#16 カモミールの花言葉
西側の〝山の手〟にカーリー・ワトソンのアパートメントを訪ねたのは、人工太陽灯の照度も、もう随分と翳った頃だった。
山の手の路地に落ちた影は、もう随分と〝淡く〟なっていた。
かつての地上では太陽の位置の変化に連れ、影の長さも刻々と伸びていったそうだ……。
だが俺たちの世界の影とは、常に決まった位置に現れ、消える存在である。時間に沿って変化するのは〝濃淡〟だけだ。
玄関口の階段を上り、ドアノッカーを鳴らそうという段になって、彼女の剣幕が思い起こされて動きが止まった。
アレはかなり怒ってる……(たぶん)。
俺は金属製のリングに伸ばしかけた手を引っ込める、一計を案じることにした。
俺は通りまで戻ると、先ずティースタンドでコーヒーとスコーンを包んで貰った。
次に生花を商うスタンドを探してカモミールの鉢を買い求める。
それから通りで所在なげにしていた〝ピープル〟の男の子を掴まえると、手間賃替わりに7.7ミリ弾の実包 (男の子とは、案外こんなものに価値を見出すものだ……)を握らせ、カーリーの部屋の玄関口へと送り出したのだった。
果たして、玄関口でスコーンの包みとカモミールの鉢を手渡した男の子は、小首を傾げたカーリーに説明を求められると、通りを挿んで立つ俺の方を指差して二言三言を告げる。
そしてぎこちないお辞儀の後に通りへと戻っていった。
男の子の指した方を向いたカーリーの目線が俺の方を向いたので、俺は片手を上げて応じた。
彼女は俺の顔から目線を手元のカモミールへと下ろし、それから得心がいったように頷いてくれた。
──カモミールの花言葉は、
〝逆境に耐える〟〝苦難の中の力〟 それから……
〝ごめんなさい〟 だ。
部屋に通された俺はテーブルに着くよう促され、彼女がスコーンを皿に取り分け、カモミールの花を幾つか鉢から摘んでハーブティーを淹れるのを見ていた。その間、ずっと黙ったままだった彼女に、どうぞ、というふうに手振りで勧められ、俺は恐る恐るスコーンに手を伸ばした。
カーリーは、〝いつもの通りに最初の一つは何も付けずに口にした〟俺の様子を窺いつつ、自分のカップに淹れたカモミールティーを口元に運んで訊いてきた。
「それで……いったいどういう〝申し開き〟をするの?」
声の調子から怒りはもう退いているのは判ったが、それでも振り上げたこぶしの下ろし先は探しているらしい。……いや、案外、面白がっているのかも。
「──申し開きはしない」
ここで後手に回ったら相当後退させられる。だったら自分でペースを作った方がマシだと、俺は判断した。
「ベックルズはパーティーの一員で、それ以上でも以下でもない。……だから彼女の〝おふざけ〟に君がヤキモキするのは馬鹿げてる」
「…………」
ぴしゃりと言ってやった俺に、カーリーはカップを皿に戻して顔を向けた。わずかに上気した表情で言う。
「わたし、ヤキモキしてる?」
「〝らしくない〟ことをしてみせたろ」
「あーの……」
朝の通りで〝中指を立てた〟ことを指摘してみせると、カーリーはいよいよバツが悪くなって話題を変えようとする。
「……彼女は──」
「──ベックルズは頭が良くて自尊心のある女性だけれど、自己を肯定するのが下手なんだ」
みなまで聞くつもりのない俺は彼女の出端を折り、先回りして言った。
「だから時折りあんなふうなトラブルを起こして、わざと〝自分の評価を下げて〟みせる。 ……悪ぶりたいのを拗らせてるだけだ。かわいいだろ?」
そんな俺に気圧されたように、カーリーは口を閉じた。
それから、ぷっと頬を膨らませて、少し拗ねた物言いで言う。
「よく解ってるのね……」
「俺も彼女も〝ピープル〟出身のトループスだからね」
俺の言葉に反応しようとするカーリーを片手で制して、俺は続けた。
「……で、そういう俺が、目下、一番気になってる〝高嶺の花〟が君なんだ。……君のこと、もっと解りたいと思ってる」
慎重に、ミッションの最中で〝間合いを取る〟ように。
このときには動きの止まっていたカーリーの表情に、俺は変化を見て取っていた。
はにかむように目を逸らした後に、微かに華やいだ雰囲気が漂っている。
〝勝機〟が見えてきたかも知れない。
カーリーは息を大きく吸い込んだ。
「……オーケー、ジェイク…──」
そして俺に向き直って言ったのだ。
「──口惜しいけど認めるわ。わたしをこんなにヤキモキさせるのは、後にも先にも、あなただけよ」
勝気な顔の頬を染め、俺の目を真っ直ぐに見てそう言った彼女は、間違いなしに〝すこぶる〟付きの良い女だ。
──よしっ……!
俺は、ようやく〝勝機〟を掴んだことを知ったのだった。
「──それで、あの〝ブロンドのお嬢さん〟とは上手くいったんだろ?」
アーマリーへの道すがら、通りを並んで歩くベックルズにそう質された俺は、とりあえず無視を決め込み、黙って歩みを進めた。応える義理は無いからだし、そういうことは誰か他の人に告げるようなことじゃない、と思う。
そういう俺を横目で見上げたベックルズは、口の端だけで笑って言った。
「殊勝だね。 ……でも〝怪我の功名〟がいい方に転んだのはあたしのおかげなんだから、ちょっとくらい感謝してくれてもいいんじゃないかなあ?」
女だてらに俺と同じB級トループスの猛者であるベックルズにそう言われ、俺も〝我を通す〟のに苦労する。……ともかく〝圧〟がすごい。
結局俺はその〝圧〟に負け、彼女が通っているというアイスクリーム店に付き合わされ、2人でアイスクリームを食べながら準備状況の確認をすることになった。
俺がカーリーの許に謝りに行ってから4日が過ぎている。
その間にパーティーは再び3SWC──言うまでもなく其処にはヤツがいる…──に進出する準備に入っていた。
先ずCレーションをまとめて──通常のミッション(72時間≒3日)で消費しきれない量を…──調達した。5人の2週間分。変に目に付くのは避けたかったので、メイジーの伝手から裏ルートでコネストーガに運び込んだ。
次に装備を整えた。
今さら基本的な装備に変更はないが、各自がプロテクトギア除装後に備え、サバイバルキットと歩兵装備をバックパックに携行する。
プロテクトギアは、言ってしまえば最強の〝サバイバルキットを提供する歩兵装備〟だが、隔壁層の内部に入ってしまえばいずれ活動できなくなる。……バッテリーを充電/供給するコネストーガが〝封印〟の先には随伴できなくなるからだ。
生身の身体で携行できる対オートマトン用の火器なんて50口径アサルトライフルと手榴弾くらいで、等身人型の〝ドール〟くらいしか相手に出来ない。そんな状態での〝接敵〟なんて正直考えるだけでぞっとしないが、現実にはそのくらいが精々だ。
尤も、封印を解いて地下に潜るには、先に〝ベヒモス〟を何とかしなくてはならない。
その対策のための装備については、前回のときの〝大盤振る舞い〟はない。だからUAVなんて使えないし、携行LGBドローンの筒も2本切りだ。ベックルズの〝ビィハイヴ〟も、今回は半減の3基となる。
この状況であればベヒモスとの直接対決は避け、その目を掠めて隔壁層への昇降口を目指すのが上策だろう。
だが俺たちは、メイジーはともかく、誰もそれを考えておらず、ヤツとの決着を望んでいた。……何といってもヤツは、レスターとターンブルの〝仇〟だった。
俺たちは、これまでに貯め込んだポイントと手持ちの余剰装備を何とかやり繰りして、3つのものを入手した。
1つ目──輻射波動発生器。
UAVからの滑空追尾型LGBによる空爆を望めない今回の俺たちとっては、一見ラッパのように見えるこの(それなりに大きいが……)貧弱な機械が切り札となる。
コイツは対象物の共振周波数の高周波を短いサイクルで対象物に直接照射することで大きな熱量を発生させることができる。要は強力な電子レンジだ。
いや、ベヒモスを〝灼いて〟破壊しようというんじゃない。ヤツの装甲材──5重ハニカム構造のチタン複合材──そのものを共振させ、誘導加熱によって溶融/爆発破壊することは流石に無理だ(そんな出力も容量もない)。
だがセルの中の充填材に絞って共振させ発熱させてやれば、その熱応力の差によってハニカムを横方向に破断することはできる。少なくともシミュレーションでは十分に可能との見込みが得られている。……ハニカムは厚み方向の応力には恐ろしく強いが、横方向に掛かる力にはびっくりするほど弱い。
欠点が2つ。
高周波を照射できる範囲が狭いこと…──概ね8メートル以内である。つまり、肉薄攻撃を強いられることになる。それがため、UAVによる空爆を選択できた前回のミッションでは使わなかったのだ。
そして起動に大きな電力の供給が必要なこと。
瞬間的に爆発的な電力の消費が必要なのだ。今回はそれを賄うため大容量のカートリッジ型爆薬発電機を用いる。……こんなもの大出力のエキシマレーザー砲を〝|カートリッジ・ショット《緊急直結射撃》〟するとき位しか使わない。
発生器と発電機の組合せはそれなりに嵩張るし値も張る。そういうわけでコネストーガの荷台に乗せられたのは1組だけだ。……チャンスは1度切り、となる。
2つ目──C4I基地局ユニット。
ベックルズの使う〝ビィハイヴ〟と同系統のシステムユニットだ。以前、自前のコネストーガをまだ持たなかったときにレンタルで使ったことがあったが、今回はそれを中古品とはいえ購入することにした。
コネストーガは隔壁層に下ろせない。だから車載のC4Iは使えなくなる、というのが理由の一つで、いま一つはコネストーガのC4IはMAのネットワークに繋がっている、というものだ。
ベックルズはこれの解決のため、中古の基地局ユニット内にサンドボックスを構築し、C4Iを完全独立系として実装し直すことにした。サンドボックス内に〝仮想戦場の運用に最低限必要な〟フレームワークやライブラリをコンパイルし直すという。
そして、この基地局をハブにして、パーティーの全ての演算能力を繋ぐ。
もちろんネットワークの処理系と演算能力から切り離された独立系のC4Iの能力は大幅に低下することになるが、ベックルズは何とか使えるレベルのものにするはずだ。C4Iが機能すれば、例のメモリースティック内の電子情報──〝33層分のMAP〟も参照する目処が立つ。
現在、メイジーと掛かりきりでその作業に当たっている。
3つ目──非装甲外骨格型アシストギア。
これはコネストーガを降りることになるメイジーのための装備で、ベックルズが入手を強く主張したものだ。
まさか戦闘領域の只中に生身で放り出せようはずもない。かといって正規のプロテクトギアは訓練を受けていないメイジーには荷が勝ち過ぎる。それでベックルズが選んだのが簡易型プロテクトギアとも言えるこのアシストギアだった。
オートマトンとの戦闘に耐え得るほどの対弾性はないが、ある程度の爆炎や粉塵程度は問題としない気密性を備え、プロテクトギア並の運動能力を提供するアシストギアは、一部のコネストーガのクルーの中で緊急脱出装備として広まっていた。
今回メイジーは、コネストーガを降りた後は基地局ユニットを牽いて戦闘領域を移動しながらC4Iのオペレーションを継続することになる。そのための改造も施した。
年齢相応の表情のベックルズがレモン・ソルベの酸味を堪能しながら状況を説明している。
準備の完了はまだ先だが、着々と進んでいる。
「…──隔壁層に潜ったらギアの活動時間は長くて2日。その間に〝何かしら〟の手掛かりを見つけらんないといよいよジリ貧だよ……」
ソルベの欠片の乗ったスプーンを口許に運びながらベックルズが言った。俺は曖昧に頷いて応える。
「……それはそうと、昇降口を開く〝封印の鍵〟の方……大丈夫なんだろうね?」
最後の一口分をカップから掬い取りながらそう訊いてくるベックルズに、俺は自信有り気に笑って応じた。それについては当りが付いてる。
スプーンを咥えて俺の表情を読み取っていたベックルズは、納得したように言った。
「じゃ、あとは3SWCに入って〝ベヒモス〟を斃すだけだね……なるべく時間を掛けずに」
ほとんどのトループスにとって〝不可能事〟といえるようなことを、さらに難易度を上げるようなことを加えてサラリと言ってみせたベックルズに、俺は信頼と賞賛を込めた目線を向けた。
するとベックルズは肩を竦めて笑顔を作り、そして──、
「〝ブロンドのお嬢さん〟には何て言って行く?」
いきなり〝斬り込んで〟きた。
「待っててくれ、って」 俺はなるたけ動じないふうに応えた。
ベックルズは、呆れたというふうに顔を顰めたようだった。
「ずいぶん勝手なんだ。……ったく、男ってやつは」
「…………」
舌打ち交じりのその言葉に、俺が気後れたのは事実だ。
どう対処したものかと思案しつつ、俺はベックルズに訊いた。
「そうかな?」
「無責任」 にべ無く返された。
「無責任、か……」
手厳しい評価に〝お目溢し〟を求めて語尾が下がった俺の言に、ベックルズは席を立った。それから出口に向かって行き、食器の返却棚にカップの載ったトレーを戻しつつ背中越しに言継ぐ。
「生きて還れる保証はないだろ?」
ベックルズは、俺に〝質問の形式の語尾〟で確認を迫った。
返答に窮する俺をそのまま残して、ベックルズは先に店を出て行ってしまった。……どうやら相当に苛つかせてしまったらしい。
俺はスプーンの最後のチョコレートを口に放ると、席を立って彼女を追った。
通りを少し行ったところで、ベックルズは俺が追い付いてくるのを待ってこう言った。
「──…まあ、リーダーが楽観的なのはイイことかもね……生きて帰る算段はあたしがするさ」
そんなようなことを経て、俺たちは更に準備に10日程を使った。
ベックルズとメイジーと……それからこの2人の美女に言い寄られて手伝わされることになった『マクニールの店』のマーヴィンが、心血を注いで構築したC4Iはようやく完成した。
サンドボックス内にエミュレートされたそれは、大胆なカスタマイズと繊細な調整が施され、一見すると全く変わりなく動作しているように見える。尤もこれは実戦の情報量で走らせてないからで、作業を請け負ったベックルズからは〝限られた演算能力からくる制約〟があることと、対応のための処方も告げられている。
すなわち…──、
ステータス管理の自動交信機能は切ったから、各自が適宜にマニュアル操作で補完するように、というのがそれだ。
通常、C4Iでは、データリンクに接続されたそれぞれのプロテクトギアが装着者の生体情報と機材の稼働状態を常時監視・収集し、相互に必要なパラメータを抽出して補完する仕組みを備えている。
そうすることで戦場の各デバイス(……〝人間〟もこの中に含まれる)からの欠落した情報を予測値で充てて一定の精度を担保し、ニア・リアルタイムでの〝仮想戦場〟を再現しているのだ。
ベックルズは、この〝予測値〟の算出に必要なデータを自動収集することを止めた、と言った。データリンクにマニュアルであげるステータスは〝正常〟の一択。……つまり〝誰が〟〝何処で〟〝何時〟〝戦える状態にあった〟ということが断片的に入力されてくるだけとなる。
データが入ってこないのであれば〝予測値〟の算出ロジックも走らせる意味はない。この機能も停止させたのだろう。
そこまですれば負荷もだいぶ軽減される。
だが、きめの細かい補正値が得られない状態で構築された〝仮想戦場〟は、相当に不安定になるはずだ。……最悪、〝無いよりはまし〟なレベルかも知れない。
曲りなりにも準備が整った頃。
俺は、アーマリーで開示されているミッションの中から〝3SWCでの定期偵察哨戒〟を見つけ応諾した。偵察哨戒ミッションだったが、戦うなという制約はない。
他に3SWCに入ろうという酔狂なパーティーは見当たらず、すんなりとマッチングが成立した。
アーマリーからの帰りしなにカーリーの部屋を訪ねた俺は、不在で会うことができずに、翌日にはシャフトに直結するエレベーターの搬入出口の分厚い隔壁を潜っていた。
だから結局、カーリーへのけじめをつけることはできていない。
そうして、後戻りのできないミッションが始まった。
丁度折り返し点ですが、ここで筆が止まってしまいました。
何か反応いただけると嬉しいです。あなたの反応、お待ちしております。




