第2話 脱隊届
ギルドマスターの執務室は探索者ギルド二階にある。
ぼくは、とぼとぼと力なく階段を下った。
いつも重たい腰に下げたロングソードが、さらに重たく感じられる。
面談に来ただけなので、さすがに鎧は着ていない。普段着だ。
一階には受付カウンターがいくつか並んでいる。
どのカウンターにも列ができていたがカウンターの一つに『閉鎖中。他のカウンターへどうぞ』の小さな衝立が置かれていた。
衝立があるカウンターの内側には、きっちりとしたギルドの制服を身に着けた若い猫人族の女性が座っている。
髪色は、赤茶、白、黒の三毛模様だ。
ぼくたちのパーティーを担当してくれている、ニャイだ。
独身。彼氏なし、と、ぼくは聞いていた。
年齢は一つ下で十七歳。
パーティーリーダー、違った、元リーダーでぼくと同じ戦士職のノルマルが、よくそんな話を、ぼくにしていた。
あいつ、ニャイに気があるのかな?
だったらぼくなんかにそんな話をしてないで、さっさとデートに誘えばいいのに。
探索者ギルドに将来を期待されている『同期集団』のリーダーだ。きっとうまくいく。
ぼく?
ぼくなんか万年Fランクだから声かけても無理に決まっている。
そりゃ、ニャイみたいな可愛い人が彼女だったら最高だけどさ。
ぼくは階段を降りる途中から、まっすぐにぼくを見つめるニャイと目があっていた。
ちょいちょい、と手招きでニャイに呼ばれた。
ギルドマスターからの呼び出しを言伝便で宿にいたぼくに伝えてきたのはニャイだ。
当然、ギルドマスターの用件が何であるかは知っているだろう。
知らなくても『同期集団』担当のギルド職員だ。
ぼくが勧奨脱隊の要件に当てはまっている事実は誰よりも知っている。
想像はついているはずだ。
ニャイはカウンターにぼくが近づくと衝立を片付けた。
ぼくのために場所を確保してくれていたのは明らかだった。
「パーティーを抜けることにします」
ぼくは、へらへらと笑いながらニャイに告げた。
笑わないと泣いてしまいそうだった。
「いいんですか?」
強い口調でニャイは、ぼくに訊いた。
「ギルドの規則だからギルマスも面談しましたが『同期集団』の皆さんはバッシュさんをお荷物なんて思っていませんよ」
やや怒ったような表情だ。
余計な仕事増やしちゃって、ごめんなさい。
「だから、なおさらです」
ぼくは、また笑った。
「これからどうする気なんですか?」
ニャイは一転して怒り顔から心配そうな顔になった。
「実家に帰るか別の街に拠点を移すか一晩考えてみます」
「ここで続けてもいいんですよ」
「会ったらお互いに気まずいから」
ぼくは笑った。
「脱隊届にサインしないと」
ぼくは空中にペンで字を書く素振りをした。
脱隊届の用紙は既に準備されていた
けれども、ニャイは用紙をすぐには渡してくれない。
「本当にいいんですか?」
ニャイは、また怒ったような顔に戻っていた。
「はい」
ニャイはパーティー脱隊届の用紙を、ぼくに差し出した。
脱隊届の宛先人はギルドマスターとパーティーリーダーの連名になっている。
ギルド名と『ギルドマスター様』の部分は既に印刷されているので、その下の所定の空白にパーティー名とリーダー名を記入すればいい。
あとは届出人である自分の名前。
今日の日付。
それだけだ。
震える手で、ぼくはそれぞれを記入した。
宛先人からの承認行為は必要ない。
届け出なので提出すれば手続き終了だ。
「お願いします」
ぼくはニャイに用紙を差し出した。
ニャイは受け取ろうとはしなかった。
「本当に本当にいいんですか?」
さっきよりもっと怒った顔でニャイは言った。
怒っていてもニャイは可愛いな、と、ぼくは思った。
「はい」
ぼくはニャイが用紙を受け取ってくれないのでカウンターの上に置きざりにして一歩下がった。
「今までありがとうございました」
ぼくはニャイに頭を下げた。
用紙がくしゃりという音を立ててニャイがカウンターから乱暴に手に取った気配がした。
ぼくは頭を上げた。
ニャイは、もう、ぼくに背中を向けていた。
「ばか」
最後に、そう言われた。
もう、怒った顔すら見えなかった。
ぼくは探索者ギルドを後にした。
宿の部屋に戻ってから、ぼくは泣いた。