第118話 孤島
「市民とは違って甘いものを楽しむ余裕があるのですから、そう不自由ではないでしょう」
蜂蜜もミルクも入れずに、ぼくは、ふうふうと息を吐いて、ゆっくりとお茶に口をつけた。
大聖堂はマリアとの交渉窓口を欲しがっている。
まさか菓子や茶に毒は入っていないだろう。交渉の余地が潰えてしまう。
「ぼくのほうこそ変なとばっちりで家に帰れなくなり酷い不自由をしています。アルティア教徒の裸猿人族以外への差別も王国への侵略も、どちらも大聖堂のご意向ですよね?」
「それはひどい誤解ですな」
枢機卿は憤慨して見せた。
「アルティア大聖堂は立地こそアルティア神聖国の国都の内側にありますが世俗の国家とは独立した存在です。アルティア神聖国に何かをさせるような力はありません。むしろ我々は『半血』と神聖国、王国と神聖国の関係の悪化を懸念しています。アルティア神聖国王も国民の飢えに悩んでおったのでしょう。それで王国への侵略という間違った解決手段に。とはいえ国王が国民を思っていた気持ちもまた確か。教会としては三者の和解の仲立ちをしたいと考えております」
ぬけぬけと言い放った。
ぼくのむかむかは橋からずっと続いている。
「でもそれって嘘ですよね?」
思っていたよりもきつい言葉が出てしまった。
「ぼくに交渉役を望んでいるみたいだけれど『半血』のマリアは嘘つきとは話をしませんよ」
ぼくは隣に座る王国の斥候に顔を向けた。建前上、王国の斥候は、ぼくの付き添いの友人ということになっているけれども実際はそうではないと枢機卿も分かっているだろう。
「もちろん王国もです」
斥候は涼しい顔で頷きながら口を開いた。
「現在、王国は王国から食料を輸送して国都周辺の流民へ炊き出しを実施しています。何分必要な量が多い上、輸送距離も長く、時折オークの襲撃による損耗もあるため実施に当たっては苦労をしているところです。当然、炊き出しにかかった費用は開戦の責任者を特定して請求することになるでしょう」
枢機卿は顏を顰めた。大聖堂が開戦の責任者であるとは認めたくないのだろう。
「アルティア神聖国に支払う余裕はないでしょうな」
あくまでアルティア神聖国のせいだと言い張った。
「そう思ったので王国と『半血』で領土を分け合うことにしました」
こう、と、ぼくは空中に大きな丸を描いて見せた。
「アルティア神聖国があるとして国都はここです」
空中に描いたつもりのアルティア神聖国の上の方、国都の場所を指さす。
「王国から国都の南端までが王国領、国都の北端から海までが『半血』の領土になります。アルティア神聖国には国都そのものと国都の東西端から東西の海までの細いベルト状の部分を残します」
言葉に合わせて、ぼくはそれぞれの領土の範囲とアルティアベルトを空中に指で描いた。
枢機卿は目を見開き絶句した。
その後、溜めた息を吐き出すように重々しく言葉を吐いた。
「大聖堂へは世界中から巡礼者が訪れます。物品の輸入もあります。『半血』領となる港街からここまでの通行は認められるのでしょうな?」
「アルティア教徒は裸猿人族以外への差別が酷いので無理じゃないかな」
ぼくは答えた。
枢機卿は王国の斥候に視線を移した。
「王国と神聖国は元々不仲です。現在も巡礼目的での通行は認めていません」
「我々を陸の孤島にするつもりか?」
枢機卿の手は、わなわなと震えていた。怒りのためか恐怖のためかは、ぼくには分からない。もしも恐怖のためだとしたら安心させてあげる必要があるだろう。
「大聖堂はアルティア神聖国とは別の国なのだから元々陸の孤島じゃないですか。今だって国都の惨状はさておき自分たちが食べる分だけは確保されている。きっと大丈夫ですよ」
ぼくの言葉に枢機卿は聖職者らしくもなく声を荒げた。
「そのようなふざけた条件を呑めるものか!」
テーブルをダンと叩く。
皿に盛られたクッキーとマドレーヌがいくつか零れ落ちた。お茶が跳ねる。
大教皇がびくりと身を震わせた。
ぼくと王国の斥候は黙って顔を見合わせた。
枢機卿に向けて顔を戻す。
ぼくは、ぼくを睨みつけている枢機卿に告げた。
「大聖堂が何かを呑む必要はありませんよ。確認ですがアルティア神聖国による王国への宣戦布告と大聖堂は無関係なんですよね?」
「もちろんだ」
「でしたらアルティア神聖国と『半血』と王国の三者で話をしますので大聖堂の了承は必要ありません。通行や輸入の話は、こちらの話が終わった後でアルティア神聖国と相談してください。アルティア神聖国にも東西に海がありますから」
「そのあたりは確か断崖絶壁であったはずだ。海へは降りられん」
枢機卿は憮然と吐き捨てた。
「そうなのですか? アルティア神聖国内の地形に精通しておらず申し訳ありません」
ぼくは、いかにも申し訳ないといった素振りで謝った。話を変える。
「ところでアルティア神聖国王をこちらで匿っておられますよね?」