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第二話

 乾いた砂漠。ジリジリと焼き付ける太陽。

 リットは孤独にさまよう夢を見ていた。

 上手いこと身体が動かないのは脱水症状からではない。まるでなにかに固定されているかのようだ。

 砂漠のど真ん中で身動きがとれない状況。リットは夢だとわかっているにも関わらず、水を切望した。

 すると水が降り注いだのだ。それも体に染み渡るような大量の水。

 砂漠が沈むほどの大雨。普通に考えてありえない現象。

 リットが冷静に考えられるのは、これが夢だと理解しているから、しかし冷静になったことで一気に覚醒へと向かった。

 リットは飛び起きると自分の股間を触ってホッとした。

 飲みすぎて漏らしたわけではないからだ。

 しかし、すぐに絶叫にも似た悲鳴が上がった。

「水!? 浸水してるぞ! おい! ノーラ!! 雨だ!!」

「あううぅ……」

 耳元で急に叫ばれたことにより、イトウ・サンは両耳を手で押さえてふらついていた。

「落ち着け。ここは海賊船で雲の上だ。雨が降るはずないだろう」

 セイリンは人間の脚を船の外に放り出すようにして、船のヘリに腰掛けていた。

 もう片脚の人魚の尾びれは、船の中に溜まった水をゆっくり掻いて波紋を作っていた。

「釣り船が雲の上を飛ぶ理由は?」

「言葉を間違えるな。これは海賊船だ」

 セイリンははためく海賊旗を睨みつけた。だがその瞳に映るのは旗ではなく、虚空に浮かぶ不甲斐ない自分だった。

「生け簀だろ……」

 リットは三人を見渡しながら言った。

 尾びれが乾くのを防ぐのに、船の中は水で満たされていた。

 普通の船なら転覆するはずだが、セイリンがマーメイドハープを使い雨雲を海上のように操作してることにより、空を飛ぶ船が完成したというわけだ。

「もっと驚いたら? 船が空を飛んでるのよ」

 スズキ・サンは尾びれをくねらせて水柱を立たせると、水滴は雨雲へと消えていった。

「正直まだ酔った夢の中だと思ってる。いつから人さらいを解禁したんだよ……」

 リットは船のヘリから恐る恐る顔を出したが、灰色の雨雲により下が全く見えないので恐怖心は溶けるようにして消えていった。

「人さらいはこっちがされたんだ。情けないことに、今のうちの海賊は四人だ」

「答えになってねぇよ。どうやって家を見つけたんだよ。教えてねぇはずだぞ。そもそも揃いも揃って全員人魚だろうが。陸の上に何しに来たんだよ」

「リットを見つけたのは全くの偶然だ。よそ見をしていたら雨雲の切れ目に飲み来れてしまった。不時着した時にたまたまリットが下にいただけだ。ある意味助けられたがな」

「ゲーゲーに助けられるとはね……」

 スズキ・サンはリットを睨みつけた。

 リットが突如吐き気に襲われた理由は、落下の寸前にセイリンがマーメイドハープを弾いたことにより、リットの体の水分も反応してしまったのだ。

 水たまりより先にリットの嘔吐物がクッションになったので、ボロ小舟は壊れずに住んだのだ。

「まだ……頭が回らねぇよ……」

「そうか」

 セイリンはリットに向かって手を伸ばした。

 てっきり起こしてくれるものだと思って手を掴んだリットだったが、その瞬間あることを思い出した。

「まさか『海賊の誓い』だとかぬかさねぇだろうな……」

「よく覚えていたな。さぁ、ユレインから私の船『ボーン・ドレス号』を奪還するぞ!!」

 セイリンが勇ましく声を上げると、イトウ・サンとスズキ・サンは待ってましたと言わんばかりに歓喜の雄叫びを上げた。

「オレは降りるぞ。海賊が空を飛ぶなんて不思議な冒険に付き合ってられるか。こんな話……酔っぱらいより、ガキが寄ってくる」

「止めはしない。好きにしろ」

「ありがとよ。ケツが冷える……痔になるってなもんだ」

 リットは船内の水を蹴り上げた。

 それっきり無言の時間が流れた。

 これはおかしいと思ったリットは「おい、降りるって言ったよな」と念を押した。

「しっかり聞いたぞ。だから私もこう答えたはずだ。止めはしない。好きにしろとな」

 雨雲は時間制限付き。いつまでものんきに空に浮かんでいるわけではない。

 降りたければ好きなタイミングで飛び降りろという意味だった。

「賊め……」

「褒め言葉だ」

 セイリンは酒瓶の入った箱を、蹴ってリットの方へ寄せた。

 酒を勧めるわけではなく、リットの身体がこれ以上濡れないように配慮してだ。

 人魚は濡れても風邪を引くことはないが、セイリンは人魚の中でもメロウという種族と人間のハーフなので、リットの体のことはある程度理解できる。

 濡れっぱなしでいたら体を壊すくらいはわかっていた。

 リットもその心遣いを理解したので、蓋を開けて酒を取り出すではなく、箱の上であぐらをかいた。

「酒番は任せろ。下っ端の仕事だからな」

「調子のいい男だ……。酒は欲しけりゃ飲んでいい。だが、一口でも飲めば手伝ってもらうぞ」

「まさか浮遊大陸まで喧嘩を売りに行くつもりか?」

「目的は確かに上だが、浮遊大陸に用はない。だが、人間の力が必要になるかもしれん。力を貸してくれ」

「ってことは……また島に上陸するってのか? 断る」

 今いるのは人魚二人と人魚のハーフが一人。そして人間が一人。

 割りを食うのは自分だとすぐに計算できた。

「安心しろ。行き先は『一角白鯨の墓場』。深海だ」

「なら安心だな。人間は深海が一番得意なんだ。得意すぎて生活フィールドを地上に移すくらいにな。次は翼でも生やして空でも飛べってのか?」

「出来るならやってもらいたいものだ。空を飛べるなら文句はない」

 嫌味を簡単に飲み込むセイリンを見て、リットは背中から水よりも冷たい冷や汗が垂れ落ちるのを感じた。

「おいおい……なにをさせる気だよ」

「言っただろう。船を奪い返しに行く。行き先は一角白鯨の墓場の頂上。その入口は深海にあるというわけだ」

  一角白鯨の墓場というのは、かつて東の国オオナマズと戦い敗れたクジラの骨がある場所だ。

 そのとてつもなく大きな骨は深海に住む人魚の住処になっている。

 そしてもう一つ。

 男人魚が多く住む場所だ。

 つまりマーメイドハープの職人が山ほどいる場所ということになる。

「まるで順風満帆な人妻だな」

「意味がわからん……」

「魅力がねぇってこった。男は少しやつれた人妻に惹かれるもんだ」

「魅力が見つからないのは、男として経験が足りないからだ。物を知らない男は一つの体位に固執するだろう?」

「その手に乗るか」

「それならこれならどうでしょう」イトウ・サンはさも妙案だと言ったふうに手を叩いた。「海底都市『バブルス』は『グラス・クラブ』が脱皮をしに来る場所でもあるんです」

 グラス・クラブの名前を聞いた瞬間リットの動きは止まった。

 聞き覚えがある名前だからだ。

 グラス・クラブというのは脱皮の殻が極上のガラスの材料になるカニのことだ。

 人間の世界では『深海ガラス』と呼ばれ、高級品として扱われている。

 気密性が高いことから、食材を保存するのに使われたり、リットが好きなウイスキーの瓶に使われたりしている。

「酒か……」リットは少し考えると「仕方ねぇ」と心を決めた。

 そして、改めてセイリンの手を握った。

「文句はないな」

「ねぇよ」

「聞いたか? 証人だぞ」

 セイリンはイトウ・サンとスズキ・サンに向かって確認した。

「なんだよ」

「グラス・クラブの脱皮時期じゃないということだ」

「おい! 酒があるって言っただろう」

「そうは言っていない。イトウ・サンはグラス・クラブが脱皮をしに来る場所があると言っただけだ」

「騙しやがったな」

 リットに睨まれたイトウ・サンは「あわわ! 騙してないです! セイリンが勝手に話をまとめただけです」とスズキ・サンの後ろに隠れた。

「どうしてもと言うなら、近くの町で降ろしてやってもいいが……」

「一文無し。それも知らない町でどうやって帰れってんだよ」

「船を取り返したら、送り届けてやる」

「わかった――って言うには安心が足りねぇよ。こんなボロ小舟でどうすんだよ」

「乗り捨ててあった船を失敬しただけだからな。そのうち乗り換える」

「じゃあ今すぐしろ」

 リットは木箱に水が染みてきて身体が冷えてきたと文句を言うと、セイリンが不敵に笑った。

「言ったな。言ったからには責任を持てよ」

「は?」と首を傾げるリットだったが、その首根っこをスズキ・サンに掴まれた。

「なにやってるのよ。首の骨が折れるわよ」

 その瞬間リットの身体は衝撃に襲われた。

 セイリンがマーメイドハープを弾くのをやめたのだ。

 船は推進を止め、雨雲を潜るようにして沈んでいった。

「進路はどうだ?」

 セイリンが聞くと、「バッチリよ」とスズキ・サン答えた。

「目標確認! 追演奏の必要はなし!」

「ようし」とセイリンが満足げにする隣で、リットは落下地点にある小型の商船を見ていた。

 セイリン達が狙っている船だというのは理解したが、このままだと甲板に叩きつけられてしまう。

 リットが目を閉じると、柔らかなハープの音が響いた。

 身体はまるで龍のような長細い波に包まれていた。

 そこから見えるのはセイリンが甲板に華麗に降り立つ光景だった。

「空から失礼」セイリンは甲板に着地するのと同時に、持っていた杖で甲板を強く叩いた。こうして船員の視線を集めるのだ。「とてもいい船だ気に入った。いつもならイサリビィ海賊団流の取引をするところだが、切羽詰まっている状況だ。申し訳ない。これを報酬として、船を貰い受けることとする」

 セイリンがマーメイドハープ弾くと、襲いかかろうとした警護の兵士が波の龍に食われた。

 食われたと言っても被害はない。リットのように捕まっているだけだ。

 一匹の龍波に数人の船員が食われ、合計八つの龍波が現れ船員全員を捕縛した。

「東の国には八つ首の龍がいるらしい。この噂と共に東の国へおつれしよう」

 セイリンがマーメイドハープを弾くと、イトウ・サンとスズキ・サンも自前のマーメイドハープを弾いた。

 すると八つ頭の龍は一つに合わさり、高波となって海を流れていった。

「セイリンの話からすると、あっちは東の国の方角か?」

「――の船が通る航路だ。今は海賊がなりを潜めている。死ぬことはないだろう」

「それってオマエらのせいか? それともユレインのせいか?」

「なんだ聞いていたのか。それならすぐに反応したらどうだ?」

 話に出てきている『ユレイン』とは世界で一番最初の人魚の海賊であり、故人であるが、ゴーストとして復活し、今はゴーストシップの船長をしている。

 リットとの関わりは、過去にノーラの父親であるマグダホンのわがままに付き合った時。船を手に入れるのに知り合った関係だ。

「それより反応するものが多すぎたんだよ。仲間割れでもしたのか?」

「元々仲間ではない」セイリンはリットと話しながらも船の整備を始めた。

 イトウ・サンとスズキ・サンも、セイリンに指示されるまでもなく、率先して自分達流の船として整備をしていた。

「アリスとテレスはどうした? 副船長と航海士だろう」

「アリスはユレインの甘言に乗っかったのよ。テレスはその手綱を握りについていったわ」

「他の人魚の船員もだろう? 見限られたのか? 奪われたのか?」

「私の指示で動いていると思っているんだ。完全に乗っ取られたんだ。ティナがユレインに船を奪われた時と一緒だ。油断していた時に、船ごと持っていかれた」

「まさか酔ってたとか言わねぇだろうな」

「酔っていたに決まってるだろう」

 セイリンは胸元からネックレスを取り出すと、先端の鱗をリットに見せつけた。

 これはコーラル・シー・ライトというマーメイドの作曲家の鱗であり、この鱗を使ってマーメイドハープを弾くことにより、メロウのセイリンもマーメイドハープで魔力を扱えるようになったのだ。


 セイリンの酔っていたというのは、お酒ではなく自分に酔っていたということだ。

「なにやってんだよ……」

「最近の趣味は作曲だ。リットがコーラル・シー・ライトの鱗をくれたおかげでな。女を酔わせたら責任を取るのが男だと思うが?」

「海に飛び込んで酔いを覚ませ」

「海の真ん中で人間が船で一人になるつもりでいるのか?」

「極上の脅しだな……」

「どうせもう覚悟は決まってるんだろう」

 セイリンは商船の積み荷から酒を二本取り出すと、そのうち一本をリットに渡した。

 合図をしたわけではなく、同時にコルク栓が飛んだ。

 アリスが撃つ大砲の音には到底叶わないが、小さな決意の表れとしては申し分ない、ポンっという素朴な音が響いた。

 その次になるのは、瓶口を合わせるチャリっとした小さな乾杯の音。

「今回のオレの目的はゼロだ。力を貸す代わりに、同じくらい良いものを貰えるんだろうな」

 リットは海賊の誓いでセイリンに渡したコーラル・シー・ライトの鱗を指して言った。

「それは働き次第だ。あの時私は海賊船と他の海賊を貸したからな。それに見合った報酬だった思うが?」

 セイリンは楽しみにしていると笑うと、リットにモップとバケツを押し付けて自分が使う船長室の確認をしにいった。

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