#15 〝いい仲間〟
「なるほど……」
最初に反応を返したのはリオンだった。
「たしかにあいつも隔壁層に土地勘なんてなかったろうしな」
〝あのとき〟──シャノン・ウィンターの救出ミッション──は危急の事案だった。誰もが突然に呼び出され、あそこがステージになることを知ったのは直前だったのだ。
仮に事の前に隔壁層に潜ることを決めていたとしても、あの昇降口の位置を把握し、そこから目的の場所までのナビゲーションを準備する時間なんて無かったはずだ。──いや、そもそも目的の場所があったのかどうか、それすらも疑問だ。
リオンは、そんな俺の思いを先回りして言葉にしてくれているのだ。
「でも、〝あのとき〟のあいつは、ここから下りていった……」
後は、その思わせぶりなトーンの語尾をベックルズが引き取った。
「……〝手引き〟があったから」
肯いた俺に皆の視線が集まる。キャビン内に誰も言葉を発しない間ができた。
「これは、〝手引き〟ですよね? ダニーからの」
そう言って沈黙を破ったのはメイジーだった。
彼女は、気後れせぬよう自分を励ましながら、皆の顔を覗き込むようにして言った。
「きっとここで、わたしたちを待ってるのよ。……人伝にこれを託して」
そんな楽観的に過ぎる表情のメイジーに、対照的な表情をしたベックルズが応じる。
「メイジー……」 短い溜息。「ちょっとあんた正気?」
メイジーが目線を返してくるのを待ってベックルズは続けた。
「──〝手引き〟って言うけど、そんなの確証の無い話。このメモリーの送り主がダニーだっていうのもそう」
反論の材料の無いメイジーがくすぶった視線を返したが、ベックルズはそれを意に介しはしなかった。
「行ってみたはいいけれど、そこに何も無かったときは、目も当てられないよ?
ミッション放棄の上、敵前逃亡……〝急進的反動行動への志向〟を問題視されトループスの資格の剥奪……。
隔壁層の内部で孤立無援になって、いったいどれくらい活動ができるって思ってる?」
すぐには反論できない事柄だった。
それを並べてまくし立てると、ベックルズは掌を腰のくびれに当て、小首を傾げるように俺たちを見回す。
そうだった。
ベックルズが、パーティーで一番の〝リアリスト〟かつ〝常識人〟だった。
リオンが俺に視線を向けてくる。
だが俺にしても、彼女を納得させられるだけの何かがあるわけじゃない……。
そんな俺たちを、ベックルズは〝そらごらん〟と醒めた目で見ていたわけだが、対応が遅いのを見て取るや、すぐさま追い撃ちに入った。
「…──それだけじゃないよ。
トループスの資格剝奪だけで済みゃいいさ……けどね、諸々を考え併せて〝矯正〟は免れないんじゃない?
……あたしゃそれは御免被るけど、したらタウンに戻れなくなる」
〝矯正〟か……。確かにそれは俺も御免だ。
──何人かMAに指名され〝矯正〟を受けた人物を知っている。皆、人が変わってしまったように精彩がなくなって帰ってくる。……元々、精彩のあったヤツらが、だ。
「…──この辺でいいんじゃないですか?」
このとき、ポーカーフェースに努めながら何とか説得の糸口を探らねば……と内心で焦る──それこそ精彩のない──俺に助け舟を出したのは、キングスリーだった。
話に割り込まれたベックルズだったが、割り込んだキングスリーに噛みつき返すことはせず、ただ不愛想な表情を俺に向け続けている。
キングスリーが冷静なトーンで続けた。
「もう気も済んだでしょう。──元々パーティーに参加した時点で、いずれ〝こういうこと〟になるのは自明だったはず。〝あの坊や〟から遣いがきたのなら、いまがそのときだ。
隊長は始めから覚悟は決めてた。
……駄々をこねて隊長をイジメるにしても、もうこれ以上は時間の無駄じゃないでしょうかね」
余りに冷静なので、俺もリオンも、ただベックルズの様子を見守るだけとなった。
ベックルズはもう一度短く溜息を吐くと、つと俺から視線を外した。
「メイジー‼ ……データを検討する。準備して!」
そのキビキビとした声に、
「は……はい!」 メイジーが嬉々と応じる。
「…………」
俺もまた、自然に緩む表情をベックルズに向けたのだったが、そんな俺に彼女はピシャリと言った。
「こうなった以上は準備が肝要。まさか〝お友達〟のように準備もなし、勢いに任せて、ってのはナシだからね」
そう言うとメイジーの隣のコンソールに収まり、猛然とキーボードを叩き始める。
俺たちは、存在を忘れられたようだ。
どうやら、今この場からデータの詳細な解析と検討を始めるらしい。
当面、手持ち無沙汰となった俺は、やはりそうなったキングスリーに、感謝の表情で改めて向いた。
キングスリーは〝何事でもない〟とばかりに口許だけで微笑んで返してきた。
「…──ま、成る様に成りそうだな」
リオンが隣でそう言うのが聴こえた。
「ああ」
俺は肯いて応える。
俺は本当に感謝すべきだろう。
……〝いい仲間〟に恵まれたことを。
その後、ベックルズとメイジーがメモリースティックを解析する間、件のメディアの管理でひどい目に遭うこととなった。
ベックルズ曰く、このメモリーは〝ヤバい〟代物…──そもそも存在してはならないものであり、俺たちがこれを手に入れたことはMAには絶対に勘付かれてはいけない。だからこのメディア(メモリースティック)の扱いは次のようになった。
メモリーの内容は参照時にしかサンドボックスに展開しないし、参照を終えたサンドボックスは完全に消去・初期化する。
オリジナルはコネストーガの車内に保管し外部に持ち出さない。格納場所もベックルズのロッカーでなく、俺のデスクの〝鍵の掛かる〟引き出しの中。……メディアを引き出しから持ち出せるのは俺しかいない訳だが、俺はメディアを展開するサンドボックスを構築できない。だからメモリーの中身を見るときは俺がベックルズかメイジーにメディアを渡す、という手続きを経ることになる。合い鍵を渡しておく、というアイデアは拒否された。
これがために俺は窮地に立たされることとなったのだが、それはこれから語る。
ちなみに、仕込まれていた〝トロイの木馬〟はそのまま残された。万一〝メディアが俺たちの手から離れた際には中身は保護されるべきだろうから〟というのがベックルズの説明だったが、メイジーによれば〝とても解除できそうにないからです〟とのことだった。……多分、メイジーが本当のことを言ってるんだと思う。
そうしてベックルズがメモリーの検討を始めて4日が経った。
始めのうちこそリオンなんかは面白がって付き合ってくれたが──キングスリーの方は最初からそれ程の興味を示さなかった…──、3日目には、もう飽きたのか、姿を見せなくなった。
これまでの成果は…──
第3層と第2層の間の隔壁層に下りる、昇降口までの経路。
昇降口から下……隔壁層内の33層分のMAP。
昇降口の封印の鍵は見つけられていない。だがヒントは見つけた。
当該のMAPデータの中に、メッセージが隠されていたのだ。
〝〈その場所〉は〝戻るべき場所〟じゃない。
それは君にとっても同じハズだ。
……〈そこ〉は──〟
そのとき意味を推し量りかねていたベックルズの傍で、俺は、間違いなくこれがダニーからのメッセージだと確信した。
現在までのところMAPに経路のようなものは見つけられていない。
メモリースティックの容量から推しても、もうこれ以上の情報が隠されているとは思えず、やはりこの〝33層分のMAP〟こそが、ダニーからのプレゼントなのだろう。
この〝33層分のMAP〟を参照する術についてベックルズとメイジーの出した回答は、〝印刷する〟というものだった。
結局、サンドボックスの外にデータを持ち出してしまえばMAからのアクセス対象となることを避けられないからで、〝アクセス可能なものは全てMAにとっての監査対象〟……そう考えるべきだ、というのがベックルズの主張だった。
少々〝ナイーブ過ぎる〟のではと思わないでもないが、例の〝トロイの木馬〟が傍証だと言われれば言い返せない。確かに用心はするに越したことはない。
だからMAPをデータリンクに取込んで仮想戦場に反映することを諦め、替わりに大昔の兵隊が携行したという古典的な〝紙媒体〟のアイテムを模すことにしたわけだった。尤も、ただの紙ではもちろんない。特殊な積層合成繊維紙に印刷する。水に濡れたとしても潤けず、プロテクトギアのグローブでめくっても簡単に裂けたりしないはずだ。
専用のローカルプリンター(ネットワークを経由させず、サンドボックス内にプリンターのドライバーを組んで直接制御した)がコネストーガに持ち込まれた。……それが3日目、昨日のことだ。その日はサンドボックス内でのドライバーソフトの設定とプリンターの接続・調整で終わった。
そうして4日目の今日、ついに印刷に入ることとなり、俺はベックルズと連れ立ってアーマリーへと足を向けた。
この数日は例のメモリースティックの管理があり、ずっとメイジーを含めた3人でアーマリーまでを往復していたのだが、この日はメイジーに『マクニールの店』に出向く用があったので、朝はベックルズと2人きりとなった。
そして道すがらのスタンドで昼食分のスコーンを調達したのだったが……この時に俺は〝創造主の悪意〟をハッキリと感じることになる。
同じスタンドの隣でコーヒーとスコーンを受け取った人物が視界に入ったときに、なぜだか俺は(──しなければよかったのだが……)動揺した。だから相手も気付いてしまった。
コーヒーとスコーンの包みを受け取っていたのは、カーリー・ワトソンだったのだ……。
最初、俺の顔を認めたカーリーは笑顔を浮かべかけた。
それから、当然と言えば当然のことだったろうが、動揺している俺の表情に、隣に立つ人物へと視線を移す。
そこには着崩したアーミージャケットからくびれた腰とへそとを覗かせるベックルズが居り、目が合うや俺の腕を手繰って胸元に引き寄せてみせたりする。
カーリーの顔から表情が消えた。
ベックルズがつと視線を外し、俺の方を見上げてみせる。
俺の方は、この状況でカーリーから視線を外すことなどできない。
ベックルズにすれば〝ほんの悪ふざけ〟の心算なんだろう。
やめてくれ! カーリーに限っては、そういう悪ふざけは通じないんだから……。
予想の通りカーリーは、俺にニッコリと硬い笑みを向けると、くるりと踵を返した。
そして俺が追いかけようと右足を踏み出そうとした瞬間、俺に向き直って(俺は右足を踏み出せなかった……)、出鼻をくじかれた俺に右手を突き出し動きを止めた。それから躊躇いを見せた末に深く息を吸ってから止め、結局、中指を立てる動作をした。
そうしてカーリーは再び踵を返すと、肩を怒らせ、今度こそ歩み去って行った。
カーリーを見送る俺の横で、ベックルズが珍しいモノでも見たかのような表情で、
「ずいぶんと奥ゆかしいコだね……」
…──と、漏らした。
……オ・マ・エ・なっ‼
俺は〝タウン〟でこんなシーンに出会わす度に、置き去りにされた男の方を可哀想だなどと思ったことは一度も無かったが、いま、俺は可哀想なのでは、と思っている。
人工太陽灯の朝の薄い陽光が照らす、路地先のティースタンドでの出来事だった。
アーマリーのハンガーに停められているコネストーガの内部。
「うわ。それっていわゆる〝修羅場〟ってヤツね?」
キャビンで作業に勤しむベックルズに、メイジーがくねらせるように身体を回して訊いた。
「なんでそうなる?」 面倒そうに訊き返すベックルズ。
「だって衆目のある場所でジェイクに〝中指を立てた〟んでしょう? その彼女」
メイジーは同じキャビンに俺が居るのもお構いなし、とばかりに嬉々とベックルズに今朝の出来事について質した。
〝中指を立てられた〟当人としては、いまこの場でして欲しい話題であるはずもなく、チョコレートを塗ったスコーンを口に放り込むと紙ナプキンで指を拭い、午前中に積層合成繊維紙にプリントアウトしたMAPの束を『ミウラ折り』にすることに集中することにした。……早く終われ、と念じながら。
「まったく〝様〟になってなかったけどね……」
ベックルズは〝深入り〟はしたくない、というふうに応じ、一拍を置いて、その時の情景を思い起こそうとするような表情になって言う。
「あたしなんかとは全然違う人種、って感じだったな」
「へー」
「めんどくさそうなコだった」
頷いたメイジーが、ようやく、チラと俺の方を向いた。……いいよ。続けてくれ。
俺はMAPとの格闘に邁進することにする。
「……つーか、あたしみたいな〝すれっからし〟 こいつの好みじゃないって、ふつーにわかりそうなもんだけどね」
ベックルズがそう言うのが聞こえた。
それについては、そう思うベックルズも相当にオカシイと、俺は思った。
いまはトループスになってタウンに暮らしているが〝ピープル〟出身の俺はベックルズと並んでいる方が収まりがいいはずだ。ベックルズが〝すれっからし〟なら俺は〝野卑なガキ〟といったところだろう。
実際、カーリーは俺に対してどう接するべきか躊躇すること──当にあの時〝中指を立てる〟のを迷ったように…──が結構ある。
彼女と〝人種が違う〟のは俺も同じだということに、今さらながらに気付いたような気がする…──。
と、俺はこめかみに何かが当たったのを感じた。
視界の中でテーブルの上に落ちて転がったのは丸められた紙ナプキンで、投げたのは向かいに座るベックルズだ。
丸められた紙ナプキンのボールに手を伸ばす俺に、ベックルズが言った。
「……で、何であんたはココにいるの?」
俺は問われたことの意味を図りかねてベックルズを見返した。
「印刷も、もう終わりましたし…──」
メイジーが横合いから口出ししてきた。……その目が面白がっているように見える。
ベックルズが少しイライラとしているふうに続けた。
「──さすがにもう行ってあげた方がいいんじゃない? って言ってる」
「…………」
この場合、どう行動すべきかは明らかだろう。
俺は立ち上がると、デスクの鍵をベックルズに放って、コネストーガのキャビンを後にした。
ダニーの後を追って3SWCの隔壁層に潜るのも間近となってきた。
準備も進めなければならないし、いろいろなことに後始末もしなければ…──。
少なくとも彼女とは、このままにして別れたくはない。
さて、いったいどういうふうに彼女の部屋を訪ねようか……。
そんなようなことを思えるのも、今日のうちかも知れない。




