第103話 ダリア 佐藤千雪の視点
ティーカップを2つ並べたトレイを載せて
私は厨房を出た。
静まり返った廊下の光景は
ここへ来た時とまったく変わっていなかった。
今が昼なのか夜なのか、
それとも夜が明けたのか。
窓のない廊下ではその判断は困難だった。
私は慎重に車椅子を進めた。
応接室の前で私は大きく息を吸ってから
ゆっくりと吐き出した。
心がだいぶ落ち着いた・・気がした。
私はそっとドアを開けた。
男がソファーに体を沈めて
天井を見上げていた。
若干長めの黒髪、
特徴のない平凡な顔
細身の体。
年の頃は20代半ばくらいか。
街ですれ違っても記憶に残らない
何の特徴もない影のような男。
男が体を起こして前屈みになった。
それからやや大袈裟にテーブルに肘をつくと
頭を抱えた。
デジャヴ。
前にも見たような光景だった。
「ハーブティーを淹れてきました」
そう言いながら
私はカップをテーブルに置いた。
「これは・・?」
男はカップを手に取ると鼻を近づけて
ヒクヒクとその香りを嗅いでいた。
香ばしい香りが
ふわりとこちらまで漂ってきた。
それは草花のような、
強いて言えば
暖かな春の日差しのような匂いだった。
「ダリアです。
ダリアの香りは
ドーパミンやセロトニンなどの
神経伝達物質の分泌を促進する
と言われています。
そしてそれらは脳を活性化し、
集中力や思考力を高める効果があるそうです」
男は口をつけずにそっとカップを置いた。
それから徐に口を開いた。
「・・彼女・・菅野さんが。
六条さん殺しを告白した後、
僕達は2人で牢屋を出ようとしたんだ。
その時。
突然、彼女が襲ってきて・・。
それで仕方なく・・」
そして男はふたたび頭を抱えた。
男は精神的に
かなり追い込まれているようだ。
ひどく疲弊しているように見えた。
西岡に続いて菅野まで・・。
2人の人間を殺したという罪悪感が
男の心に重く圧し掛かっているに違いない。
「・・大丈夫・・ですか・・?」
私はできるだけ優しく言葉をかけた。
「う、うん・・」
男の声は僅かに震えていた。
応接室の柱時計が
チッチッチッと時を刻んでいた。
「髪が・・」
その時。
私は男の髪が濡れていることに気付いた。
「えっ?」
男が顔を上げた。
「・・こ、これはね。
返り血を浴びたから・・ね。
シャワーで洗い流したんだ」
そして男は体を震わせた。




