七 結婚問題
「みやすこさん、朱雀院様はどのような事をお話になっていらっしゃいましたか?」
古参の女房としてみやすこさんが朱雀院の所に呼び出されて、戻ってきた時彼女は疲れた様子を見せていて、何か悪いことでもあったんじゃないかと心配してしまった。
あたしの様子を見てからみやすこさんは、菫子様がお休みになった後に、この宮に務めている全ての女房……つまり大量の鬼とあたしを集めて、こう言った。
「菫子様のご結婚の相談でしたわ。朱雀院様はこのたび出家したいとのお望みがある様子でいらっしゃるのですが、そうすると後ろ盾のない菫子様を宮中に残さなければならない、とお悩みだそうです。そのため、どのようなお方なら菫子様の夫としてふさわしいかというお話を、わたくしと蔓紫の母である乳母殿に」
「おばさまもお呼び出しされたのですね」
おばさま、あたしの実の母親と言う立場の人は、今日この日までしっかり、菫子様にお仕えしている。ただ身分が低いというのは仕方のない事なので、遊び相手でもあるあたしと違って、距離がある場所で務めているけれども。
「わたくしは幼い頃から菫子様を見守っていましたけれども、乳母殿の方がその歴は長くいらっしゃるので、二人の人間の意見を聞きたかったそうです」
「それでそれで、菫子様にふさわしい夫の候補はどなた達でいらっしゃる?」
にやにやと鬼らしく笑う女童の振りをした小鬼達。そのにやついた、完全に面白がっている顔にみやすこさんが手厳しく
「顔をそのようにみっともない物にしてはいけません。あなた方、菫子様の品格が問われますよ」
と言われて、にやにやをいったん引っ込めた。この場所では、一番みやすこさんの何か奇怪な力が強いとのことで、小鬼達もみやすこさんの言葉にはよほどのことがないと逆らわなかった。
「幾人かの候補が上がっていらっしゃいました。源氏の大将の息子でいらっしゃる夕霧様や、大臣家の跡取りでいらっしゃる柏木様、そのほかにも複数のそれなりの身分の方々……」
その誰もが、菫子様の血筋の格を考えると劣っているのは間違いない。
皇女が劣った血筋に嫁に出されて、そのことで矜持が傷つき悩み苦しむという話は、どこにでも転がっている話だ。例外的なのは……柏木様のお祖母様くらいだろうか?
「しかし、父君のお計らいで結婚しなかった場合、菫子様に不届き者が現れたら、それの方が菫子様にとっては大変な屈辱であり、世間の笑いものになる結末となります」
自分の心で結婚する事と、親の指示で結婚する事には、天と地ほどの周りの考えの差が生まれるとされているのは、貴族の間では常識だ。
親の指示で結婚して不幸になったらそれは、かわいそうな運命であって女の人の責任じゃない。
でも、自分の考えだけで結婚して不幸になったら、それは女の人の責任であって、世間の笑いものになる。
という考えだ。それ位の差が出来てしまう。
みやすこさんが困るのは、菫子様が独身を貫き、もしも女房達の目を盗んで良からぬ男が通うようになったら、それが菫子様を大いに傷つける事になると知っているからである。
「本当に、世間の目という物は女の結婚に厳しいのですよ」
みやすこさんはどこか実感がある様子で言う。……女鬼になる前に、彼女は何かごたごたがあったのだろう。詳しく聞くのは、彼女の心を傷つけるからした事もない。そもそも彼女はその詳細を覚えてないだろう。
「候補達の問題点は」
女房の一人、女鬼の中でもそれなりに冷静に物を見る一匹が問いかける。
みやすこさんはため息をついた後にこう言った。
「夕霧様は心に決めたお方と結婚する前だったら、十分にふさわしかったのだから、匂わせておけば良かったと。柏木様はこの上なく菫子様に理想があるご様子で、心奪われている様子だけれども、身分が低くて問題になると。他の者達は、菫子様を大事にしないのではないかと言う評判があると却下」
「では、理想の夫の方はいらっしゃらないのでは?」
「……お一人、すこし年が離れていらっしゃるけれども」
「だれだだれだ」
それを聞いてざわつく小鬼達。名前を聞けばその時点で、あらゆる知り合いの魑魅魍魎達に情報をもらってくるに違いない。小鬼達の動きはいつでも速い。
「夕霧様のお父上、そう、光源氏様です」
「ええ、確か四十を迎えていらっしゃる老年のお方では」
ざわざわと小鬼達どころか、女鬼の女房達もざわつく。事実だった。光源氏様は四十を迎えた、もう老年と言われても間違いのないお方だ。
幼少期から褒め称えられ、準太政大臣というとてつもなく高い身分になったお方で、確かに立場的にも血筋的にも、菫子様が結婚して何ら問題のない方ではある。
しかし……年上過ぎでは。
皆がざわつくのも仕方のない話で、みやすこさんは疲れたようにこう言った。
「乳母殿がこの婿選びに大賛成なのですよ。菫子様がいまだにお人形遊びをやめられないと言う事だけで、あの方が年寄りも遙かに幼く、物の道理がわからない方だと言うのが乳母殿の主張で」
「ああ……」
おばさまは他の女鬼の女房達に取り囲まれてかしずかれている菫子様を、ちゃんと見ていないのだろう。
菫子様が何事もそつなくこなす方だと言うのも、おばさまが見えていない成長した部分で、おばさまは幼い部分だけ見えているのであろう。わからない話じゃない。
成長した場面に出くわさなければ、その人がどれくらい成長したのかなんて理解が出来ないのは当たり前の話であるし。
「そして……光源氏様は、御妻はなし、と世間的にも言われていらっしゃるから」
「六条院とかいう飛んでも豪華邸宅に、数多の女性を入れてうはうはだろ」
「お前達、口をもっと丁寧にしなさい」
みやすこさんの言葉に反応した小鬼達が、遠慮のない口調で言って、彼女に睨まれた。
しかしそれは事実として評判の事だ。
「そして六条院には……ほら、光源氏様の特に寵愛していらっしゃる女君がいらっしゃるでしょう。わたくしにはその彼女と、菫子様が比べられた場合、女君の方が優先されるような気がしてならないのですが……乳母殿は、妾は正妻が現れたら身を引く物、光源氏様は物の道理もわかるお方でいらっしゃるから、特別寵愛していらっしゃる女君よりも、菫子様を大事に愛してくれるだろうとお考えで……」
「朱雀院様はそちらの意見の方が、自分にとって都合がいいからそっちに流れたいのですね」
あたしのなんとも言えない言葉に、みやすこさんが頷いたのだった。