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011

粘つく不安の中で夜は過ぎた。深淵(しんえん)の怪物の咆哮(ほうこう)は二度と響かなかったが、その残響(ざんきょう)は空気にも骨にも、大地そのものに染み付いていた。穴は眠らない。静かに(うめ)き、何かを呟き、歯軋(はぎし)りを続けている。


 最初の光が闇を突き刺した時、俺はもう眠ってはいなかった。ただ目を開けたまま横たわり、冷たい泥が体から最後の熱を吸い取っていくのを感じていた。朝は安堵をもたらさなかった。それはただ、悲惨さを目に見えるものにしただけだ。二つの太陽――一つは黄金色、もう一つは錆びた色合い――の光が混じり合い、病的(びょうてき)で不自然な照明を作り出していた。


 日課は号令なしに始まった。動ける者たちは壁際まで這って後ずさり、中央を空けた。待つという行為は、悪臭よりも重く、空気中に垂れ込めていた。


 聞き覚えのある軋む音が響いた。


 ギィィィィ……ゴリゴリゴリ……。


 (あな)の中の全ての(あたま)が、まるで太陽(たいよう)()かう向日葵(ひまわり)のように、一斉(いっせい)に上を向いた。


 開口部(かいこうぶ)に影が覆いかぶさる。巨大で、形の定まらない肉塊(にくかい)。ホルグだ。それが名前なのか(のろ)いの言葉なのかは分からないが、他の奴隷(どれい)たちは、彼が俺たちに残飯(ざんぱん)を投げ込むたびにその音を吐き出していた。彼は(つば)を吐き捨て、その(かたまり)は泥の中にべちゃりと落ちた。


 だが今回、彼は一人ではなかった。


 彼の隣に、もう一つの人影(ひとかげ)が立っていた。細く、まっすぐな。全く異なるシルエット。少女だった。


 腰の曲線、そして体にぴったりとフィットした革のコルセットが胴回(どうまわ)りと胸を包み込み、鮮やかで自信に満ちた輪郭(りんかく)を作り出していることからそれが分かった。髪は後頭部(こうとうぶ)でまとめられているが、数本の銅色(あかがねいろ)の髪がこぼれ落ち、まるで熱せられた針金(はりがね)のように太陽の光を浴びて燃えている。頭にはバンダナを巻いていた。鮮やかな赤いバンダナは、この灰褐色(かいかっしょく)腐敗(ふはい)した世界への挑戦のようだった。


 俺たち家畜(かちく)怠惰(たいだ)見下(みお)ろしている看守(かんしゅ)とは違い、彼女は何か別のことに集中していた。両手は体の前にあり、その中には何か小さく黒いものがあった。それは光を捉え、素早く神経質(しんけいしつ)なきらめきを放っている。この距離、この穴の暗がりからでは、それが何なのか判別(はんべつ)できなかった。石か? 骨のお守りか? 金属の小物(こもの)か?


Ni Val(ニ・ヴァル), Fae(フェイ). Mik Vras(ミク・ヴラス)Ni Tul(ニ・トゥル…)…」看守(かんしゅ)下品(げひん)に鼻を鳴らし、鉤付(かぎつ)きの(やり)の先で俺たちの方を指した。


 少女は彼の方を見ない。彼女は手の中の物を見つめている。


Taciasio(タシアシオ)!」彼女の声は穏やかだったが、そこには(はがね)の響きがあり、物理的な衝撃のように俺を打った。「Valiam(ヴァリアム) kistasio(キスタシオ), Omaas(オマース)Sio(シオ) Osaram(オサラム) visa-osa(ヴィサオーサ); Illom(イロム) Sioka(シオカ) visasio(ヴィサシオ)!」彼女は手の中の発見物から目を離さずに尋ねた。


 それは、俺がこれまで聞いてきた無骨(ぶこつ)で、吠えるような言葉ではなかった。それは「言葉」だった。旋律的(せんりつてき)で、流れるようで、澄んだ母音(ぼいん)を持つ。もし「あの」言葉が石をこする音だとしたら、彼女の言葉は小川のせせらぎだ。一言も理解できなかったが、その響きの音楽性はこの地獄の中であまりにも異質(いしつ)で美しく、一瞬、自分は死んで、これは何かの奇妙で皮肉な幻覚(げんかく)なのだと思った。


 看守(かんしゅ)は不満げに(うな)り声を返した。彼は再び(やり)を突き出し、今度はまっすぐ俺を指した。


「…Skav(スカヴ)…」ホルグは慌てて頷き、俺を指さした。


「スカヴ」という言葉が耳を切り裂いた。それは「ヴラス」(奴隷)ではなかった。ホルグはその言葉を、まるで痰の塊でも吐き出すかのように、特別な軽蔑(けいべつ)を込めて吐き捨てた。烙印(らくいん)を押されたのだ。


Osar(オサル)Ni() Nam(ナム)Ni() Sel(セル)Othgon(オスゴン)。」ホルグは肩をすくめながら繰り返した。


 少女は彼を無視した。彼女は例の物を持った手を下ろし、(あな)(ふち)へと一歩踏み出した。彼女の視線が奴隷たちの姿を滑り、そして俺の上で止まった。


 その視線は、遠くからでも感じられた。()()るような、探るような視線。そこには、かつてイリイチ先生が珍しい鉱物(こうぶつ)や未知の昆虫(こんちゅう)を観察する時に見せたのと同じものがあった。純粋で、曇りのない研究者の好奇心。俺は人間ではなく、ただの謎だった。


Kruia-is?(クルイア・イス?)」彼女は短く問いかけた。


 看守(かんしゅ)は肩をすくめ、また何か鼻を鳴らした。その時、奇妙なことが起きた。少女は舌打(したう)ちをした――鋭く、()れたような音――この会話にうんざりしたようだった。


 看守(かんしゅ)にいくつかの短い言葉を投げかけ、彼の甲高(かんだか)い、まるで鳴き声のような抗議を引き起こしたが、彼女はそれを短く、権威(けんい)のある一言で断ち切った。


Sioyen(シオイェン) valia!(ヴァリア!)


 そして、素早く洗練(せんれん)された動きで、腰から小さな革の水袋(みずぶくろ)を解き、それを下へ投げ落とした。


 それは泥の中に、べちゃりと音を立てて落ちた。俺の真正面(まっしょうめん)に。


 (あな)の中は、死が訪れたかのように静まり返った。


 頭上でホルグが怒りに満ちた、言葉にならない罵詈雑言(ばりぞうごん)を爆発させたが、少女はただ彼を無視した。


 彼女は最後にもう一度俺に視線を投げ、そして(きびす)を返して去っていった。彼女の用は済んだのだ。


 そして俺の用は、と一秒遅れて悟った、始まったばかりだった。なぜなら、(あな)の中の沈黙は終わり、数多(あまた)()(くぼ)んだ目が俺を見つめていたからだ。


 彼らと水の間に横たわる、唯一の障害物として。


—————————


沈黙(ちんもく)の一秒が、永遠(えいえん)に引き伸ばされた。


 水袋は泥の中に転がっていた。あまりにも場違(ばちが)いな物体。清潔すぎて、価値がありすぎて、希望に満ちすぎている。何かの油を染み込ませた滑らかな革は、光の斑点の中で鈍く輝き、まるで豚小屋に投げ込まれた宝石のようだった。それは、この穴にいる全ての生き物にとって、世界の中心だった。


 そして、その宇宙は爆発した。


 湿った嗚咽(おえつ)のような音――数十の体が同時に場所を飛び出した音だった。


 最初に反応したのは「カニ」だった。あの痩せこけて、常にびくびくしている生き物は、腐肉漁(ふにくあさ)り(スカベンジャー)の驚異的(きょういてき)な反応速度を持っていた。彼は甲高い、鼠のような悲鳴を上げ、四つん這いで突進した。悪臭を放つ泥のしぶきを噴水のように巻き上げ、その骨張った指はすでに獲物を掴むために鉤爪(かぎづめ)のように曲がっている。


 彼の後ろから、ついさっきまで半死半生(はんしはんしょう)に見えた者たちが、まるで鎖を解かれた犬のように突進してきた。獣のような優雅さと獰猛(どうもう)さを取り戻して。


 隅で音もなく泣いていた女は、今や唸り声を上げながら地面を這い、その顔は動物的な強欲(ごうよく)の仮面に歪み、鬼女(きじょ)へと変貌(へんぼう)していた。


 俺は、動けなかった。


 自己保存(じこほぞん)の本能が俺を麻痺(まひ)させた。冷徹(れいてつ)で、切り離された俺の脳は、すでに結末を計算していた。俺は水袋に最も近い――わずか半メートルの距離だ。だが俺は『Ni-Tul(ニ・トゥル)』。ここから動くことは、自らの死の宣告に署名するのと同じことだ。俺の唯一の武器だったマルチツールは、もうない。


 もし手を伸ばせば、腕を引き千切られるだろう。そしてこの泥の中に踏みつけられ、たった一口のために押し潰され、引き裂かれる。俺はぬるぬるした丸太に体を押し付け、壁の一部、影の一部になろうと努めた。


 だが、俺は彼らの進路上にいた。


「カニ」が最初にたどり着いた。彼は水袋を掴まなかった。俺に飛びかかってきた。彼の目的は水ではない――競争相手の排除(はいじょ)だ。骨と皮ばかりの指が俺の肩に食い込んだ。


Sel(セル)Sel(セル)!」彼は金切り声を上げ、水袋と自分の胸を交互に指さした。


 俺はとっさに左腕を突き出し、彼の胸を押し返した。力はほとんど入らない。ただ、早く終わってほしいと願うだけだった。


 ビチャビチャビチャ。ゴスッ。


 打撃音(だげきおん)は鈍く、重かった。まるでセメント袋が濡れたアスファルトに落ちたかのようだ。


 続いて――悲鳴。


「カニ」の、鋭く、痛みと侮辱(ぶじょく)に満ちた金切り声が響き、俺は思わず目を開けた。


 目の前に、光を遮って、紫色の筋肉の山がそびえ立っていた。


 巨人は走らなかった。ただ立ち上がり、二歩進んだだけだ。だが、その二歩には列車の慣性(かんせい)が宿っていた。

俺と水袋にたどり着いた「カニ」は、今や隅で転がり、無造作(むぞうさ)な一突きで弾き飛ばされ、顔を泥に突っ込んで、ぶくぶくと呻き声を上げていた。


 獣人(じゅうじん)は泥に(かかと)をめり込ませて急停止し、威嚇(いかく)の声を上げたが、それ以上近づこうとはしなかった。残りの者たちは半円状に凍りつき、渇きと憎悪(ぞうお)に燃える目で、荒い息をつきながら、争いを止めた。


 巨人は水袋の上に立ち、群れをゆっくりと見渡すと、低く唸った。その音は、彼の広い胸の奥深くから響いてくる。彼の目に怒りはなく、ただ重く、圧し潰すような警告だけがあった。


 群れは後ずさった。一歩、半歩……だが、確かに後ずさった。


 彼は身をかがめた。ショベルカーのバケットのような巨大な(てのひら)が水袋を覆う。彼の手に握られると、それは小さなおもちゃのように見えた。彼はそれを持ち上げ、ゆっくりと、念入りに泥を拭った。


(今、彼がすべてを飲む)


 俺はそう思った。それが強者の権利。ジャングルの掟。この穴の掟だ。


 だが巨人は、飲み口を自分の口元へとは運ばなかった。


 彼はゆっくりと、俺の方へ向き直った。


 俺は息を止めた。心臓が喉のあたりで、大きく痛々しく鼓動している。視線は彼の傷跡、首に食い込んだ鉄の首輪、そしてその上の重々しい下顎(したあご)に釘付けになった。


 彼は泥の中を重い足取りで、ゆっくりと近づいてきた。俺は目を固く閉じ、拷問(ごうもん)を終わらせる蹴りか殴打(おうだ)を待った。


 しかし、来たのは声だけだった。


Nas(ナス)


 石臼(いしうす)を挽くようなその声が、ゴロゴロと響いた。

俺は片目を開けた。巨人は水袋を革紐で持ち、俺の顔の前で振り子のように揺らしていた。


 穴の中には、耳鳴りのような静寂(せいじゃく)が垂れ込めていた。隅で「カニ」が荒い息をつく音だけが、それを破っている。今や全ての視線が、彼と、そしてもちろん俺に注がれていた。だが俺の視線は、理解できないまま巨人に釘付けになっていた。これは罠か? 冗談か? それとも、新鮮な水を飲みながら俺を殺して喰らう前の、ただのいたぶりか?


Sel(セル). Nas(ナス)!」


 巨人は焦れたように吠え、水袋を俺の胸に突きつけた。


 本能は、理性よりも速かった。


 震え、弱りきった俺の両手は勝手に跳ね上がり、泥と血にまみれた指が、湿った冷たい革に触れた。中の水の重み、その揺れを感じた。


 俺はそれを顔元まで持ち上げた。濡れた革と埃、そして掴みどころのない異質な匂いがした。震える手で、かろうじて木の栓を抜く。あまりの震えに、貴重(きちょう)な中身をこぼしてしまうのではないかと恐れたが、俺は飲み口を唇へと運んだ。


 最初の一口は痛みであり、酸だった。ひび割れた粘膜(ねんまく)が燃え上がり、俺は咳き込み、むせ、貴重な液体が顎を伝って首の泥と混じり合った。


Tac(タッス)!」


 巨人が俺の肩を軽く揺さぶり、こぼすのを止めさせた。


 俺は無理やり動きを止め、震える息を抑え、二口目を――ゆっくりと、慎重に――飲んだ。


 冷たい(しずく)が舌に触れた瞬間、世界が裏返るようだった。痛みも恐怖も悪臭も(おり)の気配も、一瞬で遠ざかった、俺はただそれと、生々しく、金属質で、土の香りがする水と、一対一で向き合っていた。美味ではなかった――だが、それは本物だった。


 それは乾ききった喉を流れ落ち、俺はその動きを――(うち)なる灰を洗い流す、生命の炎のように、一センチ一センチ感じ取った。体は口ではなく、細胞(さいぼう)の一つ一つでそれを吸収しているようだった。長い不動で(きし)んでいた関節(かんせつ)が徐々に静まり、頭の中の霧が晴れ始め、固く結ばれていた胃が感謝するように緩んでいく。これは単なる一口の水ではなかった。生命と理性を、一口に凝縮(ぎょうしゅく)したものだった。


 俺はもう一口、さらにもう一口飲んだ。最後の一滴まで、まるで水袋の革そのものから水分を吸い出せるかのように、全てを飲み干したかった。だが、誰かの手が俺の手首を掴んだ――鉄のように硬く、確かな手だった。


 巨人は水袋を奪いはしなかった。ただ、俺の力の抜けた指から、そっとそれを取り上げただけだ。


Gal(ガル)」と、彼は呟いた。


 巨人はそれを自分の唇へと運び、大きく、喉を鳴らして一口飲んだ。俺は自分の命が消えていくのを見ていたが、恨みは感じなかった。彼はこの水を守り、分け与えてくれた。彼にはその権利がある。やがて彼は唇を離し、手の甲で口を拭い、中身を確かめた。まだ少し――おそらく、あと二口分ほど残っていた。


 彼は、その一挙手(いっきょしゅ)一投足(いっとうそく)を見守っていた群れを一瞥(いちべつ)した。そして、水袋を穴の中央へと放り投げ、吠えた。


Sel(セル)!」


 巨人は振り返り、一言も発さずに、石の玉座へと戻っていった。


 混沌(こんとん)が再び訪れた。体と体が絡み合い、金切り声と噛みつく音が響く。「カニ」がまた中心にいて、革から一滴でも絞り出そうと必死だった。だが、それはもう俺には関係のないことだった。


 俺は壁際で座り、腹の中に温もりが広がっていくのを感じていた。肩の痛みは消えなかったが、より鋭く、明確になった――神経系が(よみがえ)っている証拠だ。水は、単に俺を脱水症状から救っただけではなかった。それは、生存本能だけでなく、思考する能力を俺に返してくれたのだ。


 この穴に落ちて以来初めて、俺の脳は問いを形成した。『何が起きているか』ではない。『なぜだ』という問いだった。


 俺は、俺から二メートル離れた石くれの上に無関心に座る巨人の横顔を見た。


 なぜ彼は、俺が引き裂かれるのを止めさせた? なぜ俺に――『Ni-Tul(ニ・トゥル)』、無価値な肉塊(にくかい)に――水を飲ませた? これは優しさではない。この世界に優しさなど存在しない。


 少女が水を投げ入れた時のことを思い出した。彼女は俺と視線を交わし、看守(かんしゅ)を黙らせた後に、それを俺に投げた。そこには意志と決断があった。巨人は、ただ……秩序(ちつじょ)に従っただけなのか?


 水は『スカヴ』のものだった。ならば『スカヴ』がそれを受け取るべきだ――彼が弱いか強いか、明日まで生きるか一時間後に死ぬかに関わらず。


 奇妙で、(ゆが)んだ(おきて)。あるいは、配給をきっちり分配することに慣れた、ただ几帳面な囚人。


『スカヴ』。その言葉が頭の中で渦巻いていた。看守(かんしゅ)は、まるで額に烙印(らくいん)を押すかのように、特別な軽蔑(けいべつ)を込めてその言葉を吐き捨て、俺を指さした。それが何を意味するのかは分からないが、その響きは『Vras(ヴラス)』(奴隷)よりも酷いものであることに疑いの余地はなかった。汚らわしく、無価値なもの。


 だが彼女は……彼女は俺をそう呼ばなかった。彼女は別の、音が水のように流れる、旋律的(せんりつてき)な言葉で話した。『Omaas(オマース)』。水袋を投げる前に、彼女は俺をそう呼んだ。彼女は(ほどこ)しを与えたのではなかった。苛立たしい口論を終わらせるために、骨を投げ与えただけだ。あるいは……何か別の意味があったのか?


 なぜ彼女はそうした? そして巨人は――なぜ彼は水を俺に渡した? それは慈悲(じひ)ではない。この世界にそんなものはない。野蛮な(おきて)か? 主義か? それとも彼はただ、俺がどうするかを見たかっただけなのか?


 俺は汚れた袖で濡れた顎を拭った。舌で唇をなめ、残った水分をかき集める。唇はまだひび割れていたが、もはや自分のものとは思えないほどではなかった。


 二日間で初めて、俺は恐怖と痛み以外の何かを感じていた。


 興味を。


 彼女は何者だ? なぜ『Ni-Tul(ニ・トゥル)』に用がある? 彼女はホルグが見落とした何かを、俺の目に見たのか? そしてなぜ巨人は、群れから俺を守り、彼女の選択を支持することに決めたのか?


 答えはなかった。だが、問いそのものが、俺を純粋な動物的本能の泥沼から引きずり出す、(いかり)となった。


答えは分からなかった。だが、それを探す理由ができた。


 俺はぬるぬるした丸太に頭をもたせかけ、目を閉じた。地面の振動が、また強まり始めた――海に潜む怪物、トゥル=トゥ=カハルが、満ち潮と共に目覚める。だが今日、俺の内側には、その轟音(ごうおん)に対抗できる何かが芽生えていた。


 ほんの半口分の水と、いくつかの問い。希望や自由にはほど遠いが、もう一夜を生き延び、明日を迎える理由としては十分だった。


「……ありがとう」


 俺は、唇だけでそう囁いた。


 巨人は振り向かなかった。だが、その耳――引き裂かれ、傷だらけの耳が――かすかにぴくりと動いた。聞こえたのだ。そして、殴ってはこなかった。


 この穴倉(あなぐら)が我が家である世界では、それだけで友情に等しいのかもしれないな、フン。

 もう、ただの光が見えているわけではなかった。赤いバンダナの下からはみ出した、あの赤銅色(しゃくどういろ)の髪の一房を思い出す。


 記憶の中で、彼女の声が響いた。


Sioyen(シオイェン )valia(ヴァリア)


 『我が意志だ』――そうだ、そんな響きだった。単なる『私が望む』じゃない。まるで船長が下す命令のような、有無を言わさぬ響きが。

混濁(こんだく)した頭が見せる幻覚(げんかく)かもしれないが、それでも分かった。彼女は、奴らとは違う。


 話し方も、眼差しも。

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