第二十二話
「本当にやべーって! ユレイン船長! セイリンのかしらは本気だ!!」
泥の弾丸が海賊旗を掠めたことにより、アリスはボーン・ドレス号もろとも海賊を壊滅させるつもりだと思っていた。
だが、ユレインは涼しい顔のままだった。
「だったら嬉しんだけどね……。まったく……もっと子どもだと思ってたのになぁ。読み間違えちゃったよ。やっぱりあの人間はこっちに引き込んでおくべきだったね」
ユレインの予想ではセイリンはもっと怒り狂い、我を忘れて攻撃してくるはずだった。
そして、その攻撃こそユレインが求めているものだ。
「もしもーし。この状況を理解してるか? 海の上じゃなくて空の上だぜ? 落ちたらひとたまりもねぇっての!」
「それはラッキーだね。普通は海に落ちても、陸に落ちてもひとたまりもないのに、どっちかは助かるんだから」
「そのセリフ。泥で土手っ腹に穴をあけられても言えるかっての……」
「あけてみてほしいね」
「けっ。ゴーストの余裕かよ」
「違うよ。胸に穴をあけてほしいの。スカッとしたい時ってあるでしょう」
「だから海賊ってーのは酒を飲むんだぜ」
「いいこと教えてあげる。お墓にお酒を備えられても、ゴーストは飲むことが出来ないの。ゴーストになってからの誤算だよね。飲めや歌えも海賊なのにさ」
「それには同意するぜ。でもよ――テレス!」
船体が大きく揺れたことでアリスが焦った。
テレスは指揮棒代わりの酒瓶を持った触手を三本使い、人魚の海賊達に三曲同時演奏させており、臨機応変に曲を使い分けることによって、海賊船に積んだ海水を使って防御していた。
「攻撃を受けることも大事なんです。海水を積んだ樽の数にだって限界はあるんですよ」
テレスは普段のダジャレを言う余裕もなく、必死にセイリンが撃ってくる泥の塊の対処をしていた。
てんやわんやの大騒ぎはBGMがつくせいで、まるで喜劇のような立ち回りに見え、それがバブルメールが割れて聞こえてくるので、リットは一気に緊張感がなくなっていた。
大蛇のような水流が襲ってくるかと思うと、蜂の大群のような泥粒が水流の土手っ腹に穴をあける。
砕かれた水しぶきは虹を作っては消えていき、虹が消えれば再び水流の大蛇が襲ってくるのだ。
まるで夢のような光景と、妙な安堵感にリットは思わずあくびを漏らした。
「おい、余裕だな」と、怒りに目を鋭くするセイリンが睨んだ。
「しょうがねぇだろう。どうにも眠いんだからよ。特にこっちが弾いてるマーメイドハープの音。まるで子守唄だぞ」
「制御する曲は優しく穏やかな曲が多いですから」とイトウ・サンが擁護すると、「こんな状況であくびが出るほうがおかしいのよ」とスズキ・サンは批判した。
だが、眠くなっているのはリットだけではなかった。
セイリンが無駄にいきり立っているのも、怒りで眠気を誤魔化そうとしているのだった。
「これだけやれば目が覚めるだろう」
セイリンは深く息を吐くと、浅く息を吸い込みボーン・ドレス号を睨みつけた。
そして、セイリンが出した指示はボーン・ドレス号の破壊。
付き合いが長いイトウ・サンとスズキ・サンはセイリンの覚悟をすぐさま理解し、一切口を挟まず曲調を変えた。
セイリンが壊すと言っているのならば、自分達に反対の意見は一つもない。
理解していないマグニは、理解しないままふたりの人魚の曲にマーメイドハープの演奏を合わせた。
一人冷静なジュエリーだけは「なにかおかしい……」と呟いていた。
そして、それは空でも同じように呟かれていた。
「やっぱおかしいぜ! かしらがこの船を壊すはずなんかないって」
砲弾のようなサイズの泥の塊がこっちを狙っているのを見て、アリスは身震いした。
間違いなく船を破壊するための大きさだからだ。
「そう。おかしいの。ここはおかしい世界。知ってる? ゴーストっていうのはあっちの世界を開ける扉の鍵を持ってるの」ユレインはイタズラがばれた子供のような笑みをアリスに向けたあと、大人特有の憂いの表情で隣りにいるドリスを見た。「ごめんね利用しちゃって。『こっちの世界』の船はあげるから許してよ」
ドリスはにっこり微笑むと何も言うことはなかった。
そして、セイリンの合図とともに放たれた泥の砲弾が、ボーンドレス号に穴をあけたと思った瞬間。
世界が粉々に割れた。
まるで世界はガラスに描かれた名画だったかのように、破片ごとに剥がれ落ち。真っ黒な世界を徐々にあらわにした。
そうして世界が闇に包まれると、リットは飛び起きた。
目を開けた瞳に映った世界は青空だったが、それは孤島の空とは違い、大海原で見上げる青空だった。
「どうなってんだ?」
リットはすくっと立ち上がった。
ふらつきもなく、記憶も残っている。
明らかに瞬間移動したような感じだった。
それはリット以外も同じであり、セイリンは突如として消えたボーン・ドレス号を探すように船のへりから身を乗り出していた。
「これは前に奪った商船ね。飛ばされたのかしら?」
スズキ・サンが見覚えのある船の傷を見ながら現状が確認していると、イトウ・サンがジュエリーがいないことに気付いた。
点呼を取るとマグニもいるので、いないのはジュエリーだけだった。
「これは経験があるぞ」
リットは眉間にシワを寄せた。
「魔女の呪いか?」
セイリンはどういうことか説明しろと睨んだ。
「朝から酒を飲んだ時にたまにある。誰かがいて誰がいないのかがわからなくなるってのはな。わかってるのは財布の金が減ってることくらいだ」
リットは文無しだがなとポケットをひっくり返して言った。
「ユレインはどこだ? ボーンドレス号はどこだ? そしてジュエリーはどこだ」
「そう詰め寄られてもわからねぇよ。わかってるのはセイリンが暴走したことだ」
「原因を聞いてるんじゃない。どうすればいいかを聞いてるんだ」
「それいいな。オレも今度エミリアになんか言われたらそれで切り抜こう。責任を有耶無耶にできる」
「真面目に聞いてるんだ」
「こっちだって真面目に答えてる。陸ならともかく、また海のど真ん中だ。人間が役に立つと思うか? 待て……おかしいぞ」
「随分持って回った言い回しをするじゃないか。女を口説く時にそうやって自己評価を上げてるのか?」
「女を口説く時に太陽が二つあるだなんて言ってみろ。行き着く先は病院のベッドだ」
リットはよく見ろと空に向かって指さした。
そこには大小二つの太陽が燦々と輝いていた。
「やっぱり魔女の呪いじゃないのか?」
セイリンは海の呪いでは説明がつかないと、しっかり自分の目で二つの太陽を確認しながら言った。
「魔女は太陽を奪ったんだ。増やしたんじゃねぇよ。光が増えるだなんてな……」
「あるんだろう」
「あのなぁ……話してる最中に考えがまとまって答えが出るなんてよくあるんだ。答えが聞きてぇなら茶化すな」
「普段のリットに言ってやりたいが……。答えがまとまったなら言え」
セイリンが酒瓶に口をつけると、リットがそれに向かって指さした。
「それだ。ガラス瓶の反射ってのは光が分かれることがある。ランプのガラスの火屋も一緒だ。そうして影に光を飛ばして模様をつける技術もある」
リットは最後に一緒に夢を見たことがあっただろうと付け足した。
リットとセイリン達が一緒に見た夢。それは大海原で見た夢だ。
全員で『コーダックの酒瓶』を飲み干し、アリスの瞳からボーン・ドレス号の様子を伺っていたあの夢。
夢を見た場所と、夢が覚めた場所が同じ。
ジュエリーだけがコーダックの酒瓶を飲まなかった。
そして、コーダックの酒瓶の行方はジュエリーが海へ捨てたのだった。
ここはコーダックの酒瓶の中だということだった。
「そんなバカげた話があるか。瓶の中に閉じ込められたのか?」
「呪いってのはそういうもんだろう。あちらさんはゴーストにまでなってんだぞ」
「喧嘩してる場合じゃないと思うんだけど。僕達ボトルシップにされたってことでしょう?」
マグニは目を丸くして聞いた。
「そうだ」
「やったね! グリザベルと一緒に商人が売ってるの見たことあるんだ! 僕達高価な民芸品だよ! 値打ちものってこと。やったね!」
マグニはベンベンと三味線のようにマーメイドハープを鳴らした。
「なにを呑気なことを……待てよ」
リットは木桶にロープをくくりつけると、海に向かって投げた。ここがコーダックの酒瓶の中なら海の水は酒の可能性があると思ったからだ。
しかし、海水は海水だった。
コーダックの酒瓶とは長い年月をかけて、中に入った空気が海水に入れ替わり、そこから更に年月をかけて酒に変わるもの。
リット達が飲み干したので、次に海水が酒に変わるのは数年後であり、それも瓶が海水で満たされてからの話だ。
「なにをやってるんだか……」
海水で咳き込むリットを見たセイリンは、この役に立たない男を放っておこうと考えたが、ここが酒瓶の中だということは瓶口がある。瓶口とはこの状況に置ける出入り口だ。
だが、瓶口は全く見当たらない。
面倒くさいことを考えるなら、瓶を割ってしまおうとマーメイドハープを弾いたのだが、瓶の中で不快に反響するせいで、まともな旋律を奏でることが出来ず、結果的にマーメイドハープの魔力が無効化されてしまっていた。
「どうする? 無理やり演奏する手もあるけど、この反響からして何重奏にもなるわよ。正直制御できる自信はないけど」
スズキ・サンはリットに視線をやった。
マーメイドハープで起こる事故は基本的に海難事故だ。
人魚には影響ないが、リットはモロに影響が出る。
リットが「おい、待て」と言い終える前に、口はセイリンの唇によって塞がれた。
「これで酒樽に詰めても平気だ。とっとと瓶を壊すぞ」
セイリンは言うより早く、リットを船の端へ押し込むと、マーメイドハープを弾いて海水の砲台を作った。
「どうなっても知らないから」というスズキ・サンの声と重なって、イトウ・サンの「準備はできたよ」という声とともに、マグニと協力して作った水玉がセットされた。
「放て!!」というセイリンの声がするのとほぼ同時に、世界は再び砕かれた。
今度は正真正銘ガラスが割れると、セイリンの目に映ったのは見上げるボーン・ドレス号だった。
ボーンドレス号では「驚いたぜ……」とアリスが驚愕していた。
「そう? こうなると予測したから、セイリンにちょっかいかけたんだけど」
隣でユレインが肩をすくめた。
「かしらがいけ好かねぇ男とキ……キ、キ、キスしてたんだぞ!」
というアリスが驚愕した言葉は、バブルメールでセイリンの耳元まで届いていた。
「盗み見とは良い趣味だな」
「こっちの世界を覗く時は、こっちからも覗かれてるってことを知らないの? 先に覗いたのはそっちでしょう」
ユレインは一通り煽ると、アリスの背中を叩いた。
「ほら、いつまで驚いてるのさ」
「かしらが男とキスしてたら普通驚くだろう」
「セイリンは女でリットは男なんだから不思議じゃないでしょう。人魚伝説知らないの? まぁ……でも、そんなことよりコレくらいで驚いてたら。心臓がいくつ合っても足りないよ。だから私はゴーストになったんだから」
「ユレイン船長……スリルってのは海の上だから楽しいんだ。こんな慣れない空の上でスリルなんか感じたら、それはもう死ぬときだぜ」
「じゃあ生き返らないとね」
ユレインは船の速度を上げて、セイリンの達の前へと出た。
その結果良い的になり、再びセイリンの指示による泥の攻撃が始まった。
「ああ! もう! 舵はこっちが取らせてもらうぜ!!」
業を煮やしたアリスが進路を変えようとするが、ユレインに止められた。
「動いたら殺す。ここまで来て台無しにされるくらいなら、ゴーストにならない死体を一つ作るくらい何も厭わない」
ユレインの声色はいつものように飄々としたものだったが、有無を言わさぬ迫力があった。
「無言は肯定として受け取るよ。わかったなら海賊旗をはためかせて、セイリンが狙いやすいようにね」
ユレインがあまりに突然屈託ない笑顔を浮かべるものだから、アリスは緊張感から黙って言うことを聞くしかなかった。
そして、その結果はセイリンがイサリビィ海賊団の海賊旗を自らの演奏で打ち破った。
だが、それはアリスの目から見える結果であり、ユレインは大きな泥の塊が勢いを増して白鯨の一本角へ飛んでいくのを見えていた。
それはまるでセイリンに鬱憤をすべて込めたような威力であり、角を見事に破壊した。
だが、セイリンに見えていたものはまた別の結果だった。
再び世界が割れ始めたのだった。