第1話 最悪っていうのは突然訪れるから最悪って言うんだよ
「・・えぇとですね、ですのでつまりルソーが主張したいことはアイデンティティの確立を成長プロセスから説明した点が重要でして・・・君たちくらいの年齢、青年期だね、そのくらいの時期における精神的発達は『第二の誕生』っていう表現を使ったんですが・・・・・・・・これはもちろんお洒落な表現っていうだけじゃなく・・・・いやぁ、私もこういう言葉遣いが哲学に惹かれた一因にあったのかもしれないんですけど・・・・いやぁ、それは子供っぽいのでね・・・ええと・・・・・・・」
・・・・・・・・ん・・・ねむい。
・・・どうやら少し眠っていたみたいだ。
いつの間にか教師の言葉が頭に入らなくなっていたが、目を瞑るだけのつもりが寝てしまったのか。
相変わらず、俺たち生徒に配られたプリントを読み上げるだけの単調な授業だ。特別、倫理だか哲学だか知らないが、特段の興味を持っていない限り真面目に聞くのは苦行みたいなもんだ。今は熊本に住んでいるらしい祖父の昔話を聞いていた方が充実した時間になるだろう。会うたびに戦時中に米軍戦闘機を1機撃墜したことを武勇伝に語ってくれる。何でも終戦の半年くらい前に九州にやってきた米軍戦闘機を追い払ってやったのだとか。戦闘機には詳しくないのでどう反応すればいいのか分からず、相槌を打つようにしている。
生徒が興味なさそうにしているのは、昼食後の授業だというのもあってか、はたまた冷房が効いているのに、窓が僅かに開いているせいだろうか・・・って、なんで開いているんだよ・・・
壁に掛けてあったリモコンを見ると電源は切れていた。
地球温暖化だったか、節電のためか定期的に冷房は切っているらしい。消費電力は電源をつけるときの方が大きいと聞いたことがあるけどどうなんだろうか。
いや、構わないけどさ、とにかく外から運ばれる生ぬるい風と馬鹿みたいにデカいクーラーが混ざって最高の睡眠環境を与えてくれている。
「・・・・すぴー、 ・・・・・・すぴー」
横を見ると、俺の数少ない友人は眠っているみたいで、ぁあ・・・自分だけじゃないんだなってホッとする。にしても、本当に「すぴー」って声に出して寝るやついるのか・・・
同類がいて安心するが、後でプリントの内容を映させてくれって頼まれるからめんどくかったりする。
一方で俺らみたいなやつとは違って真面目に聞いてる奴もいる。最前列の席で定期的に質問をしているアイツが典型だ。この授業のどこが楽しいのかさっぱりだが、教師は質問の度に論文を引用して毎回、丁寧に解説している。・・・・そういうのって大学でやるんじゃないのか・・・?
そういう例外は置いておいて、大半は俺たちみたいに半分寝ているか、中間テストまでに授業進度がカリキュラムに間に合うのかを心配しているかのどっちかだ。
だから、まだ起きたばかりで、寝ぼけた状態で授業内容を聞き流していたのが良くなかったのだろう。
「うん、そうだねえ・・・。あ、そういえば他にも何か質問ある人はいるー?」
教師として、別におかしなことは言ってないけど多分皆、話についていけてないし、質問しにくい雰囲気だろ。
代弁者のような気持になりつつ、でも思春期特有の言語化しにくい恥ずかしさがあって言いにくい。
「う~ん、、、そうだ、&%#&%君、何か質問はあるかな?」
そんな俺の心情を見通したのだろうか。教師は俺に聞いてきた。
うわ、急になんだなんだ。なんでよりによって寝てるやつはアンタの近くにいるじゃないか・・・
周りはうつらうつらとし始めたようで、さっきよりも眠そうなやつらもいる。
何だか質問しないと授業は進まないみたいだ。基本的に聞いてるだけでいいんだけど、こういうときは大体名指して質問を求められるのだ。
奥のホワイトボードの上部に備え付けられてるアナログ時計は14:30を指していた。うちの高校は14:35に5限目が終わる。つまり、あと5分で終わるらしい。
当然、無視するわけにもいかない。常識としてもそうだが何も不良生徒ではないのだから。
う~ん、爆睡していたから聞いてなかったな。
取り合えず・・・・。
慌てて手元にあった授業プリントを確認する。空欄を埋める形式になっていて、教師の説明を聞きながらメモすることになっているが、教科書に記述されている箇所から抜き出すのと変わらない。
なので、今寝ている生徒たちは授業前半でやることは終わらせていたりする。
さっき解説していた部分について聞けばいいのか。するとある部分が目に映った。
『 ランスの思想家**ルソー**は、著作『**エミール**』の中で青年期に自我にめざめる精神的な誕生のことを( 第二の誕生 )と表した』
これだ。いつこの空欄を埋めたのかは覚えてないが寝る前の自分がやってくれたのだろう。
そうだなあ……
「先生、人は二度生まれるとありますが、3度、4度はあるのでしょうか」
とにかく、何か言わないといけない雰囲気だ。質問してから、もう少しひねったことは言えなかったか、これでテストに間に合うだろうかなんて思っていると
「いい質問だね。あると思えばあるしないと思えばないのかな。ルソーは成長を2段階で表現しているけど、特にアイデンティティを重視している。そうだねえ、アイデンティティって何なんだろうね。私が思うに悩みって誰かがいないと発生しないものだと思うんだ。単純化になるけど、こう在りたい。あるべきだって言うのは人生の目標の1つだけどそれも誰ががいるからこその感情だよね。だからこそ他者を理解し、自己を理解しないといけないし、そうやって人類は個人じゃなくて集団で成長してきた。僕たちは何度でも生まれることができるのかもしれないね。」
少し考えるそぶりを見せてからそう答えてくれた。
・・ん?あんまり分からないがまあそうなのだろうか。寝起きの頭には流れるような説明は理解できないのだ。
特に返事はしなかったが、問題ないようで満足したのか教師は再び教壇に戻っていった。
キンコンカンコーン
チャイムだ。ようやく終わったみたいだ。
生徒たちもチャイムの音で目が覚めたようで夢うつつもかくやといった表情をしている。この後のHRが終われば夏休みに入る。
『じゃあ今日はここまでだね。夏休み明けには実力考査があるからちゃんと復習しておいてね。』
倫理だけのテストをやるなんてかなり珍しいな。
教師はそう言い残すと教室から出ていった。
授業が終わると同時に生徒たちは先ほどまでの静けさが嘘のように騒ぎ出した。
やっぱりほとんど授業は聞いてなかったんだろう。皆が仲間同士で集まって夏休みのことで頭がいっぱいになっているらしく聞こえてくる話題からも分かる。
隣のコイツも起きたみたいだ。急に騒ぎ出した周りの声を聴いてきて気づいたのだろうか。チャイムの音で起きない図太さには恐れ入るが。
だが俺はさっきの話が頭の中で反芻していた。なぜだろう。ただの授業のワンシーンでしかないはずなのに。
青年期という時期が今の自分に重なるから?あの教師に質問を求められると思ってなかったから?どれもそれっぽいがなんだか腑に落ちない。
「おーい」
そんなことを考えていたから友人の話を聞き逃していた。わるい、わるい。聞いてみれば、部活がない日には遊びにいこうぜとか、そんな内容だ。勉強はいいのか、と聞きたくなるがまあ俺が見てやればいいか。ちなみに俺も特に優秀な成績ではない。この友人よりかはマシなくらいだ。
遊びに行くってどこ行くんだよ、う〜ん、まだ決まってない、なんて話をしているうちにさっきまでの反芻はすっかり消え去っていた。
それじゃあ帰ろうか?
あー、ちょっと残ってやることがあるからさ。
補習か?
バーカ、ちげーよ
まぁ、いいや。じゃあな。予定教えてくれよー
わかってるってー
そうして取り留めもないやり取りは終わり、帰路につく。
時刻は15時過ぎ。歩いてないのに茹だるような暑さだ。なんでも1日で最も暑い時間帯なんだっけな・・・小学生の頃に聞いた覚えがある。今日の朝も暑かったしそんな数値は誤差に過ぎないか。
チャリンチャリーン♪
この暑さから早く解放されたくて自然とペダルを踏む両足に力が入る。
ヘルメットを被ってるためか、冗談抜きで頭が沸騰しそうだ。そうしたら次は脳をやられるんじゃないかと思いながら、必死に自転車を漕ぐ。
ヘルメットを被っているのは特に安全意識が高いわけでも最近交通事故に遭ったわけでもない。
遥か頭上から降り注ぐ太陽光を少しでも遮断したいのだ。
・・・・そのはずが、むしろ状態が悪化しているのではないだろうか。
いつもの曲がり角に差しかかったときだった。
そこには毎回自宅までの道のりの目印になっている看板が立ってある。
真っ白で無地であり、左側の壁と電柱の間に置いてあるので看板があれば道を間違えていないことになる。
毎日通る道なら間違えるはずもないように思えるけど、急いでいるときは道順すら忘れることもあるのだ。ごくたまにだが有難かったりする。何もなくても毎日その看板があるか確認する癖がつくようになった。
・・・ない。
撤去されたのだろうか。
その代わりにそこには別の何かがある。
何やら怪しい緑色の光だった。何かに反射しているわけではないし、目の錯覚でもない。ただ一点だけがエメラルドの光のように輝いている。
いつもだったら写真を撮るだけで後日詳しく観察する判断を下していただろう。よく分からないものには近づくな。人類皆の共通認識といっても過言ではない。
ただそのときはどうしてもその光をもっと間近で見たくて仕方がなかった。
暑さのせいか、明日から夏休みだという開放感のせいか少し近づくくらい何も起こらないだろうと思っていた。
近づく。段々と輝きが増しているように見える。気のせいかもしれない。
さらに近づく。目がチカチカする。
ちょっと目を開けても問題ない位置で観察しようか。
そう思い、離れようとしたときだった。
ぱたり。
電池の切れたタイマーがその役割を終えるかのように。
体が倒れる。
突然、意識が消えた。
その日、俺の今世での人生は突如終わった。そう。何も為さないまま終わってしまったのだ。そんな後悔を声に出すこともできないで。




