#03 ワークショップ
プロテクトギアの装着には、それほどの知識もスキルも必要じゃない。
除装状態のギアは、〝胴体部を前後に割られた宇宙服〟といった態で、ヘルメットは後ろに仰け反っている。着装者は、ボディの割け目に生身の身体を潜り込ませ、腕と脚とに手足を通す……〝着ぐるみ〟の要領だ。それぞれの四肢も、緊急時には前方に大きく割けて、着装者を弾き出す仕組みが実装されている。
手足を包み込む冷却裏地──生体電位信号の読取りセンサーが織り込まれている──は、この時点ではまだ〝適切な圧〟で巻き付いてこないため、サイズの大き過ぎるガウンである。
俺はプロテクトギアに身体を滑り込ますと起動キーを叩き、俺自身の生体パラメーターの記憶媒体でもある認識票を読取り装置にかざす。これでtype-44は起動後に自動的に微調整モードに入り、各部のアクチュエーターやデバイス操作系が俺の身体の特性に最適化される。
両の手をギアの腕に通し、胸部を引き込んで背中の側に張り合わせてやる。起動した。グラブに指が入ると、腕と脚とを冷却裏地が引き締めていくのを感じる。これでスーツのスラックスに皺が寄ることになったが、別に構いはしなかった……年に数度しか使わない代物だ。
ヘルメット部を下ろすと、バイザーに〝ライフチェック〟と〝システムチェック〟の結果が流れていった。
「──…オールグリーン」
俺は言って、マーヴィンとダニーに右手の親指を立てて見せる。
新しいアクチュエーターはこれまでのものよりも径が大きくなっているはずだが、そのことで生じる違和感はいまのところとくに感じない。これまでと変わらぬ〝腕先の動き〟の感覚に、とりあえず俺は満足する。まだギアを歩かせてもいないが、だいたいこんなことで〝仕上がり〟の程度は判ってしまう。
ヘッドセットを片耳にだけ充てたマーヴィンが白い歯を見せて返してきた。…──プロテクトギアは高い気密性を持つので、外部の声はそのままではほとんど聞こえない。マイクで拾い、こちらの声はスピーカーで飛ばすか、このように通話機を使うことになる。
『〝壁〟はもう用意してあります』
「……壁?」
俺は思わず訊き返していた。マーヴィンの言う〝壁〟が何を指すかは理解している──。
ギアの動きを計るのに、俺は〝遊び〟で向かい合った壁の間を蹴り上がることをよくする。〝パワー〟と〝バランス〟と〝タイミング〟のコントロールが求められる機動で……まあ、つまり、プロテクトギアで〝パルクール〟をやるのだ。
ポイントマンにはある程度求められるスキルなのだが、例えばコレをやりたがるリオンのような狙撃手もいる……。
それはともかく……、ワークショップの中の何処に〝そんな壁〟が在るんだ。
そういう声音の語尾になった俺に、マーヴィンはニンマリとワークショップの一画を指差した。
type-44の頭部は首を回せないので、体ごとそちらを向く。すると、果たしてそこに、建屋本来の壁と向かい合う形で〝頑健そうな足場〟が置かれていた。
俺は小さく溜息を吐く。
なるほど……。
握っていたカメラはそういうことか。
マーヴィンは、手掛けた作品の出来映えを自身のコンテンツとして収めておきたかった、そういうことだ。
『──クレーンフックまで7.2メートルあります……助走無しで、いけますよね?』
屈託なく目を輝かせてそう言うマーヴィンに。俺は取り敢えず片手を上げて応えてやった。
前回は操練場で15メートルの壁を〝軽い〟助走でやったのだ。(そのときの動画を誰かがアップしたのをマーヴィンは見つけたのだろう。)〝助走無し〟はそれなりに難易度は上がるが、これが出来ないようならわざわざアクチュエーターを張り替えた意味がない。
俺は〝壁〟の前へと歩を進める。
『2回、ですか?』
マーヴィンが〝確認してみた〟という言い回しで壁を蹴る回数を指定してきた。いいだろう。天井から吊るされたクレーンフックを見上げることで答とした。2回でそれを掴むコース取りのイメージを始める。
俺は短く息を吸った…──。
冷却裏地に織り込まれたセンサーに生体電位信号を読み取らすには個人差がある。このような、実際に筋肉を動かす前の、〝筋肉の収縮の予兆〟とも言えるわずかな変位を信号として読み取らすには、これで結構な修練が必要となる。出来ないヤツは最後まで出来ない。
半瞬の後、俺は実際に筋肉を緊張させ、それを解き放った。
何倍にも増幅された脚力が、俺の身体ごとギアを持ち上げる。
1つめの足場を蹴りその反動で2つめの足場のある壁を斜に捉える。
イメージした通りに人工の筋肉は躍動した。
そして、随分と余裕のある滞空時間の中で俺はクレーンフックを掴む。
周囲で上がった歓声を、マイクが拾った。
…──取り敢えず、満足を越えたところにまでセッティングをしてくれたマーヴィンに、内心で賛辞を送ることにした。
その後、俺とダニーはプロテクトギアを引き取ってピックアップの台車に乗せると、アーマリーに向け車を出した。
車が発車しようとというとき、メイジー・セヴァリーという娘に呼び止められた。
彼女は『マクニールの店』のベトロニクス・エンジニアで、ダニーのコネストーガを担当してくれている。
話の内容は、ここのところのインターバルではいつも同じで、戦術データリンクのアップグレードのことだ…──。
俺たちのパーティーが使っているデータリンクはコミッションの方で手配している標準仕様のモノで、極々一般的に出回っている型だ。だから旧式というわけではないが、より上位の機能を備える型はいくらでもある。確かに、リーダーでA級トループスのカウリーを始め、(後方車中のダニーを除いて)全員がC級以上の熟達者で編制された有力パーティーにしては貧弱な装備と言える。
メイジーはことある毎にダニーに言い寄っては頻りにアップグレードを勧めるのだが、俺の見るところ、それは単に〝営業成績〟だけが理由ではないようだった。熱心にカタログの類いを開いては説明しているが、その目はずっとダニーの顔に注がれている。何と言うか……、不器用なコなのだが、ダニーの方もまた〝一方の6つ、もう一方の半ダース〟で、傍に居合わせる俺も、たまにどんな表情で居ればいいのか苦労することがある。
まぁ、それはおき、ダニーがそうしたいと思っていても、アップグレードに取り合わないのには理由がある。
データリンクのハブになるコネストーガのベトロニクスを一新し、その機能を強化したところで、末端の全ての〝ギア〟がその仕様に準拠した規格のモノでなければ、システムとして機能しない。
俺たちのパーティーの場合、俺とリオンのtype-44に問題はなかったが、レスターの使うtype-31が問題だった。
type-31は、俺たちの使うtype-44と同系統の設計で、一世代前の標準型ギアとなる。いまはもう使っているのはベテランのトループスばかりという代物だ。そのベーシックなマニトロニクスは規格そのものが古く、メイジーの勧めるシステムにアップデートしたところで繋げる術がない。
それでも前線指揮を担当するカウリーのtype-31には指揮官用の各種機器が追加装備されており、type-44と同等のスタンダードな仕様に対応できるよう改造が施されている。
だから問題はレスターだった……。
この〝愛すべき親父〟は、流行りの機材に頼るということをしない。別にそういった機材を毛嫌いするわけでなく、使い慣れた機材をこそ信頼し、その能力を最大限に発揮させることに勝機を見出すタイプ、というだけだ。トラップや各種探索機材の設置をさせたら右に出る者はまずいない。
こういうレスターをカウリーは信頼し、パーティーのリーダーとして無理に流行りの機材へのアップデートを求めたりしない。手持ちの〝付加価値物資〟は、型は新しくなくとも信頼性の高い〝レスターのお眼鏡に適う〟機材との交換に回す。そのおかげで俺たちのパーティーは、新しい機材への〝ローン〟ではなく、常に十分な量の使い捨て機材──各種センサーやランチャー、ドローン等──を抱えて、ミッションに臨んでいる。
ダニーも、パーティーの〝そういう現状〟を肯定しており、まだ当面はデータリンクのアップグレードは見送る心算でいた。
いつもの通りのやり取りの末、やや気落ちした表情に笑みを浮かべ──これも〝いつもの通り〟だ…──手を振るメイジーに手を振り返し、ダニーは車を出したのだった。
「……ちょっと冷たくないか?」
〝山の手〟を下り、同じくシャフトに接続しながら出入りの口を共有しない〝アーマリー〟の側に通じるルートに車が乗った頃、俺は隣のダニーに言った。
「お前だってメイジーの気持ちはわかってるだろ」
ダニーは、どう答えようか、と一瞬目を泳がしてから照れたようにも見える表情で向いて言った。
「うん…──でも僕は、この場所には戻らなくなるときが来るって……そんな気がしてる。メイジーとは、互いに必要以上には踏み込まない方がいいと思う」
こんなふうにダニーは〝ガキっぽい〟ことを大真面目に言うヤツだ。
「…………」 俺は言葉を探して、やめた。
最後衛のダニーの後方支援車が沈んでるときには、俺もパーティーの連中共々斃れてるはずだ。少なくとも、ダニーを戦闘領域に残して来ることはない。だからお前は必ず〝俺たちと一緒に戻ってこれる〟と言い切ることができなかった。
俺は頷いて返し、懐から『華氏451度』を引っ張り出す。活字を追うことで時間を潰すことにした。こんなふうな活字との付き合い方を教えてくれたのはジョーだった。
アーマリーに入ってからの作業は順調に進んだ。
コネストーガに積まれたC4Iシステムの中の〝ローグ〟のパラメータを、新調した人工筋繊維の発揮し得る値で入力し直す。そこまではファクトリーが返却時に提供してくれるアップデーター──シミュレーター上の値だが…──で上書きすればいいので手間ですらない。ものの数分で完了した。
その後が、今日の本命の作業だ──。
プロテクトギアは言ってしまえば〝着ぐるみ〟だと先にも言った。
装着者は〝裏地〟の上に〝人工筋繊維〟を纏い、その上を〝外装〟……つまり「装甲」が覆っている。各種の「付帯装備」は、その多くが外装の上に取り付けられることになる。
人工筋繊維を張り替えるのなら、外を覆う外装を外さなければならないわけで、装甲と一緒にその上の付帯装備の類いも一緒に外されることになる。
当然、外装は元に戻されて返ってくるが、このとき、各種の付帯装備のセッティングまでは保証されない。ファクトリーは標準仕様に則り、許容値内のセッティングで戻してくるだけだ。
さすがに動作不良となって返ってくることはないが、ファクトリー入りの前後でそれぞれのマニトロニクスの応答が同じ挙動を返すことは決してない。
その差異の一つ一つは極めて小さなものだが、これがデータリンクで繋がるC4Iシステム上の主要なパラメータ群であることを考えれば無頓着でいられる方がどうかしている。
元の挙動を取り戻すことは不可能に近いし、諸々の手間を考えればそうすることに意味は見出せないが、新しい〝最適値〟を探り、C4Iシステムのデータを上書きすることで、それまでとの差異の乗った〝システムの挙動〟をリセットすることはできる。
コレを怠るやつは少なくない。放っておいても、システム自体の学習機能により、やがては補正され、収斂されていくからだ…──。
だが、そういうやつは2割方が帰ってこれない。
これらはパーティーのリーダー、アラスター・カウリーの受け売りだ…──こういうことは全て彼から学んだ。
〝ウォーロード〟のTACネームの通り前線で指揮を執るカウリーにとって、データリンクで共有される情報こそが武器…──だからその精度は死活の問題で、そういう彼に率いられる俺たちパーティーは、不確定要素や不要な演算コストを排除してミッションに臨んでいる。
『──こっち、もう終わるよ』
「こっちもだ……」
レシーバーがそのダニーの声を拾ったとき、俺も、ギアの搭載OSの求める最後のサンプリング動作をチュートリアル通りに終えるところだった。
「いま終わる……よし、終わった」
言い終えた俺は、バイザーのHUDに流れるメンテナンスモード画面の表示を目で追い、チュートリアルの指示通りに画面が遷移したのを確認した。
『じゃ、最後のパラメーター合成、走らせるよ』
「ああ、やってくれ」
レシーバーからのダニーの声に、俺は肯いて返した。
遷移先の画面でプログレスバーが順調に伸びていく。然して時間も掛からずコネストーガの車載システムへ、たった今サンプリングしたデータがアップロードされた。カーソルが待機状態となる。やがてカーソルがメッセージを打ち、再生成されたパラメーターで最新化されたことを告げた。
……これで〝今日の作業〟は終了した。俺はプロテクトギアのヘルメット部を上に撥ね上げた。
調整を終えたプロテクトギアをコネストーガの後方車両に固定し直し、ハンガーから出ようとしていたときだ。
知った声に呼び掛けられた。
「なんだ……お前たち、来てたのか」
足を止め目線を向けると、アラスター・カウリーがポロシャツにチノという私服姿で立っていた。
「ジェイクがギアの外装を組み直したんで」 俺が口を開くより先に、ダニーの人懐こい声が応じていた。「……再調整です」
カウリーが俺を向き肯いて返した。
「そうか。そういう配慮は、リーダーとしてはありがたい」
「〝生き残りたければ思いつく限りのリスクは取り除いておけ〟──あなたに教わりました」
「そうだったかな」
カウリーの顔に満足気な笑みが浮かぶ。俺もまた、カウリーにそういう表情をさせたことに満足を感じている。
「──カウリー隊長は、今日はアーマリーに何の用なんです?」
ダニーの問いに、カウリーはタブレット端末を掲げてみせた。
「ホーキンズからオーウェルのやつの〝再精査〟の申請を頼まれた。……LOGの受け取りとヒアリングだ──」
ホーキンズはB級トループスで一隊を率いて三年目のリーダーだ。その下で前衛をしているオーウェルが、直近のミッションの分配ポイントに不満を訴えた。
ポイントはMAのコミッションの担当AIが戦闘時のLOGから算出するのだが、人間の感覚では受け入れ難い算定も多く、またデータの欠損やデータリンクの同期不良などから必ずしも正確であるとも言えなかった。
だからだろう。AIの意思決定が絶対のMA体制の中でも、余りに看過の出来ない場合には〝再精査〟の申請が認められていた。
ホーキンズもその申し立てを是としたのだが、AIが組み込まれ〝曲がりなり〟にも自己診断プログラムが常時走っているデータリンクのLOGを解析し、必要な資料をまとめ、手続きに則って進めてゆける知識と見識を持つ者は限られている。ホーキンズはそのスキルを持ち合わせておらず、〝インスペクター〟の資格を持つカウリーに依頼したというわけだ。
掲げたタブレットごと手を振って、カウリーは多目的棟のある奥へと消えた。
カウリーは面倒なこういう仕事も時間の許す限り親身に対応する。
俺とダニーにとって、いい漢で、戦いにおける優秀な教師で、そして人生の師でもある──。
俺が彼に追い付くには、あとどれくらいかかるだろう……。




