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第二十一話

「まさか誰ひとり気付かないとはな」

 額から汗を滝のように流したリットの嫌味は、水たまりの波紋のようにあっという間に広がった。

 砂浜で泥舟を作ったはいいものの。山の麓に行くまでに通る森のことを全く考えていなかったのだ。

 森の中をすべらせるには、貝の形では幅を取ってしまう。以前は細い船で突っ込んだので気付かなかったので、今は全員で貝型の泥舟を押しているところだ。

「その誰ってのに、自分も入ってるってことに気付いてる?」

 スズキ・サンの恨み節も、すぐに自分に返ってきたことに気付くとため息が落ちた。

「でも、こういう時に冷静になるのが船長だと思うんだけど……」

 イトウ・サンのこぼした本音は、昔なじみだからこそセイリンに効いていた。

 言い訳か弁明か、それとも開き直るかと考えていると、突如頭上を黒い影が覆った。

 雨雲かと思ったその影は生き物のように動き、怪鳥の影かと思って見上げると、そこに空はなかった。

 普段は見ることは絶対にない船底が見えたのだった。

 それがユレインに奪われたボーン・ドレス号だというのは全員がわかった。

 一瞬だが殺意のような緊張を打ち破ったのは、まったく空気の読めない天からの声だった。

「かしらぁ! まじか!」

 スキュラのアリスは、ボーン・ドレス号の側面に吸盤で張り付くと、必死に貝を押しているセイリンの姿に驚愕した。

 てっきり船で追いかけてくるものだと思っていたので、まさか泥で作った船とも呼べない代物で対抗してくるとは夢にも思っていなかった。

「誰の船……誰の下で、そう呼んでるつもりだ?」

 セイリンの声ははっきりとアリスを威圧していた。

 ここが海の上ならば、既に開戦の合図はどちらかが行っていただろう。

 だが、幸いここは陸の上。相手も空なので為す術はなかった。

 アリスが息を呑み。無風のような緊張状態が続いたが、「見りゃわかるだろう。足下を固めてんだよ」というリットの軽口が、止まっていた時間を動かした。

「まだいたのか! まさか副船長の座を狙ってるんじゃねぇだろうな!!」

 イサリビィ海賊団を裏切ったつもりはないアリスは、この後のことを考えて、とりあえず空気を変えようとリットへ噛みついた。

「そっちの足下につけ込むなら、そういうことになるかもな」

 お互いの会話は、マーメイドハープによるバブルメールにより行われているせいで、嫌味な言い方が直接耳元で響く。

 アリスの頭に血が上るのもあっという間だった。

「相変わらずムカつく野郎だぜ……。おい、ビビらせてやれ」

 アリスがいつもの合図をすると、それが砲撃の合図だと気付いたのでテレスが慌てて止めたが、周りの人魚海賊もアリスに感化されてテンションが上っていたので、驚くほどスムーズにリットに向かって砲弾が放たれた。

 砲弾が風を切り裂くと、地鳴りのような轟音を引き連れて地面へと落ちてきた。

 その流星のような勢いは止まることはなく、勢いを増して衝突音を響かせた。

 砂埃に煙る外界に「かしらぁ!!」とアリスは叫んだ。

 テレスは隣に並ぶと、触手を下へとまっすぐ向けた。

「かしらは、そこにいたかしら?」

「下手なシャレを言ってる場合じゃねぇ!! 殺しちまった。かしらが幽霊になっちまうぜ!」

「こういう例もあるということですよ」

「だから――」

 混乱するアリスの口をテレスの触手が抑えて塞いだ。

 そして、もう一度触手を下へ向けた。

 砂埃が止んだ外界では、盾のように土の壁が砲弾を塞いでいた。

 ジュエリーが水で泥舟の一部を溶かし、マグニがマーメイドハープで形を作り、リットがランプの炎で固めたのだ。

 これが南の人魚のように水砲だったら、妖精の白ユリのオイルでは間に合わなかったが、アリスは派手さを求めて鉄塊を火薬で飛ばす。

 そのおかげで泥の盾で守られたのだった。

「実に爽快だった。今ほど頼りに思ったことはないぞ」

 人魚の尾びれと人間の片脚でも、びくともしないセイリンが仁王立ちしていた。

「偉そうに言うなよ。オレが部下みてぇじゃねぇか……」

「アリスに言い返したことをだ」

「それならいい。男は女の影に隠れて口を出すに限る。暴力は任せた」

「任された」

 セイリンは不敵に笑うと、マーメイドハープをまるで弓矢でも打つかのようにかまえた。

 そして調子合わせのために弦を二、三本鳴らすと、コーラル・シーライトの鱗で一気に弦をかき鳴らした。

 すると土壁にめり込んでいた砲弾は、飛んできた速度以上にスピードを上げて空へと飛んでいった。

 その砲弾はボーン・ドレス号に当たることはなく、その上の雲に穴を開けた。

「脅しってのはこうするんだ。忘れたんなら覚えておけ」

 セイリンは自分の船を傷つけることなく、自分の力を見せつけてアリスを黙らせた。

「こ~っわ」

 凍りつくアリスの触手を暖簾ようにくぐり、ユレインが姿を表した。

「出たな……ユレイン船長」

「それいいね。出たな……。いかにもゴーストシップに出会ったってセリフ」

「それは海賊船だ」

「それはどうかな。持ち主が認めてない」

「私が海の底から引き上げた船だぞ。私が持ち主だ」

「じゃあ、彼女は誰でしょう」

 ユレインが概要をはためかせると、その影から幽霊がもう一人出てきた。

「幽霊のお友達の紹介か?」

「彼女の名前はドリス。聞き覚えがない?」

「あるか」

 セイリンは興味がないと、ドリスを睨みつけた。

「あらら……薄情だね。海の王ってのは、何でも受け入れる深海のように深い心がないといけないのに」

「もう茶番に付き合うつもりはないぞ。アリスの触手一本なくしてでも船は奪い返す」

「かしらぁ! テレスの触手の方が白くてキレイでいいぜぇ!」

 触手をなくしてはたまらないと口を挟んだが、ユレインのよく通る声に掻き消された。

「ボーン・ドリス。この船の本当の名前はね。ドリスが生まれた日に作られた船」

 ボーン・ドレス号はセイリンが言っていた通り、沈んでいた船をサルベージしたものだ。

 リットは以前テレスからボーン・ドレス号は『元々は貴族線であり、船の中に大量のドレスと白骨があった』と聞かされており、ボーン(骨)ドレス号だと思っていた。

 実は船体に船の名前が明記されていたのだ。

 その名前とは『ボーン・ドリス号』だ。生まれるという意味のボーンと、娘の名前のドリスをかけ合わせたものだ。

 だが、長い沈没の期間に塗装が剥がれ、名前の一部が消えてしまった。

 セイリン達はボーン・ド◯ス号という名前を見て、ボーン・ドレス号ともじった名前をつけたのだった。

 そして、ドリスは今日までボーン・ドリス号に取り憑いていたわけだ。

 今回の無茶な冒険をするにあたって、南の海賊から奪った船よりも、ゴーストが取り憑いているボーン・ドレス号のほうが、ユレインには都合が良かったのだ。

 そしてそれは、船の性能をフルに活かすことが出来なかったセイリンには、遠回しに格下だと言われているような気がした。

「知ったことか」

「本当それ、どうかと思うよ。ちゃんと死者の声に耳を傾けたら、今頃このそらとぶ船はセイリンのものだったのにね」

「奪い返すだけのことだ」

「まあ、それもまた海賊だね。……やっぱりあーゆータイプのほうが孤独な幽霊に好かれるのかな」

 ユレインが声と姿を消したのと同時に、ボーン・ドレス号は霧に包まれた。

 霧は徐々にもやがかり、黒雲へと姿を変えると、雷を一つ落とし、空に青空を残して姿をくらませた。

「私達幽霊船に乗ってたの? 呪われないよね……」

 イトウ・サンが長い時間過ごしてきたことを思い出し、ぶるぶると身を震わせた。

「契約しなければ呪いはない。それにしてもユレインめ……人の船を勝手にゴーストシップにするとはな。この借りは高くつくぞ」

 セイリンは人間の足で、泥船を力強く踏むと、先程まで船が浮かんでいた空を睨みつけた。

「意気込みはいいけどよ。早く押さねぇと。出し抜かれるぞ。ゴーストシップの速度は知らねぇけどよ。姿が見えねぇってことは、それだけ不安要素が増えるってことだ。少しでも距離を稼いだほうが利口だと思うぞ」

「うるさい」

「さっきは褒めたくせによ」

「喉元掻っ切って、二度と声を出せなくしてやろうか」

「声が出なくなるのは人魚のほうだろう。オレに惚れでもしたのか?」

「……味方にいても厄介な奴め」

「厄介ってのは、道端に落ちてる小石のことだ」

 リットは乱暴に眼の前の小石を蹴飛ばした。

 今はまだ森で下は草が生えているので、泥舟をすべらせるのは簡単なのだが、小石が引っかかるだけで、車輪がぬかるみにハマった馬車のように止まるので、いちいち小石を道から退けなければならなかった。

「なんだって陸はこんなに面倒くさいんだ……」

「どう考えたって楽だろうよ。このサイズで済むんだぞ。自分で襲ってる商船でも思い出せよ。人間が海に出るにはあのくらいのデカさが必要だ。そうして苦労して海に出ると、海賊に襲われる」

「こっちは丁重に帰してる。殺しても海が汚れるだけだからな」

「オレも丁重に帰してもらえるんだろうな」

「無事に帰りたかったら、船に抱きついてキスでもしていろ」

 セイリンの声色に気合が混ざった。

 森の終わりが見えたからだ。

 岩肌が見えると、全員で泥舟のセッティングを始めた。

 ここからは泥舟の底を溶かしながら進んでいく。

 要は大根おろしのように削れていく船の上にいなければならないので、ここからルートを決めなくてはならない。

 小回りがきくが、ルートを変えるたびに泥の量は減ってしまうので、理想は一直線――のはずだった。

 森がなくなったことにより、影に擬態していたゴーストシップが姿を出したのだ。

 そこからのセイリンの指示は早かった。

 人魚達に座る位置を支持すると、リットを無理やり押し込めて演奏を始めたのだ。

 リットからしてみると、本当に船にキスするように押し込まれてしまったので、ハープの四重奏が聞こえるのと同時に、船が風を切り出すのも聞こえた。

「いいか、まだだぞ。まだだ! まだ引きつけろ」

 セイリンが掻き鳴らすハープの音は、特徴があり過ぎて四重奏の中でも特に際立って聞こえた。

 他の人魚のマーメイドハープが繊細な糸の旋律ならば、セイリンの演奏は細い鉄の棒を無理やり弾き鳴らしたような荒々しさがある。

 だからリットは曲が変わったことにすぐ気がついた。

「待て……嫌な予感しかしねえ……」

 リットがセイリンの太ももに手をついて立ち上がろうとした時、すぐ耳元で弓が飛んでくるような風切音が聞こえた。

 それは小さな泥の塊であり、ボーン・ドレス号へ向かってまっすぐ飛んでいった。

 セイリンは小さく舌打ちを響かせると「リットが欲情するから狙いが外れた。後で相手をしてやるから、大人しくしていろ」と睨みを効かせた。

「おいおい……オレの話を聞いてたか?」

「小指の爪程度の泥だ。少し曲がるよりも泥は使わん」

「オレが死んだら誰が、ジュエリーの水から泥舟を守るんだよ」

 リットの顔横を飛んでいった泥の塊は、間違いなく身体に穴が開くほどの速度だった。

 それに驚くのは攻撃されたアリスも同じであり、セイリンがボーン・ドレス号もろとも撃破しようとする意志が見られた。

「ユレイン船長! やべーって! かしらがブチギレちまってる!」

「本当やべーね。やべーやべー……あっちのほうがよっぽどゴーストだよ。そう思わない?」

 ユレインは下から飛んでくる泥の散弾を、自身が出す黒いモヤで対抗した。

 泥は落ちるわけでも、跳ね返るわけでもなく、始めからこの世になかったかのように消えた。

「そんな悠長なこと言ってる暇ないってーの! ありゃ完璧こっちを敵だと思ってるぜ」

「そうだよ。そう仕向けてるんだもん。アリス。君は完全な裏切り者だよ。私の船だったら、即刻船をおろしてる」

「騙された! 供養じゃねぇのかよ!」

「供養だよ。私は幽霊だし、ボーン・ドリス号は間違いなくゴーストシップ。そして、セイリンが持っているのはコーラル・シーライトの亡骸とも言える鱗」

「意味がわかんねぇぜ!!」

「マーメイドの楽曲に、こんな攻撃的な曲はないってこと! さあ! 演奏海ならぬ大海嘯って感じで対抗だよ!」

 ユレインが合図すると、イサリビィ海賊団の人魚達が一斉に演奏を始めた。

 するとボーン・ドレス号に積まれていた樽から、海水がラッパ状に広がり、セイリンの泥を飲み込んだ。

 実際には泥だけではなく、セイリン達のマーメイドハープから発せられる魔力ごと飲み込んだのだ。

「おいおい……人魚が陸と空で、海の戦い方をするなよ」

 アリスは岩肌が突如岩礁となった外界に目を丸くするが、フェニックスの炎で固められた泥舟はびくともしなかった。

 むしろ水を得た魚だ。

 相手の水を利用して、泥舟の速度を上げた。

 その光景を見て、ユレインは満足げに頷いた。

「この戦い方が大事なの。私が必要なのはコーラル・シーライトの楽曲を完璧に弾く凡夫じゃなくて、楽曲をぶち壊してくれる英雄だよ」

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