第130話 英雄
ぼくたちは大聖堂を後にした。
枢機卿は、ぼくからの提案を前向きに検討するという話だった。大聖堂を出るか出ないかの検討ではなく何をどうやって運び出すかの検討だろう。
帰り道を送ってくれた神官と別れ、跳ね橋を渡り城に戻ったところで、「どういうつもりだ?」と、ぼくは王国の士官に問い詰められた。
「漁村を譲る話までは聞いていたが財産の持ち出しなど認めていないぞ」
とはいえ、その場で騒ぎださない分別はあったようだ。ぼくたちの足並みが乱れると枢機卿に足元を見られてしまう。
「炊き出しに問題がない時は兵糧攻めで時間をかけて降伏してもらうつもりでした。今となっては大聖堂に籠る選択をされると困ります。本当に人々が大聖堂を襲撃しようなんて考える前に出て行ってもらわないと。せっかく助かった人たちをそんなことで死なせたくありません。財産くらいで出て行ってくれるならそのほうが良いじゃないですか」
実際に大聖堂を襲撃なんかしたら多くの人たちが死ぬだろう。最終的に大聖堂は降伏するだろうが自棄になった枢機卿がその過程で財産や備蓄食料に火をかけないとも限らない。そうなるくらいならば財産なんか渡してしまって食料だけでも手に入った方が良い。
「王国にとっては損失だ。『半血』が補填してくれるのだろうな?」
高飛車な言葉だった。
「王国は少し欲をかき過ぎじゃないですか。補填も何もぼくたちが着く前から国都は『半血』が包囲していましたよ。王国が勝ち取ったわけじゃない」
「アルティア神聖国王が大聖堂に逃げ込んだのは国都の開門後だろう。王国との協力関係ができた後だ。王国の役割は炊き出し材料の手配であって戦闘ではない」
「その手配さえ滞らなければ大聖堂に籠らせておけましたが」
「文句はオークに言ってくれ」
「もし大聖堂が立ち退かずに炊き出しが止まったら、ぼくは歩ける皆さんを誘って王国からの輸送隊を迎えに行きます。途中で出会えなければ王国まで歩きます」
流民の王国行きを拒むために王国は炊き出しに協力しているのだ。ぼくたちに王国に向かってはほしくないはずだ。
ぼくは士官と睨み合いになった。
大聖堂さえ空になれば備蓄食料が手に入るだけではなく大聖堂を警戒するための兵の手配も必要なくなる。ジョシカとルンの部隊だけではなく、マリアとヘルダの部隊からもオーク対策に人手を割くことができるようになる。その分、炊き出しの正常化が早くなる。
今の国都は炊き出しが機能しており流民や市民の皆さんが飢えから救われている状況だ。もっと以前の本当に誰もが食べられていなかった状態を王国の士官は見ていない。
王国から国都に来るまでの道中で廃村を見る機会はあっただろうけれども村人たちが村を捨てなければならない原因となった酷い飢えを士官自身が経験したわけではない。
もしここで炊き出しが途切れれば、過去と同じ飢えの苦しみを味わわないためにも国都の人々は暴発するだろう。自分の飢えももちろんだが家族を飢えさせてたまるものかと思うはずだ。
ぼくが先導しようとしまいと大聖堂を襲撃しても十分な食料がないとなったら、歩ける人たちは王国と『半血』居留地を目指すだろう。
つい最近まで国都とアルティア神聖国内にどれほどの飢餓地獄があって、再び同じ状態にならないためならば人々は何でもするだろうという認識が士官には足りなかった。
大聖堂の財産を諦めるくらいで地獄が回避できるならば安い物だ。
アルティア神聖国内で現在一番価値がある品物は食料だ。財産ではない。財産なんかよりも食料のほうが遥かに価値がある。金銀財宝ではなく食料こそが本当の財産だ。
守るべきは炊き出しを受けているみんなの命。金なんかどうでもいい。
王国の斥候が睨み合うぼくたちに割って入った。ぼくに言う。
「そのへんで許してくれないだろうか。炊き出しのために王国も物入りなんだ。オークの襲撃で駄目にした食材も多い。大聖堂からの身代金を当てにしていた部分もあるんだよ」
ああ。
ぼくは息を吐いた。
国都において財産に価値はないが王国においては価値がある。食料を手に入れるためにはお金が必要だ。当たり前すぎる話だった。
ぼくは士官に頭を下げた。守錢奴じゃなかった。
「すみません。そこまで思い至れませんでした。わかりました。王様の身代金は『半血』から王国に支払います」
ぼくがあっさりと承知したので士官は驚いたようだ。
「そんな返事を勝手にしてしまって大丈夫なのか?」
「大聖堂の相手は任されています。問題ありません」
枢機卿たちに大聖堂から立ち退きをしてもらうために財産を餌とする話はマリアとヘルダに相談して了承を得ている。実は王国がごねるようなら金を払ってやれとも言われていた。
「ではよろしくお願いする。王国側では王国兵もオーク対策に動いている。怠けているとは思わないでほしい」
士官は重々しく答えた。
「失礼しました」
ぼくはもう一度頭を下げた。
マリアとヘルダに一連を報告するために二人と別れた。
※※※※※
『半血』からあてがわれたアルティア神聖国内の一室。王国士官が滞在中の住居であり同時に王国の在アルティア神聖国大使館だ。
部屋には王国の士官と部下である二人の斥候がいる。
もともと誰かの執務室であったらしい部屋には、いくつかの机と椅子、来客用のソファセットなどが置かれている。
扉を開けて繋がる隣の部屋には士官のためのベッドがある。斥候二人はこれまでどおり別の場所で寝起きしている。食事は『半血』と同様、炊き出しだ。
執務室で自分の椅子に座りながら士官は何気ない様子で斥候二人に問いかけた。斥候もそれぞれの椅子に座っている。
「バッシュくんは王国貴族になってくれるだろうか?」
そう問う顏はにやけていた。訊く前から答えは分かっているのだろう。
斥候二人は顔を見合わせて苦笑いだ。
「ならないでしょう。『半血』にもアルティア神聖国民にも彼は人となりを慕われています。王国で名ばかり貴族になる提案のどこに魅力が?」
一人が答える。
「だよなあ」と士官。「庶民に好かれている英雄様だ」
士官は少し考え、
「アルティア神聖国王にならばなってくれるかな?」
「「ならないでしょう」」
即答した斥候二人の声が重なった。
士官は深く息を吐いた。ぼそりと呟く。
「陛下から彼を王国に取り込めと言われている。英雄が身近にいてくれれば新たに王国民となるアルティア人を御するのに役立つだろう」
斥候二人の顔から急速に表情が消えていく。賛成、反対ではなく一切の人間的な感情が顔から消えた。諜報に携わる人間の顔立ちだ。
「取り込めないとなると陛下は外から元アルティア人を唆されないかと心配されるだろう」
斥候二人は言葉を発さない。
「我々は陛下の心を安んじなければならない」
士官は真面目な顔になった。
「自国の英雄は頼もしいが他国の英雄は存在が悪夢だ。不慮の事故を」
王国軍人に否はなかった。