な図形を調べていたらしい。
石板に刻まれていたのは、ルーン文字のような歪な記号。
しかし、俺はその記号を見て、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「……これ、回路図じゃないか?」
前世の物理の授業で見た、論理回路に酷似している。
いや、それだけじゃない。石板の隅には、微細な溝で描かれた幾何学模様があった。
「魔法、科学、超古代文明……」
頭の中に、ナプレンがそれまで蓄積していた知識が溶け出す。
この世界では、魔法は「才能」の産物であり、科学は「知恵」の積み重ねであり、そして超古代文明は「忘れ去られた禁忌」だという。
「待てよ。もしこの世界に、物理法則や論理学の基礎が通じるなら……」
俺は震える指先で、石板の一部に触れた。
ナプレンの体に宿る「魔力」という得体の知れないエネルギーが、俺のお世辞にも賢いとは言えない思考回路を媒介にして、石板の溝へと流れ込んでいく。
その瞬間、石板の表面に淡い青色の光が灯った。
それは、魔法の発動というよりも、古びた機械の電源が入ったかのような、規則正しい明滅だった。
「……動いた。マジかよ」
感動よりも、戦慄が勝った。
俺はただの高校生だ。専門的な知識なんてない。
だが、現代地球の「当たり前」の概念――例えば『オンとオフ』、『並列と直列』、『質量保存の法則』――それらを知っているだけで、この世界の理を無理やり上書きできてしまう予感がした。
これはご都合主義に入るのだろうか。文明差が大きすぎるだけだと思いたい。
「……あ」
窓の外から、けたたましい鐘の音が響く。
「ナプレン様! ナプレン様! 『刻印の儀』の時間です! 長老がお呼びです!」
「うん。すぐに行くから。」
外から聞こえる若いエルフたちの声。
ナプレンという少女は、どうやら里でも特別な血筋だったらしい。
特別って言うのは耳障りのいい言葉だ。だけど、権利と義務が表裏一体であるように、それ相応の義務があるはずだ。しかも権利って言うのも役職や血族、能力があるから得られるのだから、それがなくなれば相手の反応は容易に反転する。
この人たちに殺される可能性もあるのかあ。そうならないようにしなければ、そんな物騒なことを想像しながら
俺は鏡(という名の磨かれた銀板)を見た。
そこにいるのは、絶世の美少女。中身は、帰宅途中で死んだ哀れな帰宅部員。
「絶対に戻ってやる。……魔法だろうが、超古代文明だろうが、なんだって使ってやる。地球に帰って、あのクソ暑い教室に戻ってやる。」
俺は石板を掴み、立ち上がった。
足取りは覚束ない。慣れないスカートの裾が、足首にまとわりつく。もう少し丈が短かったら、誰とも顔を合わせられなくなっていただろう。不信感を与えることになってしまう。長期的に何のメリットもない。
瞳には、絶望の先にある「意地」が灯っていた。
これが、俺の三度かもしれない人生の、二度目の開幕だった。
同時刻、ふるさとで、同じように「最悪」を噛み締めている転生者がいることも知らずに。




