#14 メモリースティック
俺の手許にはメモリースティックが残された。
年季の入った、標準インターフェイスのものだ。
どこにでも転がっているようなもので、まともに動作すればどうにかビール1杯くらいの価値はあるかも知れない、そんなハードウェアとしては〝ガラクタ〟の類だった。
だからそのまま放り捨ててもよかったのだが、なぜだか俺はそうしなかった。……男は確かに俺の顔を見てポケットを探った。その目が気になった。
「──なんだそりゃ?」
そんな俺の掌の上から、リオンが手を伸ばしてメモリースティックをすぃと摘まみ上げた。
「ちゃんと動くのかね?」
しげしげとそれを見つめ、それから徐にハンドセットを懐から取り出すと、そのスロットにメモリースティックを挿し込んだ。まったく……。俺が止める間もない。
「ぉおっ……?」
すぐにリオンの間の抜けた疑問符が声となってその口から漏れ聞こえることとなった。俺を含めたパーティー全員の視線の先で、ハンドセットのディスプレイはブラックアウトしていた。
「……って、おいマジかっ⁉」
慌ててメモリースティックを引き抜き端末の電源を入れ直す。ほどなく起動画面が現れた。
そのまま端末がオシャカとなるような〝最悪の事態〟にはならずに済んだようだ。
「脅かすな、バカ……」
リオンは、戦々恐々といった態を繕うようにしつつ、再びメモリースティックをスロットに挿し込もうとしている。……懲りないヤツだ。
果たして、メモリーにアクセスを試みるや端末は再び沈黙した。
「……ダメだな」
リオンは溜息を吐いてメモリースティックを引き抜いた。
もう一度電源を入れ直すと、ちゃんと端末は再起動する。
「貸して」
それまで黙って見ていたベックルズがジョッキを置いて手を伸ばしてきた。リオンがメモリースティックをその手に渡す。
「ふぅん……」
自分のハンドセットで試し始めたベックルズの口から、ははん、と何かを納得したふうな声が上がった。
「……なんか仕込まれてるね」
そう言ったベックルズに、皆の視線が集まる。
ベックルズは、視線を上げずに応じた。
「──…〝トロイの木馬〟」
言って手にした端末の画面を一叩きする。すると(リオンの端末のときよりは間があったが)画面が閉じて、そのまま反応を返さなくなった。
「……どうやらアクセスに行くと、デバイスの方を〝落とし〟にいくみたいだね」
「〝サンドボックス〟は?」
メイジーが確認の声を上げた。
戦場で使う武器以外の機械には無頓着なリオンと違い、ベックルズは〝得体の知れない〟モノをいきなり通常の領域で扱ったりしない。サンドボックスと呼ばれる通常領域から隔離された保護領域に置いて扱うのがプロの流儀だ(……なのだそうだ)。
いまベックルズがそうしなかった(だから端末が〝落ちた〟)のを、メイジーは確認したわけだった。
ベックルズはテーブルの上のジョッキに手を伸ばしつつ応じた。
「ハンドセットの小さなサンドボックスじゃ開けなかった」
どうやら端末の容量が小さすぎて、十分な大きさのサンドボックスを用意できなかったらしい。
それでメイジーは納得したようだった。慎重な表情で肯くと、あとは黙って俺の方に視線を向けてきた。
話を元に戻すように、またリオンが口を開いた。
「しかし何だってそんなことをするんだ?」
その座を代表したようなリオンの疑問に、自分の思考を中断させぬような漫然とした感じのベックルズが応じる。
「……簡単に〝見せたくない〟から、じゃない?」
考えをまとめているのが見て取れた。
そんなベックルズに、まだ〝納得できかねる〟というふうなリオンが、へっ、と肩を竦めて訊いた。
「ふつーに暗号掛けときゃ、それでいいようなもんじゃねぇか?」
ベックルズの方は、考えがまとまってきたようだ。
「違うね……。〝見せたくない〟のはあたしらに、じゃないんだ」
怪訝な表情が4つ、ベックルズを向いた。
「どういうことだ?」
今度は座を代表して俺が訊いた。
ベックルズは、〝これは本当にヤバいかも知れない〟という感じに、声を顰めて言った。
「……〝見せたくない〟のは、ネットワークの先の……MAのAI群……、たぶん…──」
〝俺たちの世界〟──「MA」(|Monitoring Agency《監視機構》) と呼ばれるAIネットワークの統率する〝閉鎖空間〟…──の中では、基本的に全てのデバイスは(それがMAから離脱した〝反MAの側〟のそれだとしても!)1つのネットワークに接続されている。
だから理論上、全ての情報はネットワークを介して誰からも〝見えて〟はいる。それを〝見るべきものにとって意味のある情報〟として見るかどうかはプロトコルによるのだ。
敵対する陣営が1つのネットワークを共有していても、このプロトコルを違えることで情報の共有を回避している。もちろん〝盗聴〟し敵方のプロトコルを装うことで〝情報を盗む〟ことはできる。だからそれに備えた対処──暗号化の技術もある。(ただし、世代宇宙船の維持・管理に直結するような、陣営を越えての保安情報は暗号化されない。)
……いずれにせよ〝見ようと思えば見れる〟のは確かだ。
唯一の例外はサンドボックスを作ってネットワークから切り離し、そこで情報を扱うことになる。だがサンドボックスの中は、あくまでデバイス内の限定された機能しか提供されない領域で、大きく複雑な情報は取り出せない。
それをするには高度なエミュレーターをサンドボックス内に構築する必要があり、そんなことはコストに見合わないので、まず行われることはない。
そういう仕組みの中で、ネットワークに繋がるAIに情報を〝見せたくない〟のなら、端末を物理的に切り離すことが〝確実〟だ。だからこの〝トロイの木馬〟は、デバイスの電源を落としにかかる。……そうベックルズは、自らが導き出した結論とその根拠を語った。
俺たち4人はベックルズの〝読み〟に押し黙ることとなった。
なるほど。この〝トロイの木馬〟は、確かにデバイス側を落としにいっている。
そんなものが仕込まれている理由は、やはりネットワークから確実に切り離しておきたいからだ、と言われれば、そう思えてきた。……そして、通常、ネットワークの管理者はMAのAIである。
たしかに〝ヤバい〟代物なのかも知れない。もうこれ以上、このメモリースティックについては詮索しない方がいい……。
そんなふうに思うのが尋常だったろう。
だが、俺はベックルズを見て言っていた。
「十分な大きさのサンドボックスが用意できれば、中を見れるのかな?」
あの男は、確かに俺の顔を見てメモリースティックを取り出した。
そのときの男の目が、どうにも気になっていた。
男は、どうしても俺に、こいつを届けたかったのだ。
ベックルズは、面倒事になりそうだ、というふうに口の端を引いて、それから言った。
「見れるよ。……そんなに気になる?」
俺は頷いて返した。
コネストーガのキャビンに場所を移し、俺たち5人はベックルズとメイジーの作業を固唾を飲んで見守ることになった。
ベックルズとメイジーは、コネストーガの車載電脳空間内にサンドボックスを構築し、更にその内部に本格的なI/Fを模したエミュレーターを用意する。……かなりの手間だ。ここまでして(そんなことは無いだろうが)中身に何の価値も無かったら、目も当てられない。
それは於き、ベックルズとメイジーを中心に、時間が過ぎていく。
やがて2人の作業が終わると、終にメモリスティックの内容にアクセスが果たされることとなった。
車内のC4I系画面に3Dのマップが映し出された。仮想戦場と同じフォーマットのものだ。
「おい……」
「……ああ」
「…………」
それに、メイジーを除く4人には見覚えがあった。
それぞれが、この場所でのそれぞれの体験を、脳裏に甦らせたかも知れない。
「──3SWC……」
ベックルズの漏らしたその擦れ声にメイリーが反応した。
食い入る様な視線をマップに向ける。
ダニーは、3SWCで消息を絶ったのだ。
MAPは、俺たちの知っている──あのミッションに入る前に検討に使ったもの──よりもアップデートされていた。ベヒモスの制圧射撃を受けたビルは崩落していたし、ターンブル隊のコネストーガが路上に擱座している。ダニーのコネストーガの残骸もそのまま放置されているのが判る。
「MAPだけか?」
珍しくキングスリーがそう訊いてきた。ベックルズが応える。
「ただの3Dマップにこの容量は大き過ぎる。……いろいろ情報が埋め込まれてるみたいだね」
「解析できたりするのか?」 とリオン。
「もちろん……」
ベックルズは応じるとプロンプトをコマンドラインに呼び出した。キーボードを叩く乾いた音が続いたが、すぐに舌打ちが一つ聴こえると、止まってしまった。
「…──そうだった……」 息を吐いてベックルズは言った。「外部のライブラリは使えなかった」
〝この世界〟の電子情報はネットワークに繋がっているのが前提だ。基本的な処理はネットワーク上のグリッドに演算能力を分散するのが前提だし、処理系に使われるフレームワークやライブラリは、ネットワーク上に標準化されているものを相互に参照するように設計されている。
いま、このMAPはコネストーガに構築したサンドボックスの内部に在る。
外部の処理系にアクセスはできない。それをすれば、例の〝トロイの木馬〟が発動するだろう。しかもその場合はどういう結果を招くか全くわからない。最悪、内容が破壊されるかも知れない。
必要な処理系を全て洗い出し、サンドボックスに取込んで実装系を再現することも出来ないわけではないが、それは時間と労力が掛かり過ぎる。
結局ベックルズは前言を翻し、〝ケセラセラ〟と両手を上げて見せた。
俺たちは壁に突き当たった。
それは当面これ以上の進展が望めなくなり手持ち無沙汰となった俺が、MAPを操作していたときのことだった。
ダニーのコネストーガの位置を拡大しカーソルを当てたとき、それは起動した。……予めその動作が〝フラグ〟となり起動するように組まれていたのだろう。
MAPにアニメーションで〝線〟が走り始めた。
起点は大破したコネストーガの前方車輌……あの日のダニーの持ち場だった場所だ。
そこから〝線〟は東の低層ビルへ伸びていき、裏手に回って階段を潜った。恐らく地階で街区の地下街に繋がっているのだろう。3Dマップの描画レイヤーをz軸方向に移動させようとしたとき、ベックルズに声を掛けられることになった。
「ダニーの逃走経路だね」
いつから見ていたのかわからないが、やはり察しがいい。正確に、再生表示された〝線〟の意味を理解していた。
「たぶん……」
俺は短く返してマップの操作を続けた…──。
レイヤーをz軸マイナス方向に動かし、視点を地階に移す。思った通りだった。〝線〟は地階室の一画から伸びた通路を辿って第3層の地下街へと達した。そこからさらに街区を2つばかり抜け〝隔壁層〟に下りる昇降口の上で〝線〟は途絶えた。
するとダニーは〝隔壁層〟に下りたのか。
それは困難なことではあったが、全く考えられないことじゃなかった。
居住区画の各層を仕切る〝隔壁層〟──それぞれの層の〝大地〟を支えているわけだ──は、それ自体が400メートルの厚みを持つ巨大構造物だ。
かつては人間もここのメンテナンスに関わっていたようだが、MAに管理が委ねられた現在、全ての昇降口は封印され人間の出入りは絶たれている。情報はもはや公開されておらず、内部の様子はこの半世紀〝謎に包まれ〟ていた。
だが、昇降口の〝封印〟を解くことができれば……。
いったん逃げ込んでしまえば、もう見つけ出すことは難しい。
MAの管理を離れた人間が、身を潜める先にと考える場所としては常套だろう。
レジスタンスの巣窟に成り得ると、予てから指摘されている場所でもある。
ダニーが〝あのとき〟に俺たちを置いて、ここまで着ていたのはどうやら間違いないようだ。
「隔壁層に潜ったってわけ…──いよいよレジスタンスっぽい感じだね」
ベックルズが抑揚なくそう言うのが聴こえた。
敢えてベックルズの顔を見なかったが、たぶんその視線は冷たいのだろう。
状況は、限りなくそうであること──MAを離れることを決めたダニーが、ミッションを放棄して、ここから隔壁層へと潜ったこと──を示していた。
そして俺は、ダニーのやつがMAの体制に疑問を持っていたのを知っている。
と、
「ダニーはこの先で生きてる……そういうことよね?」
険呑なベックルズとは対照的な、一途な想いのこもった声のメイジーに訊かれた。
俺は先ずベックルズに弁解する様に視線を向けてから、メイジーに応えた。
「……たぶん」
安堵ともつかぬ溜息を洩らしたメイジーを、複雑な表情のベックルズが見遣っている。
「じゃあ、あのパブの男は、ダニーの遣いか」
今度はリオンが訊いてきた。
そこまではわからない。が、多分そうだろう。俺は肯定的に肩を竦めて返した。
リオンが不満げに表情を歪めた。こういう〝まどろっこしさ〟は〝他人行儀〟に思えるのだろう。
……俺だってそうだ。
だが、こうも考えられる。
直接コンタクトを取ることは危険なのだ。なぜ? それは〝MAに追われる身〟だからだが、敵前逃亡がその原因ではないだろう。ミッションを放棄したところでトループスの資格の剥奪くらいのペナルティーしか下されないからだ。
わざわざネットワークから切り離された環境でこの情報を開かせたところからも、MAの監視を恐れているのが見て取れる。
ということは、やはりダニーは自分の意思で〝反MAの側〟に与し、レジスタンスとなった……そう思えてくる。
じゃ、何で今更俺たちにコンタクトを取ってきたんだ。
無意識に指が動き、MAPのレイヤーを動かしていた。
「おい……っ」
リオンが声を上げた。いや、リオンだけじゃない。この場の(俺も含め)全員が息を呑んでMAPに視線を遣ることとなった。
それらの視線の先…──地下街のある階層から更にレイヤーがz軸のマイナス方向に移ったMAP──には、現在はもう誰も知るはずのない〝隔壁層〟が映し出されている。
俺は改めてz軸方向にレイヤーを動かした。
すると画面には、隔壁層内部のMAP情報が次々とロードされ映し出された。
仮想戦場を投影する戦術MAP程の精度は確保されていなかったが、それでも〝十分に〟詳細な地図だ。
それが〝33層〟分…──。〝隔壁層の円断面〟の全域を網羅しているわけではない。断片的な情報が繋ぎ合わされたものだったが、それでも広大な地下空間が、ここに再現されている。
皆、声を失っていた。
MA統制下において〝在ってはならないもの〟……どうやらそれを受け取ってしまったらしい。
なるほど……。
このような情報であるなら、ネットワークに曝したくないわけだ。
「で……」
そこまで思考を進めたところで、キングスリーの落ち着いた声に引き戻された。
「さっきの昇降口の封印が解かれてるとして、バードのあとを追いますか?」
いきなり速球がきた。
即答できる問いじゃない。
仮にキングスリーの示唆するようにダニーの使った昇降口から下りたとして、当面、行く先の当てがない。その上、広大な内部に対してこの地図は全てを網羅していないし〝注釈〟のような付加情報も一切ない。
どこに何があるのか、全くわからないのだ。
すぐにでも行こうと意気込むメイジーを除き、4人の歴戦のトループスを納得させられるプランが必要だ。
俺にはそれが思いつかなかったが、それでも言ってみた。
「……ダニーはあそこから下りた。〝あのとき〟のあいつだって、準備ができてたわけじゃない」




