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第四話

 無数の矢が降り注ぐように光は鋭く細くなっていくが、深い闇の盾に守られ底にまで届くことはない。

 世界は順調に光を失っていった。

 地上を騒がせた『闇に呑まれる』という現象を体験したリットは、海に広がる闇とは全く別物だと感じていた。

 海での暗闇は思ったよりも深く、思ったよりも優しい。

 それは生命を感じるからだった。

 海そのものが巨大生物のように感じる恐怖。それと同時にぬくもりも感じるのだった。

 リットが落ち着かずもぞもぞしていると、セイリンが「落ち着け」と声をかけた。

「変に生温いから漏らしたかと思ったんだよ……これが夢だったら最悪だな。一生目覚めないことを祈る」

 リットが感じているぬくもりは肌からではなく、体の内側から感じていた。

「深くはわからんが……水の中で呼吸をするというのはそういうものだ」

「サラマンダーの力でも働いてるのか?」

「海賊だぞ。私がわかるわけもない」

 セイリンは甲板を泳ぐように歩いていくと、また船長室に引きこもった。

「なんなんだ……」

 リットはその後姿を訝しげに見送った。

 先程から何度も声をかけられては、二言三言会話するだけで戻っていく。セイリンの意図が汲み取れずにいた。

「嬉しいのよ。自分のフィールドが出来たから」

 スズキ・サンが子供がはしゃいでるかのような表情で言った。

「セイリンのフィールドは元から海だろ」

「ここは海中。それも船の上よ。人魚より。そして人間より。セイリンが一番自由に動けるでしょう」

 リットは今しがた船長室へ戻っていったセイリンの後ろ姿を思い出していた。

 言われてみればあの素早い移動は、テンションが上った子供の駆け足によく似ているような気がした。

「なんともまぁ……狭いフィールドを手に入れたもんだ船の上限定とはな。それも海中。マヌケな話だな」

「そう? 人魚の海賊よ。こっちのほうがよっぽどしっくり来るわ」

 スズキ・サンは周囲を見渡しながら言った。

 リットの目には暗闇でも、スズキ・サンのような人魚には光がわずかばかり見えていた。

「なあコツとかあるのか?」

 言いながらリットが目を凝らしたので、スズキ・サンはそれが視界のことを言っているとわかった。

「ハーピィに飛び方も教わるつもり? そういうものなの。だから種族ってものがあるんでしょう。空には空。陸には陸。そして海には海に適した生き方。それが当然ってものよね」

 スズキ・サンが選ぶって講釈をたれていると、ふらふらになりながらイトウ・サンがやってきた。

「やっと海流に乗ったよ……。これで休憩できるね」

 海底に進む船が海流に乗った。だから二人が船を引っ張る必要がなくなった。そこまで理解したリットは、なぜ海中で人魚がふらふらしているのか気になった。

 しばらくスズキ・サンとイトウ・サンの何気ない会話に耳を傾けていたリットは、二人が同時に同じ方向へ傾くのを見て、『やっと海流に乗ったよ』という言葉の意味を理解した。

「なるほど。見えるんじゃなくて感じてるのか」

「本当に人間ってムカつくわよね。勝手に理解した気になって得意になってるんだから」

 スズキ・サンは睨みにも似た細い視線をリットに浴びせた。

「違うのか? 風の流れを読むように、海流の流れでどこに何があるのかわかるもんだと思ってた」

 リットに正解を当てられ不機嫌になったスズキ・サンの代わりに、イトウ・サンが「正解ですよ。凄いです!」と褒めた。

「仕組みがわかったところで、それがわかるわけないんだけどな」

 かけられた魔法のお陰で水中でも呼吸ができるリットだが、その代わりにやたらと足が重くなっていた。

 泳ぐのは不可能。だが、海流に流される心配もなさそうだ。

「普通の人間はバブルスに行きませんから」

「そうよ。普通は人間だったものが行くの。リットの知り合いの骨が流れついてるかもよ」

 スズキ・サンは幽霊のようにおどろおどろしくリットの周りを泳いだ。

「そりゃいい、先にいるなら酒場でも案内させるか」

「ゴーストやスケルトンじゃないわよ。ただの死骸よ……」

「なんだよ……ぬか喜びさせやがって」

「幽霊とか怖くないわけ?」

「ユレインと争ってんだろ? 人魚の幽霊そのものじゃねぇか」

「それはそうだけど……」

「スケルトンの知り合いもいるし……死んでからでも会いてぇ奴もいるしな」

 リットはいくつか顔が思い浮かんだが、セイリンの「見えたぞ」という声が聞こえると、海底から発せられる泡のように、その顔も消えていった。



「見えたぞ……か……」

 リットのため息は、深海の静けさに向かって大きく響いた。

「華やかな水の都でも想像したか? 残念ながら海の底にそんなものはない」

 リットの心の内を見透かしたセイリンは、宝の山なら海底ではなく地上にあると皮肉を言った。

「そうとも言えねぇ。『難破船』に流れ着く極上のラム酒のように、海底に沈んでる酒なんてごまんとあるんだろう?」

「相変わらず聡い男だ……。文字通り日の当たらない酒はある。そもそも海底で酒は作れないからな。温度が足りない」

「でも、保管にはぴったりってわけだ」

「そう上手く行かないのが海底だ。地上とは違う」

 セイリンの不敵な笑いの意味を、リットはすぐに理解することになる。

「さあ! 自由行動だ! ユレインの情報なら、尻の割れ目にあるほくろの数まで探れ」

「人魚にケツがあると思うのか?」

 というリットの皮肉は孤独に響いた。

 セイリン達は既に行動を開始していたのだ。

 それだけ切羽詰まっているという状況なのだが、周囲の状況がわからないリットにとってはそれどころではなかった。

「寂れた酒場の帰りより真っ暗じゃねぇか……。人魚どころか、魚の姿も見えねぇぞ」

 リットがわざわざひとり言を口に出したのは、もし周囲に誰かいれば反応があると思ったからだ。

「話が違うじゃねぇか……」

 セイリンが言っていた『バブルスではどんな小声でも街中に広まると思え』というのは、ただの脅しだと受け取ったリットは慎重に歩くことにした。

 幸いここは海底。底があるということは足がつくということ。

 不幸なのは、絶対に泳いだほうが早いのに泳ぐことが出来ない。

 呼吸ができる代わりに、自由がなくなる。

 ウッチーズカーズと似て非なるものなのか、全く別のものなのかはわからないが、マイナス作用があるということは魔法に違いない。

 過去の経験から、リットは得体の知れないものよりも、魔法が関係してるほうが安心できるので、深海で一人という状況でも自分を忘れることはなかった。



 そこから僅かな時間が経った頃。

 リットは探し当てた酒場で一息ついていた。

「これも一種の才能ってやつかね」

 リットは酒を一口すすると、まるで実家のような心持ちでくつろいだ。

「これは貝が発生する空気を利用してるだけだ。才能とやらを褒めるのならこの貝に言ってくれ」

 人魚の男は開きかけの二枚貝をちょんと人差し指で押した。

 すると貝は急いで口を閉じ、そこから手のひらサイズの泡が発生した。

 その泡に酒瓶の口を突っ込んで酒を注ぐと、それをコップ代わりにしているのだ。

 そのまま口をつけて飲むと泡が裂けてしまい、ただ海に酒をばらまくことになるので、海藻の茎状部使ってストローのように吸い上げる。

 それが海底での正しい飲み方だ。

「才能ってのは酒場を見つける才能だ。自画自賛ってやつだ。それにしても……海の底も雲の上も変わらねぇな」

 浮遊大陸では、薄い皮にたっぷりの水を含んだ多肉質な丸葉で水分を補給する。

 雨が降らない雲の上の大陸なので、川や湖といった類はなく、植物が水を蓄えるように進化した。

 それが海底では人工的にその植物を作っているようなものであり、それがリットには面白くてしょうがなかった。

「こっちは生まれてからずっと海の底だ。陽の光すらみたことがない。それに酒場は見つけたんじゃない。誘導されたんだ」

「海底の砂でも動いたってのか」

「見えてないのか?」

「そう思うならランプでもつけてくれ」

「しょうがない……」そう言って男の人魚が取り出したのは、地上では『人魚の卵』と呼ばれている貝だった。

 微生物に食べれれ穴が空いた卵は、空気が出るときに発光する。

 火が使えない海底で唯一の明かりだった。

 手元だけを照らす僅かな光。

 それでも気付けることはある。リットが喋ると口元から泡が発生している。そして、その泡が弾けると声が広がるのだった。

 これこそ『海底都市バブルス』と呼ばれるゆえんだ。

 泡が割れない限り、街の中をふわふわ浮いているので、誰に話を聞かれるかわからないのだ。

 そしてこの泡は人間には発生しない。

 人魚の魔法にかけらた人間にだけ発生する。

 そして、それは人の声だけではない。

 リットの手元に小さな泡がいくつも流れてきたので、試しに割ってみると、リットを歓迎するハープの曲が流れ出した。

「そういや……男の人魚は引きこもりが多いって言ってたな。アンタは違うのか?」

 リットは酒を一口飲むと、でこピンするように機嫌よく泡を割って音楽を流した。

「家系ってやつだ。人魚にも色々いる。職人気質な奴もいれば、それに合わない奴もな。オレの家系は職人気質じゃないんで、他の商売だ。全員がマーメイドハープで生活できるわけでもない」

「よーくわかる……。海底も地上も上空も全員が等しく同じ悩みを持ってるってなもんだ」

「今でこそずいぶん人は減ったけど、ほんの数百年くらい前までは地上からもマーメイドハープを買いに来たりしてたんだがな」

「そのたった百年の間に色々合ったんだよ。地上ってのはどこよりも時間の流れが早いらしいからな。それより、その人魚の卵売ってくれねぇか? あいにくここの金はねぇから、正直に言うと譲ってくれ」

「おい……ただ飲みかよ……」

「セイリンが来たら払う」

「セイリン? セイリンが来てるのか!?」

「なんだ? 惚れてんのか?」

「その逆だ……今日は店じまい。酒はおごりだ」

「おいおい……どうなってんだよ。セイリンはユレインの情報を集めてここにはいねぇよ」

「それが問題だ。まだ記憶に新しいぞ。ゴーストシップ対イサリビィ海賊団の戦いはな。ここに被害はなかったけど、別の海底都市では陽の光が入ったんだ。わかるか? 海が割れたんだ。あんなものマーメイドハープを使った戦争だ」

「なるほど……どうやら隠し事はまだまだありそうだな……」

 セイリンの思惑を考えているリットの眼の前に、光る人魚の卵がチラついた。

「ほら、欲しいんだろう」

「だから金はねぇよ」

「いらねぇよ。そこらに落ちてるもんだ。光らなくなったら海上に捨てるだけだしな」

「それが浮いてきてるのか……。そう思うと途端にゴミだな。一時期はオレの持ってる中で一番の値打ちものだったてのによ」

 リットは人魚の卵を受け取ると、瓶口の広い酒瓶を勝手に空にし、そこへ貝から発生する空気を入れた。

 半分は空気半分は海水。そして、そこへ人魚の卵を入れ、栓でしっかり止める。

 これで瓶をひっくり返すだけで、半永久的に光らせることができる簡易的な海中ランプの出来上がりだ。

「驚いた……人魚の卵にそんな使い方があるだなんて」

「驚いただろう。酒瓶も空気も地上のものだからな。人間じゃねぇと思い付きもしねぇだろう」

 人魚の卵を使ってお金を稼ごうとしていた時。あれこれと試行錯誤していたのが、まさかの海底で活きたのだ。

「これは売れるぞ」

「こんなんがか?」

「周りを見ろ」

「だから見えねぇよ……」

「今は見えるだろう」

 男の人魚が青白く光るリットの手元に視線をやった。

「まぁな。そんな顔してたのか……」

「いい男だろう」

「それは取り分による」

 リットは海中ランプを投げ渡した。

「グラス・クラブが脱皮しに来たときならともかく……。今は沈没船から手に入れる酒瓶くらいしかない」

「つまり単価が上がるってわけだ。人の来ねえ酒場より、儲かることしたくねぇか?」

「驚いた……天使ってのは雲の上から来ると思ってたが、地上からやってくるんだな。ありがてえ……」

 客相手の酒場より、需要のある海中ランプ。男の人魚が頷くのに時間はかからなかった。

「ありがてえのはこっちだ。金は手に入る。明かりも手に入る」

「それにただ酒もな」

 リットはランプに使う瓶の確保のために、男の人魚と乾杯した。

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