第一シリーズ 第1章 森の息子と呪われた契約
森が泣いていた。
木々の枝が擦れ合い、ざわめきが遠くの空まで響いていく。
まるで、誰かのすすり泣きのようだった。
その声を聞き分けることができる人間は、もう、ほとんどいない。
けれど──レオンには、それがはっきりと聞こえた。
「……今日も泣いてるのか、森」
呟きながら、レオンは茨に覆われた木立の中を進む。
背負った籠の中には、干した薬草と小さな木の実。
森番の息子として、今日も森の見回りを欠かさない。
彼の髪は淡い栗色で、瞳は深緑――まるで森そのものを閉じ込めたような色をしていた。
風が吹くと、彼のマントの裾が揺れ、淡く光る琥珀のチャームが胸元で揺れた。
その石は、まるで心臓のように、微かに鼓動している。
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> 「レオン、帰ってきたのかい?」
小屋の扉を開けると、母の声がした。
木の香りが染みついた、古い家。
暖炉には火が灯り、父が磨き上げた狩人の槍が壁に立てかけてある。
「今日は茨がまた伸びてたよ。森の奥、だいぶ荒れてる」
「……やっぱり、呪いが深まってるんだね」
母の手がわずかに震えた。
「魔女たちが、また目を覚ましたのかもしれない」
「魔女、か……」
レオンは、暖炉の火を見つめる。
炎の形が揺らめいて、どこか人の顔のようにも見えた。
“魔女”。
それは村にとって“災い”の象徴であり、森にとっては“怒り”の代名詞だった。
「村では今夜、会議があるらしい。村長が、討伐を決めるそうだ」
「……まさか」
母の表情が曇る。
「また若者を差し出すつもりなのか……」
「“英雄”を、だよ。名誉と富を求める者は、いつだっている」
父の低い声が響いた。
「だが、レオン。お前だけは行くな。森はお前を愛しているが、人はお前を喰う」
その言葉を聞いたとき、レオンの胸に灯る光がひとつ、揺らいだ。
彼は黙って頷き、母の手を握った。
「わかってる。俺は……森を、傷つけたりしない」
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> 夜、村の鐘が鳴った。
集会場に火が灯り、村人たちの怒りと恐怖が渦巻いていた。
「魔女を倒せ! 森を取り戻せ!」
「森番の息子なら知ってるだろう、森の奥の道を!」
ざわめきの中、村長が壇上に立つ。
肥えた体、油に濡れた笑み。
「聞け! 魔女を討った者には、金と名誉、そして我が娘を与える!」
その瞬間、会場が沸き立った。
レオンは静かに息を吸い込み、森の方を見た。
木々の影が月光の中で揺れている。
あの森が泣いている限り、自分は黙ってはいられない。
「……行くよ」
呟いた声は、夜風に溶けた。
だが、その背中を誰も止められなかった。
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> 出発の朝、両親は小さな包みを差し出した。
「これは、“森の心”。お前を守る護符だ」
「チャーム……?」
琥珀色の石が、かすかに脈打っている。
中には小さな葉脈が封じられていた。
「この森が最後に生んだ命の欠片。
決して使うな――それは、ひとつしかないから」
父の声は、どこか悲しげだった。
「わかった。……ありがとう」
レオンは小屋を出て、振り返らなかった。
背後で木々がざわめき、風が彼の名を呼んだ気がした。
“レオン”──森の息子。
その旅の終わりに待つものを、まだ誰も知らなかった。
――茨の森は、母の涙を吸い、
白い花をつける。
その花は、赦しの証。
だが誰も、それを摘むことはできない。




