#02 記憶の中の少女
〝タウン〟から見上げた空は、〝壁〟と〝天井〟の色の影響によって常に曇り空のような青みがかかった灰色に淀んでいる。
その埃っぽいイメージと裏腹に、ココの空気は清浄だ。管理された大気 (温度、湿度を含む)は快適な環境として提供される…──。だが、やはりココはどこか淀んでいる。
現在時刻は〝7:33〟時──。
俺は、〝MA〟のコミッションが提示するミッションの合い間──インターバルには欠かしたことのないランニングの足を止め、先ず頭上へ、次いで中央に向かい緩く擂鉢状となっている地表へと視線を遣った。
天井に吊るされた人工太陽灯が照らす〝地表〟は、漫然として変化がなく、退屈な、精彩のない世界だ。
何かに疲弊し、諦めることを受け容れた生活が、そこにある。
〝地表〟か……。それが人の手によって造り出された紛い物であったとしても、俺たちにとってはそれが世界の在り様だ。そう呼ぶしかない…──。
俺たちの生きる世界とは、居住区画と呼ばれる円柱の空間──そこは直径5キロメートル×高さ(長さ)18キロメートルにも及ぶ…──、そしてそこに並行している〝シャフト〟と呼ばれる施設 (の一部)……それが全てだ。
シャフトはやはり円柱建造物で、居住区画を挟んで2本ある。便宜上それらは、〝北側〟と〝南側〟と呼称されている。その位置関係がそのまま俺たちの世界の方角というわけだ。
居住区画だが、内部は6つに輪切りにされていて、深い位置から順に第1層~第6層と呼ばれている。その仕切りの上に俺たちは暮らしていて、見上げた先の〝天井〟は上の層との仕切りなのだ。
ちなみにそれぞれの仕切りの〝厚み〟は400メートル──これ自体、複雑巨大な構造物だ…──、各層の〝高さ(深さ?)〟は、概ね2.6キロメートルある。
直径5キロメートルの円型の大地の上の2.6キロメートルの空間が6層……、加えて、それらを繋ぐ南北のシャフト。そんな〝閉鎖空間〟が俺たちの世界だ……。
俺たちは〝この世界〟に、AIの統率する「MA」(|Monitoring Agency《監視機構》) と呼ばれる体制の下で生きている。
MAは〝この世界〟の「人間」と「設備」に対する全ての管理責任を負っている。物資の供給や設備の補修・維持に関する意思決定の全てだ。だから俺たちは難しいことは考えない。与えられたことをこなすだけだ……。
このような空間とは、いったい何なのか?
一応、初等教育では〝宇宙船の居住区画〟であると教えられている。宇宙船というと、星から星へと移動する乗り物、ということか……。
どうにもぴんとこない。何しろ俺たちは〝星を見たことがない〟のだから。〝夜の時間〟に各層の空を見上げたところで、そこには上層との内隔壁があるだけだ。
十数世代前に〝母なる星〟を喰い潰した人類は、全長32キロメートルにも及ぶ巨大な世代宇宙船を建造しエクソダスを実行したのだという。正直それはどうでもいいが、もし本当にそうなら、えらく頑丈な宇宙船だ。俺たちトループスが暴れ回っても壊れないのだから。
この公式の教えに対し、次のような私見を述べる者もいる。
曰く、この空間は地下に建造された巨大シェルターで、俺たちはまだ地球にいる、というものだ。
なるほど。こちらの方がまだ納得できる。
俺は〝精彩のない世界〟から自分の道に視線を戻すと、アパートメントへとジョグを再開する。
アパートメントはタウンでも〝ピープル〟とされる階層が多く住まう街区にあった。
ピープルとは無産階級の人を指し、MAによる〝必要最低限の水準〟の生活物資の供給で管理される、この世界の〝体制〟の基底構成員のことを指す。常に貧しく、先の展望を持たない存在……。
かく言う俺も、トループスになるまではそんなピープルの1人だった。
トループスになれば住居も優待を受けられ、内周壁寄りの優良物件に住まうこともできたが、俺はピープルだった頃に住んでいた一室をそのまま使い続けている。どうせインターバルのとき、寝に帰るだけだ。
俺は、そのアパートメントの自室に戻ると、シャワーユニットに飛び込んだ。
俺たちに残されたこの世界も、現在ではその全ての空間を〝使える〟わけではなくなっている。
あるときを境にMAの統制を離れたロボットの支配領域が出現したのだ。それは俺が生れるずっと前のことだという。原因は未だに不明だ。
現在、居住区画最上層に当たる第6層は完全にMAの統制から離れてしまい、第3層から第5層にも武装したロボット──オートマトン──の活動領域が広がってきている。
そしてMAはこれら統制を外れたロボットの排除と設備・領域の回復を続けている。コミッションを通じ、俺たちトループスを使ってだ……。
汗を流し終えユニットを出た俺は、テーブルを兼ねた作業机の上で着信を告げているタブレット端末を手に取った。〝ファクトリー〟からだ。整備に出していたプロテクトギアが仕上がった、とあった。
──やっと、か……。
パーティーの行きつけのファクトリーはタウンでも山の手の側にある。標準支給品以外の装備を扱えるし仕事も丁寧だが、如何せん手間を掛けたがる。時間を掛け過ぎるのが〝玉に瑕〟だ。
そういう思いを胸に、俺はクローゼットを開いた。
今日はこの後に予定があった。ファクトリーに回るのは、その後になる。
居住区画第2層の〝墓地〟は、北側のシャフトとの内壁へと登っていく丘陵を擬した造成地──〝山の手〟と呼ばれる──に在る。
もっとも〝遺体〟は骨までが有機転換炉での再資源化の対象であるため、墓石の下は空っぽだ。だからこの施設は単なるメモリアルでしかないわけだが、そこに懐かしい人の想い出を捜すということを人間は止められない……。
かく言う俺も、何度となく着なれないスーツにタイを絞め、黒い強化樹脂製の墓石の前に立っている。
柔らかい人工の陽射しの下の墓石には、
〝ジョーダン・ローザ・イーデン 17歳〟 とあった。
この墓石がここに置かれてから、もう5年が経つ。
自殺……だった。
俺は、ジョーの激しい気性の映える表情が最後には〝消え入るような〟微笑となっていったあの最後の数日を思い返し、それを鮮明なものに出来ない自分に後ろめたさを覚える。いつものことだが、あのときの彼女が、いったい何を言いたかったのか、今でも俺にはわからない……。
隣でダニーが鉢花を墓石の上に据えた。白トルコキキョウをメインに据えたアレンジメントだったが、故人がこの花を好きだったことを思い出せないでいた自分に、今更ながら幻滅する。
ダニーは憶えていた……。いや、知っていたのか。
祈りを捧げ終え、俺たちは墓地を離れた。
互いに言葉は無かったが、共にジョーのことを想っていたのは間違いない。
彼女が俺たちと同じ時間を共有しなくなってから5年という時間が経っていたが、それでも彼女との時間が、その後の俺たち2人の生き様を決めたといっていい…──。
俺やダニーよりも1つ上の学年だったジョーは、よく出来た姉のようなものだった。
通常は16歳で受けることになるMAの〝選別試験〟を15歳で通過し、〝シチズン〟の資格を取得するような才媛だったから、元々の頭の出来が俺なんかとは違っていたのだが、どういうわけか俺たち3人は波長が合った。──面倒見がいいコだったから、俺やダニーのことが〝あぶなっかしく〟てしようがなかったのかも知れない。
そんな彼女が〝シティ〟に移った日は、一日中表情を作るのに苦労したが……〝シティ〟から出てきた日には、その何倍も苦労したことを憶えている。
〝──まるで大昔の地球にあったっていう動物園ね……。〟
ジョーはそんなことを言うようになって、シティの積層アパートメント高層の自室から飛んで墜ちたという。
人伝に聞いた話だ…──。
その日、俺とダニーは、選別試験に期待を持てない者の常で、トループスになるための〝養成所〟に入るべく仮入所の身だった。
ジョーのような〝ギフテッド〟が無くとも、トループスとなってA級にまで昇り詰めることができれば〝シチズン〟となることができる……それに賭けることにした俺とダニーだったが、仮入所していた期間中に、ジョーは逝ってしまった。
養成所の敷地に入る際に取り上げられ、退所したときに返された俺たちの端末には、彼女からの着信が溜まっていた。
俺たち2人にとっての、苦い記憶だ。
何気ないダニーの声が、そんな追憶から俺を引き戻した。
「ジェイクはこの後どうする?」
墓地の区画から出たときだ。
俺はダニーの顔を見返すと、日常の行動として、少女のことを頭の片隅に追いやって応えた。
「マクニールの店に整備に出してたギアを受け取りに行くんだ……」
「じゃ、運搬車がいるね。付き合うよ」
ダニーはトループスになっても変わらない〝人懐こい〟笑顔でそう言うと、もう端末を広げて運搬車両の手配を始めている。
「そうか……そうしてくれると助かる」 俺は素直に礼を言った。
今日のような日は一人で居ても気が滅入るが、ダニーにしてもそうなのだろう。
何れにしてもファクトリーからギアを移送し、アーマリーでコネストーガに積み込まねばならない。
アーマリーまでの搬送は自動運転でいいが、その後のコネストーガ側の機材との調整──これを怠るヤツは多いが、高いツケを払うことになることだってある…──は一人でやるより二人でやった方が作業も捗る。そっちの方はダニーの得意分野でもある。
30分と待たず、自動運転の運搬車が近くの路肩に停車した。プロテクトギアを1体荷台に乗せることのできるピックアップタイプだ。
俺たちは運転席に乗り込むと、車を走らせた。
〝山の手〟の小洒落た店構が『マクニールの店』で、ガラス張りの間口はショールームになっている。そこには高級スポーツカーよろしく、最新のプロテクトギアやドローンの類いが並んでいるわけだが、これらが何であるのかを思えば嗤ってしまうのが普通の人間のあり様なのではなかろうか……そんなふうに俺などは思うのだ。
まぁしかし、この立地でこういう商売をするのであれば、こんな茶番も必要なのだろう。
スライド式のガラスドアを潜り中に入ると、フロントに知った顔を見つけた。
パーティーの狙撃担当、〝レンジャー〟ことリオンだった。
もうブツの仕上がりを確認し終えたのか、それとも改造の相談に来て仕様の打ち合わせを終えたのか、すでに支払ブースの前に立ち、受付の女の子にちょっかいを出していた。
その女の子の困った様子と表情に、
「──リオン、今日はギアの|2ミッションチェック《2回目のミッション後検査》かい?」
ダニーが助け船を出してやる。
それでリオンの意識がダニーとその隣の俺へと移った。
「いや……それとは別に、ラジエーターを〝一つ〟小さいのに換装しようと思ってよ」
俺たちに右手を上げて寄越すリオン。その隙に女の子は支払いの入力操作を完了すると、ダニーに向いて〝助かりました〟と微笑み、カウンターの奥に消えてしまった。
支払手続き完了のチャイムにリオンがカウンターに視線を戻したのだが、もうそこに彼女の姿はなく、カウンターのトレイの上にチップカードを兼ねた認識票が残されていた。
慌てて女の子の顔を捜し始めたリオンの姿が微妙に憐れで、俺が言葉を引き取った。
「結局、容量を下げるのか」
少し前に、ギアの重量を少しでも軽くしたいと、リオンからはラジエーターの小型化の当否を相談されていた。前衛として同じ型のギアを使っている俺に、リオンはよく意見を求めてくる。リオンは並の前衛よりも〝ギアの動き〟に拘る男だ。
……で、そのときに俺は〝消極的な賛成〟すらしなかったはずだったが…──。
「ああ……」
まだ未練のある目線を奥にやっていたリオンが、ようやく向き直った。カウンターの上の端末に手を伸ばしつつ言う。
「俺の得物じゃ、そこまで排熱の必要がねぇからよ。射点を変えるのにもちっと素軽さが欲しくてな」
そうか、と俺は応じる。
確かに重量を軽くできれば重量出力比は有利となる。またリオンの得物──20ミリ対物ライフル──はエネルギー兵器でないし、狙撃という配置は俺のような前衛と違って〝動き回ら〟ねばならないポジションでもない。ヤツの言い分にも一理ある。だから俺はもうこれ以上は何も言わない。
結局、判断するのは自分だし、そのことに責任を負うのも自分だ。
「……で、おまえらは?」
ちょっと不機嫌そうなリオンに質され、俺は答えた。
「アクチュエーターの張替とアンカーワイヤーの分解整備……それにバッテリーのチェック」
「ダニーは?」
「アーマリーに入れてからの調整を手伝うんだ」
リオンは大仰に肩を竦めてみせた。
「ハっ……マメなこって」
ま、予想の出来た反応だ。大概コイツはこんな反応をしてみせる。だが、整備の重要性を軽視するようなことはない。自分の得物はプロ以外には決して触らせないし、一度対物ライフルの分解整備を始めれば、納得のいく組み上がりに戻すまで惜しみなく時間を使う。
……つまりは、〝シャイ〟なのだ。
そんなやり取りを交わしていると、カウンター側の壁に掛かるモニターに俺たちの担当チーフのバストショットが映った。
「やあ、来ましたね」
収まりの悪い髪、眼鏡の下、そばかすの目立つ冴えない童顔が笑いかけてくる。ちょっと見ではプロテクトギアを扱う人間には見えないが、多分、この第2層で働くメカニックの中では、三本の指に入る凄腕だ(……と俺は信じている)。名前はマーヴィン・ホイッスラーと言う。
「物を取りに来た」
俺が簡潔に応じると、
「──いま、〝結界〟を解きます。奥へどうぞ」
マーヴィンはいつも通りに応じてくれた。〝結界〟とは物理セキュリティーのことを言っている。リオンは手を振ってこの場から離れていった。
カウンターの隅が開き両脇のガードの1人が入るよう手招きしてくる。俺とダニーはカウンターの内側に通され、奥のワークショップへと向かった。
ワークショップの中には、俺の物を含め10体ほどのプロテクトギアが吊るされていた。オートマトンの徘徊する戦闘領域を駆けるトループスの甲冑も、こうなっては形無しだ。もはや着ぐるみにしか見えない。
最奥から3つ目のハンガーラックの前にマーヴィンの姿を見つけた俺たちは、早速そっちに足を向ける。
「だいぶ手こずらされました」 そうは言っているがマーヴィンの顔は〝ドヤ顔〟だ。
「──軽量型のtype-44にフルダイアの人工筋繊維を押し込むなんて……しかも、装甲は一切削るな、ですからね。筋密度は少しいじりましたが──」
「──その分、チップは弾んでるだろ?」
俺は、放っておくといつまでも自慢話が止まりそうにないマーヴィンを遮り、自分の身体を包んでくれるギアの前に歩みを進めた。
「そりゃ、まあ、そうですけど……」 マーヴィンが渋々とその場所を明け渡す。
フロントを開いて除装モードで吊るされているギアの内側には、真新しい人工筋繊維が見て取れた。液漏れの跡もなく、いつも通りの良い仕事だった。
「試しますか?」
マーヴィンが訊いてきた。
「いいのか?」
「ええ。あなたは無茶はしませんから」
〝ここ〟でトループスがギアを装着することを許すメカニックはほとんどいない。良識のないトループスはこの場所で運動会を始めかねないし、ほとんどのトループスは良識が備わっているようには見えない……。
だが、マーヴィンは童顔に笑顔を浮かべて肯いてみせた。その手にはカメラが握られている。
なるほど。
俺は笑い返すことで感謝の意を示すと、タイを外しスーツの上着を脱いでダニーへと放った。