第44話 地図
集落内を一望したいのであれば石壁に上って見る方法が一番簡単だ。
けれども、副隊長は石壁には見向きもせず炎を離れると集落を縦断した反対側にある崩落した崖に向かった。
王国側の森から集落に降りるための急斜面になっている場所だ。
アルティア側から見れば『長崖』を超えて王国に至る道である。
急斜面には崖の上の木に結ばれたロープが、まだ垂らされていた。
ぼくたちはロープを使って崖の上に上った。
厳密に言うと崖の上は王国側だ。
アルティア兵の王国領土への侵犯になる。
崖の上から副隊長とアルティア兵は集落内を見下ろし一つ一つの建物の破壊具合や使用状況を、ぼくに訊いて確認した。
ぼくはヘルダと伝言ゲームをしながら質問に答えた。
戦闘にあたって、ぼくたちは建物を破壊していなかったので使用に問題はない。
ただし、もともとオークが建てて使用していた建物だ。気分よく使うには、かなりの清掃が必要となるだろう。
しかも三千人からの人員を収容するには数も足りない。
三千人。集落にいたオークの約三倍だ。
一般的に戦闘において有効な攻撃を行うためには相手の三倍の兵力が必要となるという話を聞いた覚えがある。
惨敗の後、アルティア兵は自分たちだけでもオーク集落を殲滅できるようにという準備は進めていたのだ。
ちなみに『半血』と比べても約三倍だ。
金銭面で揉めた場合の対応も念頭にあったのだろうか?
だとしても、もし力づくでやり合うのならオーク相手の方が楽だと思う。
一通りの建物の様子を把握した後、アルティア兵は王国側の森に向きあうと地図を取り出した。
『長崖』の王国側が描かれた地図だった。
一直線に森を分断する『長崖』と文字が書かれた直線があり、ぼくがいた町だとか隣町だとか王国側の近隣の街や村が記されている。
それぞれを結ぶ道も線で記されていた。
それから王国側の兵の駐屯地。
「誰か王国側の地理がわかる者はいないか?」
副隊長の要求に「少しなら」と、ぼくは答えた。
一番近い町まで森を進むルートや、その町から別の要所に続く道の広さ、所要日数等を、いくつか質問された。
ぼくは相手から胡麻化しているとは受け取られない程度に適当にぼかして答えた。
なぜアルティア兵が王国側の立地を気にして、そのような質問をするのか、あまり想像はしたくないが想像がつく。
経済政策に失敗した国が最後の手段にとる起死回生の逆転手段は戦争だ。
国内にない物資は国外から購入するしかないが資金がない場合は奪うしかない。
もちろん、ここから一番近い町は、ぼくが活動拠点としていたギルドがある町だった。
ニャイがいるはずだ。
被害者である自国民に対してすら国法を厳密にあてはめるアルティア兵が、戦時に相手国の獣人に対して情けをかけるとは、とても思えなかった。
むしろ積極的な排除対象とされるだろう。
そもそもマリアたちとこの場所にやってくるまで『長崖』に実は上り下りできる場所があるなんて話を、ぼくは聞いた覚えがなかった。
そこにオークの集落ができている話も、もちろん知らない。
多分、ぼくがいたギルドの誰もそんな話なんか知らないだろう。
王国は知っているのかな?
知らないに決まっている。
知っていれば関所なり見張りなり何らかの対応をとるはずだ。
恐らく崖の崩落は最近の出来事なのだろう。
せいぜい、ここ数年以内のはずだ。
普段、何処へも通じていないこの付近へは少なくとも王国側からは誰も近づかない。
探索者としては、あまり実入りが期待できる場所ではないからだ。
探索者以外となると、なおさら誰も近づく必要がない場所だ。
逆にアルティア神聖国側から『長崖』を見上げれば崩落の存在は、すぐわかる。
国境線に穴がある事実を一方の国は知っていて一方はまだ知らない。
アルティア神聖国からすれば大きなアドバンテージだ。
オークの集落が消えた今となっては通行に支障はない。
しかも、少し手を入れれば使えそうな前線基地がある。
とても嫌な予感がした。