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第二十話

「ええい! イライラする!」

 セイリンが力任せに投げつけた泥の塊は、岩に当たると、まるで水のように滑らかな跡を残して、ぼとぼとと音を立てて砂の上へと落ちた。

 乾いた砂と泥は交わることはなく、まるで生き物のように、行き場の失った泥が揺らいでいた。

「おいおい。情けねえぞ。前回のオレはそんなヒステリーは起こさなかった」

「そういえば……リット。貴様だったな。ユレインを復活させたのは」

「復活させろって命じたのはそっちだぞ。三角帽なんか探させるからややこしいことになってんだよ」

「あの時はアリスとティナが言い争ってたからアレで良かったんだ。現に収まっただろう」

「ならオレの手柄だな。遠慮すんな存分に感謝しろ。言葉が恥ずかしいなら、酒でも奢られてやる」

「ああ言えばこう言う男だ」

「お互い様だな」

 リットはグッと両腕を空に向かって伸ばすと、そのまま青空を眺めるようにして寝転んだ。

 青い空。南国の豊かに育つ白い入道雲は不器用な陶芸家の作品のように形を変える。

 皮肉にもセイリンたちが作る泥舟のようだった。

 セイリン達が手間取っているには理由がある。

 イサリビィ海賊団はほとんどが砂浜の隠れ家や、船の上、海の中などで生活している。泥は身近に存在しないものなのだ。

 リットが子供の頃のようにしてきた泥遊びというものの経験がない。

 だが、だからといって、リットが船を作れるかというのは別の話だった。

 フェニックスの炎を使うとすぐに固まってしまうため、ある程度は船の形を作ってから固めなければならない。

 まっ平らな一枚岩にする案も出たが、ハープを演奏しなければならないとの、泥舟を溶かしながら進んでいくので、乗り場が不安定なので却下された。

 へりがあり、底が厚いものを探していくと、結局は船の形が一番だということに落ち着いたのだ。

「空を飛んだり、山を登ったり、人魚は船ってもんをどこか勘違いしてんじゃねぇか?」

「セイリンは昔から夢見がちなのよ。私が海賊にならなかったのもそのせい。なんだって肌が乾燥する船の上で生活しないといけないのよ」

 リットと同じくやることがないジュエリーは、わざわざ目が合わない岩の裏側から答えた。

「なるほど。バカとバカが争った結果。こんなことになってんのか」

「誰? バカとバカって一人はセイリンだけど」

「遥か昔。先に船に乗ったバカがいるだろう」

「よく言えるわね……。あのユレインに」

 ユレイン船長の真実の物語を知らないジュエリーは、海の厄災に物怖じしないリットに驚いた。

「そっちだって喧嘩売ってるだろう。目的は知らねぇけど、角までレースしてんだ。向こうから見りゃこっちも立派な一員だ」

「私は海賊だった時代のユレインに恐怖してるの。ゴーストシップの船長になった彼女に恐怖する理由はないわ。ゴーストより海を操る人魚のほうがよっぽど怖いわよ。こっちの世界ではね」

 ジュエリーは演奏海を見たでしょうと付け足した。

 人間にとって、あの光景は間違いなく水害だ。リットも人魚の庇護下にいたから無事でいられただけであり、本来ならば海の伝説として船乗りに語り継がれるべきほどの被害が出る。

「こっちの世界では両方が怖い。比べたからってどっちの格が上がるってわけじゃねぇよ。両方クソってのはよくあるこった」

「じゃあ両方怖いってこと? 役に立たないのね」

「両方女だぞ。大抵の男は怖がる。それで、本当のとこはどうなんだ? ユレインが角を壊す理由ってのは」

「単純よ。同胞の開放でしょう。海にさまよえる魂って知らない?」

「よくあるおとぎ話でしか聞かねぇよ」

「そのよくあるおとぎ話が本当のことだったら。コーダックの酒瓶みたいに。魂は海に閉じ込められる。わかる? 海の藻屑は海でしか行きていけないように、魂はどこへもいけないの。それを吸い上げて閉じ込めてるのが角ってわけ」

「なるほど……過去の呪いか」

 ユレインが生まれ変わってゴーストになったのにはある金貨が関係している。

 それは『死霊の金貨』という海の底に沈んでいる財宝で、これを盗んだものは死後必ずゴーストとして生まれ変わると言われており、実際にユレインはゴーストとして生まれ変わった。 

 そうしてゴーストになった仲間を集めて、再び『アビサル海賊団』を結成するはずだった。

 しかしかつての仲間は藻屑と消え、 海に閉じ込められてしまった。

 そこで考えたのが同胞の開放だ。

 ゴーストとなったユレインに人魚の決まりを守る義理はなかった。

 守るべき義理は、泳げずに人魚からはぐれてしまった自分を受け入れてくれた人間への思いだけだ。

 海に囚われた人間の魂を故郷へ送り届ける。

 それがユレインの生前からの願いだった。

 今更人魚に呪われようが構わないという無鉄砲さが、アリス達の海賊心に火をつけたのだ。

「私にはユレインの気持ちがわからないけど。セイリンの気持ちはわかるわ。売られた喧嘩を買っただけ。憧れの相手からね」

 ジュエリーは空から、泥をこねてせっせと船をつくセイリンに視線を戻した。

 まだ見ぬ大陸に、違う空。知識だけはあっても、見たことのないものに興味を持つのは人も神も同じだろう。

 だが海賊。それも海ではなく船を選んだ人魚では別だ。

 そんな人魚は数える程度しかいない。

 セイリンにとっては超えるべきライバルなのだ。

 ゴーストシップとして名を轟かせ始めた新生アビサル海賊団だが、セイリンにとっては、まだ初めて人魚で海賊の船長に上り詰めた女だということだ。

 以前副船長のアリスが率いるイサリビィ海賊団と南の人魚の海賊が争った時。

 二人は出し抜かれ、ユレインの一人勝ちだった。

 つまりアリスは前回敗北を認める結果となったが、傍観者だったセイリンは今回が初めての直接対決ということになる。

「酒場の酔っぱらいの意地の張り合いだな」

 リットは肩をすくめた。

「そっちこそどういうつもりなの?」

 ジュエリーは空を指した。

 リットが先の島で空からなにか受け取ったことはジュリーは知っていた。

 ただ今まで興味が出なかったから聞かなかったのだ。

「フェニックスの炎で泥を固めて船にして、それをセイリン達が溶かしながら進む。でも、人魚の力が複数加わると、泥の溶けが早くなるから、妖精の白ユリっていう花から抽出した特別なオイルを使って、マーメイドハープの水の魔力を弱めながら船を進める。わかったか?」

「わかったわ。それでなんで逃げないの?」

「察するってことを知らねぇのか?」

「気になるから聞いたの。察しても考慮する必要があるかはこっちが決める。それが質問だもの」

「わーったよ……」リットはセイリン達に声が聞こえない距離なのを確認すると「ゴーストには興味がある」と本音を吐露した。

「欲深そうだものね……。陸でも多いだろうけど、海でもゴーストが出てくる話は山程あるわ。欲深い話とセットでね。だからすぐ伝説になっちゃうの。ハーピィの好物よゴーストと欲望のハッピーセット」

「ひでぇシャレだな。ハッピーだなんて、どうせ最後は不幸なんだろう」

「人の不幸は蜜の味って言うしね。でも、不幸っていうのはあとから誰かが付け加えただけ。それこそゴーストに聞かないとわからないわよ」

「まあゴーストになったら記憶の一部しか引き継がないらしいからな。上手いことで出来てるもんだ」

「なるほど。会いたい人がいるんだ――相手がゴーストになってでも」

「どうだろうな……そんなような気もするってだけだ」

 リットはなぜゴーストという存在がこんなに気になっているのか、自分でも理解していなかった。

 まるで生まれる前から持っていたかのような漠然とした疑問。

 誰になにを言われても頷くことはないし、否定することもないが、確かに存在するふわふわとした引っ掛かり。

 時折降って湧いては、心を暖かくしたり、焦燥に駆られたりするものだった。

「一番いいのは死ぬことだけど、いざ生まれ変わった時にはその思いも消えてるんだろうね」

「ありがとよ。なんか身体が軽くなった」

「……服が乾いただけでしょう。それだけ泥がついてれば体も重いわよ」

「なら、セイリンに言え」

 リットが不満を漏らした途端。セイリンの癇癪の唸り声とともに、泥の塊が飛んできた。

「なにか言っただろう。聞こえてなくても雰囲気でわかるぞ」

「人間がなぜ泥じゃなくて、木を使って物を作るようになったかを話してたんだ。第一章はなぜ人魚は海の底で生まれるかだ。第二章はなぜ海から出る必要があるか」

「アホらしい」

 セイリンは人間の足をどかっと地につけると、尾びれを腿の上に置いて足を組んだ。

 その座り姿は、見る角度によっては人魚にも人間にも見えた。

「そりゃこっちのセリフだ。人間か人魚かを船にも選ばせるつもりか? カッコつけても意味ねぇだろ」

 リットはセイリンが泥舟を海賊船のような形にしようとしているのがわかった。

 普通のボート程度のものならとっくに出来ていておかしくない。

 溶かすための底を厚くして、放り出されないよう縁をつければいいだけなのだが、凝った装飾を考えているせいで、作業が真夏の日暮れのように長引いているのだ。

 元々粗暴な海賊人魚と、田舎の湖でのほほんと暮らしているナマズの人魚のせいで、美的センスというものは皆無だ。

 いくら努力しようが無駄なことだった。

 これが自分の命が関わっているのならリットも必死に口出しをするのだが、ジュエリーの話を聞いていると、最初に脅されただけであり、自分の生活に影響がないことはわかった。

 リットがいつもイサリビィ海賊団を騙していいように使うように、今回は使われたということであり、あとの問題はセイリンがどのタイミングでプライドを捨てるかだけだった。

「わかったこれでいいんだろう」

 セイリンは砂浜に手を突っ込むと、あるものを拾ってマグニへ投げつけた。

 そして、それを元に一から船を作り直すことにした。

 その後ろ姿を眺めながらジュエリーは、親が子供にするようなため息を落とした。

「リットとセイリンって似てるわね。捻くれ者のくせに、急に素直になるところとか。夢想家なところとか。本当に兄妹だったりしない?」

「ありがたいことに違うことが証明されてる。別の人魚の兄弟はいるかもしれねぇけどな」

「人間のくせに変な人生送ってるのね」

「そのことで相談なんだけどよ。オレは呑んだくれた帰りに連れ去られたわけだけどよ。この変な人生の一部を喋って信じてもらえると思うか?」

「無理じゃない? 普通に考えたら、誰も信じないわよ。演奏海に参加したなんて港で話したら、一生嘘つき呼ばわりされると思うもの」

「普通に考えたらか……。セイリンもようやく普通に考えたらしいな」

 リットはようやく用意が終えたかと立ち上がった。

 その後ろを続いたジュエリーは船の全容を見て、納得の頷きをした。

「これならセイリンにぴったりよ」

「どこがだ……」

「人魚と言ったら貝だもの」

 セイリン達が作ったのは二枚貝を半分にしたものだ。

 それを裏返しにした椀型の船が、今回山を登る船となる。

 底は厚く、縁もある。

 まさしくぴったりの構造だった。

「この上でマーメイドハープを弾くんだろう。間違いなくお似合いだ」

 リットは早速フェニックスの炎を灯した松明で泥舟を乾かし始めた。

 マグニがマーメイドハープを弾いているので、飽きる前にとっとと乾かさなければ、形が崩れたまま固まってしまうので、外側だけでも早めに乾かそうと、リットは貝の周りを一周した。

 しっかりと腰掛ける土台もあり、片足が人間のセイリンでも、リットでも投げ出されないよう踏ん張ることはできそうだった。

 セイリンはため息とともに、固まったばかりの土台に腰掛けた。

「屈辱だ……」

「そんなことない。ぴったりだ」

「キスのお礼にしては……ずいぶんなことだと思うが」

「オレが言ってるのは、まだ乾き切ってねぇってこった」

 リットに指摘されて立ち上がると、そこにはセイリンのおしりの跡がくっきりと残っていた。

「屈辱だ……」

 セイリンは同じ言葉と同じため息を落とすと、乾いた船の上にどかっと座り込んだ。

 その瞳に憂いを滲ませ海と空が交わる一線を眺める姿は、まさに人間が思い浮かぶ人魚そのものだった。

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