第116話 猊下
「大聖堂内への刃物の持ち込みは禁じられております。お腰の物を預からせてはいただけませんか?」
大聖堂の警備兵が恐縮した顔で、ぼくに言った。
そりゃ、そうだろう。
むしろ、神官は、よくここまでの剣の持ち込みを認めてくれたものだ。最終的に、この場で取り上げる予定だったからこそ、ここまでの帯剣を見逃してくれていたのだろう。
もし跳ね橋の段階で剣の持ち込みを拒否すると、ぼくたちが本当に帰ってしまうと考えたのかも知れない。大教皇に呼びつけられたからといって、ぼくに従う筋合いは本来ない。
とはいえ、ある意味マリアからの教会への潜入指示の側面もあるから、ぼくも大教皇に会わずに引き返す気はなかった。跳ね橋での剣の受け渡し拒否は、ぼくのささやかな抵抗だ。
帯剣したまま大教皇に会えるわけがない。そんなのは常識だろう。どこかの段階で剣を預けるように迫られるのは覚悟していた。
ぼくは、ちろりと神官の顔を見た。
神官は、ばつの悪そうな顔をしていた。
何か言い訳をしようと口を開きかけたが「仕方ありませんね」と何も言わせずに、ぼくは警備兵の言葉に応じた。鞘ごと剣を手にすると受け取ろうと近寄って来た警備兵に差し出す。
「大切に扱ってくださいね」と神官に念を押した。ジョシカにもらった剣だ。
「もちろんです。君たちも分かっているな」
「はい」と警備兵は恭しい態度で、ぼくから剣を受け取った。
王国の斥候も、ぼくの動きに倣って剣を預けた。
「失礼。身体検査もさせていただきたいのですが」
もう一人の警備兵が、やはり恐縮した様子で言葉を告げた。
当然、予想された内容だ。
「いいですよ」
ぼくは中途半端な万歳をするように両手を上げた。
「すみません」
一言、断りを入れて、隠している武器はないかと、ぼくと王国の斥候の体に触って警備兵が確認をした。少なくとも、ぼくに隠している物はない。
「では、中へ」
ぼくたちは階段を登っていく神官の後を追う。
大聖堂の警備兵二人が後に続いた。
門から一緒に歩いて来た教会直轄兵たちとは階段の下でお別れだ。そういう役割分担なのか、本来、壁を守る役目の教会直轄兵たちには大聖堂に入る資格がないためなのかはわからない。
大聖堂の警備兵のうち一人は建物に入ったところで、ぼくたちの剣を持って、どこかへ消えた。剣を保管しに行ったのだろう。一人は、ぼくたちについて来た。
そのまま神官に豪華絢爛かつ迷路のような宮殿の中を引きまわされた。
ここはなに、あれはなに、と神官からの説明が続いていく。
アルティア教の歴史がどうとか大陸一の蔵書を誇る図書館がどうとか、そんな話も口にしていた。
絶対に、わざと長い距離を歩かされているのに違いない。多分、アルティア教の凄さを部外者のぼくたちにそれとなく知らしめるためだろう。これから対面する大教皇に対して、ぼくたちが自然と敬意を感じるようにしたいのだ。
ぼくたちは無駄に重厚な木製の扉がある部屋に案内された。
神官がノックした。
「『炊き出しのバッシュ』様をお連れしました」と神官が中に囁く。
そこはただの『バッシュ様』で良いのではないだろうか。確かにアルティア神聖国民に対する炊き出しの実行役に感謝したいという話だったけれど。
神官の手で扉が外側に開かれた。
「私はこれで」
神官が、ぼくを部屋に入らせるべく横に避けた。
「ご苦労様」
ぼくは神官と警備兵とお別れをした。
ぼくは室内に足を踏み入れた。
中の様子を確認するよりも早く足首が何センチか沈みこんだ。
足元を見る。
今まで踏んだ経験のない毛足の長い高級そうなカーペットが敷かれていた。
王国の斥候も続いて部屋に入った。
ぼくたちの背後で扉が閉じられた。
ぼくは顔を上げ、目の前の意外な空間に「あれっ」と思った。
入った部屋は、さほど広くもない食堂だった。
てっきり大教皇の執務室にでも案内されるのだろうと思っていたが、実際に案内されたのは執務室でも来賓たちとの晩餐会が開かれるような大広間でもなく、普通にプライベートで食事をとるような空間だ。大教皇だって普段は個人的に食事をとるだろう。少なくとも公式行事に使う部屋ではない。
室内には分厚い一枚板の木製のテーブルが置かれていて長辺側の二辺に二脚ずつ椅子が並んでいる。要するに四席だ。
実際は四人よりも多い人数で使える広さのテーブルだが余分な椅子を片付けて今は四人で使うようなレイアウトにされていた。
四人分のランチョンマットが敷かれているが凶器への転用が可能なナイフやフォークの用意はなかった。
ぼくたちに近い扉側の二席は空席だがテーブルを挟んだ対面には先客が二人座っていた。
十歳くらいの少年と四十過ぎに見える男性だ。
男性の左に少年が座るという並びだった。
少年と男は真っ白い法衣を纏っている。
二人とも何と言うか、とてもふくよかな体つきだ。
ぼくたちを案内してくれた神官もふくよかな体型をしていたが、ここにいる二人は控えめに言って、さらにとてもふくよかだった。真ん丸で、ぱつんぱつんだ。
ぼくたちが部屋に入る動きに合わせて二人が立ち上がった。
白い法衣の丸い男が恭しく口を開いた。
顎の下には山羊のような髯が生えている。
「私はカシュー。アルティア教会の枢機卿です」
「探索者のバッシュです」
知ってはいるのだろうが余計な刺激になると思ったので『王国の探索者』とは言わなかった。『半血』であるとも名乗らない。腕に『半血』の腕章はしているが。
相手のご希望は単に裸猿人族である『炊き出しのバッシュ』氏だ。
だからといって自分でそんな恥ずかしい二つ名は名乗れなかった。自分一人の成果などとは思っていない。
枢機卿とは確か大教皇に助言を行う立場の役職であるはずだ。教会の序列第二位。
とはいえ、ぼくはアルティア教の信者ではないので相手が誰であっても教会の偉い人だからというだけの理由で頭を下げるつもりはなかった。
念のため釘を刺しておく。
「作法を知らないので失礼がありましたらすみません」
カシュー枢機卿が、にこりと笑った。顎の下の肉が、たぷりと揺れる
「ここは私的な場所です。守らねばならない作法などありませんよ」
「良かった。実は一人では心細かったので友人に付き添いを頼みました」
王国の斥候を友人として紹介する。
「王国からの新しい友人を歓迎します」
教会には教会独自の情報収集手段があるに違いない。
何をつかんでいて何をつかんでいないのか分からないけれども枢機卿は王国の斥候を、ぼくの付き添いの友人として、にこやかに受け入れた。
現状、王国の斥候は、この地での王国側責任者だ。
「それで、ぼくにどのような御用でしょう?」
「猊下が国都のアルティア教徒を飢えから救った英雄に、ぜひお礼を言いたいと仰せです。さて」
カシュー枢機卿は少年をぼくたちに紹介した。
「こちらはアルティア教の精神的指導者であり、『天に登りし大アルティア』の御血脈であられるノマネ・アルティア八世猊下です」