第十三話
ゆらり揺られる船の上。リットは目の前の光景に覚えがあった。
間違いなくボーンドレス号の甲板にいる。
活気あふれる人魚海賊たちの笑い声、陽光に負けない陽気な歌声。
間違いなくリットが体験したイサリビィ海賊団の空気だ。見覚えのある床の傷に、自分がこぼした酒でできた染み。
これが夢だとわかるのは、体の自由が全く効かないのに主観的に景色が変わるからだ。
そして極めつけは「ユレイン船長! こりゃ無理だぜ!」というアリスの声が自分の喉から発せられてることだ。
「無理なことなんてない。なんの為にボーンドレス号を奪ったか忘れたの?」
「かしらに成り代わるチャンスだと思ったんだよ。ここで良いとこを見せれば、ゆくゆくは私がイサリビィ海賊団の船長だってな」
「海賊はいつから世襲制になったの? 船長になりたければいつでもなれるでしょう」
ユレインは存在しない自分の影の代わりに、頭からすっぽり被っているローブの影を揺らした。
「そう簡単にはいかないだろう。一人で海賊だとでも名乗れっていうのか?」
「時代を動かす人物っていうのは一人でも名を馳せる」
ユレインはまさしく自分がそうだと言った。
幽霊船騒ぎはユレイン一人の成果なので、アリスは反論することができなかった。
「わーったよ……それで船を沈めればいいのか?」
アリスは水中船にする準備はできていると、半分ほど水に浸かったボーンドレス号を見下ろしながら言った。
「そう。こっから先、海面は危険だからね」
「海中だって危険だ。このあたりはもうマーメイドハープの影響が出てる……陸に住んでるやつが乗る船は一切ここには近付かねえって話だぜ」
現在ボーンドレス号は一角白鯨の角がギリギリ見える海域に来ていた。
アリスの言う通り、マーメイドハープが奏でる鎮魂歌の影響で海流が複雑になっている。
ほとんどの船は近付くことさえできない。万が一近付けたとしても、バラバラになって沈んでいくだけだ。
陸では魔の海域と呼ばれ、手っ取り早く名を上げようとする冒険者くらいしか近付かない場所だ。
そして、そこで名を挙げた冒険者は一人もいない。
歴史のページにも乗らず、海の底に沈んでしまったからだ。
「これは海の種族が使ってる船でしょう。関係ない」
「元は沈んでた船だぜ。かしらが言ってた」
「だから選んだんだこの船を。ゴーストシップにふさわしい。もったいないよ。死の怨念は活かしてこそ意味があるのにね」
「陸のことが絡むと複雑になって苦手だぜ……一体どういう意味だ」
「ゴーストらしく通り抜けるということ。ゴーストシップに嵐も海流も関係ない。魔法の類もね」
「待った。それって私らはどうなる?」
「ゴーストシップだと言ったでしょう。私一人ではゴースト。その私が乗るこの船がゴーストシップ。当然乗組員もゴーストに限る」
「おい! こっちはここで置いてきぼりかよ!」
「仮にも海賊船の船長。仲間を置いていくと思う?」
ユレインは見覚えのないコンパスを取り出すと、針はどこを指すでもなく回転し続けた。
「壊れてるぞ」
「壊れていない。このコンパスは魂を指すコンパス。つまりここに生きているものは一人もいない」
アリスが自分の死に気付いて大声を上げようとすると、ユレインがキスしそなほど顔を近付けてニヤリと笑った。
「なーんてね。冗談だよ。こっちのお客さんにゴーストシップらしさをサービスしただけ。どうやらコーダックの酒瓶を手に入れたようだね。女の会話を覗き見るなんて悪い男だよ。悪いけど隠し財宝の奪い合いレースをするつもりはないからね。ばいばい」
ユレインはアリスの瞳の奥にいるリットの顔を見つめると、そのまま闇となって消えてしまった。
それと同時にリットの目は、早朝からギラつく太陽の光に白く照らされた。
「変な夢を見た……」
「こっちもだ」
セイリンは寝起きのリットに水入り瓶を投げ渡すと、自分はそのままの格好で海に飛び込んで目を覚ました。
「そっちの夢ってのはアリスの目からユレインを覗いてる夢か?」
リットが海に向かって叫ぶと、水しぶきが飛んできた。
「そういう話はもっと早く言え」
「最速だろうが。寝起きの第一声だぞ」
「重要な話は寝言でも言え」
セイリンはびしょ濡れの格好のままリットに詰め寄った。
「無茶言うな」
リットは水で喉を潤すと、忘れる前に夢の内容をすべて話した。
「なるほど……同じ夢だな。無茶をする」
「無茶もなにもお仲間が殺されるかもしれないんだぞ」
「海賊だぞ。死のうが生き恥をさらし続けようが自己責任だ。それに海にまつわる死の呪いの殆どは一時期的なものだからな。それほど心配することはない。ユレインが本気だったとしてもな。心配すべきは、向こうは一角白鯨の墓場に近づく方法を見つけているということだ。既に事前調査済み。不測の事態の別プランもあると見た」
「こっちは行き当たりばったりだ。海賊としては勝ってるぞ。マヌケ加減がな」
「バカ言うな。こっちは頭を使って船を出している。だから国船だって容易に手を出してこないだろう?」
「甘えさせられてんだよ。子供と一緒だ。先に適当な商船で取引させ。重要な荷物はあとから別の船が乗せて出港する」
「それこそが手に入れたいものだ。機密文書や歴史的遺産なんてものには興味がないからな。酒と食料。あとは風変わりな民芸品や服などがあれば十分だ」
「海賊の流儀を語るのもいいけどよ。この戦力にならない奴らはどうすんだよ」
リットは転がって寝てる人魚たちをつま先で指しながら言った。
「寝かせておけ。どうせ役に立つ夢は見ていないだろう」
セイリンはよだれを垂らす仲間たちをそのままに、自ら帆を張り船を出した。
「こりゃまた大変だね」
マグニがそう声を出したのは、奇しくもリットが夢で見た海域だった。
「本当に幽霊にでもなるか?」
リットは渦巻くような複雑な海流を見てそうつぶやいた。
絵画でしか見ないような異様な光景を見れば、誰でも死が頭をよぎるのが普通だ。
「街までは決まったルートがあるに決まってるでしょう。墓守もいるのよ。全員が近付けなかったら意味ないでしょう」
スズキ・サンは常識でしょうとでも言うような口ぶりだったが、リットはそれよりも気になる海の常識があった。
「まさかまた海の底の街か?」
「察しが良いな。次に見る光景は海の底だ」
セイリンはリットの足を蹴ってバランスを崩させると、もたつく隙にキスをして海に潜る準備をした。
沈没するようゆるやかに沈んでいく船の上で「いやー驚いたね」とマグ二は短い尾びれをパタパタさせていた。
「オレは二回目だ。いいもんじゃねぇよ。これから死へ向かうようなものだからな」
「キスの話だよ。ちゅーってちゅーってさっきやってたじゃん」
「それに関しても同じ答えが返せる。不思議なことにな」
「おっいつものナゾナゾだね」
「いつもナゾナゾ出してるつもりはねぇよ……。それよりマグ二も人魚だろ。どんだけ事情を知らねえんだよ」
「海の人魚と違って、川とか湖に住む人魚は地域に特化してるからねー。演奏海とかあるのは知ってるけど、正式に招待はされないからね。バブルメールは川の流れに逆らえないんだよ。だから情報源は主にハーピィだよ」
「本当にあの種族……どこでもおしゃべりな奴らだ……」
「人間ほどじゃないけどね。リットだって誰かのおしゃべりからあちこち行ってるんでしょう? グリザベルが言ってたよ。あっちへふらふらこっちへふらふら。リットは根無し草だって」
「ランプ屋として根を下ろした途端に担ぎ出されたんだよ。つーかよ、湖にはユレインの噂とか届いてねぇのか?」
「届いてるけど、リットとあまり変わらないよ。そもそも幽霊船がうろつくのもヨルムウトルで影がうろつくのもあんまり変わらなくない?」
「……規模が違えだろ」
「海で考えたら両方米粒みたいなものだよ。それに、海ってのんびりしてるようで忙しいんだ。だから僕には合わないんだよね」
「オレよりは似合ってる。この光景を地上の奴らに見られたら、今頃オレの墓の前には酒が備えられてる。いや……悪くねえな」
「リットが死んだら備えてあげるよ。人間は短命だからね。そう遠くはない日だよ」
「ありがとよ。死の宣告をしてくれて。見事にこの光景とあってる」
「そんな怖いものでもないよ」
リットは二回目でもマグニは初めて海の底に沈んでいく。
しかし、マグニに恐怖心はなかった。
「そういや、ヨルムウトルが闇に呑まれてるって噂が立ってたのに、ハープの練習に来るような奴だったな。もっと早く気付いてりゃ、ペングイン大陸に連れて行ったのによ」
「グリザベルから聞いたよ。水があるかも怪しい場所だったって。干からびちゃうよ。人魚の干物だなんて最悪だよ。干物は下半身だけ、上はミイラだからね」
「無駄話は終わりだ。ついたぞ」
セイリン真っ暗な海中で船を止めた。
セイリンを先頭に次々と降りていったので、リットも船を降りようとしたのだが、セイリンに止められた。
「この中は人魚以外は入れない。二人はここで留守番だ」
セイリンはジュエリーに一度目を向けると、そのまま闇に姿を消した。
「あっ! ちょ! まっ!」
人見知りのジュエリーは知らない男と二人きりは困ると助けを求めたが、セイリン達は無視を決め込んでいた。
「ほっとけ。どうせすぐ戻って来る」
「なんで」
「一角白鯨の墓場には死体がねぇと入れねぇって言ってただろう。ここに死体はねぇ。ただの交渉に向かっただけだ」
「なんで」
「人数が多いほうが墓参りに言い訳しやすいからだろう」
「……なんで」
「なにも言ってねぇのにわかるってか?」
「そう」
「変人と話すのは慣れてるからな」
リットは相変わらずジュエリーの顔を見ずに話していた。
「セイリンはそういう融通が利かないのよね。泳ぐのか歩くのか、どっちつかずで結局海賊でしょう? 遠泳の方法を教えたのは、人魚じゃなくて私だっていうのに」
「なんで」
「人間の脚が邪魔するから人魚とお同じじゃ泳げないの。それでいてマーメイドハープも効果なしだったから、本当大変だったんだから」
「なんで」
「ちょっと。私はなんでだけじゃわからないんだけど」
「なんで勝手に喋ってんだよ。おしゃべりして待つって間柄じゃねぇだろう。ちょうど足元にマグニがよだれで作った顔に見えるシミがある。海水で馴染んで消える前に話しかけてやれよ」
「よくぽんぽん文句が出てくるね。そういうとこはセイリンそっくり」
「おい、人見知りならキャラを貫けよ。二重人格の友人は一人で十分だ」
「はいはい。わかったよ。こっちも喋らなくていいなら楽ってもんだよ。一人遊びは得意だから」
言いながらジュエリー紫の液体を出すと、それを水中で粘土のようにこね始めた。
「おい……うんこがこっちまで流れてきてるぞ」
「それは魔力の塊だよ。アメフラシだって言ったでしょう。小さい雨雲なら作れるんだよ。空にも、海のなかにもね」
ジュエリーが作った紫色の雲からは、海に溶けるよう雨が流れ出していた。
「本当に魔法を使う種族は意味がわからねぇ……」
「使ってる本人もよくはわかってないからね。人間のほうが詳しいんでしょう。ハーピィから聞いたよ。地上では魔女ってのが幅を効かせてるって」
「幅を利かせすぎてデブになってるってもんだ。だから歩けず引きこもってる。こっちは歩くことになりそうだけどな」
リットはあまりにも早すぎるセイリンの帰還に、交渉は失敗に終わったことを悟った。