第十九話
「カモメのフンだ!」
「あの衝撃を感じただろ? あれは龍のフンだ」
「光とともに落ちただろう? あれはフェニックスのフンに違いない」
落雷により焦げた煙を発する木の根元では、突然の出来事に島民が総出で集まっていた。
雨も突風もなく、雷だけ。それも一度だけ落ちるなんていうことは過去に事例がない。
晴れに雷鳴が轟くことがあっても、それは遠い海の上空で起きていることだ。
天変地異の前触れだと騒ぐ島民の間を、雑草の山をかくようにして抜け出たリットは、早すぎる上空からの返事に思わず肩を落とした。
「こりゃ今後この手を利用するなって警告だな……」
闇夜の一部を切り取ったような丸い物体は、浮遊大陸の植物だ。ヤシの木のように繊維質なので、それを配達のクッション代わりに使ったということだ。
中身はもちろん妖精の白ユリのオイル。リットが以前浮遊大陸に忘れていったものだ。
だが、理由を知らない島民はテンションが上って話を聞かないし、なんにでも人魚と結びつけようと躍起になって空回りしていた。
混乱状態の場で天使族から届け物をしてもらったなど通じるはずもなく、リットは諦めてオイルの効果を試しに行くことにした。
リットは焦げた繊維を指で剥がしながら、天使族を寄越すのではなくオイルを渡された意味を考えていた。
天使族が来ない理由は十中八九巻き込まないでくれという意思表示だ。
だが、キュモロニンバスの天空城と似た状況となると話しは別。
今回リットが支払うべき代償はこの島の情報であり、対価は答えそのものだ。
つまりリットが現在面している難題は、妖精の白ユリのオイルで解決できるということ。
もっと正確に言うならば、模倣できる力が妖精の白ユリのオイルにあるということだ。
フェニックスが太陽ならば、妖精の白ユリは日差し。
キュモロニンバスの天空城のように一生物の壁に魔力を封じることは不可能だが、一時的には同じような力をもたせることが出来る。
この一時的というのが、今回リットが面している問題に都合がよかった。
泥を固めて船を作った後。今度は溶かしながら進まなくてはならない。本物のフェニックスの炎ならば、人魚の力だろうが甲殻種族のベテランの力だろうが負けてしまう。
あくまで代替品であることが重要なのだ。
リットが地上で闇に飲まれるという現象を調べて解決したように、空の上でもフェニックスが起こした現象を調べた者もいるということ。
リットは誰だか知らない者に感謝しながら、レンガの道を降りていった。
てっきり島民全員が地上に集まっていると思っていたが、先のスコールの影響で地盤が緩んでしまったため、地下の掘削現場では地上以上の混乱を見せていた。
「おい!! 穴が崩れちまうぞ! 泥をかき出して土嚢で補強しろ!」
「今やってるだろう! これが見えてないなら、役に立ってない目玉をかき出すぞ!!」
ほとんど怒号とかしたコミュニケーションが飛び交っているので、リットは酔っ払いの終盤の状況と同じで、この状況で話をするのは土台無理だと踵を返したのだが、肩を勢いよく掴まれた。
「ちょうどよかった! これを持ってろ! いいか? 絶対に火を絶やすなよ」
何度も注意されながらリットが渡されたのは、フェニックスの羽根の炎が灯っている松明だ。
「ちょうどよかった。オレもこれが欲しかった」
リットは松明を受け取ると、勝手に予備の松明を取り出して火を分けた。
新しい松明の布に、妖精の白ユリのオイルを少し染み込ませたことにより、火を分けた時に天井を這うように火柱が上がってしまった。
当然危ないと怒られたリットだったが、火柱が消えた瞬間。空洞は洞窟へと変わっていた。
フェニックスの羽根の炎と妖精の白ユリの力が合わさって、一瞬にして泥を乾かしたのだ。
レンガの模様もへったくれもないが、完全に泥は岩のように固まって地盤を支えた。
この出来事によりリットの考えが証明されたのだが、これで人間の力で掘るのは難しくなってしまった。
島の歴史に思いがけない終止符を打ってしまったのだ。
だが、リットの不安や感じた申し訳なさは杞憂に終わった。
マグニの「すごかったね! 雷! こんな感じでドーン!! だよ!!」という言葉と共に落雷を模倣した水流が空から落ちてくると、洞窟の底を抜いたのだ。
穴はたちまち海水で満たされ、海底トンネルを作った。
何世代も昔からやってきたことが終わり、念願かなって海へと繋がったのだが、この穴の深さは人間では通ることが不可能だ。
仮に通れたとしても、絶壁に打ち付ける波の強さに負けてしまい、生きて出ることは不可能だ。
お祭りムードが一点。葬式ムードになると思っていたリットだったが、島民は気にした様子がなかった。
それどころか、伝説を本当にしてくれたマグニを更に褒め称えていた。
この島は人間にとっては絶壁であるが、ハーピィが来ていたように孤立しているわけではない。
すぐに天使族から返事が合ったのも、過去の『光の塔』の地上調査で、フェニックスで焼かれた光と似た光があるというのが報告に上がっていたからだ。
島民にとってはこれで『人魚の呪い』と言う名の『過去からの脱出』を意味していた。
遭難してから生き延びた長い歴史の中で、信じてなくては生きていけないことが山ほどある。
それが終わるということは、新たな旅立ちを意味していた。
この島から旅立つ者はほとんどいないが、この島の存在はこれからどんどん知られていく。
間違いなく歴史が動いた瞬間にリットは立ち会ったのだ。
だが、小さな村の小さな歴史。リットが闇を晴らした事実を知らない人間がこの世にごまんといるように、リットもそんな歴史の変わり目に興味がなかった。
早々にセイリンへ見えるように合図を送り、島を後にした。
「なぁーんですぐ帰っちゃうの! なぁーんで! なぁああんで!」
マグニは眉間にシワを寄せてリットを睨んだ。
せっかく良くしてくれているのだから、一日くらい長居してもバチは当たらないだろうというのがマグニの主張だ。
「別にオレが歓迎されてるわけじゃねぇからな。それにな……ああいう場に立ち会うと変な噂に巻き込まれるぞ」
「変な噂って? リットみたいなの?」
「そうだ」
「おおう……それは微妙だね。リットの物語の一端を知っている者としては、あまりにもリットが有能過ぎるもん。知ってる? ランプのススを擦り落とせば願いが叶うランプのお話」
「知りたくもねぇよ。ただでさえ光る右手やら、天からの声やら、よくわかんねぇ情報が錯乱してんだ。それを冒険者が過去の伝説になぞらえて謎を解こうってんだから、話がこじれ過ぎて首を吊るロープくらいの長さになってるってなもんだ」
「なんでもいいが、それを近づけるな。肌が乾燥する。船のスピードも出なくなるだろう」
肌が透けて見えるほどシャツが濡れているセイリンだが、それでもひっきりなしに水をかぶっていた。
水をかぶるのにはマーメイドハープを使っているので、誰かが水を浴びるための曲を弾くと、必然的に船のスピードは遅くなるのだ。
「なんでもいいわけあるか。これが必要で、あんな辺鄙な所にわざわざ行かせたんだろうが」
リットは水しぶきが掛かっても微動だにしない松明を掲げた。
「別に確証があったわけでじゃない。ハーピィの噂話を聞いただけだ。それにこっちだって嫌味を言ってるわけじゃない。干物にするつもりかと言っているんだ」
フェニックスの羽根の炎というのは、純粋な火の魔力に近く、水を操る種族のセイリン達には、雲一つない太陽の真下にさらされるよりもつらい状況だった。
「そう思うんだったら、ランプの一つくらい持ってこさせろってんだ。なんで人間がランプを作ったか知ってるか? 火力の調整ができるからだ」
「じゃあ、ランプを作れ」
セイリンは盗んだ船に備え付けられていたランプをリットに投げ渡した。
そして、リットを近くの島の浜へ送り届けると、自分達は残りの泥をとるために海底へ向かっていった。
島に残されたリットはセイリンに言われたランプを作ることにした。
ランプを作ると言っても、元は出来ている。あの言葉は、セイリン達に影響が少ないランプを作れという意味だ。
原因は妖精の白ユリのオイルの量だということはわかっているのだが、問題はどうやって薄めるかだ。
これが自身のランプ屋ならば、他のオイルとブレンドして調節するのだが、今回は現物もなければ抽出道具もなかった。
オイルの芯を替えるくらいだ。
だがオイルの芯も素材の殆どは木綿であり、代替出来るようなものは近くに見当たらない。
リットの出来ることといえば、芯をほぐし、編み直し、芯の形状を変えるくらいだ。
「もっとわかりやすく言えってんだ……」
リットは砂浜に松明を深く突き刺すと、身体を放り投げるようにして横になると、薄く青を伸ばす空を見上げた。
船を乾かすのにフェニックスの尾の炎が宿った松明を使い、実際に船を使用するときには妖精の白ユリのオイルの力を混ぜて使う。
そうすることで純粋な火の魔力ではなくなる。
後はマーメイドハープの水の力を制御しながら進むだけだ。
そうして泥舟が溶けすぎないように調整しながら山を登ればいい。
つまり。リットはセイリンから休んでいろと遠回しに言われたのだ。
素直に伝えない理由は、リットが先に仕事を終わらせて悔しいからだ。
同行させて、後方からグダグタ言われるとストレスが溜まるので、島流しのように島に置いていかれたのだった。
形を変える雲を眺めながら、リットはなぜユレインがセイリンを利用したか考えていた。
ゴーストのユレインでも一角白鯨の墓場にたどり着けるのならば、セイリンを利用するのではなく協力を打診したほうが早い。
南にも人魚の海賊がいるのに、なぜイサリビィ海賊団を狙ったのか。
おそらく人間の力が必要だからだ。
セイリンは片足が人間であるように、人魚と人間のハーフだ。さらに言えば、人魚の中でもメロウという種族なので、本来ならばマーメイドハープすら弾けない。
今セイリンがマーメイドハープで魔法を使えるのは、コーラルシーライトの鱗をピック代わりに使って演奏しているからだ。
他の人魚は指を十本使うのに対して、セイリンはピック一つ。そのせいでセイリンが奏でる曲は独特なものになっていた。
弦楽器のリュートでもしないような荒い演奏は、芸術に疎いリットでも間違っているとわかる。
だが、言うならばそれは我流であり、新たな演奏法とも言える。
今いるイサリビィ海賊団の三人は、昔からいる創立メンバーだ。
これはセイリンがマーメイドハープを弾けなかったことも知っているということ。他の人魚やアリスとテレスがいない状況で、思う存分我流の奏法を試すことが出来る。
なぜ今伸び伸びとマーメイドハープの演奏が出来ているのか。それはセイリンが感じている唯一の引け目だったからだ。
リットとセイリンの出会いも、東の海の海岸まで来てわざわざマーメイドハープの練習をしている時だ。
リットはユレインがこの状況を作り出したかったのだと推理した。
なぜなら、我流の奏法を極めると新たな効果の楽曲が生まれる可能性があるからだ。
そして、ユレインはところどころ手を出したり情報を流すことで、相手を自分の流れへ誘導する戦法を得意とする。
これはリットが海の底へユレインの三角帽子を取りに行った時。実際にユレインにやられた戦法だ。
情報を小出しにして、流れがズレたり確信に迫ったりすると姿を現して助言する。
そうして最後に美味しいところを独り占めして去っていく。
「これが先の時代の海賊か……。確かに他とは格が違うな。神格化されるのもわかる」
リットは前回の自分の役回りをさせられているセイリンを空に思いながら、自分がユレインから与えられた役目は、船を作り、セイリンを角の麓まで運ぶことだと悟った。