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第六話

「ここか?」

 リットはとてつもなく巨大な巻き貝を見上げて息を呑んだ。

 一階建ての家ほどの大きさがあり、これが海底を這って動いてる姿を想像すると、それがどれだけゆっくりだろうと恐怖しか感じないからだ。

 リットが入口らしき穴の前で立ちすくんでいると、暗闇からセイリンが顔を出した。

「来たか。思ったより遅かったな。買い被りすぎたか」

「いつの間に偽名なんか手に入れたんだ?」

「なにを言っている……。海賊で名を上げたのに偽名など使うか。リット……オマエの探してる相手はこちらだ」

 セイリンはリットの胸ぐらをつかむと、餌を引き込むウツボのように貝の中へ招き入れた。

「よく来たね」

 ハスキーボイスというよりもしゃがれた老婆の声は、その容姿からはとても想像つかなかった。

 無職透明な尾びれはリットが持つ海中ランプに照らされ、極薄の鱗が青白く反射している。この世のものとは思えない美しさだった。

「まさかゴーストか?」

「失礼なことを言うな。ジーンは権威ある作曲家だぞ」

「ただのジーンで構わない」

 ジーンが長い尾びれを波立たせると、リットの体は水流の壁に押されて前の前まで連れてこられた。

「魔法を使う種族ってのは、どいつもこいつも気軽に使ってきやがる……」

 リットの文句もジーンは気にしない。それどころか全くの無視だった。

「行くべき場所は『グラム』だ。詳細はセイリンに聞けばいい」

 ジーンの声はよく響いた。

 声質でも声量でもなく、泡がリットの耳元で弾けたからだ。

「だとよ」

 リットは短い言葉で睨んだのだが、セイリンは全く気にせず嫌味に短く返した。

「グラムは楽園だ――海の荒くれもの達のな」

「だからよ……」

「荒くれ者イコール酒だ。わかるか?」

 セイリンがグラスを合わせるような仕草をすると、リットの表情は変わらずとも声色が変わった。

「完璧な説明だ」

 リットはそれがわかればもう用はないと、ここへ来た目的も忘れ、一人先に船へと帰っていった。

 その後ろ姿を見ながら、ジーンは「……あの男でいいのか?」と問いかけた。

「陸で安穏と生まれ、海のように自由で、空のように常識外れの男だ。他に適任がいるか?」

「そんな男がタイプだったとはな。ハープの弟子入りをしてきたのも、あの男のためか?」

「ジーン……」

 セイリンは事情知っているなら口を挟まないでもらいたいという瞳をジーンへ向けた。

「わかっている。光の入らないトワイライト・ゾーンよりも低い海の底だ。ジョークの一つでも言いたくなるものだ」

「一度船へ来てくれ。日の元でカビの生えたジョークをどうにかしてやる」

「海底さ。カビすら生えやしないよ。だからこそ地上の有事もここでは人ごとだったけどね」

「狭い世界での話だ。広大な海と空に挟まれた、矮小なる土地。それが地上だからな」

「光がなくなるなんてここでは珍しくなかった。少なくとも『船が塔を登る』なんてことよりはな」

「そういうのは、バカげた伝説を残した人魚達に言ってくれ」

 セイリンは世話になったと礼儀正しく頭を下げると、自分の船へと向かった。

 船ではイトウ・サンとスズキ・サンもすでに帰ってきており、二人でテンションを上げていた。

「聞いた? グラムだってグラム! 南の島の楽園!」

 スズキ・サンは尾びれを水中で踊らせて泳いだ。

 尾びれは水流を可視化するように線を引き、心の内を表すように楽しげな模様を作っていた。

「人魚のくせに陸に夢を求めるとはな。次は羽でも欲しがるか?」

「トビウオって鳥に食べられるために羽が生えてるようなものよ。さてはグラムのこと何も知らないんでしょう」

 スズキ・サンはリットの肩を肘で小突くと、からかうように周りを泳いだ。

「酒が飲める」

「そうじゃなくて!」

「違うのか? どうせ酒と食い物だろう。あとは異国の音楽くらいか?」

「本当……楽園ってもんがわかっちゃいないんだから」

 スズキ・サンはバンダナを巻き直すと、やれやれと頭を振って背を向けた。

「じゃあ、どうだってんだよ」

「南国よ。わかるでしょう!」

「わかんねぇよ。ペングイン大陸の北の海ならともかくな。南の島は……ジャングルしか経験ねぇよ」

「なにジャングルって」

「木がいっぱい生えてるとこだ」

「それって森でしょう?」

「それじゃあ林も森ってか?」

「意味わかんないわよ」

 スズキ・サンは怪訝な視線を向けると、話が合わななくてつまらないと言い残し、闇が渦巻く水の奥へと消えていった。

 代わりのように現れたセイリンが「毎度のことながらうるさい男だ。床を一緒にしてもいちいちどうするのか聞くのか?」とリットを落ち着かせた。

「あのなぁ……行き先不明が続いてんだ。床を一緒にしなくても、どうするか聞きてぇよ」

「行って後悔はしない場所だ」



 白い砂浜。青い空。それに負けないほどの澄み渡った海の色。

 そして、それらを全て見下ろせる。巨大な商船。

 その上にリットはいた。

 雲のように泡立つエールを一気に飲み干すと、苦み走った息を南国の風に混ぜた。

「どうよ。いいもんでしょう」

 リットと同じように喉を鳴らてごくごくとエールを飲んだスズキ・サンは、まだ飲み切らないうちにお変わりを注文した。

「いいもんだけどよ。なんなんだここは?」

「南の島の楽園『グラム』よ。何度も言わせないで」

「オレが聞いてるのは、この小せえ島のことを言ってるのか、それともバカでけえ船のこと言ってるのかだ」

 リットが今いる商船のデッキは、周囲を一望出来る。それほどの大きさのある船は、エミリアの両親が持っている商船よりも、ディアナが持っている輸送船よりも大きかった。

 島が小さすぎるというのもあるが、こんな大きな船がどうやってここまで浮かんで来たのかが不思議だった。

「この船はここで作られたのよ。一度も出港してないの」

 グラム島は元々は人が住める程度の大きさの島だったが、大嵐と高波の影響で滅ぼされてしまった。

 波と風に削られ、海に沈められた島は、とても小さくなってしまったが流されずにずっと放置されていた作りかけの商船。

 これを人魚やハーピィなど海に縁のある種族達が改造して出来上がったのが、今のグラムだ。

 つまりグラムは人口島であり、島よりも船のほうが面積が大きいということだ。

 ここに来るのは船を必要としない種族なので、船を海に浮かばせることなど考えていなかった。

 そんなマヌケなエピソードから、ここでは決して争わずがルールになった。

 それは人間も同じだ。ここに来る数少ない人間の九割は海賊。海に囲まれた島で、人魚達に勝てるはずもなく、大人しく――人間なりの馬鹿騒ぎをしてバカンスを楽しむ場所だ。

「出港しなくて正確だ。全世界にバカを晒すところだからな」

 リットは船の縁をしっかり掴むと、身を投げ出すようにして船体を見下ろした。

 ハーピィが世界中から運んできた染料により、理解の出来ない芸術作品のようにカラフルに塗られており、遠目から見れば船には全く見えない。

 巨大なサンゴ礁が隆起して出来たかのようだ。

 それでも船だと思えるのは、ギリギリ骨組みが完成していたおかげだ。

 それに加え、酔っ払った人魚達がこぞってマーメイドハープを弾き鳴らすせいで、水の大木がそこらで急成長しては虹となって消えていった。

「なんでよ。最高じゃない」

「ジプシーだってもっと慎ましい。こんな船が水平線から現れてみろ。バカが自己紹介してるようなもんだぞ」

「いいのよ。グラムが海に浮かぶことなんてないんだから。まったく……愚痴が多いんだから」

 スズキ・サンは景色の良いところで飲み直そうと、傍らにあるマーメイドハープを手に取った。

 このハープは個人の所有物ではなく、グラムに備え付けられているもの。

 ここには人魚の客も多いので、勝手に移動できるように置かれているのだ。

 スズキ・サンはマーメイドハープを弾いて水柱を上げると、その上に乗っかって下のフロアへと移動していった。

 いつまでも空を見上げるのも飽きたので、リットも一度船を降りて小さな島を探索することにした。



 巨大な船体の下。太陽を隠す影のスペースでは、闇市が開催されていた。

 人魚の海賊は少ない。現在確認されているのは三つだ。

 他の人魚の客は拾ったものや、盗品など、表の世界では堂々と取引が出来ないものが取り扱われている。

 グラムに入るには海か空を経由しないといけないので、とくに人間や亜人など陸で暮らす者達の裏取引の場にもなっていた。

「もしかして……この酒。エルフが売りに来たか?」

 リットは見たことのある不思議な形をした酒瓶を手に取った。

 それは牙のような形をした瓶であり、獣人の村で作られる『コボルトクロー』というお酒だった。

「ダークエルフだ。世にも珍しい獣人が作る酒だぞ。喉を焼くほどの辛さだ。思わず獣のような咆哮を上げるかもな」

 スキュラの男がゲスい笑い声を響かせると、股間の犬頭が「わおーん」と鳴いた。

「珍しいのは男のスキュラだろう」

 リットはクーが売りに来た酒など買ってたまるかと、別の酒を見せてもらうために話題を変えた。

「最近じゃ珍しくない。一時期闇が海をどこも深海にしてただろう? 海難事故の勃発。船乗りは海の藻屑だ。死にかけに情が湧くってのは陸でも海でも女の常だ。その結果がオレだ」

 スキュラの男は、何本もある下半身触手から一本だけ生えている人間の手で、新しい酒を勧めた。

 リットは臆することなく酒瓶を手に取ったのだが、すぐに手放すと「なるほど……セイリンみたいのが増えてきてるのか。それよりこの酒瓶……苔が生えてるぞ」そう言って。手のヌメヌメをズボンで拭った。

「それは藻って言ってくれ。その藻が大事なんだ」

「なんでだよ。瓶の外についてんだぞ」

「その藻は天からの贈り物だ。海の伝説だぞ。知らないのか? これは『コーダックの酒瓶』だ」

「待った」とリットは手で制して説明を止めた。「もしかして、それもダークエルフか?」

「なんだ? 結局は知ってるのか?」

「今知った。ろくでもないものってことはな」

 リットはクーがまともな酒をこんなところまで売りに来るはずもないとわかっていた。

「”一杯”飲めば。夢の中で、ある人物の視界に入り込み。その目から世界を見渡すことができる。正直早いとこ売っちまいたい……」

「売れよ」

「それがな……」スキュラの男は触手の中から人間の手を瓶口からゆっくり這わせると、それをメモリ代わりにリットに説明した。「酒はここまで入ってたんだ」

「指三本分は減ってるな。売り物に手を付けたのか?」

「だって美味そうなんだもん。見ろのこの琥珀色の液体。なぜ藻が大事か知ってるか? 浮遊大陸の藻だからだ。海の底にいるものは誰だって憧れるだろう。空からの眺めってやつは」

「否定はしねぇよ。肯定もしねぇけどな」

「頼む……買ってくれ。正直気味が悪い。これを飲んだ日どんな夢を見たか知ってるか? カモメに食われる夢だ」

 スキュラの男は心底怖そうに言ったのだが、リットにしてみればそんなものかという印象だった。

「飲みすぎた悪夢だろう。それも魚目線ってのは、ただの深層心理だろう」

「なら買ってくれ。安くしておく。手を付けちまったからな。なに? 金がない。仕方がないサービスだ。にくいね。色男。持ってけ泥棒!」

 スキュラの男はコーダックの酒瓶をリットに押し付けると、慌ただしく荷物をしまって海に飛び込んで逃げていった。

 コーダックの酒瓶を手放したいのは本心であり、人間ならば海まで追いかけてこられないのでチャンスだと思ったのだ。

「ラッキー……か?」

 リットは浮遊大陸の藻だと呼ばれている藻が張り付いた酒瓶を空に掲げた。

「ガラスはグラスクラブか? もっと上等にも見えるが」

 言いながら傾けたコーダックの酒瓶からは、波打つ酒の音ではなく、どこかの海の波の音がしていた。

 そのことにリットが気付いたのは。夜にセイリン達と集合してからだった。

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