第126話 心配事
王国と『半血』はアルティア神聖国との終戦条約締結に向けてそれぞれの要望を調整する必要がある。そのためにヘルダの旦那さんは王国に行ったわけだ。
ぼくと士官、王国の斥候二人はヘルダたちが待つ会議室へ場所を移動した。王国での最終的な調整結果を王国と『半血』で共有するためだ。
どちらの陣営にも王国で王を交えた調整会議に出席した人間が居るわけだけれども、今後、実際に大聖堂と交渉を行っていくにあたっての方針をすり合わせる必要はあるだろう。
というか、ぼくが知らなければならない。
結局、ぼくは士官からの叙爵の提案を受けずに保留した。
士官は残念そうな顔をしたが、安易に王国の提案に飛びつくのは危険だ。ぼくの得意なのらりくらりが、そう警告を発していた。
会議室にはヘルダとヘルダの旦那さんが先に入って席についていた。仲良く隣合って座っている。
「ヘルダ、旦那さん帰ってきてよかったね」
ぼくが言うと、
「馬鹿。こんな席で急にそんなことを言うな」
クールビューティーなヘルダが珍しく照れて見せた。
自分で揶揄っておきながら、そういえば旦那さんが王国に行っている間、ヘルダは張り詰めた様子だったなと、ぼくは思い至った。今は大事な打合せの前だというのに若干のゆとりを感じられた。夫が一緒にいて安心なのだろう。
「旦那のほうも早く奥さんに会いたがっていましたよ」
ヘルダの旦那さんと一緒に王国に戻っていた王国の斥候が、にやけた顔で口にした。
「やめろよぉ」と旦那さんは目を白黒とさせている。そのくらいの冗談を交わし合うくらいには斥候と旦那さんは仲良くなっていた。
ヘルダの右隣に旦那さんが座っていて、左隣の椅子が空いている。ぼくの席だろう。
「おや、バッシュ殿はこちらではないのかな。将来の王国貴族だ」
士官が勝手なことを言った。
ヘルダが一転して怖い目で士官を睨んだ。ぼくは割って入った。
「そちらに座るのはやめておきます。四対二になっちゃうし大聖堂に入る『半血』の人間がいなくなる。ぼくは『半血』の通訳ですから」
士官は肩をすくめた。
「仕方ないな」
初対面であるヘルダと王国の士官をそれぞれに紹介する。報告は済んでいるので王国であれば王に相当するマリアは、もちろん参加しない。本来であれば『半血』ナンバーツーのヘルダも士官では相手をするに畏れ多い立場の人間だ。
王国と『半血』からアルティア神聖国に対する絶対に譲れない要求は賠償金の支払いと領土の割譲だ。もし賠償金が払いきれるのであれば領土までは求めない。
それとアルティア神聖国王の身柄の引き渡し。
表向きの開戦の責任者にはきちんと責任を取ってもらう必要がある。
大聖堂が引き渡しを拒むのであれば大聖堂に身代金を要求する。身代金と呼ぶべきか何と呼ぶべきか要するにアルティア神聖国王の身柄を大聖堂がそのまま買い取る代金だ。
その場合でもアルティア神聖国王の交代は最低条件だ。もともと大聖堂からの承認が必要な傀儡の王だから大聖堂は交代を拒まないだろう。国を捨てて逃げたのだから、もう王ではないとも考えられる。なおさら責任を取ってもらわないと。
王の引き渡しも王の身代金支払いも大聖堂が拒否をするというならば、ぼくたちとしては大聖堂とアルティア神聖国はやっぱり一体の存在だったと判断するだけだ。
大前提であるアルティア神聖国と大聖堂が別物であるという公然の嘘が消えるので開戦責任者は教会トップの大教皇になる。実際は枢機卿だ。
「毒殺か断頭台か好きなほうを選ばせてやれ」
以前、マリアはそう言っていた。
アルティア神聖国王の首ならばともかく大教皇の首となると要求したところで大聖堂は絶対に了承できないはずだ。試しに枢機卿の首で我慢すると言ってみたらどんな顔をするだろう?
落としどころとしてアルティア神聖国内に大聖堂があることが問題の原因であるとして大聖堂の明け渡しと大教皇の国外退去に辿り着きたい。
王国での会議でまとまっていたそのような交渉の方針をあらためてこの場で共有する。
実際に大聖堂に足を運ぶのは、ぼくと以前も一緒に行った王国の斥候、それから士官だ。
その後は話題が変わり食料の輸送隊に対するオークの襲撃の話になった。
ぼくは実際に襲撃を受けたり襲撃された現場を通り抜けて王国から国都へやって来た三人から詳しい話を聞いた。
結構な人数のオークが部隊を率いて一箇所ではなく同時多発的に輸送路上の各地で襲撃を繰り返しているらしい。偶々の襲撃ではなく王国が国都へ大規模な食料の輸送を開始したのだと察して完全に目を付けられたようだった。
現地にはジョシカとルンの部隊が既に向かっている。
もちろん王国側も護衛の兵を増員した上、荷馬車の数も増やしている。
とはいえ、オークの拠点を壊滅させるという根本的な解決までには日数が必要だ。
当面は荷馬車に手厚い護衛部隊を付けて輸送するしかない。
襲撃に備えるための慎重な輸送には日数がかかるし実際に襲撃があれば、さらに時間がとられるだろう。
輸送日数が増えた分だけ輸送中に輸送部隊、護衛部隊が消費する食料も多くなる。その分、一回当たりの輸送で実際に国都まで届けられる食料の量は少なくなる。
もちろん『半血』居留地側からの輸送は増やすが不足分全ては賄えない。
「炊き出しが止まっちゃうかな?」
ぼくの心配事はそれだ。
事情は話すが万一本当に炊き出しが止まったならば一旦は元気になった国都の人々が暴動を起こす可能性はあるだろう。誰だって以前の飢餓状態には戻りたくない。
とはいえ暴動を起こされたところで、ない食料はないのだが。
そうなる前に、ぼくは食料があるはずの王国へ動ける国都の人々を向かわせなければならなくなる。
オークにすればその人々こそが食料だ。襲い放題になるだろう。
かといって国都で暴動を起こさせて鎮圧してしまうわけにもいかない。
「止めたくはない。王国からの輸送が安定するまでは水増しで対応するしかないだろう」
ぼくと同じ想像をしたのか悲痛な声でヘルダが答えた。
『炊き出しのバッシュ』は、どうするべきか?