五 交換条件
聞こえるはずのない声に振り返ったあたしが見たのは、……人間じゃなかった。
人間はこんな見た目をしていない。小さいのに、子供じゃないってわかる風貌で、額に角なんて生えてない。
もののけだ。鬼だ。
あたしはお姫様を後ろに庇った。ここで、鬼が出たって騒ぐのは頭が悪いと、どうしてか直感的に思ったんだ。
こいつらは、あたし達に危害を加えるつもりが、今はない。
でも、油断しちゃだめだ。野っ原の獣よりも、彼等は知恵があるんだから。
「……あんた達、なに」
あたしは用心深く声を掛けた。そして、相手達はあたしが呼びかけたことで、ぱっと一斉にこっちを見たのだ。
そしてらんらんとした目でこう言った。
「そっちの女の子は見えてんのか!」
「驚いた驚いた、見える側なんてずいぶん久しぶりじゃないか。そうそう、桐壺にいたいじめられっ子更衣は俺達が見えたってんで、怖くって怖くって余計に宮中から下がりたいのに、帝に許されなくて弱ってったな」
「そういうのいいから。……あんた達、何なの。あたしのお姫様に何かするようだったら」
ただじゃすませないんだから、と怖い声を出そうとしたあたしのお腹から、ぐうぐうと大きな音が響いたのだ。
あたしはこの音に黙ったし、相手の鬼達も黙った。
それからこっちを、顔を見合わせて何かの意思疎通をした後に見て聞いてきた。
「俺たちゃ小鬼。小さい鬼だ。で、お嬢ちゃんは腹が減ってんのか」
「お腹はすいてる。だから?」
「んー、じゃあ俺達がなんか食わせてやろうか。ちゃんと人間の食べ物で」
「なんでそんなこと言ってくれるの?」
「もちろんただでとは言わねえもん。……お嬢ちゃん、俺達と約束が出来る?」
やっぱり何かの交換条件があるのか。あたしは一体小鬼達が何を言い出すのかと思いながら聞いた。
「約束って何」
「あのよう。俺達には大将がいるんだが、この大将が困ったことに嫁が居ない。というか出来ない。いっつもいいよって失敗の連続」
「だけど大将は鬼より人間の嫁が欲しい」
「というわけで、お嬢ちゃん、あんたが大きくなったら俺達の大将の嫁になるっていうなら、俺達はお嬢ちゃんとお嬢ちゃんのお姫様に力を貸す」
「そんなの」
出来ないと言おうとしたあたしに、小鬼達は胸を張る。
「俺達が味方になったら、この内裏の中の全ての鬼がお嬢ちゃんの味方になる。病にかかってもすぐ治る。病にすらそもそもほとんどかからない」
「……!」
病は鬼とかもののけがもたらす物って言うのが良くある話だ。だから皆、加持祈祷って言うのを貴族はすると、おばさまが教えてくれていた。
「ほかには?」
「お嬢ちゃんとお嬢ちゃんのお姫様に、ご飯を持ってくるし、教養がお姫様に必要ってんなら、ちょうど割と最近、女鬼になった、めっちゃ教養のあるのがいるから、あいつをお世話係の一人として潜り込ませるってのも出来る。どうだ、おいしいだろ」
とてもおいしい話だった。あたしが鬼のお嫁さんになるって約束すれば、お姫様を飢えさせなくて済んで、教養というお姫様に必要な物も与えてもらって、病気にもならない。
あたしはそれでも、鬼のお嫁さんって言うのが怖くて断ろうとしたのだけれど、そこで小さく、お姫様のお腹が鳴ったのだ。
その小さくて弱い音を聞いて、しんどそうにあたしに寄りかかったお姫様の方を見て、あたしが怖いのよりも、お姫様の命の方が大事だ、と思ったのだ。
だから。
「わかった、約束する。お姫様に、ご飯をちょうだい。はやく。お姫様はもうずっと、あんまり食べてないの」
あたしの言葉を聞いて、小鬼達はきゃっきゃとはしゃいだ声を上げた後に、こう言った。
「大将に褒めてもらえるぞ!」
「大将は子供が大人になる時間くらいは、平気だもんな!」
「大将の悲願が叶うぜ!」
「俺達もご褒美がもらえるかもな!」
「よし、今から何か、お姫様でも食べられるもの持ってきてやる! ここで待ってろよ!」
そう言って、わらわらといた小鬼達は一気に居なくなって静かになって、それからすぐにと言っていいくらいの時間に、小鬼達は笹の包みに入ったとんじき(おにぎり)を持ってきた。それも四つも。……あたし田舎の家で、お米をこんなに食べさせてもらったことないんだけど。
宮中って簡単な食べ物っていうやつすら、豪華なのか……と思いながらも、あたしは先にお姫様にとんじきを差し出した。
「お姫様、食べて」
「……どうやって?」
「こう、笹を手で持って。かじる」
「物忌みの間は、食べてはいけないのではないの?」
「二日もご飯を食べさせないなんておかしいから! お姫様、どんどん弱ってって病気になっちゃうよ。お腹だってすいてるでしょ」
言われたお姫様は、恐る恐るとんじきを口にして、夢中で一つを食べた後、小さくぽつりと
「お腹いっぱいになるって、こんなにあったかいのね」
と言う物だったから、あたしはなんだか泣けてきて、うん、と頷いてお姫様を抱き締めた。
「これからは、あたしがちゃんと、お姫様にご飯を食べさせるから! もう、お腹がすいて苦しいなんて思いさせないからね!」
「つるは食べないの?」
「お姫様が食べた残りでいいよ」
「わたくしは、もう、食べられないわ」
「一個だよ!?」
それも割と小さい一個だ。近所のちびすけだってもっと食べてた。お米じゃないけど。と思っていると、小鬼達がわらわらとやってきて、あたしにこう言った。
「お姫様は、ずっと食べてないからお腹の中身が縮んでんだよ。無理に食わせたら腹が痛くなるぞ」
「お嬢ちゃんも食べろ食べろ。夜明けに来てから、何にも食べてないのは知ってるんだぞ」
あたしはそれを聞いて、お姫様がまた食べたいって言ってもいいように、三つあるうちの二つを食べて、それから、お腹がいっぱいで体が楽になったお姫様が、ねむそうだから、一緒に横になったのだった。